『just like an Amaranth』

フィギュアスケートの海外記事の翻訳、映画の感想などを気の赴くままに書いてます。

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フィギュアスケート好きが高じてブログ始めました。特定の選手のファンというわけではなく、ただひたすらにフィギュアスケートが大好きですドキドキ


ブログに掲載しております翻訳文は、勉強を兼ねて管理人が行っているものです。

良く言えば超意訳、ミスもちょいちょいあるかと思いますので、こまめに読み返し間違いを見つけ次第修正を加えております。そのため、最初に読んだ時と次に読んだ時には訳文が違っているかもしれませんことをご了承いただけると幸いです。


※ 翻訳文の転載・引用は固くお断り申し上げます

  上記のとおり翻訳文にはこまめに修正を加えておりますので、当ブログの翻訳文と

  他のブログに転載などをされてしまった文章とのズレを防ぐためですので、

  ご了承のほど、よろしくお願いいたします。



テーマ:
Not slowing down: Joubert giving pairs a shot
After long singles career, French legend teams with Katarina Gerboldt



引退を表明した後も、ブライアン・ジュベールの忙しさは変わらなかった。ショーに参加し、コーチ業に携わり、そしてペアスケーターへと変化を遂げたのだから -AFP


フランススケート界のスーパースター、ブライアン・ジュベールはその滑りで良く知られているが、同時に有言実行の男としても知られている。ここ4年程の間、彼は現役引退後の生活について、3つの活動を考えていた:ショーに出演すること、コーチになること、そしてペアスケーターになること。この数ヶ月、彼はあちこちのショーに出演し、そしてコーチとして---多くの人が真剣には受け止めなかった彼の展望---名声を確立する為の道を進んでいる。ジュベールは今、彼に疑念を抱く人たちが間違っていることを証明しようとしているのだ。

ジュベールは、最後のオリンピックパフォーマンスとなったソチのリンクを、非常に満たされた状態で後にした。たとえ順位が望んだほど高くなかったとしても(若干の論争の的となる第13位)、2つのほぼミスの無いプログラムを滑り切った。前2回のオリンピックパフォーマンスよりはるかに良い出来だったのだ。ソチでのFSを滑ったすぐ後、彼はそれがシングルスケーターとしての現役最後のパフォーマンスであったことを明らかにした。オリンピックの後、彼はロシアとフランス、そしてカザフスタンで大成功を収めたショーに出演した。

D-Day70周年アニバーサリーの僅か2週間前の5月中旬、ジュベールはフランスで唯一ペアスケートを教えるクラスがあるノルマンディーのカーンにいた。

『ええ本当です。』と学校設立者であり、この学校をまとめるジャン=フランソワ・バジェステルは言った。『この国にはペアを専門的に教えられるコーチがいないのです。』

1980年代にフランスのペアチャンピオンになっているバジェステルは、教え子のダリア・ポポワ&ブルーノ・マソーが国際舞台で存在感を示し始めるようになり、彼自身の存在もまた知られるようになっていった。

2014年世界選手権が終わるころ、あるニュースが伝えられた。5度の世界選手権チャンピオンであるドイツのアリョーナ・サフチェンコが、悲願のオリンピック金メダルに向けてブルーノ・マソーとペアを組むというものだ。マソーはサフチェンコといくつかのショーに出演した後、現在のトレーニング地であるドイツに帰っていった。

ジュベールはオリンピックシーズンが始まって直ぐ、オルレアンで行われたフレンチマスターズの会場でバジェステルにペアに挑戦したい意向を打ち明けていた。バジェステルはその時、そのアイディアに完全に夢中になったわけではなかったが、それでも試してみる価値はあると思った。そしてマソーがペアを解散した後シングルとなっていたポポワには、ジュベールにペアを教える為に1週間を費やす余裕があったのだ。

『彼女はペアの経験が十分にあるからね。』とバジェステル。『これはかなりの挑戦であることに変わりはないけど、でもこれが彼にとっての最初のとっかかりを楽にするだろうと思う。』

多くの人が、これはただ楽しむことを目的としたものだと思った。ポポワは既に新しいパートナーを見つけ、トレーングの為にモスクワへと旅立って行った。一方のジュベールは、デニス・テンのショーに参加するため、5月下旬から6月初旬までの日程でカザフスタンに向かった。

バジェステルは、ジュベールのペア競技での可能性について、彼の考えを明らかにはしなかった。それでも、ジュベールが彼の学校を去る際のアドバイスは実に明確なものだった:“もし本当にペアでも最高レベルに行きたいのならば、時間を無駄にすることなく世界でも最高のコーチにつかなければならない。そのコーチがどの国の人かなど関係なく、だ”。

ジュベールはバジェステルのアドバイスに従った。6月の終わり、ロシアのスケーター、カタリナ・ゲルボルトとオレグ・ワシリエフの個人指導を受ける為に、モスクワ郊外のノボグルシュクトレーニングセンターに向かった。ワシリエフ自身、エレーナ・ワロワとのペアで1984年と1988年のオリンピックで金メダルと銀メダルを獲得している。コーチとしては、タチアナ・トットミアニナ&マキシム・マリニンを2006年トリノオリンピックチャンピオンへと導いた経験を持つ。

