勘違いしていた平常心 | 画龍点睛。

勘違いしていた平常心

夏真っ盛りです

7月から松村栄鶴先生の書道教室に通っております



ただただ2時間

筆で横線を引くだけ

筆をついて、そのまま横に引いて、同じ角度で止める
トン、ツー、トン

ただそれだけ 何枚も

栄鶴先生いわく、最低1000ストロークですかね?
(空手の突きの練習を真似ながら)

気を入れて、力を抜いて!

携帯電話が鳴ると字がゆがむ

早く栄鶴先生のような格好よい字を書きたいと思うと
字が曲がり

飽きてきたなとなれると止がおろそかになり

うまく書こうとすると、手首を使ってしまう


今回縦線に挑戦してみた

横棒よりもはるかに難しい

まだまだ

また横棒を引く練習に戻る

今までいろんな癖を身につけてきたのか思い知る


それでもだんだん楽しめてきている

どんな雑念が浮かんでくるのか

なんで今この思いが浮かぶのか

雑念によってどう腕に影響を与えるのか

雑念とともに感情を受け入れてみる


先日「平常心」という言葉を検索してみた

揺れ動くことのない心理状態
いつもかわらない平穏な心とか

禅語的な解釈として

「平常心とは、本当の自分に気付き、その自分を素直に受け入れる心」

どちらの意味も正しいのでしょうけど
今起きている心の状態を受け入れること
腑に落ちる解釈でした

いつも一喜一憂しているし、
期待して、幻滅して、妄想しているし

人は潜在的に恐れという感情を持っていると思う

人に受け入れらないかもしれない
人にさげすまれるかもしれない

だから人に良く見せたい
良い人に見られたい
できる人と見せたい

緊張することって、そんな恐れの感覚を隠そうとする
気持ちと心のギャップから生まれるのだろうと思う

何か別の本で読んだけど

「ピンクの像を思い浮かべるな」

といわれたら、必ずピンクの像を思い浮かべる

緊張するな、雑念を消せ、妄想をいだくな
と思えば思うほど

雑念や妄想ってなくならないと思う

そして潜在的な恐れもなくならないと思う

ならば受け入れてしまえば楽になるのだろうね