BOXING MASTER/ボクシング マスター

輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋40年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。夢と勇気と感動を与えるブログ。


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99年12月、全日本フライ級新人王を獲得した坂田健史(協栄)選手の2000年はキャリアを積む年。大竹マネジャーが、「もう1年間寝かせたかった」という部分を、試合をこなすことによって勉強させた。この年は、主に外国人選手相手に6試合。大竹スタイルは試合中に、「今しかやれないよ」という課題を与える。


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01年、21歳の誕生日を迎えた坂田選手に思わぬチャンスが転がり込んだ。セレス小林(国際)選手の返上によって空位となった、日本フライ級の王座決定戦への出場チャンスが舞い込んだのだ。


対戦相手は、世界王座挑戦経験もある川端賢樹(姫路木下)選手。大竹マネジャーは、川端選手と世界ランカーであるユーラ・ディマ(モンゴル)の試合をマッチメイクした過去があり、川端選手のハートの強さとガッツは非常に高く買っていた。


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「タイトル戦のチャンスなんて、そんなにあるものじゃないから」


自らの体験も踏まえ、21歳になったばかりの弟子をタイトルマッチの舞台に送り込むことを決めた。そして迎えた01年4月9日。2差が二人、1差が一人という際どいポイント差ではあったが、大方の予想を覆し、坂田選手は初めてのチャンスをものにして、日本フライ級王座を獲得。


ここから、王者にふさわしい厳しいマッチメイクが続く。初防衛戦は無敗でこの王座を狙っていた内藤大助(宮田)選手。前半戦、出てこない挑戦者に対し、待機戦法を指示した大竹マネジャー。坂田選手は指示通り戦ったが、結果は引き分け。


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「あれは坂田のせいじゃない。俺が悪かった」。試合後、師匠は素直に戦った弟子を大いにかばった。


内藤選手からベルトを護りぬいた王者の次なる挑戦者は、3度の世界タイトルマッチ経験者八尋史朗(帝拳)選手。新鋭vs古豪の対決は、9回TKOという結末となり、坂田選手が2度目の王座防衛に成功した。続いて仲田端男(SB石丸)選手の挑戦を退け、3度目の防衛に成功した王者の次なる刺客は、世界7位トラッシュ中沼(国際)選手。


後楽園ホールに2千人の観衆をのみこんだ一戦は、接近戦を挑んだ王者に対し、挑戦者が戦略で上回り、僅差の判定勝ち。うれしい初載冠を遂げた。ジャッジのスコアは、96-97、96-98、96-96の2-0。

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しかし、この試合。大竹マネジャーの指示は、「距離を取って」だった。デビュー以来、初めて経験する敗北は、初めて作戦通り戦わなかった試合といえる。


試合後、坂田選手、大竹マネジャーと共に、丸の内線で池袋に出た。向かった先には、坂田選手をデビューの頃から応援してくれている”路草会”(みちくさかい)の皆さんが待っていてくれる。

ホールを出て”路草”に入るまで、無言。言葉は一切発せられない。

敗戦の夜。心ある、暖かい激励を受けた坂田選手の目には涙があふれた。


「借りは返すぞ!」

「次、勝てなかったら世界なんて言ってられないからな!」

「ハイ!」

「このままじゃ終われません」

翌年のチャンピオン・カーニバルで再戦のチャンスを掴む他ないと、試合後すぐに決めた大竹マネジャーは、そのためのマッチメイクに取り掛かる。世界はまだ見えていない。


「あの1年は坂田つらかったと思うよ」


中沼選手への雪辱。これだけを考えた日々が始まった。   = 続 く =


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「力仕事がいいです!」

高校を卒業し広島から上京、協栄ジムへ入門した坂田健史選手。「バイトはどんなのがいい?」という大竹マネジャーの問いかけにハッキリとそう答えた。1998年春のことである。


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水道工事、ガス工事などのガテン系バイトを始めながらのボクシング生活が始まった。大坪先輩が請け負う小手指の現場へ坂田選手が来ることになったのは、夏も終わろうかという頃であったと思う。

私が職長を務める現場には何人かの選手、練習生がバイトへ来ていた。しかし、まともに来ない。遅刻、休みのオンパレード。体調優先、自分のペースでバイトするのである。

「走らなくちゃ強くなれないよ!」

西武池袋駅7時5分発急行電車。1日も休まず遅刻せず、この電車に乗り続けて来たのは坂田選手だけだった。協栄ジム近く、新大久保に住んでいた坂田選手が、現場仕事前に走っていたことが証明されるのは、新人王予選が始まってからになる。

大工のおじさんに追われながら、室内配線が坂田選手の仕事。「あの大工、頭にきちゃうよなァ」とか言いながら、一部屋ずつ仕上げていく。私は若い彼らに目標を伝える。「5時までに終わったら、帰ってもいいから」。しかし、それは頑張ってちょうど5時に終わるかなという設定にしていた。

小走りで小手指駅へ急ぎ、電車に駆け込むと即睡眠。ジムへたどり着くのは6時半前という毎日。スパーリングを開始した坂田選手のパートーナーは、同じフライ級の秋田勝弘選手が務めた。


