○幼少の頃の奇妙な癖
私が幼少の頃は、「突然叫び出す」「人の話を聞かない」「一方的に喋る」「チック症状」「連続ジャンプ」「自分が一番でないと許せず泣き叫ぶ」等といった奇妙な癖を持っていて周囲の人は大いに悩まされたという。
その話をしょっちゅう聞かされていたが、何が何だか分からなかった。
かろうじて憶えているのと、全く憶えてないのがあるのだ。
上に示した症状の内、「連続ジャンプ」「自分が一番でないと許せない」の症状は憶えているが、それ以外は憶えていない。
親兄弟など、身近にいた人々に大変迷惑を掛けたのだと気付いたのは、大分後の事である。
物凄い罪悪感に苛まれたというのは言うまでもない。
でも、当時は本当に分からなかった。
逆に、不当に苛められていたと思っていた。
自分が原因を作っていたのだとは全く気付かなかった。
言うまでもない事だが、当時はADHDなんか全く知られていなかった。
親は、
「自閉症ではないか?でもそれにしては、知的には問題がなさそうだ」
と思ったようだ。
そこで、新宿区の戸山にある東京都児童相談センターで検査をさせられる事になった。
上に示した写真は、手控帖「文化の自給自足」(パラノ工房・2007年5月1日発行・525頁・B5)http://ameblo.jp/ssatoloux-1987/entry-10054026860.html
で自らのADHD体験を詳細に述べた時の参考画像として用いるために許可を戴いて撮影したもの。
当Blogに掲載する為に改めて許可を戴いたりはしていないが、別に大丈夫でしょ?
向かって正面が東京都心身障害者福祉センターで、左側が東京都児童相談センターである。
幼少の頃に見た記憶と殆ど変わっていなかった。
○いよいよ検査へ
私は最初、遊園地にでも行くのかとワクワクしていたが、問題の施設に連れて行かれた後、自分だけ引き離され、或る一室に連れて行かれた。
施設の人に、厚紙に描かれた絵が何であるか?指摘されたものが幾つ見えるか等の質問を受けた。
微かな記憶によると、林檎の木が幾つかあってそれに林檎の実が幾つかなっている絵とか、自動車の絵とかを見せられ、林檎の実が幾つなっているか、自動車の色は何色か、タイヤや窓が幾つ見えるか等の質問を受けたと思う。少し違っているかも知れないが。
「何でこんな当たり前の質問を受けるのだろう?」
というのが、この検査を受けた時の感想だった。
その後、上半身裸になり、体中にクリームで電極を沢山付けられ、寝かされた。
脳波の検査だとずっと後になって親から聞かされた。
その時の奇妙な思い出は、検査が始まると、検査員が「目をつぶって。何が見えるかな?」と言われた事だ。
あの当時から、頭の中に映像を映し出す技術が出来てたのだろうか?と思った。
でもそんな技術なんて・・・。
否恐らく、頭に付けた電極に微弱な電気を流すと、具体的な映像が浮かぶ訳ではないが、何かが見えるのだろう。多分。
私は、如何にも人形劇に使われる様なヨーロッパの町並みのセットを背景に、人形達が何か演じているという映像が頭に浮かんだので、そう答えた。
それで正しかったのだろうか?
検査結果によると、異常無しであったという。
施設の人によれば、私みたいな子には以前にも会っていて、そういう子は何年かすると大人しくなるのだという。
実際その通りにはなったのだが、それで一件落着とは行かなかった!!
新たな試練の始まりであった!!
まあ、それに関してはまた別の機会に述べる事にする。
あの当時は、成長すればまともになると思われていた様だが、大人になっても一部症状が変成したり残ったりして尚も続いていく、所謂「大人のADHD」というのも当然知られていなかった。
○記憶違い
まあ、幼少の頃の事なので、記憶違いというのはあった。
それは、検査を何回か受けたという記憶である。
母に訊いた所、たった1回しか検査を受けていないのだと知って驚いた。
原因は、この「検査」を、何度も夢に見たからなのだと思う。
それを、実際に体験したのだと勘違いした訳だ。
○結論
もし、脳波異常等の何らかの所見が見出され、自閉症的と見做されたなら、恐らくアスペルガー症候群と診断されていたかも知れない。
否、当時はアスペルガーすらも一般的に殆ど知られていなかった。
「成長すればまともになりますよ」という施設の先生の言葉に、一瞬は安堵した親ではあったが、前述の様に、そうはならなかった。