BOXING MASTER/ボクシング マスター

輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋40年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。夢と勇気と感動を与えるブログ。


テーマ:
9日(日本時間10日)、メキシコ・モンテレーでWBO世界Lフライ級王者ドニー・ニエテス(比)への指名挑戦権を持つ、同級1位フランシスコ・ロドリゲス(メキシコ)は、元協栄ジム所属選手だった大関一郎ことアルマンド・トーレス(メキシコ)とグローブを交える。


21歳の若き前ミニマム級王者ロドリゲスは、この試合に勝って世界挑戦への弾みをつけようと自信満々。これに対し、最近2連続KO負けと不振のアルマンドも、「このチャンスは逃さない。絶対、這い上がってみせる!」と、妙な自信を見せている。

17歳の時、日本でデビューした頃の大関選手は、「これは絶対、世界チャンピオンになるよ。今まで見て来た中でも一番だ」(大竹重幸氏)というほどの才能を、きらめかせていた。

「ただ外人って言うだけだよ。全然普通ですよ!」('-^*)/と、渡嘉敷会長に話をつけたデビュー戦は、後のOPBF王者山口真吾選手が相手だったが、「さすが!」と思わせる中身の濃い勝利。その後、7連勝を飾るもアッという間に慢心。普通の選手になってしまった。


まるで勝てなくなったアルマンドはメキシコへ帰国。母国でリングに上がったが、パッとするわけがない。そのうち、サッパリとリング活動の記録がなくなったと思った頃、大竹氏に電話が入った。

「大竹さん、僕、また日本で試合やりたい。お願いします」(^-^)/

「そうは言ってもなァ」(;^_^A

「大竹さん、大丈夫!。僕、世界入った!」(^O^)/

「・・・・・」(;^_^A

「僕、スライマン電話した。だから大丈夫!」(^-^)/

「そんなことあるんですかねェ」と笑い飛ばしていたら、本当にアルマンドの名前がWBCランキングに。

「大竹さん、 トーレスほんとに世界入っちゃってますよ!」(ノ゚ο゚)ノ

「ホントかよ」(;^_^A

2009年3月。3年のぶりのリングに係わらず、WBC世界ミニマム級13位の肩書きで大阪に現れたアルマンドは、武市晃輔(金沢)選手と対戦。しかし結果は、「やっぱなァ」という判定負け。(;^_^A

その後もメキシコでリング活動を続けたアルマンドは、2010年にはファン・カルロス・レベコ(亜)の持つ、WBA世界Lフライ級暫定王座に挑戦するチャンスを掴んだが、予想通りの5回TKO負け。


ここでもブランクを作らなかったアルマンドは、勝ったり負けたりを繰り返しながらのリング生活を送っていたが、2011年12月、WBCライトフライ級のシルバー王座を獲得。「ホントかよ!」と驚いたものでした。

1年前、現WBC世界Lフライ級王者ペドロ・ゲバラ(メキシコ)にスプリットの判定負け。大振りの左フックでダウンを奪ったアルマンドが、興奮しながらゲバラに襲い掛かった場面は、本人もビックリという感じで微笑ましかった。(^O^)/

最近は昨年7月、16連敗中の相手に2回TKO勝ちしたものの、アドリアン・エルナンデス(メキシコ)に2回で、マリオ・ロドリゲス(メキシコ)に5回でと、元世界王者相手に2連続ストップ負けを喰らっている。

21勝(15KO)14敗。34歳になった元天才は、どこから出るのかという妙な自信を見せ、勝利宣言。果たして大番狂わせは起こるのか?。

応援、深く感謝です! WOWOW  

 

【ミニグローブ・ペアセット】 【ミニグローブ・キーホルダー】  【プロボクサーの減量着】

いいね!した人  |  コメント(3)  |  リブログ(0)

テーマ:
石田順裕(グリーンツダ)選手が、ポール・ウィリアムズ(米)と戦った、2012年2月18日、米テキサス洲・コーパスクリスティのリングで、誰もがアッと驚く大番狂わせをやってのけたのが、ジャスティン・ウィリアムズ(米・下写真左)。


3勝(2KO)5敗のウィリアムズは、22勝(17KO)2敗のアルフォンソ・ロペス(米)と対戦。ロペスはラスベガスのパッキャオvsモズリー(2011年)戦前座で、元世界王者ケリー・パブリック(米)と戦った(判定負け)という、輝かしい記録を持つエリート。

