人生初救急車

甲状腺の異常はなかったが、背中の痛みと頭ののぼせは依然として治らないまま。

いろいろ調べて鍼灸と整体に行ってみるも効果はなし。


そんな中、今度は目に異常が現れた。
何かものを見ると目が疲れるようになったのだ。


眼精疲労だと思い病院に行くと予想通り眼精疲労の診断。
ただ、この時の視力検査でいつもでは感じられないほど目が疲れたのを覚えている。

次から次へと襲ってくる症状に不安は募るばかり、


そんな2011年5月1日0時過ぎのことだった。


パソコン画面を見ていたところ急に体に衝撃が走った。

心臓がゾクっとしたのだ。


これはただ事ではないとすぐに理解した俺は
すぐ親のいる部屋へはいずり回りながら向かった。

もっち「お母さん!なんか体がおかしいよ!」

母「気のせいでしょ。早く寝てゆっくりしなさい」


この一連の騒動の中でも両親は体の異変を完全に軽視していた。

この辛さを解ってもらえない事が本当に辛かった。



その時だった。


心臓が少しずつ速い速度で動きだしたのだ。

さすがにびっくりしてうつぶせに倒れこんだ。


おとなしくしてれば元に戻るような雰囲気ではなく
その心臓の鼓動は今まで体験したことのない速度で脈打ちだしたのだ。

ものすごい不快感とともに、急に息苦しくなった。


死ぬ


そう思った。



すぐに救急車を呼んでもらった。



救急車は5分もしないうちに即到着。

この時血圧は160を超えていた。


もう死ぬと思った私は親に
「親不孝な息子でごめんなさい」と何度も謝り
そしてもがき苦しんでいた。

苦しくて苦しくて、
何をやっても行き苦しさが消えない。

いよいよ終わりか・・・

そう思った時

徐々に呼吸ができるようになってきた。


そして病院に到着したときには
発作は治っていた。

病院の先生の診断は
「酸素が欠乏して呼吸困難になった」

それだけだった。

「何か体に疾患があるのでは?」

と質問したが、取り合ってもらえず
点滴を打って少し休んだ後、家に戻された。

病院的にも家族的にも
「なんだ、それだけのことか」と
今回の一件を解決していた。

しかし、相変わらず背中には痛みが走っているし
発作からさらに不安が大きくなって
心臓が常にバクバクするようになってしまった。

この目には見えない病との闘いは
蓄膿症に続く今後の人生を左右する大きな病気として
私の前に立ちはだかることになった。

とりあえず、死ななくてよかった。
しかし、地獄の日々は始まったばかりだった。




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