清瑩塾

清瑩(せいえい)とは、“清く輝くさま”を意味する。


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 今日は、季節というものの存在が、ヒトという生き物が健全に生きていくために、どれほどの影響力をもっているかについて考えてみたいと思います。言い換えれば、温帯を本拠地とする日本人は、季節をどの程度大切にしなければならないのかを見極めたいのです。

 

 季節を本当に大切にしなければならないのなら、冬には寒さを充分に感じることが大切になりますし、部屋を春や秋のような温度になるまで温めることは避けなければなりません。また食べ物は、その季節に採れる物のみを食べ、季節外れの物は食べないほうが良いことになります。或いは、戸外に出れば、そこにはその季節に優勢になる植物が生えており、その植物が放出する揮発性物質を充分に吸い込むことが健康維持の秘訣になるでしょう。更に言えば、その季節に聞こえる虫や鳥の声を聞くことも大切だということになります。

 

 自然と一体化して生活することは大切であると多くの人が思っているでしょうが、思っているだけであって、実際には、年じゅう心地良い気温や湿度、便利で行き届いた人工環境を望んでいるはずです。それは、季節というものがヒトにどの程度の影響を与えるかについての情報が少なく、切実な問題として捉えられていないからだと言えます。

 

 現代に生きる日本人が、本当に季節というものを失ってしまったのか否かについては、一例として泉谷しげるさんの「春夏秋冬」という曲の冒頭の歌詞にみることができます。 「季節のない街に生まれ 風のない丘に育ち …」 泉谷さんが誕生されたのは1948年(昭和23年)であって、東京大空襲から3年後です。

 

 

 そもそも今の東京の在る地域は、古代と呼ばれる遙か昔から既に人口密度が高く、日本列島の中でいち早く都市化された地域ですが、先ずは1923年(大正12年)に「関東大震災」によって壊滅的な状態になりました。

 

 

 上の写真は、震災直後に、多くの人たちの避難場所になった元陸軍の被服廠(ひふくしょう)跡地の様子です。広大な空き地であったにもかかわらず、そこに非難した人々が持ち込んだ衣類などにも火の粉が降り注ぎ、それらに延焼し、人々も焼け死にました。想像を絶する高温、酸素欠乏、猛烈な煙などが人々を襲ったのです。

 

 その後、東京の街は、人間の手によって新しく造り変えられました。燃えにくい材料を使い、強い地震にも耐えられるよう、頑丈に造り変えられました。そのとき既に、大自然の景観とは大きくかけ離れた街の姿があったのです。

 

 

 上の写真は、関東大震災から12年後にあたる、1935年(昭和10年)頃の新宿の様子です。頑丈そうなビルディングが建ち並んでいますが、もはや、これらから季節を感じ取ることは出来ません。

 

 それから10年後にあたる1945年(昭和20年)、太平洋戦争における東京大空襲によって、再び東京全域が焼け野原になってしまいました。

 

 

 そして人間は、東京の街を、より新しい材料や技術を駆使して再建を始めました。泉谷しげるさんが誕生されたのは、東京大空襲から3年後の1948年(昭和23年)です。当時の東京での生活は、私たちにとっては想像の域を出ませんが、それこそ生きるのに必死だったと言えます。

 

 

 上の写真は1948年当時の新橋における「闇市(ヤミ市)」の様子です。街には、兵役から復員した人々や、外地から引揚げてきた人々も多くいたそうです。海外からの物資の輸入は途絶えており、政府による配給制度も追いつかず、物価統制令はまともに機能していませんでした。そのようななか、人々は生きるために独自に売買を始めたり、物々交換したりしました。ヤミ市は、そのような極限状態で現れた市場です。今日を生きるのが必死である人々にとって、季節があったとしても、それを満喫している余裕はありませんでした。

 

 その後、東京は混乱から徐々に平静さを取り戻し、現代の東京に近い景観を呈するようになってきました。

 

 

 上の写真は1967年(昭和42年)の中目黒です。泉谷さんの年齢では19歳に相当します。氏の出身地は目黒ということですので、少し足を運べば写真の場所が眼前に広がっていたことでしょう。楽曲の「春夏秋冬」の発表は1972年ですので、この写真の5年後になります。