加えて、コーパスクリスティはロペスの生まれ故郷である。だが、あろうことかこのガチガチの”噛ませ”ファイトで、ロペスはダウンを喰らった末に6回判定負け。どうにも格好のつかないロペスは、この試合がラストファイトとなってしまった。

おっかなビックリ、判定を待つウィリアムズ。



地元判定にも勝った勝者は、大感激。

さて、ウィリアムズのその後は・・・?。


ここからウィリアムズのアメリカンドリームへの挑戦が始まった、ということには間違いないのだが、『ロッキー』のようにうまくはいかない。

ロペスと戦ったひと月後、元気よくリングに上がったウィリアムズは、3勝13敗5分けの10連敗中、ジョシュア・バーンズ(米)と4回戦でグローブを交えるも、結果は引き分け。危ういところで生き残ったウィリアムズは、貴重な”噛ませ”として全米各地から声がかかる。とはいっても、6回戦のリングだ。

19戦無敗のヒューゴ・センテーノJr(米)にはフルマークの判定負け。現WBCインターナショナル・シルバー王者(世界18位)ニック・ブリンソン(米)には、スプリットの判定負けと連敗。

続いて15勝1敗のジャレッド・ルブラン(米)に小差の判定負けを喫し、昨年8月、現WBA9位アレックス・テェラン(コロンビア)=16勝(9KO)無敗=には、1ポイントも奪えず判定で敗れ4連敗。





この感激を再び味わうことが出来るのだろうか。

4勝(2KO)9敗1分。25歳、ウィリアムズのリングキャリアは、現在止まったままである。

応援、深く感謝です!→ ピザーラ 

いいね!した人  |  コメント(3)  |  リブログ(0)

テーマ:

待たされた挑戦者、シゲ福山(協栄)選手がようやく世界挑戦のリングに上がったのは、1976年7月16日の後楽園ホール。挑む王者はWBC世界フェザー級王座、2度目の防衛戦となるデビット・コティ(ガーナ)。37勝(19KO)1敗1分(当時伝えられたレコード)。


前記事 → シゲ福山vsダニー・ロペス 明暗 WBC世界フェザー級王座変遷の歴史


スピーディーなアウトボクサー、コティに対し、福山選手はボディ攻撃を中心に強引な攻めを得意とする、「肉を切らせて骨を絶つ」式のファイター。福山選手自身は、コティのように足を使う選手は苦手としている。


特別コーチに就いた元祖”シンデレラボーイ”、元世界王者の西城正三(協栄)氏は、「打たせ過ぎる悪い癖が出ると危険」としながらも、王者の左をかいくぐり、ボディ攻撃で動きを止め、徐々に弱らせる作戦。怖いのは王者の左フック、右アッパー。


郡司さんの予想は6-4でチャンピオン有利だが、「福山のたくましいボクシングに期待したい!」。


BOXING MASTER/ボクシング マスター


「これ以上、黒くなりようがない」というほど黒い王者コティ。初回から王者に接近し、打撃戦に持ち込もうとする福山選手。減量に苦しんだというチャンピオンは、この夜、思いのほかラフで、挑戦者の誘いに乗ってきた。


初回はイーブン。2回もコティは打ってきた。開始早々の打ち合いが終わると、チャンピオンは右目上をカット。真っ黒な肌に赤い血が流れる。「右手で傷口を押さえ、オーバーに痛がっていた」(福山選手)。


ボディ攻撃に手ごたえを得ていた挑戦者陣営の作戦は、徐々にコティのスタミナを削ぎ、力を弱らせていくというものだった。しかし、傷口を押さえオーバーに痛がる世界王者を前にした福山選手は、「ここはチャンス。攻めない手はない」と前に出る。


BOXING MASTER/ボクシング マスター


試合はたちまち打撃戦に突入。福山選手の左フックとコティの右が交錯するスリリングな展開。少しあせったという挑戦者は、打ち合いの中、王者の右を喰らいロープ際に倒れこんだ。刹那のアクシデント。


「やったな」と思った。倒れた瞬間に激痛を覚えた福山選手の右足首は、2箇所に渡って骨折(試合後にわかったことだが)していた。立ち上がろうかどうか迷ったという福山選手だが、出身地鹿児島から駆けつけた応援団に悪いからと立ち上がる。


再び襲う激痛。そしてコティのパンチ。「普通の試合ならもっと早く止めていたが、これは世界タイトルマッチ。福山に出来るだけチャンスを与えてあげたんだ」(ハリー・ギップス主審)。


