BOXING MASTER/ボクシング マスター

輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋40年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。夢と勇気と感動を与えるブログ。


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元2階級制覇王者八重樫 東 (大橋)選手が、5月1日、東京・大田区総合体育館の興行で、ソンセンレック・ポースワンジム(タイ)相手のSフライ級8回戦で、復帰戦に挑む。最強の挑戦者ローマン・ゴンサレス(ニカラグア)に王座を追われ、再起戦となったLフライ級王座決定戦でも、キャンバスへ沈んだ元王者は、3度目の世界王座獲得を目指す。


「強い選手に勝ってこそ、本当のチャンピオンだと思う」(八重樫選手)

強打のゴンサレスを相手に、真っ向勝負。敗れはしたが、試合後、ゴンサレスも八重樫選手の強さを認めていた。

再起、即世界戦となったWBC世界Lフライ級王座決定戦では、期待されたものの、ペドロ・ゲバラ(メキシコ)の強烈な左ボディブローの前に、痛恨のテンカウント負け。


アルマンド・トーレス(メキシコ=大関一郎)に接近され、大きな左フックでダウンを奪われたゲバラを見ていると、八重樫選手の強引な接近戦も理解出来るが、流石に世界戦ともなるとゲバラも、不用意に大きなパンチは喰らわなかった。

復帰戦となるソンセレック戦は、調整試合の意味合いが強いが、先を見据える八重樫選手はトレーニングに余念がない。

本日午前中も週3日間通っているという、新宿区のアスレチックジムで一汗。 その帰り、新宿3丁目付近で大竹氏が八重樫選手とばったり遭遇。「世界にふさわしい男でした」と、報告がありました。ついでに、「マスター見てると言ってたよ」とのことであります。(^-^)/


さて、八重樫選手は「不死鳥」といわれた師匠・大橋秀行会長の後を追うかのようなリングキャリアに突入する。

強かった 張 正九(韓国)への2度目に渡る挑戦で、世界の壁に泣かされた大橋選手は、90年2月、3度目の正直で、 崔 漸煥(韓国)を9回KOに破っWBC世界ミニマム級王座を獲得。

世界王者不在1年3ヶ月。世界挑戦連続失敗記録は「21」を数え、社会問題にまで発展していた日本ボクシング界の低迷を救ったこの勝利に、後楽園ホールの観衆は涙の大歓声で新ヒーローを称えた。


初防衛に成功した大橋選手はV2戦で、1位の 李 敬淵(韓国)ではなく、3位のリカルド・ロペス(メキシコ)を挑戦者に選ぶ。選んだ理由は、「井岡くん(弘樹)の後ばっかり追いかけている感じで嫌だった」のと、「世界の肩書きがあるのに、相手が東洋ばかりじゃおかしいと思って」。

そして何よりも、アマ、プロ通じ65戦不敗のレコード。ルーベン・オリバレス、カルロス・サラテ他、多数の名王者を育て上げた名匠クーヨ・エルナンデスが、「ロペスは私の最後の最高傑作」と断言。 

「世界戦が決まった時が、ロペスの長い時代の始まり」とまで言われたロペスの挑戦を受けることを決めたチャンピオンだが、「怖くて神経性胃炎にもなってしまいましたよ」。


vs 張 正九。


そして試合。やはりロペスは強く、大橋選手は5回で玉砕。試合後、一度は「もう責任ははたした」と引退をほのめかせたが、「不死鳥」は再びリングに復帰。2年4月を耐え忍び、92年10月、不敗のWBA世界ミニマム級王者 崔 煕庸(韓国)に勝って3度目の世界王座を手に入れた。

次なるチャンスが何時、回ってくるとはわからないが、八重樫選手には師匠譲りの「不死鳥」の精神で、3度目の世界王座獲得の時を迎えてもらいたいと思います。

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V10。具志堅用高(協栄)選手の持つ世界王座防衛記録13度に続く記録を持つ、世界バンタム級王座10連続防衛の元2階級制覇王者長谷川穂積(真正)選手が、3階級制覇へのチャレンジに失敗。IBF世界Sバンタム級王者キコ・マルティネス(スペイン)の前に無念のTKO負けを喫した。