 

 このように、「季節のない街」が生まれた背景には、一つは、大きな地震や火災に耐えられるような街作りを目指したことにあるでしょう。もう一つは、戦争によって再び草木も無い焼け野原になったこと。そして、そんな極限状態で必死に生き延びようとした人々に「季節」を楽しむ余裕など無かったことです。感じられたとすれば、砂漠のように変わり果ててしまった東京の、うだるような夏の蒸し暑さと、凍りつくような冬の寒さだけだったのではないでしょうか。

 

 一方、「田舎」は「季節のない街」の真逆に相当する地域でしょう。

 

 

 上の写真は、2016年の11月3日に撮影したものです。左側の写真では季節の判別がつきにくいかも知れませんが、横を向くと右側の写真のような光景が目に入ってきました。そこには、10月~11月にかけて咲くセイタカアワダチソウの花があり、夏には黄緑色であった穂が茶色く色づいたエノコログサがありました。これらによって秋が深まってきていることがわかります。

 

 少なくとも四季の変化が明瞭である日本列島に自生している植物は、かなり正確に体内時計を刻みながら、それに基づいて自らの活動を変化させています。体内時計の微調整のために日照時間を主な指標として用いる植物があるかと思えば、気温の変化を主な指標として用いる植物もあって、それは植物によって様々ですが、おそらく複数の環境因子を手がかりにして体内時計を微調整しているはずです。「開花が昨年より1週間遅い」などといった狂いも生じますが、これは狂いではなく、年によって異なる気象変化に合わせた、最も適切なカレンダーを自ら作り上げていると解釈すべきでしょう。

 

 家で飼われているネコも、その出産時期は初夏に決まっています。これも、ネコの体内時計がしっかりと月日を刻み、それを元にしてメラトニン、甲状腺ホルモン、性ホルモンなどの分泌量が調節され、出産が初夏になるようにプログラムされているからです。

 

 

 ネコとヒトは随分と違うだろうとする見解はもっともなものでしょう。しかし、ヒト以外の全ての動植物は、季節に合わせた代謝変化や行動変化を起こすことは明らかです。ヒトだけが異なるとする考え方は余りにも不自然だと言えるでしょう。

 

 ヒトの場合、冬場には甲状腺ホルモンの分泌が高まり、代謝を活発化して熱発生を増やす仕組みのあることは多くの人の知るところですが、実際にはヒトの遺伝子のうち、その23%が季節に応じて発現レベルを変化させているとする報告があります。

 

 下図はその報告の中で示されているデータの一つですが、全部で22,822種類の遺伝子が調べられた結果、夏に発現レベルを増した遺伝子が2,311種類(青色で表示)、冬に発現レベルを増した遺伝子が2,826種類(黄緑色で表示)で、両者を合わせると23%(22.5%)になります。

 

 

 これは、四季のはっきりしているイギリスにおける研究結果ですので、気温や日照時間などの外的要因が遺伝子発現を変化させたのか、それとも体内時計による概年リズムが遺伝子発現を変化させたのかの区別は出来ませんが、予想以上に多くの遺伝子が季節に応じて発現レベルを変化させていることがわかります。

 

 さて、どうでしょうか? 上述しましたように、ヒトの遺伝子は、少なくともその23%程度は、季節によって発現する程度を変化させるようです。ヒトも、実験動物のマウスのように、年がら年中同じ温度や湿度、同じ昼夜の長さ、同じ食餌を与えられたとしても、遺伝子そのものは季節変化に対応する準備ができているということです。特に、脂肪組織は冬場に向けて貯蔵機能を高めるでしょうし、免疫細胞は外敵の多い夏場に向けて外来異物を処理する能力を高めることでしょう。しかし、それにもかかわらず人工的な一定の環境が与えられたとすると肩すかしを食らう形になります。

 

 ヒトの遺伝子の多くが季節の変化に応じてその発現レベルを変化させる理由は、私たちの祖先が皆、季節が在ることを当たり前のものとして適応してきたからです。その遺伝子を、私たちはそのまま受け継いでいるのです。

 

 体調を崩したり、思わぬ病気にかかってしまった原因の一つは、季節を忘れた生活をしていることにあると言ってよいのではないでしょうか。

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