誰の目にも福山選手の異変は見て取れた。再びキャンバスへ崩れた挑戦者が立ち上がったところで2回終了のゴングが鳴った。


3回、コーナーを立った福山選手にコティが襲い掛かる。右ストレートで福山選手ダウン。今度も立ち上がったが、ギップス主審は福山選手の肩を抱え込み、試合をストップ。3回21秒KOでコティが2度目の防衛に成功。


BOXING MASTER/ボクシング マスター


試合翌日のスポーツ紙はこぞって、『ミスマッチ』、『お粗末、福山』、『10年早かった世界挑戦』などと書きたてた。これにはさすがの福山選手も大きなショックを受けたという。


楽勝でV2を飾った王者だが、専門家筋の評価は決して高くなかった。それはグローブを交えた福山選手も感じていた。試合はまさにこれからだったのだが・・・・。


「歩けるようになったら、またロサンゼルスに戻って気楽に試合を続けますよ。出来るだけたくさん金くれる相手とやって稼ぎますよ」


そして福山選手は、まさにこの言葉通りのボクシング人生を送ることになる。


BOXING MASTER/ボクシング マスター


一方のコティは3度目の防衛戦で、福山選手にKOされ回り道をしてきたダニー・ロペス(米)の挑戦を受ける。76年11月6日、ガーナの首都アクラのスポーツ・スタジアムに集まった観衆は10万人。


福山戦で打撃戦に自信を持ったのか、コティはこの試合でも最初から打ち合う。


前半は優勢。ロペスは何度もグラつかされた。しかし、中盤を過ぎるとコティは徐々にスローダウン。10回以降はロペスがコティを打ちまくり、王者は地元でKO負けだけは逃れたいという展開。


BOXING MASTER/ボクシング マスター


15回までよく立っていたコティだが。世界王座はロペスの手に渡った。


前半戦でスタミナを使い果たしたのは作戦のミスと見られているが、これは減量の影響によるものだろう。自信を持ちすぎたコティは、自ら墓穴を掘った。WBC世界フェザー級は、どん底から這い上がったロペスが長期政権を築いていく。    


福山選手はロサンゼルスでロペスの防衛ロードを横目に見ながら、再起への道を歩んで行く。ここからが、福山選手のキャリアの真骨頂といえるだろう。    = 続 く =


応援、深く感謝です!→ BOXIN MASTER/ボクシング マスター BOXING MASTER/ボクシング マスター

BOXING MASTER/ボクシング マスター  BOXING MASTER/ボクシング マスター  BOXING MASTER/ボクシング マスター  BOXING MASTER/ボクシング マスター  BOXING MASTER/ボクシング マスター

いいね!した人  |  コメント(1)  |  リブログ(0)

テーマ:

ガーナ初の世界チャンピオン、WBC世界フェザー級の新王者デビット・コティ(ガーナ)の実質的マネジャーはガーナ政府。コティ自身も政府に身を置く立場にあるという。「初防衛戦だけは何としても地元で」という政府の願いを聞き入れる形で、協栄ジムは挑戦権を持つシゲ福山選手に代わり、日本同級王者フリッパー上原選手を敵地に送り込んだ。


前記事から続く →  シゲ福山vsWBC世界フェザー級王座変遷の歴史


1976年3月6日、ガーナの首都アクラに乗り込んだ上原選手は、7万人の大観衆の前でコティに挑戦。試合前に実父を亡くしていた上原選手は、「絶対に世界王者になって見せる」の強い気持ちで大激闘を展開する。



沖縄興南高校から日大(中退)。五輪の夢絶たれ、兄康恒選手と共にプロ転向。ロサンゼルスでデビューを果たした上原選手は、スパーリングでダニー・ロペス(米)からダウンを奪ったこともある。


74年のヒューゴ・バラサ(コロンビア)、サミー・ゴス(米)、リゴベルト・リアスコ(パナマ)との現、元世界ランカー相手の3連戦では、2敗1分と世界の壁に屈していたが、その後、牛若丸原田(笹崎)選手に勝ち、日本王座を獲得。2度の防衛に成功していた。


上原選手は金平正紀会長、選任の渡辺 剛 トレーナーとガーナ入り。「昼は暑くて外を歩けない」という中、調整は順調に進んだ。計量会場から退場するのに、あんまり多くの人が集まりすぎて身動きできず、警官隊に駆けつけて貰い、やっと脱出し鷹と思うと、試合開始時間は何と深夜の12時。


上原選手はファイタースタイルで、コティに肉薄。しかし、2回にバッティングで右目上から出血。血が目に入るハンデを背負いながらも、強引なボディ攻撃で王者をたじろがせる。だが、4回には再び頭がぶつかり、左目上もカット。


