BOXING MASTER/ボクシング マスター

輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋40年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。夢と勇気と感動を与えるブログ。


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2014年度ボクシング界の締めくくりは、30日、31日に東京と大阪で開催される八つの世界タイトルマッチ。ここ数年、年末恒例行事となった世界戦ラッシュだが、2日間で8試合は、まさに驚異!。年末、どんな好ファイトを見せてくれるのか。大いに期待したい。

さて、日本ボクシング界で「世界戦ラッシュ!」という言葉が初めて使われたのは、1974年10月のこと。3週間で5つの世界タイトルマッチ開催は、「日本のリング史上初めてどころか、世界を例にとってもみつからない」とある。


まずは1日、東京・日大講堂でWBC世界フライ級王者ベツリオ・ゴンザレス(ベネズエラ)に、世界10位小熊正二(新日本木村→大熊)選手が挑戦。3日には場所を同じく、WBC世界Sフェザー級王者柴田国明(ヨネクラ)選手が、指名挑戦者のラミロ・クレイ・ボラノス(エクアドル)相手のV2戦。

8日は同じく日大講堂で 龍 反町(野口)選手が、統一世界Sウェルター級王者オスカー・ショットガン・アルバラード(米)に挑戦。そして18日、横浜文化体育館でWBA世界フライ級王者チャチャイ・チオノイ(タイ)に、花形 進 (横浜協栄)選手が世界戦5度目のチャレンジ。

締めくくりは、ガッツ石松(ヨネクラ)選手にライト級王座奪取を先取りされた門田恭明(三迫→新一)選手が、”戦うチャンピオン”アントニオ・セルバンテス(コロンビア)の持つ、WBA世界Sライト級タイトルに挑戦というスケジュール。

5月、ゴンザレスにノンタイトル戦で敗れるも、その善戦ぶりが認められて世界ランク入り。即世界挑戦のチャンスを得た小熊選手は、「誰も俺が勝つとは思わなかったでしょうね」という、大番狂わせで、見事に世界王座奪取に成功。



新婚ホヤホヤの柴田選手は、「負けたら彼女がかわいそうですから」と気迫十分のファイトで”南米のクレイ”を圧倒し、最終回ストップ勝ち。試合後のリング上では、「明日はエディさんの誕生日なんです」と、いかにも嬉しそうだった。

輪島功一(三迫)選手の仇討ちに挑んだ反町選手は、初回から「これは倒せるぞ」と思わせる好調な立ち上がり。しかし、右が当たるばかりに肝心の左を忘れ、ショットガンの望む打ち合いに巻き込まれ、7回無念のKO負け。




花形選手は計量で1.6キロオーバーの失態を犯し、王座剥奪されたチャチャイを果敢に攻め、6回TKO勝ち。デビュー11年、5度目の挑戦を実らせた。河合会長は、「ここまでやってこれたのは努力の賜物。それにしても、この子が世界チャンピオンになれるとは思っても見なかったことです」と涙した。

8年目の世界初挑戦に自信満々、期待も大きかった門田選手は、不利を承知の1階級上での挑戦だったが、歴史に名を残すセルバンテスのパワーとテクニックの前に歯が立たず、8度倒されたあげくに8回KO負け。「1階級上げるとこんなに違うとは。俺も門田も思い知った」(三迫会長)。


幸運あり、不運もあった40年前の「世界戦ラッシュ」5試合は、今でも鮮明に記憶に残っています。

2014年、「世界戦ラッシュ」は、どんなドラマを見せてくれるのか。楽しみですね!。(^-^)/

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プロ6戦目で世界タイトル挑戦が決まっている井上尚弥(大橋)選手の実弟で、日本ミニマム級6位にランクされる拓真(大橋)選手が、4月6日、東京・大田区総合体育館で、WBA世界Lフライ級4位ファーラン・サックリン・ジュニア(タイ)とプロ2戦目で対戦。

