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2009-10-22 03:01:49

モンドのシドニー「貧乏」生活③

テーマ:ブログ
「しかしいつまでたっても更新されないブログだな」なんて思った人は数知れず。マイペースがたまにキズ「気にしない気にしない」って言ってる場合じゃない。
とにもかくにもとりあえず復活です。これからも「くだらな~い」と言われるようなことを書いてでも更新につなげていくのであしからず。


>モ~ンドが~稲川~淳二に~であ~った~~(ウルルン風に)

本当です。

と、言っても個人的に、ということではない。ファンである私が岐阜羽島の淳二氏の怪談公演に行っただけの話である。

いやぁ~実に面白かった。まず間近で、そう実に間近で見られた事がうれしい限りである。あの、淳二氏が目の前に。2メートルくらいかな。それもある機会で言葉を交わせたという、なんというか隠れ稲川ファンの(隠れるなよ)密かな(隠すなよ)喜びというか。
いやあ、かっこよかったです。特に最後の心霊写真のところ。前回、名古屋公演に行ってたから淳二氏の言っていたことはわかった。「心霊写真は保存してたまに見るんです。動いているんですよ、そう、この首が~っ」

なんというか前にもブログで紹介したが、淳二氏のビデオ・DVDは全部見ている私。本もチェックしている。レンタルもする。CDも持っている。なぜなのか?好きだからです(笑)

どこが好きなのか?そう、アナログな所だろうと思う。CGがあふれている、IT社会の時代にあってあえて「語り」で日常の恐怖を伝えていく。そう、何か武道に通じるところがある、というか。今やハイテク兵器の時代に肉体を練磨して技を磨く。ロマンがあるじゃありませんか。

デジタルの時計よりも「カチッカチッ」というアナログ時計のほうが時を刻んでいる事がよくわかるように心に染み渡ってくるのです。

そう言えばTVでやってたな、ある芸人が淳二氏に「夏はとてつもなく忙しいですけど、冬は?(笑)」と聞く。半ば冗談交じりに。すると淳二氏が真顔で「心霊探訪をしておりましてほうぼうへ~」と言う。淳二氏は本当に好きなんだな、と思う。自分のやっていることに誇りを持ってらっしゃる。

また、来年もそんな淳二氏に会いたいな、と思う今日この頃です。








では次に、ここブログ停止間のビッグニュース。酒井容疑者、通称のりピーの逮捕。芸能界の麻薬汚染。夫、高相容疑者が逮捕されてショックから失踪か?と思ったら大逆転、実はクスリが抜けるまで逃げていた可能性が高い、との事だった。
警察はDNA鑑定で真っ先に髪の毛を採取、捜査するから髪の毛まで切っての出頭。逮捕状が出た後だったから「自首」じゃなくて「出頭」なんだろう。

使用していたクスリは覚醒剤。私もシドニーでの治安調査・潜入調査経験があるから言えるが、ハードドラッグを使ったら最後、抜け出ることは有り得ない。少なくとも知っている人間で抜け出たものはいない。脳に一生消えないダメージが残って極度の依存症に陥る。
薬物常習者=ジャンキーは「クズ」である。辛辣な言葉を許して欲しいが、本人だけの問題だけではなくなる。家族皆が、知人が、恋人が一緒に巻き込まれ潰されていく。

酒井容疑者の復帰をほのめかす局もあるようだが、いいかげんにしろ、と思う。言葉に責任を持てと。復帰は300%有り得ない。いや復帰させてはいけない。まず子供たちが見ていてどう思うか考えたほうがいい。間違って「あ、やってもいいんだぁ」と思ってしまうだろう。中国ではとてつもないのりピーブームだったという。今もファンが復帰するのを待っていると。

ちょっと待てと。「社会的影響度の高さ」を考えろと思う。第一、酒井容疑者自身の弟は暴力団員である。同時期に逮捕された。警察内部では内偵が行われていて、押尾逮捕の時から、いやそれよりずっと以前から水面下で芸能界を捜査している。当然、警察は酒井容疑者のバックグラウンドも押尾のも把握しているだろう。

これは酒井容疑者が犯罪組織と深く関わりがある可能性を示唆している。そんな社会的に悪な酒井容疑者が復帰!?アイドル云々なんて関係ないだろう。人間として終わり、そういうことだ。

アメリカを見てみたらいい。対テロ云々言っているが自国の麻薬戦争には勝っていない。テロリストなど大した問題ではない。麻薬は目の前にあり、誰しもが関わる可能性のある大問題なのだ。
事実、オバマになってYES!WE CAN!とか言っておきながら、アフガンへの派兵を推し進めて、またもや利益追求のアフガン紛争を画策しているアメリカ政府。戦争しなきゃ自国を支えられないのか、とタメ息が漏れる。