それでも前に出る上原選手は、接近戦では手が出ないコティに右アッパーをヒット。「自分として接戦だと思っていた」(上原選手)試合は、一度のダウンシーンもないまま12回ストップされ、コティのTKO勝ちが告げられる。両目上の傷が原因だった。



試合後、上原選手は「これで自信が付いた」と、金平正紀会長に「もう一度、チャンスを作ってください」と訴える。「よくやった」と褒めた会長は、「日本に帰ってもおじけづくな、びくびくしなくとも良い」と敗者を勇気づけ。もう一度チャンスを作ることを約束した。


「今まで戦った中で上原が一番強かった。5ラウンドからボディが効いた」(コティ)


帰国した金平会長は福山選手の王座奪取に自信を持ったに違いない。上原選手も、「左ジャブを外してボディを打つことが出来れば、勝てると思います。福山さんはボディ打ちが上手いから、いいタイプなんじゃないですか」とエールを送っている。


”待たされた挑戦者”、福山選手は、新関利幸マネジャー&トレーナー、そして元世界フェザー級王者で、元祖”シンデレラボーイ”である西城正三特別コーチと共に、その時を待っていた。


福山選手のコティ挑戦がようやく実現するのは、76年7月16日。王者コティは7万人の大観衆の前で戦った初防衛戦から一転、2,500人が精一杯の後楽園ホールで2度目の防衛戦を迎えることになった。母国での初防衛成功で自信と貫禄を付けた王者と、同僚の善戦で自信を新たにした挑戦者。


ロペスvs豊島。


その頃、ロサンゼルスではロペスがようやく調子を取り戻しつつあった。


福山選手に敗れた後、ベテラン、オクタビオ・ファモソ・ゴメス(メキシコ)戦も落とし2連敗。それより前、ボビー・チャコン(米)とのロスのアイドル対決に敗れ、初黒星を喫した後の豊島政直(SB川口)選手との試合でも、ラリー・ロサディラ主審のロングカウントで危ういところを救われており、実質的には4連敗。


1975年。世界挑戦を待たされた福山選手は、5月、6月の短い期間に2度リングに上がっただけ。それに対しロペスは、負けが込んでいた元王者チューチョ・カスティーヨ(メキシコ)を破って再起。12月にはコティに王座を追われたばかりのルーベン・オリバレス(メキシコ)との倒し合いに勝利。


76年に入ると、2月、29戦無敗のショーン・オグレディ(米)を4回でストップ。ゴメスには3回KOで雪辱を果たしていた。


コティ戦から7連続KO負けを記録する福山選手と、福山選手の次にコティに挑戦し王座奪取。防衛8度、そのうち7回はKOという記録を打ちたて、殿堂入りを果たすことになるロペスのボクシング人生が交錯する。   = 続 く = 


応援、深く感謝です!→ BOXIN MASTER/ボクシング マスター BOXING MASTER/ボクシング マスター

BOXING MASTER/ボクシング マスター  BOXING MASTER/ボクシング マスター  BOXING MASTER/ボクシング マスター  BOXING MASTER/ボクシング マスター  BOXING MASTER/ボクシング マスター

いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)

テーマ:

1974年9月19日(現地時間)、ロサンゼルスでWBC世界フェザー級4位ダニー・ロペス(米)を9回KOにしとめ、『世界王座挑戦権』を横取りしてしまったシゲ福山(協栄)選手は、試合の4日後に凱旋帰国。”第2のシンデレラボーイ”として大いにもてはやされた。


BOXING MASTER/ボクシング マスター


当時のWBC世界フェザー級王者は、アルフレッド・マルカノ(ベネズエラ)との王座決定戦に勝ち、王座に就いたばかりのボビー・チャコン(米)。福山選手はロペスに代わって、12月17日、イングルウッド・フォーラムでチャコンに挑戦することが決まった。


しかし、この計画は地元プロモーターとTV局の思惑が一致せず流れる。日本側は福山選手の世界挑戦を日本で実現させるべく交渉を開始。初防衛戦が宙に浮いたチャコンは王座獲得から半年後の、1975年3月、へスス・エストラーダ(メキシコ)を軽く2回でKOし初防衛に成功。