第2ラウンド。ダウンを喫した長谷川選手は、自らのコーナーを見やった。ペドロ・フローレス(メキシコ)にダウンを喫した具志堅選手が、ちらり自とコーナーに目を向けたシーンが記憶によみがえる。



第7ラウンド開始前のインターバル。

「山下会長と長谷川選手のやり取りを聞いていて、涙が出てきそうでしたよ」(山田純夫氏)



具志堅選手、ダウン寸前の赤コーナー。

ペドロ・フローレス(メキシコ)のしつこい連打の前に、巨星は最後の時を迎えていた。

選手と苦楽を共にしてきたスタッフにとっては、とても信じられなく、悲しいシーンであり、現実を受けとらなければいけない瞬間。



金平正紀会長(協栄ジム初代)の投げ入れたタオルで、具志堅選手は王座を明け渡す瞬間を迎えた。





長谷川選手も、また、第7ラウンド2度目のダウンと時を同じく、山下会長がタオルを投入。

そして試合はストップされた。

悲しい気持ちになったファンは数知れない。

しかし、「ボクシングをしててよかった!」

この長谷川選手の言葉に、「応援して良かった」と思えるファンは、数知れないことだろう。

今はゆっくりと、次の言葉を待ちましょう!。

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2004年6月、WBA世界フェザー級王者クリス・ジョン(インドネシア)は初来日。初防衛戦で佐藤 修 (協栄)選手の挑戦を受けた。公開練習では、「全力で行け!」とハッパをかけられた、若き瀬藤幹人(協栄)選手に一方的攻勢を許した。しかし、これは三味線。(^_^;)

計量後ビッグマックをかじり、ナックルパートからしっかりテープを巻き始めたトレーナーが、私の「ノー、ノー」に怒り、多くの取り巻きが凄む中、涼しい顔をして我関せずと冷静だったジョンは、佐藤選手の挑戦を一蹴。その実力を見せ付けた。

基本のしっかりしたクラシカルなスタイルは派手さはない。だが、世界王座獲得から10年間、チャンピオンベルトはジョンの手を離れることはなかった。

しかし、そんなジョンがついに世界王座を追われた。6日、準地元であるオーストラリアのリングで、ランキング14位シンピウェ・ベチェカ(南アフリカ)の挑戦を受けたジョンは、まさかの6回終了TKO負け。





34歳ジョンに引導を渡したべチェカ(今月33歳になる)は、07年5月、無敗挑戦者として長谷川穂積(真正)選手が保持していたWBC世界バンタム級王座に挑戦。小差の判定で敗れはしたが、大いに善戦。

その後、世界ランキングは保持していたが試合数は少ない。2011年7月、メキシコでジョバンニ・カロを降してWBCインターナショナルSバンタム級王座獲得した後も11ヶ月間隔が空いた。

カロ戦はWBC王座(Sバンタム級)の挑戦者決定戦だったが、べチェカの2度目の世界アタックは実現しない。それどころか、そうこうしているうちに行った調整試合で、無名選手に名をさしめてしまう。

しかし今年4月、インドネシアへ遠征し、ダウド・ヨルダン(インドネシア)に12回TKO勝ち。IBO世界フェザー級王座を獲得したのがチャンスへとつながった。。これは細野 悟 (大橋)選手がジョンに挑戦し、無念の3回負傷引き分けとなったのと同じリング。



ヨルダンに勝った知名度、それに加え手の内がわかっている楽な相手としてべチェカは、ジョン19度目の防衛戦相手に選ばれた。そして起こった、大番狂わせ。

チャンスに飛びつき、どこへでも出かけていく逞しさは、日本人選手も見習うべきところですね。世界王座復帰を狙う長谷川選手にしても、べチェカの世界獲得は刺激になったことでしょう。

ジョン陣営が持つオプションは果たしてどう使われるのか。気になるところですね。

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モハマッド・アリのアゴを割った男として知られる、元WBC世界ヘビー級王者ケン・ノートン。ライバルのアリとは1勝2敗の負け越しとなっているが、いずれも大接戦で、その判定は論議を呼ぶものでした。


1973年3月31日米カリフォルニア州サンディエゴでのノンタイトル12回戦。アリは第1ラウンドにノートンのパンチでアゴを砕かれた。それは、かすったように見えたパンチだった。


