終の棲家と右上腕骨近位端骨折日誌

利き腕骨折の回復記録と住まいとの間連


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 未だにアメリカにもソ連にもイマイマシイ感情は消えていない。


未だしも、アメリカは主体的に戦った、がしかし、ソ連は火事場泥棒じゃないか、8月6日、日ソ不可侵条約を破棄して参戦、10日足らずで、樺太、千島、北方領土、ほゞ60万人の強制労働者を連行、おめでたいS某は人道支援とか税金を使い、これで北方領土が帰ってくると思うか、約束など反古に等しい。

昨日、国土地理院の地図と測量の科学館に 客を案内した。


何度かみる皇居周辺の明治10年代と平成10年代の地図をみて、前者は陸軍士官学校をはじめ陸軍関連施設に囲まれ、守られているのか、包囲されているのか、515事件や226事件も、この辺でと・・・、この地図、第二次世界大戦前後の地図が加われば更に興味深いものになるのだが・・・・。

敗戦の1945年8月、13歳であった。民衆がオール戦意高揚していたかのような報道があるが、決してそのようなことは無かった。


赤紙がきたといっては悲しみ、壁に耳あり、障子に目ありと警戒し、私も子供ながら、女に生まれて良かった、戦争に行かなくて済むと思った。


来る日も来る日も勤労奉仕に明け暮れ、月謝を払いながら、勉強もせず、肥桶かつき、農家の手伝い、サツマイモの苗植え、家では大黒柱の父は徴用で遠く、軍需工場、多くの子供を残された母は、タドンづくり、農家の手伝い、大根の葉を干し、飢えをしのいでいた。この戦争は負けるといつもいっていた。新聞など読むヒマもなかったから生活実感以外の何モノでもない。


 戦争を始めるのはた易い、やめるのは難しい。


もつと早く鉾を収めていれば北方領土問題も、原爆症もなかったメラメラ 

未だに負の遺産を抱えて苦しむのは当事者ではなく、後の世代、漁船は拿捕され、また原爆症に苦しむ。


指導者を誤れば、このような結果を招くことになる。






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