酒井容疑者はナイトクラブへ入り浸っていた。レイブ(神出鬼没パーティー)にも顔を出していた。オーストラリアなんかではナイトクラブの麻薬汚染は当たり前、レイブにいけば逮捕者は数知れず。「そういった所」は事実「クスリをきめる所」と言って間違いは無い。

かの「のりピー」は2004年に岐阜山中で行われたレイブに来ていたらしいが、どうも酩酊状態でわけのわからない事を叫んでいたという。地元の岐阜県に来てまで悪さをしてるとなるとなんとも気分が悪い。

ただ一言言いたい、「子供、かわいそうだね」と。









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モンドのシドニー「貧乏」生活③


さあ、それでもって全財産を使って英語学校へ行き始めた「私」。貧乏生活はまだ続いていた。路上でのマッサージに慣れてきた(ほとんど収入がないのに)ところでワンステップ進もうと思い、サーキュラキーの路上でバスキング(大道芸)をしている人間にいろいろと聞いてみた。「どうしたらここでバスキングができるんだ」と。

まずはアボリジニ衣装に身を包んだ3人の男。

「言わねえよ、なんとかしろよ自分で」

高い棒の上に自転車を乗せてその上で曲芸をしているアイリッシュは、

「シラネ~よ日本人か?スシ食わせてくれよ」

一人テーブルを設置してタロットをして日銭を稼いでいるオージーは、

「あ、君、顔の相が良くないね。水難いや女難いや、失せ物があるかな?手相見してみ?
あ、これシミアン・ラインね。こう上がったら、落ちる。落ちたら、上がる。ようは波乱万丈。いい事ないわ、これ。
ハイ、寄付ちょーだい」

百握り=シミアン・ライン(類人猿線)って言うんだな~これ。なんて感心してる場合じゃない。そう何人か聞いているうちになんだかバカバカしくなってきた。「じゃ、いいややったろう」という事で、勝手にサーキュラーキーでやることに決めた。

ビールケースを逆さにした「簡易椅子」を「どこからか」持ってきてベンチとベンチの間に設置し、日本から持ってきた習字用の紙に「マッサージ、1回10ドル」と書いて曲げたダンボールにくっつけて置いた。

そうしたらまる一日いたにも関わらずまったく客が来ず、代わりにインスペクター(検閲官)が3人来て囲まれた。

「おいおい、何やってるんだ」

「え?マッサージですけど」

「違う違う。10ドルってなんだ」

「え?ただじゃできないでしょ」

「利益追求はいかんのよ。ドネーション(寄付)って書きなさいって事だよ」

「え?ダメなの?寄付?」

「そう。で、IDは?」

「ID?」

「そう、なにかあるでしょ、なにか」

「え~、パスポート~は持ってきてないし」

「ないの?じゃ、許可証は」

「許可証?何の?」

「バスキングの」

「え?」

「とぼけてるのか」

「あ、確かここに~ココの中かな。ポケット?あれ?ないや」

「もしかして持ってきてないのか?」

「あ、忘れてきちゃった」


あ、バスキングって許可証がいるんだ、そう思った私はとぼけまくってなんとかその場は逃げ切り、家のオーナーにいろいろと聞くと、翌日にはタウンホールへ行き手続きをしてバスキング許可証をとった。とりあえず「3ヶ月有効」ということだった。もちろんただじゃない、いくらかの金は払っての事だった。


さあ、日銭を稼ぐぞ~っという事ではじめた路上マッサージ。現実はそんな簡単なものじゃなかった事は言うまでもない.......... つづく


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モンドお勧めのショッピングセンター

各務ヶ原のイオン、モレラ岐阜、ジャスコ柳津、イトーヨーカドー柳津店、イオンモール木曽川キリオ店











2008-12-17 03:40:59

 モンドのシドニー「貧乏」生活②

テーマ:ブログ
さて、今年も終わりが近づき日本では肌寒くなってきた。2008年も、もうわずか。社会を見回してみても今年もいろいろとあった年だったのではないか。
首相交代から偽装問題、米大統領選。数々の犯罪もあった。罪もない少女が連れ去られ殺害された事件や強盗事件の頻発など、日本、いや世界の不況と相まって引き起こされた、といえるかもしれない。