福山選手は待たされる形となり、チャコンのV2戦は過去3度の世界王座獲得歴があるWBC同級3位ルーベン・オリバレス(メキシコ)が選ばれる。


6月20日、イングルウッド・フォーラムでの再戦は、チャコンが2年前の借りを返すだろうと見られていたが、減量苦で自滅。


BOXING MASTER/ボクシング マスター

BOXING MASTER/ボクシング マスター


試合2週間前が140ポンドのSライト級、2日前が132ポンドのライト級。当日計量ではしっかりリミット内に落として来たが、リングに上がった時には足はフラフラ、打つパンチはスローモーションという状態で、オリバレスが軽々と2回でチャコンをKO。4度目の世界王座に就いた。


日本での世界挑戦交渉が続けらる中、試合間隔が空いた福山選手は、75年5月、ロペス戦以来8ヶ月ぶりに後楽園ホールに登場。荒っぽい打ち合いで、デルフィン・ロドリゲス(メキシコ)の戦意を喪失させ5回KO勝ち。ひと月後には、続けて和歌山のリングに登場しジュン・ガレコ(比)と対戦。


「ロイヤル小林(国際)を意識して、早く倒そうとあせった」という福山選手は、初回思わぬダウンを喫し大ピンチ。何とかこれをくぐり抜けると、執拗なボディ打ちでガレコを窮地に落としいれ、5回でギブアップに追い込んだ。


オリバレスの初防衛戦は、WBCランク最上位の2位デビッド・コティ(ガーナ)が相手と決まっていた(1位はWBA王者アルゲリョ)。しかし、オリバレスvsコティ戦の勝者に、福山選手が日本で挑戦という契約がなされていた。


BOXING MASTER/ボクシング マスター


9月20日、イングルウッド・フォーラム。オリバレス有利の声をよそに、初めて米国のリングに上がったコティは初回からオリバレスを倒し、優位に試合を進め15回を終了。普通に見れば挑戦者の勝ちは動かしがたいが、ここはオリバレスの本拠地。フォーラムには8千人のオリバレス・ファンが詰め掛けていた。


試合後20分以上経ってもスコアが発表されない。リングアナはマイクを奪われ、リング上は乱入したファンと警官がもみ合う大混乱。そんな状況下、143-142、144-143、144-145という際どいスコアでコティが新王者に輝く。


しかし、コティ陣営のセコンドは負傷者を出し、新王者は「勝った時の感激は最高だったけど、恐ろしくて一刻も早くリングから逃げだしたかった」。


BOXING MASTER/ボクシング マスター


ようやく巡ってきた福山選手の出番。コティ陣営との交渉はすぐにまとまり、協栄プロモーションから12月7日、大阪府立体育館でコティvs福山のWBC世界フェザー級タイトルマッチが発表された。ちなみに同じ時期(75年10月)に行われたWBA世界同級タイトル戦、アルゲリョvsR・小林戦も、協栄プロが手がけている。


だが、ここからまた福山選手は待たされる運命にある。まずコティの病気が理由で試合は2月に延期。そうこうするうちに、コティの実質的マネージメント権を持つというガーナ政府が乗り出してきた。「ガーナ初の世界チャンピオン、コティの初防衛戦は何としてもガーナで行ないたい」。


さすがに政府だけあって交渉は強気。さしもの金平正紀・協栄ジム会長も折れて、福山選手の変わりに同門のフリッパー上原(協栄)選手をガーナに送り込むことにし、福山選手の挑戦はその後、日本で行なわれることで話はまとまる。


アマからプロ入り、1973年1月、ロサンゼルスでデビューを果たした上原選手は、同地で負けなしの4連勝。期待のホープとして日本へ凱旋帰国して行った。当時の福山選手は、5連敗(4KO負け)中のどん底状態。どんな想いで、後輩の活躍を見ていたのだろうか。


福山選手の快進撃は、上原選手が帰国した直後から始まっていることに注目したい。


BOXING MASTER/ボクシング マスター
福山vsロペス。


しかし、「因果よのゥ」であります。f^_^;


福山選手は、「フリッパー選手に勝ってもらいたい、そして、勝ったら僕にもチャンスをほしいです」と、その複雑な胸中を明かしている。


そしてコティvs上原の世界タイトルマッチは、1976年3月、ガーナの首都アクラで7万人の大観衆を集めて行なわれた。     = 続  く  =


応援、深く感謝です!→  【TOP】  BOXIN MASTER/ボクシング マスター

BOXING MASTER/ボクシング マスター  BOXING MASTER/ボクシング マスター  BOXING MASTER/ボクシング マスター  BOXING MASTER/ボクシング マスター  BOXING MASTER/ボクシング マスター

いいね!した人  |  コメント(5)  |  リブログ(0)