これに勝つと、世界最速タイ記録となる3戦目での世界王座奪取の可能性が見えてくる。

3月1日、五輪2連覇、アマ時代の戦績396勝1敗を誇るワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)が、プロ2戦目でWBO世界フェザー級王者オルランド・サリド(メキシコ)に挑んだが、結果はオーバーウェイトのサリドに判定負けで、世界王座最速到達記録達成はならなかったばかり。

古くは、メルボリン五輪ヘビー級で金メダルを獲得した、ピート・ラデマッハー(米)が、1957年8月、プロデビュー戦で世界ヘビー級王者フロイド・パターソン(米)のタイトルに挑戦するも、6回KO負けという記録が残る。


世界最速王者の記録を持つのはタイのセンサク・ムアンスリン。ムエタイの無敵王者はデビュー戦で、世界ライト級2位ルディ・バロ(比)を57秒で粉砕し、世界をアッと言わせる。

バロは日本で門田新一(三迫)選手に2KO負けを喫するなど、負けが多い選手だったが、33戦無敗のジミー・ヒアー(米)を破り、実力で世界入りしていた。とはいえ、狙い目である。

センサクのデビュー戦相手にバロを選んだのは、アジアに幅をきかせていたマッチメイカー、ロッペ・サリエル(比)氏。まんまと大魚を釣り上げたセンサクだが、すぐに世界挑戦というわけには行かない。

負けたバロは5位に残ったが、センサクはノーランクのままだった。

2戦目の相手に抜擢されたのは、世界Sライト級2位ライオン古山(笹崎)選手。ペリコ・フェルナンデス(スペイン)とのWBC世界同級王座決定戦(74年9月・ローマ)では、際どい判定負け。惜しくも世界のベルトを逃していた。

強打とタフネスを併せ持つ古山選手は、パナマでアントニオ・セルバンテス(コロンビア)と戦うなど海外経験も豊富。敵地でのハンデも当然知っているが、「もし敗れても、センサクが世界王者になったら初防衛戦で挑戦を受ける」(サリエル氏)という裏約束もあり、笹崎会長はタイ遠征を承諾。

もちろんプロ2戦目の相手に負ける気などはサラサラない。試合は互角の展開で7回まで進んだが、ここで古山選手はロープ際で”手が出なくなる”、悪い癖が出てしまう。すると、すかさず試合はストップされ、センサクの手があがる。

ダウンしたわけでも、効いたわけでもない。6回までジャッジ2者の採点はイーブン。ただ唖然とするばかりの古山陣営。

2戦連続で世界2位を破ったセンサクは、WBC6位にランクされた。そして1975年7月、地元でフェルナンデスを8回KOに破り、世界王座最速到達記録を樹立。この記録は今も破られていない。


王者となったセンサクは、約束通り古山選手の挑戦を受けるために来日。文句なしの判定で古山選手を返り討ちにしている。次の防衛戦で、ゴング後の反則パンチでミゲル・ベラスケス(スペイン)をKO。反則負けとなるも、再戦ではハッキリと倒してみせた。

世界王者となっても、ムエタイ・ラジャダムナン系ウェルター級2位にランキングされていたセンサクは、TBSが放映していた『キックボクシング』の400回記念放送の目玉として、キックの東洋ウェルター級王者富山勝治(目黒)選手とのキック対決が計画されたりした。

これは、さすがに国際式のほうがギャラが高く、キックのリングに上がる事は無かったが、もし、実現していたら、日本ボクシング界の歴史も変わったものなっていたかもしれませんね。

3戦目の世界最速記録。運、実力、そしてタイミング。すべてが揃って初めて叶うこと。井上選手のチャレンジが、楽しみです。

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1972年1月16日、2連敗中だったガッツ石松(ヨネクラ)選手は、試合6日前に来たピンチヒッターの話を受諾し、WBA世界ライト級王者ケン・ブキャナン(英)への挑戦が内定していた門田新一(三迫)選手の持つ東洋王座に挑戦。そして、誰もが驚く大番狂わせで王座を強奪してしまった。