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ブルファイター秋田選手は、98年のA級トーナメントで優勝を果たしている。決勝戦で顔があったのは広島出身、アマ出のホープ柳川荒士(白井・具志堅S)選手。この試合、秋田選手は左ジャブとボディブローで無敗ホープを撃退している。

「なんで手の短い秋田さんのジャブが、僕のより早く当たるんですか」

自慢ではないが、顔はかくて、胴体は長い。それでいて手足は短い秋田先輩。そのうえ、超がつくほどの不器用なのだが、ジャブの相打ちでは坂田選手に勝った。

左ジャブ。「よく考えてみな」と大竹マネジャーが説明し、残りは練習しながら自分で考え実践していく。「これ出来ないと次へ行けないからな」。最初の一歩はとても重要だ。その次は教えないのである。

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98年12月8日後楽園ホール。福田晃徳 (角海老宝石)選手とのデビュー戦を3回TKOで飾った坂田選手は、「後援会が出来ちゃいましたから」という理由で、99年の新人王戦にエントリーするハメになる。大竹マネジャーとしては、「あと1年寝かせてから」という思いがあった。

何せ、「裸で歌ってたんだろ」ということでスタミナも怪しく、ボクシングはまだまだ基本を教えている段階。高校時代アマで活躍していた先輩佐藤 修 選手は、2年連続新人王に挑戦したが失敗という結果に終わっていた。

99年5月、フライ級予選第1戦目は黒岩宏 (輪島スポーツ)選手と対戦。だが、この試合で立ち上がり早々坂田選手はダウンを奪われる。失敗したなァという坂田選手に対し、大竹マネジャーは冷静だ。

「大丈夫。残り全部取ればいいんだから。全部取らなくちゃダメだぞ!」

後年、世界戦でも聞かれたこの台詞は、既に3戦目から発せられていた。指示通り残り全部ポイントを取りにいった坂田選手は、38-37×2、38-38という際どい判定で勝利を飾った。

この頃のスパーリングでのことだと思うが、強引に右を打ち込みにいった坂田選手はパートーナーの右をモロにカウンターで喰らい、ひどいダメージを被ったことがある。以後は絶対慎重、強引に力任せに出ることはなくなった。

続くシード選手大村宗史 (ワタナベ)選手との試合も、ダウンこそしなかったが、39-38が二者という僅差の判定をものにした。野口哲彦 (北澤)選手との準々決勝戦は3回TKO勝ち。そして迎えた準決勝戦は小嶋武幸(横浜さくら)選手が相手。

4戦全KO勝ち。威力ある右ストレートを武器にする小嶋選手は優勝候補の大本命。そして坂田選手は第1ラウンド、デンカオセーン初戦のようなダウンを喫してしまう。この時も、大竹マネジャーは少しも慌てずに、「残り全部取ればいいんだから。全部取って来い!」。

ジャッジ全員が38×37。見事に残り3ラウンドを奪取した坂田選手は決勝戦へ駒を進めた(小嶋選手は翌年全日本新人王となる)。前半ビハインド、きっちり差しきりのパターンは新人王戦の頃から出来上がっていた。その源はスタミナである。


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「スタミナあれば、何でもできる!」(~~)

「難しいことばっかり教えたって、スタミナなかったら使えないんだから意味ないじゃん」(~~)

東日本決勝戦、萩本俊雄(フラッシュ赤羽)選手との6回戦は、3ポイント差が二人という圧勝。全日本決勝戦は有永政幸(関→大橋)選手に前半リードを許すも、後半指しきりジャッジ全員が58-57で坂田選手。

たくさん勝たないけど、負けない勝負根性で坂田選手は全日本新人王に輝いた。相手を選べぬ新人王戦は、キャリアを積むには絶好の機会。派手さはないが、勝負根性は誰にも負けない。

ロードワークと基本で獲得した新人王。しかし、体力的にはまだまだであった。

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29日は第69代WBA世界フライ級チャンピオン坂田健史選手の誕生日。サンちゃんも31歳になった。先頃、ファンの方から頼まれた色紙にサインを貰った。「何か好きな言葉を入れてほしいって」。

”夢はかなうもの”。

色紙には坂田選手らしい言葉が記されていた。


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「小手指の現場行ってたのが、ついこの間のような気がします」

「なんか、アッという間だなァ」(~~)

西武池袋線小手指(こてさし)。元世界フェザー級王者西城正三氏にも「手伝ってもらった事があるよ」という電気設備工事のベテラン、元協栄ジム選手の大坪先輩の下、私は地上14階建てマンションの現場仕事に従事していた。

1998年(平成10年)初夏。建築現場はまだ基礎工事。公道下に走る東京電力の幹線目指し、マンション敷地内からの横穴掘り。膝を立て中腰の姿勢での穴掘りは、たちまちにして我々二人の気勢をそいだ。