しかし、そういった暗い部分ばかり見ていてもしょうがない。お正月と言えばおせちに餅。紅白を見て、年越しそばを食べて、年を越したら神社にお参りに行く。そこで甘酒でも頂く。岐阜の地元であれば近場の神社で鐘をついて、皆で焚き火を囲んで談笑といくか。
谷汲山へ行くとか稲葉神社なんかへ行くのが主流?まあ、人それぞれ違うのだけれど、とにかく家族で、また友達同士で、はたまた恋人同士で時を過ごすのもいいかもしれない。

ちなみに私、主水はその時はシドニーで「ハッピーニューイヤー!」となっていると思う。それこそシティーなんかは人、人、人でごった返し状態。世界中の人が訪れてワイワイガヤガヤ騒ぎ立てるのが「シドニー流」だから、日本のような荘厳な正月は迎えられそうにない。

さあ、というわけでこの前の続きを眠る前に少し。




                        モンドのシドニー「貧乏」生活②

 
英語学校の手続きなんかを行いつつも、ハイドパークなんかの公園で一人せっせとマッサージをしていた「私」。
その時の毎日の食べ物はと言えば、土日のフリーマーケットで手に入れるジャガイモ(買いだめ)、なんとか手に入れたバターに中華街で手に入れた安物のコーンの缶詰。

前回言ったようにキッチンが「なかった」から、おのずといいかげんな食事となる。

ジャガイモを洗う(外の芝生に水をやるホースを使う)→水の入ったボウルに入れる→電子レンジに入れてボイルさせる→水を外にあける→コーンの缶詰を開ける→ボウルにジャガイモと一緒に入れる→バターをのせる→電子レンジで再度チン。

はい、じゃがバターの出来上がり。

パスタを「低価格」で買う→大瓶の安物トマトソースを買う→ちょっと買ってきた少量のピーマンなんかと交ぜて作るスパゲッティー。ちなみに電気調理器を使って作る。

上はある程度ふんぱつした時。でもやっぱり多かったのが韓国のインスタントラーメン「辛ラーメン」。これをヒーヒーいいながら食べて飢えをしのいでいた。

さあ、食べ終わったらどうするか。そう、洗い物だろう。外で芝生用ホースを使ってもいいが、ランチタイムはまだしもディナータイムは真っ暗で何も見えない。で、ピンと来たのが一石二鳥の技だった。そう、今話すとみんなから笑いものの「ガンジス洗い流し術」だ。

これが後に「インドはガンジス川」を彷彿とさせる生活を送るようになろうとは、夢にも思わなかった~前回そう言ったが実際にやっていたから笑い事ではない。

まず、洗わなければならない服と食器を持って母屋のシャワー室へ一人暗い道を歩いていく。途中、空では無数のフルーツバット(大こうもり)が飛び回り、鬱蒼と茂った木々にはポッサムたちが目をランランと輝かせてキーキー言っている。
母屋に着くと鍵を開けて、自分専用トイレにはいる。トイレと言ってもバスルームである。トイレがあって横に仕切りがあってシャワーがある。まず、荷物を置くところがない。持ってきた洗物の服と食器を下に置く。といっても便座の前。
それから服を脱いで、目の前の洗面台の上に乗せる。私は素っ裸のままタブを捻ってシャワーを出すとまず自分の体を洗う。ある程度洗ったら持ってきた洗物、まず食器の方を取ってシャワーを使って洗う。石鹸で洗う。もちろん素っ裸で(笑)。

洗い終わったら次は服の番だ。洗う服をとってシャワーにさらし、せっけんをゴシゴシと擦り付ける。そう、ここからがガンジスだ。服をなんどもバスルームの床に叩きつけ、それから石鹸でゴシゴシする。それが終わったらまた叩きつける→繰り返し。自分で思った「ここは江戸の貧乏長屋か」(笑)

ガンジス川で洗い物をしている人たちと違うのは、こちらは素っ裸だということだろう(笑)

これを日々毎日のように繰り返す。すると人間どんどん慣れて来るから面白い。続く



















2008-10-16 14:00:41

モンドのシドニー「貧乏」生活①

テーマ:ブログ

夏は過ぎ去って、秋真っ只中、本当に涼しくなってきたようだ。秋の夜長で、夜は寝ていても涼しげな風が入ってきて気持ちいいくらいだ。

秋に月を見るのもいい。夏の蒸し暑い夜に見る月とは違って、何か神秘的なものを感じる。「温度の違い」でここまで変わるのは面白い。寒い冬が来るまでの少しの間、秋を楽しみたいと思う。




さあ、というわけで今回からは連載で99年頃~のシドニー生活について話していきたいと思う。ホンポウ初公開!(オーストラリア放浪編の方はWEB書籍「ダウンアンダー」で公開予定)