ガッツ石松 ”代打逆転満塁本塁打" vs門田新一 「運命!」



デビューから4連勝を記録したかと思ったら、1分を挟んで3連敗。それでも、2度目の新人王チャレンジで見事に全日本新人王を獲得。勝負強いところを見せた鈴木有二選手のリングネームが、鈴木石松と変わったのは、東日本の決勝戦(不戦勝)を迎える前のこと。

当初は同僚の羽切義明選手が、”石松”羽切、鈴木選手が”サムライ”鈴木となるはずだった。しかし、どうも鈴木選手のキャラクターは、清水次郎長の子分、”森の石松”にダブるという事で逆転。リングネームを考えてくれた後援者の夫人が清水市出身だった事も影響した。

調子に乗りやすく、おっちょこちょいというのが、”森の石松”のイメージであるが、全日本新人王を獲得した石松選手は、その後3戦勝ち星なし。どうも、調子に乗ると一息ついてしまう気分や的なところは、”森の石松”とダブる。




気分をれ変えた石松選手が、最初のビッグチャンスをものにしたのは、1970年1月の東洋ライト級王者ジャガー柿沢(中村)選手とのノンタイトル戦。

34勝(4KO)2敗2分。
11連勝中(1分含)の柿沢選手には世界挑戦の話もあり、ほんの小手調べのつもりの試合だったが、”真面目男”(柿沢選手)は、石松選手に煮え湯を飲まされる。

3度目の10回戦で東洋王者を喰った石松選手は、次戦で世界ライト級王者イスマエル・ラグナ(パナマ)挑戦のチャンスを手に入れた。恐るべき強運である。しかし、「海外へ行けるのがうれしくて、最初から勝とうなんて思わなかった」とは、いかにも石松選手らしい。

一方、敗れた柿沢選手は世界への夢が絶たれ、よほど気落ちしたのだろう。その後はさっぱり勝てなくなり8連敗を記録することに。


ラグナ戦で、「世界戦で13回まで持った。”やれば”俺も捨てたもんじゃない」という変な自信をつけた石松選手だが、相変わらず欲はない。

70年10月10日、オーストラリアで元世界バンタム級王者ライオネル・ローズ(豪)に10回判定負けを喫するが、29日にはホノルルへ飛びWBC世界Sフェザー級王者レネ・バリエントス(比)とノンタイトル戦(定負け)。


ひと月で2敗はめったにある事ではないが、「海外へ行けてゼニになる。こんないい事はない」と、石松選手はご満悦。確かに、僅かひと月の間に豪州とハワイへいける人は、現代でもそうはいないのであるが・・・。
f^_^;

3度の海外遠征を経験した石松選手は、71年3月、日本ライト級王者高山将孝(P堀口)選手
の持つ王座に挑戦。東京オリンピック代表からプロ入り、将来を大いに嘱望されていた王者と真っ向から渡り合い大善戦。ここでも勝負強いところを見せたが、結果は引き分けに終わる。

そしてこの年、東洋ライト級王者門田新一(三迫)選手に、「暑さでまいって」敗れ、続いての韓国遠征で、東洋Sライト級王者 李 昌吉(韓国)には判定負け。気がつけば10敗目で、このあたりで「やっぱりチャンピオンは無理か?」と考える選手もいる所だが、石松選手は違った。

ファイトマネーだけを生活費に、「金の尽きるころに試合があったので、なんとか、その日暮らしでやれって来れた」という石松選手は、正月に散々遊んで来たことはお構いなしに、試合6日前の代打要請を受けた。「タイトルがかかっていた」が故にである。


試合が始まったら、不思議に頑張っちゃった結果、東洋王座を強奪した石松選手は、ラグナからは「左が世界を制する事」、ローズからは「ストレートの効果」、バリエントスからは「ここ一番のタイミング」を学んだと、これまでのキャリアは無駄でなかったことを証明した。