元シングルスケーターで、2009年ヨーロッパ選手権で第6位になった経験を持つゲルボルトは、2010年にペアに転向をした。元パートナーのアレクサドル・エンベルトと共に初出場した2011年ヨーロッパ選手権大会では、第4位の成績を納めた。ペアは2シーズンを戦い、今年4月に解散が発表された。

『カタリナとのペアはかなり気に入ったよ。』とジュベールがSport-Expressに語った。『そんなに練習は出来なかったけど、成長の速さに自分でもびっくりしたんだ。』

ゲルボルトの様なスケーターとペアを組み、競技を続けていくジュベールのこの先の可能性はどうだろう?フランスのナショナルレベルでは、彼のチームはそこまでの強敵と戦うことは無いだろう---少なくとも、ソチオリンピック第10位となったバネッサ・ジェームス&モーガン・シプレに次ぐセカンドポジションは固い。一方、ロシアで国際ステージへの切符をつかむことは、はるかに困難だ。それでも、ロシアペアスケート界に深みを増す役割は果たすだろう。いずれにせよ、ジュベールとロシア人のパートナーは、国際大会に出場できるようになるまで1年待たなくてはならない。同じくペアを結成したばかりのサフチェンコ&マソーがそうであるように。

ジュベールがゲルボルトとペアを組み、ロシアに住んでトレーニングを受けるとしたら、彼はフランスを離れる準備ができているのだろうか?ロシアの為に戦う準備が?ジュベールはフランスでも、最も地元愛の強い選手の一人として良く知られており、故郷のポワティエを離れることにはいつも難色を示してきた。

『現時点では、僕はフランス人だし、この先もフランス人のままだと思う。』とジュベールはその疑問について答えた。

他にも考慮すべき問題はあり、ジュベールはそのことについてもオープンに語った。

『ピッタリなパートナーを見つける必要があるんだ。誰か他の人と一緒に働いて、一緒に責任を分け合える気質が僕にあると思う?』ジュベールは昨シーズンの初め、将来について聞かれた時にそう答えている。『僕は一緒に働くのが厄介なタイプの人間だよ。それに、全く新しいことをまた一から始める準備が出来てるのか、また練習漬けになる準備が出来ているのか、疑問はある。』

10年半に及んだこの激しい競争でのキャリアの後には普通の生活を送りたいとの願いを、彼はこれまで何度も口にしている。

『またバイクを乗り回したいし、スキーも滑りたい。体重のことを考えずにビールだって飲みたいよ。』

ジュベールの背中の状態がペアスケーティングへの挑戦に耐えられるかどうかは、今のところ不明だ。

『背中は前に痛めてるからね。女性をリフトするんだから、治療の助けにはならないよね。そういう点も全部考慮しなきゃ。』

『でも、もうペアにやる気を感じてる。今までもペアを見るたびワクワクしてたんだ。彼らは本当に素晴らしんだよ。僕が人間としてスケーターとして良くなることが出来たのは、ペアのお陰だと言えるね。他の誰かと同じ気持ちになれるのは良いことさ。一人の時はそれは難しいから。僕がもしペアとして何かが出来ると言われたならば、僕は100%それに専念するだろう。』

ペアスケーターとしての彼の冒険の結果がどうであれ、彼の手元にはまだ2つのカードが残っている:ツアーとコーチだ。そしてペアスケーターとしてこれから積むであろう経験が、それらをより豊かなものにするだろう。

ジュベールは、コーチとしての自分の未来をポジティブに捉えている。

『コーチはずっとやりたいと思ってた。』と彼は何度も言っている。

彼のホームリンクはここ2シーズンをかけて大規模な改修を行われ、彼自身のトレーニングセンターを開くためのユニークな設備を提供するだろう。そしてペアスケートのいろはを知っているということは、シングルのプログラムに加え、ペアのプログラムに取り掛かる手助けとなるだろう。

実際に彼がコーチ業に着手する前に、ジュベールはフランスが主催するコーチングテストを終了する必要がある(フランスでのコーチ業は未だナショナルレベルで支配されている)。これによって彼がコーチになるには、後数年必要になる。

『4歳の子供とか、若いうちから指導に携わって、トップスケーターへと育ててみたいね。』とジュベールは語った。

ここ数ヶ月参加しているツアーでは、ジュベールの人気は現役を退いた今も何も変わってはいなことを証明みせた。ジュベールはスポットライトの下にいるのがただただ好きなのだ。トマシュ・ベルネルとエフゲニー・プルシェンコ、そしてジュベール。彼らは多くの人々によって、フィギュアスケート競技界のカリスマの一人だと認められている。一方で、ペアスケートは彼を仲間から区別することさえ出来る。2014年イタリアチャンピオンのバレンティナ・マルケイは、ジュベールとのペアの可能性について尋ねられた時、その選択肢を消さず残している。

『ペアに転向して競技をするかハッキリさせる為には(オリンピックの後)5~6ヶ月必要だと思う。』とジュベールは昨年10月に言っている。Sport-Expressが伝えるところによれば、ジュベールは8月にロシアに戻るとのこと。しばらくの間、彼は故郷のポワティエでくつろぎ、全てのオプションについて考えるのだろう。

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