                 モンドのシドニー「貧乏」生活①


99年、3ヶ月強のオーストラリア放浪生活 を終えた「私」は、電車に飛び乗ってそのまま一路シドニーを目指した。「特殊ビザ」で6ヶ月滞在を許されていた(通常観光3ヶ月)ことはあっても時間には限りがある。その時日本で働いて貯めて持ってきていた「100万円」もいつまで続くか分からない(先の事を考えてなるべく使わないようにした貴重な資金)。


なんとか観光ビザ(自分の場合は特殊ビザだけど)を延長できないか?頭の中はその事でいっぱいだった。

自分の旅も、ただ放浪をして(空手の指導や演武なんかを路上で披露して、マッサージで生計立てたりして)、そのまま帰国、というのはなんだか情けない気がしていた。何かをしなきゃいけないと。



ビザにもいろいろあるけれど、一番手っ取り早いのが学生ビザ。学校の種類にもよるけど4年間はいける学校もある。それはWHでメルボルンにいたときに、知人からすでに聞いていた。その知人は学生ビザ延長で(学校を変わったりで)確か6・7年はオーストラリアにいたと思う。


とにかく、シドニーに行くことが先決だった。



なんとか、シドニー入りした自分は右も左も当然分からず、当時のセントラルステーションの周りでウロウロウロウロ。

放浪の旅でボロボロになった服を気にもせず、まず持っていたリュックをグレイハウンドバスのショップに入って、そこの貸しロッカーに放り込んでシドニーの街へ繰り出した。


セントラルステーション沿いに歩く。まず気づいたのはメルボルンと違ってアジア系が圧倒的に多いという事。当然、その近くにはチャイナタウンがあるわけで、中国系・香港系が多いのは当たり前なんだけど、シドニーの事が全く分からないからしょうがない。


結局初日は家探しのメドがたたず、セントラル近くのYHA(YOUTH HOSTEL ASSOCIATION)へ泊まることにした。そのYHAには世界各国から旅人が来ていて、同じ部屋になったドイツ人とイギリス人とは将来の夢の事なんかを話し合った事を今でも覚えている。



まあ、とにもかくにもYHAを拠点にして付近の散策はもちろんの事、シドニーの情報収集からはじめた。その時役に立ったのが老舗日系新聞、日豪プレス。偶然立ち寄った日本食レストランで見つけたその日豪プレスをめくると、シェアメイト募集なんかの記事が載っていた。

よく見ると「ユニット週~で貸します」などと書いてある。とりあえず指をくわえて見ててもしょうがないってんで、その中から7件ほどピックアップ。近くの公衆電話まで行って上から順にかけていった。



中には留守番電話で不在とか、一発で断られたり、先客がいてアウトなど、瞬く間にその6件は消えていった。「これじゃあ募集してる意味なんてないだろう」、などと考えていたが、よく見たらその日豪プレスの発行日はだいぶ前。ほとんど借りられてるのは当然。

しょうがないから最後の一件だけかけてみるか、ダメもと、という事でそのノースショアの物件だけかけてみた。年にして70くらいの女性が電話に出た。いろいろ聞くとなんだか良さそうだ。彼女が「アンティーク」「アンティーク」とやたらに連呼していたのは気になったが、まあ気にしない気にしない。さっそくアポをとって現場へ向かった。


ノースショアラインの電車に乗って揺られる事20分。S(都合上書かない)についた。さあ、そこからトコトコ歩く事5分ほど、事前に聞いていた住所を探し出す事が出来た。なかなか大きな家だ(ここはオーストラリア、当たり前か)。



玄関に立ち呼び鈴を鳴らす。少したって出てきたのは、想像通りの気の良さそうな「おばあちゃん」だった。

そのまま家に招き入れられ、出された紅茶を飲みながらあーでもない、こーでもないと話をしていたが、やっと借りる部屋の話になり、値段を聞いた。「週120でどうだ」と言う彼女。


見たところ一軒家、いいんじゃないかと期待を持ってOKと言うと、さっそく現物を見ることに。



庭に立った一軒家。つまりのところ、「離れ」。周りは木々に覆われてなんとも怪しげな離れだったけど、そこは気にしない。中も見たいと言うと、持って来ていた鍵で(鍵は海賊の宝箱でも開けるのか?というような古臭いもの)これまた古臭いドアを開けた。



中を見る。


そう、ここで老婆の言った「アンティーク」の意味が分かった。とにかく古い小屋、じゃなくて「離れ」だった。そう、家中の家具がアンティーク。テレビも古い!(これが後にスパーク現象を起こし、あやうく火事に.....)