そして新王者は、「人に勝つより、自分に勝つようなコンディション作りが課題」と抱負を述べ、「会長はまた世界へ挑戦させてくれると言ってるけれど、自分としては東洋を防衛して金を稼ぎたい。そうすれば、自然と世界への道も開けてきますからね」と、しっかり将来設定。

相変わらず、世界への欲はそれほど感じられないのだった。  = 続 く =

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1971年度年間表彰。MVPは世界フライ級王者大場政夫(帝拳)選手。世界Sウェルター級王座を奪取した輪島功一(三迫)選手は殊勲賞を受賞。そしてこの年、年間2度の王座防衛に成功していた世界フェザー級王者柴田国明(ヨネクラ)選手を押しのけて、技能、KO、二つのタイトルを獲得したのは、東洋ライト級王者門田新一(三迫)選手。


6連続KOを続ける門田選手(写真中央)は、1972年度の「ボクシング界を背負う男」として大きく期待されていた。

22歳のヤング王者の目標は、世界ライト級王座奪取。三迫会長は、71年10月の輪島選手のカルメロ・ボッシ(伊)挑戦を決めるために欧州に赴いた際、英国まで足を伸ばし、世界同級王者ケン・ブキャナン(英)陣営と接触。日本開催で対戦の同意を取り付けていた。

71年11月、後の世界2位ルディ・バロ(比)を軽く3回KOに降していた門田選手には、世界王座挑戦の前哨戦として、72年1月16日、東洋王座4度目の防衛戦がセットされた。挑戦者は東洋5位サナンパ・パヤクソポン(タイ)。

三迫会長は、これに勝てば4月、東京でブキャナンの王座へ門田選手を挑戦させる手はずを整えた。「門田はきっとやってくれる。俺は絶対にそう信じているよ!」。


タイ人相手の前哨戦は、当然ながら「門田の楽勝」と見られていた。しかし、年が空けサナンパは来日不能に。あわてた三迫会長が白羽の矢を立てたのが、スパーリング・パートナーとして呼んでいたガッツ石松(ヨネクラ)選手。

かくして試合6日前、「正月は田舎で散々遊んできた」、石松選手の代打挑戦が決まった。

71年8月、二人はノンタイトル戦でグローブを交え、石松選手は善戦したものの、暑さに参って8回ストップ負けを喫している。世界前哨戦は、ますます門田選手に有利になったと世間は見て取った。

「今度がノンタイトルなら受けていなかったです。東洋タイトルがかかっていてチャンスだし、それに、負けてもともとですからね」

いかにも石松選手らしい鷹揚さで試合を引き受けた。スパーリングは、「かえって疲れるから」とやらずに、試合まで6.5キロの減量のみに専念。無事、計量をパスした代打挑戦者は、後楽園ホールのリングに上がった。両選手は、5ヶ月ぶりの再戦となる。

「倒されなきゃいいけど」


ヨネクラジムの同僚、東海林博選手が心配する中、ラウンドが過ぎて行く。世界を意識して固くなったか、門田選手の調子はいまひとつ上がらない。逆に「負けてもともと」の石松選手は、「リングに上がったら、不思議に張り切っちゃった」と、終盤心配されたスタミナも落ちない。

最終ラウンド終了ゴングがなると、観客席からは大きなどよめきがあがった。

「まさか、あの門田が負けるとは・・・」

「やってみないと、わからないもんだねェ」

門田選手との初戦でKO負けの石松選手は、ひと月前の韓国遠征でも星を落とし2連敗中だった。


「こんなはずじゃなかった」

敗れた門田選手と三迫会長は、ガックリとうなだれた。

石松選手は、米倉会長と抱き合って男泣き。

「これからは東洋をどんどん防衛して、金を稼がなきゃ」


門田選手の4月ブキャナン挑戦はなくなった。しかし、三迫会長は、「6月にでもやれないことはない」と強気。だが、今とは違い、負けて簡単に世界挑戦できる時代ではない。とりあえず、3月9日、石松選手との3度目の対戦が決まったが、結局これは流れた。