全くもって暑い日であった。10時の休憩。やっちゃいけないとわかっていても我慢しきれずに、ダイエットコーラとガリガリ君を乾いたのどに流し込む。

「金元、もうダメだよ。誰か若いのいないかよ。1万円出すからさァ。誰か呼んでくれよ。もう動けないよ。歳だなァ」

私も全く持って同感であるが、なにせ平日である。そんなに便利なスーパーマンに心当たりはない。しかし、このままでは負担を被るのは俺だ。出て来いスーパーマン。とにかく電話を回す。オッ、出た。(~~)

「オ~イ早川、暇かァ」(~~)

「ハイ、暇です!」

「そうかァ、ちょっとこれからバイト出来るか。1万円払うからさァ」

「やります!いや~、ちょうど今、最後の金をパチンコでやられてしもうて、また坂田にでも借りにゃいかんと思ってたところでした」

早川広将選手は広島県呉市の出身。協栄ジム寮では坂田選手と同室で、早川先輩は後輩の面倒もよくみていた。いや、みられていた?(~~)

「ちょっと今から小手指まで来てくれよ」(~~)

さすがにパワーが違う。昼からの作業で5時を待たずして穴掘りは終わった。

「こんなにもろうていいんですか」

「いやいや、助かったよ。ありがとう」(~~)

右から二人目が大坪先輩。

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現場工事が進むに連れて仕事量は増える。次に現場にやって来たのは、坂田選手とは同学年の吉川(きかわ)雄一郎選手。全くの素人だが、大坪先輩の指導により仕事を覚えていく。夏も終わろうかという頃、「坂田もバイトあったらやりたいらしいよ」ということで、坂田選手の小手指通いが始まった。

吉川選手とのコンビで室内配線をこなした。「坂田、あのマンション大丈夫かなァ」(~~)。「吉川の言う通リやりましたから」。「そこが心配だなァ」(~~)。「いやいや、世界チャンピオンが工事してたって知ったら、買った人も喜ぶよ」(~~)

坂田選手の奥様は、吉川選手の奥さんとは親友の間柄。奇しくも、このバイトで親しくなった吉川選手が愛のキューピットとなったわけである。そして、吉川選手は網膜はく離で現役引退した今も電気工事に携わり、今では立派な職人として活躍している。ただし、飲みすぎ注意ですね吉川君!(~~)


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西武池袋駅7時5分発急行電車。座席に就いたら速攻で朝寝。所沢あたりで目を覚ますと、目の前に坂田選手がいるのである。まだデビュー前だったが、彼はしっかり走っていたのだろう。その成果はやがて現れてくる。

「大竹さん、後援会が出来ちゃいましたから新人王頼みますよ」

高校のボクシング部を僅か3ヶ月でスポイルし、「裸で歌ってたんだろ」(~~)という坂田選手は素人同然。基礎から叩きこまなければいけない。「わたしゃ、ボクシングやってるもんだとばかり思ってました。その為にあの高校行かせたんですから。だまされとりました」(~~)。知らぬはお父さんばかりであったそうな。

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「俺は1年寝かせて新人王だと考えていたんだよ。だけど、カポネ(先代会長)いきなり後援会出来ちゃったから頼みますだもんなァ」(~~)

初回、いきなりダウンから挽回の試合は一つだけではない。ゴール前の競り合いには絶対負けない勝負根性で、坂田選手は新人王に上り詰める。これといった特徴はない。ただ、インターバルでアドバイスされたことをすぐに実行する素直な心があった。

「平凡なことの繰り返しが、非凡になるんだよ」。大竹マネジャーの言葉通り、坂田選手は地道な基本練習の繰り返しに明け暮れる。








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2000年1月。ハワイキャンプ中に坂田選手は20歳の誕生日を迎えた。「坂田、からくりビデオレーターやってくれ」(~~)。「お母さん、健史は二十歳になりました。元気でやっています。・・・」。坂田選手もノリがいい。(~~)

ただただ走るハワイキャンプ。「秋田(勝弘=元日本タイトル挑戦者)さん。もうこんな競争みたいなことやめましょうよ」

「おれは全然そんなこと気にしてないけど、坂田が来るからさァ」

「よし、スタート!」

これから16キロも走るとは思えない弾丸スタートを決める秋田選手。あきらめない男は、後姿に「またか・・・」の影を残しつつも後を追わずにいられない。

「また競争やってるよ」(~~)




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後日、秋田選手に聞いた。「いや、俺走るのだけは誰にも負けないって思ってましたから」。セレス小林(国際)選手を後一歩まで追い詰めながら、ラストラウンド、「右アッパー天井まで打て!」のアドバイスを、「忘れちゃいました」というのが秋田先輩のいいところ。(~~)

しかし、この不器用なファイターが日本王座に肉薄出来たのは、毎日続けたロードワークのおかげに他ならない。若き日の坂田選手は、ハワイにおいてベテランファイターのキャリアに翻弄され、日射病でダウンという苦い経験をする。

震える坂田選手に、えぞ菊の味噌ラーメン持って帰ったこと。これもまた、昨日のことのようです。  =不定期ながら、このシリーズ続けます=(~~)

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