1976年9月のアリとの第3戦は、世界ヘビー級タイトルを賭けての試合。初戦で15万ドル(1500万円)だった挑戦者ノートンの報酬は、グッとあがり110万ドル(3億3千万円)が最低保障。(当時のレート)


ニューヨーク・ヤンキースタジアムで行なわれた試合はラウンド・システム。数字による採点ではなく、各ラウンド優勢者の名前をスコアカードに記し、抑えたラウンドが多い方が勝者となる当時のニューヨーク州スタイル。


スコアは、8-7、8-7、8-6の僅差で、王者アリが辛くも防衛を果たした。しかし、・・・・。


「アリがノートンに勝ったというのだったら、日本も第2次世界大戦で勝ったろう」


「アリはジャッジの判定では勝ったかもしれないが、試合は明らかにノートンのものだ」


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勝者アリは、「競馬のハナ差でも勝ちは勝ち。野球の1点差でも勝ちは勝ちなんだ」と主張するが、王様アリに、「ハナ差でも勝ちは勝ち」は似合わない。そして試合の3日後には、何と『引退宣言』を出す。最もこれはすぐに撤回されたが。


とにかくノートンは、この試合での判定負けで実力を世界に示した。その後アリはノートンとの4度目の対決を避け、1978年2月15日、プロキャリア8戦目のレオン・スピンクスを挑戦者に選ぶ。賭け率7-1。戦前、圧倒的優位を伝えられたアリは敗れ王座を去ることになってしまう。


WBCは初防衛戦でスピンクスにノートンとの対戦を義務付けたが、スピンクスのプロモート権を持つボブ・アラムは、商売になるアリとのリマッチを選択。


WBCはスピンクスとの防衛戦を承認するにあたり、アリに対し1位ノートンと2位ジミー・ヤング戦の勝者と対戦することを義務付けた。同時にもし、これに応じない場合は、ノートンvsヤング戦を王座決定戦とすることも決議されていた。




こんな経緯で、アリvsスピンクス第2戦が決まると、WBCは即座にスピンクスの王座を取り上げ、1978年3月18日、スライマン会長がノートンをヘビー級王者として認定することを発表。WBC実行委員会の投票は15対2(棄権1)であった。


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この後押しをしたのがドン・キング。キングはノートンの初防衛戦に秘蔵っ子ラリー・ホームズをぶつける。


そして、運命の最終ラウンド、わずか1ポイントの差でノートンは王座から滑り落ちる結果に。失意のノートンはこの後下降線をたどり、再び這い上がることは出来なかった。


世界戦未勝利。しかし、記憶に残るボクサーでした。ご冥福をお祈り申し上げます。


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ジョニー・ゴンサレス(メキシコ)にまさかの初回KO負けを喰らって、WBC世界フェザー級王座を転落(8月24日)したアブナー・マレス(メキシコ)。しかし、この試合のファイトマネーは過去最高の92万5千ドル(約9100万円)。


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更なるビッグマネーを求めて、新WBC世界Sバンタム級王者レオ・サンタクルス(メキシコ)との対戦を夢見ていたが、これは頓挫。年内にゴンサレスとのリマッチを希望しているが、果たして・・・。


王座返り咲きのゴンサレスのファイトマネーは10万ドル(約990万円)。地元では盛大にベルト獲得を祝福されている。下写真はエルナンデスvs角谷戦前に行なわれたベルト授与式の模様。


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コンビを組む”プロモシオネス・デル・プエブロ”(大衆のプロモーション)のレヒナルドとオスワルドのキュキュレ親子からは、BMWの新車をプレゼントされ、喜色満面のゴンサレス。


今後は厳しい相手とのマッチメイクが続くことになると思われるが、ぜひとも勝ち抜いて、ビッグマッチへ駒を進めてほしいものだと思います。


マレスvsゴンサレス戦と同時に挙行されたWBC世界Sバンタム級戦のファイトマネーは、王者ビクトル・テラサス(メキシコ)が36万8200ドル(約3600万円)、挑戦者サンタクルスは157800ドル(約1560万円)。入札額52万6千ドルのうち、テラサスの取り分が70%。


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