ちなみにキッチンは無い。トイレもついていない。洗濯機も無い。あるのは冷蔵庫と電気調理器が一つ、そしてトースターに電子レンジがポツンと置かれていた。

これが後に「インドはガンジス川」を彷彿とさせる生活を送るようになろうとは、夢にも思わなかった(笑)。



じゃあトイレは外で?というとそうじゃない。ようは「母屋」にトイレがついていて、そこを付属の鍵で開けるプライベート・トイレットがあるわけだ。バスタブは?そんなものない。シャワーだけ。



どおりで7件中1件だけ誰も借りなかったわけだ.............という気持ちが無かったわけではないが、またYHAに戻るのも面倒でもあるから、まあここらで腰を落ち着けようか、とオーナー女性にOKを出した。「今日から御願いします」と。リュックももう持ってきていたから、そのまま入ってしまった。



さっそく貧乏生活が始まった。「専門学校へ通うため」の英語学校へ行くには当然金がかかる。それもちょっとやそこらの金額じゃない。持ってきていた「資金」を学費やビザ費に当てるとしても生活は困窮してしまうのは必至。


そこでまず考えたのが、自分が習ってきた「按摩整体術」で生計(せめて食費・生活費だけでも)を立てること。でも、実際は甘くない。まず自分が乗っかっているのは観光ビザ。
表立って仕事はできない。これは規約違反になるし、下手すれば見つかって強制送還ってことにもなりかねない。事実、メルボルンに居た時、知人が軒並みイミグレーション(入国管理局)の人間に連れ去られた(そのまま帰国した)のを知っている。


じゃあ、マッサージで生計は立てなかったのか?といわれると、いや「なんとかやった」というのが本当のところ。こちらは必死。どんなことをしてででもシドニーに食らいつくことを考えていた時だから。

で、実際にしていたのが「乞食」同然の路上マッサージ屋。これから数年の後にしていた「路上版・サムライマッサージ」とは違って、当然、路上でのエンターテイメント=バスキングの許可はとっていない。


実は笑えない話で、本当にハイドパークなんかに出かけては、ボロボロのジーンズに白のTシャツ姿で、落ちていたダンボールに持っていた黒マジックインクで「マッサージ、5ドルから」と英語で書いて自分の脇に置き、正座して待っていた。


周囲からの冷たい視線を浴びながらも、平然と座って朝から晩まで公園内の通路脇に座っていた。その時の自分は無鉄砲な所があったと思う。視線は全く気にならなかった、というか「充実感」が自分にあった。

それでもって一番始めにきた客は「浮浪者」。その日、いつものように全く客がなくて正座していた「私」はそのまま黙想していた。


「ねえ、マッサージしてくれるの?」


目の前にはショッピングカートを押しながら笑いかける初老の浮浪者が。カートの中には空き缶だとかゴミ袋の山、どこから拾ってきたのか汚らしい靴が数足入っていた。当然当の本人も映画にでも出そうなボロボロの服をまとった皺だらけの男。


そこで普通なら拒否するんだろうけど、「私」は違った。


「ああ、いいですよ」即答だった。


「これでいいか?」


浮浪者の手には1セントコイン。


「ああ、サービスしますよ今日は」


「じゃあ、足をもんでくれ。特に足の裏な」


そう言って男は座るとこちらへ両足を投げ出した。


( 臭い! )


異様な臭いを放っている男の足。人間追い込まれていると、そういった物はどうでも良くなるようで................アドレナリン効果か?若気の至り?とにかく「マッサージするんだ」という言葉しか頭に無かった。


とてつもない異臭を放つ靴下の上から何度もマッサージ。当然こちらは素手。


ただ、「ベッガー=浮浪者」に対する差別意識ははじめから自分には無かった。メルボルンに居た時も、
何度も浮浪者とごはんを一緒に食べているし、後にも豪州治安調査という「仕事」柄、「情報屋」としての浮浪者を何人も知っている。


メルボルンではKFCで一人食べていた時、ボロボロのセーターを着た浮浪者に言い寄られた。


彼は腹が減っているからといい、チキンをねだってきたから、こちらから「座って一緒に食べよう」と言って、
彼の身の上話を聞きながら一緒に食べた事もある。彼は家族の写真を見せてくれて(妻子)、一家離散したこと語りながら涙を流していた事を覚えている。


まあ、とにもかくにもそういう訳で金にもならない事をよくやっていた。後にその男は何度もマッサージをしてくれ、と言ってきてその度にしてあげた。乞食同然の生活をしている自分に、共感してきた浮浪者。

どう考えても社会から逸脱している自分を第三者的に見てなぜか「充実感・達成感」を持っていた事を今でも覚えている。


そう、やっぱり「私」はバカだったようだ(笑)。


つづく





















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