その後、両選手の運命は微妙に分かれて行くことに・・・。  = 続  く =

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大リーグ移籍を目指していた楽天・田中将大投手(25)がヤンキースと合意。米メディアは7年契約で、総額1億5500万ドル(約161億2000万円)と報道。ヤ軍は、楽天に支払う譲渡金の2000万ドル(約20億8000万円)と合わせて約182億円を投資。

「ヒェ~、マー君凄いねェ~ノ゚ο゚)ノ

愚妻が思わずため息。プロ野球選手の年俸は、年々大幅アップ。ホントに凄いですね。我が家も3人の野球少年に期待・・・、いや、そんなに甘くないですね。(;^_^A

プロボクサーが華やかだった時代。1935年(昭和10年)、かの”拳聖”ピストン堀口(不二)選手のファイトマネーは、1試合約3,000円とある。時の内閣総理大臣の月給は600円という時代。堀口選手はこの年、8試合を消化した。

ちなみに2013年、安部首相の月給は月額205万円。賞与や手当などを含めて年収は約5000万円。

日本人初の世界王者となった白井義男(カーン)選手は、王座挑戦時で50万円(1952年)。4度の防衛に成功したファイトマネーの最高は720万円。大学出の初任給が8、9千円。白井選手が手に入れた原宿の土地は、一坪3万円。リングサイド席3千5百円、大衆席3百円程度だった。



アメリカン・ドリームを実現させ、”シンデレラボーイ”の異名で一世を風靡した、元世界フェザー級王者西城正三(協栄)選手は、71年ラストファイトのアントニオ・ゴメス(ベネズエラ)戦で10万ドル(3600万円)のファイトマネーを得た。

1968年、米国行きの飛行機代は前借でロサンゼルスへ出発した西城選手は、無名から僅か9ヶ月で世界獲得。その後の14試合で総額約3億円を稼いだという。プロ野球、王、長嶋選手の年俸が5千万円に満たないという時代でした。

1976年5月。WBCの世界戦で初めて入札に持ち込まれたライト級戦は、王者ガッツ石松(ヨネクラ)選手が、挑戦者エスデバン・バン・へススの地元プエルトリコへ出かけて防衛戦を行なった。この時の石松選手のファイトマネーは無税の20万万ドル(6千万円)。

”ロッキード事件”で田中角栄前首相が逮捕された76年、ホームラン49本を打った王選手の年俸は5,260万円。大卒初任給は94,300円。

この年10月、プロ9戦目で世界王座を獲得。13度の防衛に成功する名王者となるのが具志堅用高(協栄)選手。



年間4度の防衛に成功した1979年の具志堅選手は、1月R・マルカノ4000万円(1ドル=239円)、4月A・ロペス4600万円、7月 R・ペドロサ5000万円、10月 T・アベラ5300万円で、ファイトマネーの合計が1億8千9百万円。

他の副収入を合わせて、「具志堅は去年1年の税金を、8千数百万円払っているんですからね。それもある程度の経費を認めてもらって」(金平正紀会長)というほど稼いだ。プロ野球最高は王選手の8,160万円。



1994年12月に行なわれた、WBC世界バンタム級王座統一戦。薬師寺保栄(松田)vs辰吉丈一郎(大阪帝拳)戦は入札となり、3億4200万円で薬師寺選手側が興行権を落札。辰吉選手には規定の1億7100万円が支払われた。

この年、プロ野球最高年俸は落合博満選手の3億8千万円。

昨年は国内でプレーするプロ野球選手の最高が、巨人阿部選手の6億円でした。

現代のアメリカンドリームを実現させる世界チャンピオンが誕生した時、プロボクシング界も新しい時代を迎えることになるでしょう。果たしてそれは誰が・・・・!。

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