われわれの第九を歌う合唱団では、`15年から大震災のあった3月11日にあわせて「大震災追悼コンサート」を開催しています。1回目は陸前高田・普門寺で、2回目は三陸ホールで、そして今回は住田町を会場にしました。

 住田町を簡単に説明すると、わが大船渡と陸前高田に近接し、地場産業は農業(とりわけ酪農がさかん)と林業で、特に林業に力を入れています。震災の折には、町外に仕事に要っていた方々が何人か亡くなられたようですが、後方支援を盛んに行い、消防団を捜索の応援に派遣もしてくれました。

 コンサートでは、初めに犠牲者への哀悼をこめ、テノールのソロによる献歌。

 それから、「レクイエム」(上田益作曲)、「永遠の花」(ジョン・ラター作曲)、「春なのに」「波雫(なみだ)」(陸前高田出身のメゾソプラノ歌手・菅野祥子さんが作詞作曲)などを披露しました。歌詞は掲載できませんが、もしネットのできる環境があれば、どうぞ検索をしてみてください。

「春なのに」は、`83年に柏原芳恵さんが歌った同名の曲とは違い、失われた故郷への哀惜の念が強く打ち出された内容になっています。「波雫」は震災の後日譚といってもいい内容ですが、被災された多くの方々がそうであったように、ただひたすら涙を堪えて過ごしてきた何年かを経て、改めて拭えない悲しみに向き合う想いが込められたものになっています。先日、お伝えした、被災地の今の姿が頭に浮かんできました。

 締めくくりは、「花は咲く」

 

 帰り道で、考えました。

 「故郷」。それは人それぞれに、形を変えて存在するもの。場所であったり、人の心であったり。

 被災した街並みは、徐々に新しい顔を現してきていますが、亡くなった人たちの魂が還るべきところは、果たして確保されているか。少々薄ら寒いものを感じることがあります。

 であるなら、われわれが、彼らのふるさとになってあげたい。潮来になれ、というのではないですが、その人々を思い出すこと。見ず知らずとも、心の中で意識してあげること。

 それこそが、供養になるのではないかと思うのです。

 「死者を敬えない文明は、やがて生者をも破滅させる」。このことをかみしめつつ。

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