DIAMOND onlineの連載記事 “週刊ダイヤモンドで読む 逆引き日本経済史” に興味深い記事が出ていました。

1月28日の第18回記事 『金沢はかつて全国5位の大都市だった!? 1960年代高度成長に起きた人口移動の歴史的背景』の“金沢はかつて全国5位の大都市”が目にとまりました。


昨年の10月7日の『都市人口ランキング 明治・大正編』で、これに関連したような記事を書いたばかりだったので、特に興味を引きました。

参考記事: 『金沢はかつて全国5位の大都市だった!? 
1960年代高度成長に起きた人口移動
の歴史的背景』
過去ブログ: 『都市人口ランキング 明治・大正編』

以下、DIAMOND onlineの1月28日の記事から一部引用

(省略)

宮本が対談で触れている日本海側から東海道への人口の大移動は、明治、大正、昭和戦前の工業化を経て、1960年代の高度成長期にかけて進んだ。

明治11(1878)年の都市人口ランキングをもとに、日本海側から東海道への人口移動を分析した「週刊ダイヤモンド」(1997年8月16-23日合併号「特集 ニッポン全692都市ランキング」)を読んでみる。


「明治11(1878)年の金沢の人口は10万7878人、全国で5位である。4位の名古屋と並ぶ巨大都市だったことがわかる。ベスト10には9位に富山が入っている。人口は5万8386人だ。続いて、15位に福井、16位に松江、17位に新潟、18位に鳥取、19位に弘前が入る。上位20都市のうち、7都市が日本海側である。」


「120年前(注・掲載時1997年)に集積していた日本海側の都市が、120年後の現在、順位を大幅に下げていることが定量的にわかる。現在の日本海側の大都市は新潟で23位、次に金沢で32位、富山は57位、福井は85位まで下がっている。新潟だけ下降率が低い。」

「120年前の都市の人口分布は、工業化、そして戦後の高度成長を経て、人口と経済力の重心を東海道ベルト地帯へ移すことになった。」

(以下、省略)


☆☆☆☆☆ 引用 終わり ☆☆☆☆☆

上にある1878年(明治11年)当時の人口上位5都市は、東京、大阪、京都、名古屋、金沢です。


江戸時代から“3都”と呼ばれていた東京、大阪、京都の上位3都市については、日本史でおなじみのとおりで江戸時代から既に3大都市としての風格がありました。


それに続く名古屋と金沢も江戸時代の最盛期には既に10万人規模になっていました。1878年の名古屋と金沢の人口は、いずれも約10万人でほぼ同じ規模でした。


現在はといえば、名古屋は226万人であるのに対し、金沢は46万人で、約5倍まで人口格差が拡がりました。


明治初期にこれだけの人口を誇っていたのは、金沢は加賀百万石の城下町であったからです。

前田家の102万5千石は、石高では幕末まで常にトップでした。


20年ほど前に金沢に冬期転勤で一時赴任したことがありますが、静かなたたずまいの街でいいところでした。


人口が今の名古屋並みになっていたらどんな感じになっていたのか気になるところですが、金沢は今の人口が一番ふさわしいのかもしれません。

また、1878年当時、金沢の5位の他、9位に富山、15位に福井、16位に松江、17位に新潟、18位に鳥取、19位に弘前が入っていたというのも興味深いですね。

上位20位内というのは、現在でいえば政令指定都市並みの人口です。


これら上位20都市のうち、7都市が日本海側にある都市です。

現在、新潟市は広域合併で人口81万人を擁する都市になり、政令指定都市にもなって人口ランク16位に位置しています。

この新潟市を除くと、日本海側で次に多いのは37位の金沢市で46万人です。


松江、鳥取、弘前などが20位内に入っていたことなど、最近の人口だけをみている限りではなかなか予想がつかないかもしれません。
翻って考えてみると、現在常識的に考えている各都市の人口も20年後、50年後、100年後
にどうなっているのか興味深いところですね。

昨年10月1日に実施された2010年の国勢調査の人口速報値が、もうすぐ公表されることになっています。

これが出たら、また人口に関する記事を再開したいと思います。

参考記事 : 『金沢はかつて全国5位の大都市だった!? 
1960年代高度成長に起きた人口移動
の歴史的背景』
過去ブログ: 『都市人口ランキング 明治・大正編』
         都市人口ランキング 昭和編

         政令指定都市の人口ランキング