「Light of Wisdom~スピリチュアルセラピーの現場から」の別館ブログ


本館「Light of Wisdom~スピリチュアルセラピーの現場から」より、

主に過去生関連の記事のみ抜粋して、こちらアーカイブ(別館)としてまとめています。


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6/7記:

本館から抜粋した記事のみ掲載しているアーカイブです。

なので掲載していないものも多数あります。

こちらに掲載しているのは一部の記事だけですので、

全部を読みたい人は本館にどうぞ足をお運びください。



  • 14 Apr
    • ご案内

      さて、 私はスピリチュアルな方面の友達(ちょっと言い方がヘンだ)とか、 同業の友人ってほとんどいないんです(何しろ話か合わないんで⇒私は現実主義の俗物)。   その私の数少ない10年来の信頼できる友人が、 最近ようやっと重い腰を上げて サイトを開設してくれましたんで、ここでご案内をば。   「Blossom-Works」   ちなみにブログは  「魔女の見習い よもやま歳時記」   よかったらどうぞご利用下さいませ。 提供してらっしゃるセッションメニューは、 タロットセラピーとかチャクラに対するサイキカルヒーリングとか。 場所は旗の台(品川)のセッションルームですけど、 希望があれば出張などもされますよ。   ようやく由美子さんがやる気になってくれて、アタシャ嬉しいです。 彼女は才女で、知識も豊富な美魔女です。 私なんかより遥かに色んな事に通じてて詳しいですし、 私が勉強している霊的真理の道では先輩なのです。 皆さま、是非っっ!     それと私のほうでは、 5/7(日)に マネーレイキ1(全3回のうち、プラテクショナーレベル) のグループアチューンメントを開催します。 13時30分~17時頃くらいまで  通常料金1万円ですが、グループワークなので5000円   このエネルギーをアチューンメントしたら、 お金持ちになる、お金を引き寄せられるというような、 成功術を教えるものや引き寄せ的なものではなく、 お金に対する負の感情や思考、トラウマ、 お金にまつわる問題を浄化(クリーニング)するための ヒーリングツールとしてのエネルギー伝授です。   とくに伝授に関しての条件はありません。 どなたでも受講できますが、 エネルギーワーカーなら、ベストかも。 (私生活のみならずクライアントに使用するという意味において)   今のとこ3名で、あと3名まで枠があります。 申し込みはサイトの問い合わせフォームか、 FBのページかメッセにて。   初夏のアバンダンス祭り https://www.facebook.com/events/431896993821274/  

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  • 15 Mar
    • ワークショップに開催に寄せて

      こちら、新しい記事更新していないのでとりあえず。 (メインもしばらく放置中)   先日の「スピリチュアリズム入門」 お陰様で満員御礼で終了。 なかなか不思議な顔ぶれというか面白いメンバーが集まりました。 メインが私の話(講義)でしたので、 参加者同士の交流とか、体感的なワークはなかったのですけど、 次に何か開催するときは、そうした交流(お茶とおしゃべり)や エネルギーを感じてもらうようなのもトライしてみますかねー でも、後述のだと、場所的に広くないと厳しいかな。     ちなみに今回お渡ししたテキストです。 こんな感じ。   占星学のは、 こんな感じのをお配りしました。   これは参加者の方がいらっしゃる前の室内。 記念撮影は忘れてたー   テキストを作っちゃえば、あとは少し手直しする程度(改訂)なので、 希望者が2名以上集まれば(リクエストあれば)、たぶん開催します。   そして次は何やろう。  

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  • 19 Feb
    • 日程変更)初心者からのプチ・スピリチュアリズム入門①

      2/25(土)に予定していたワークショップですが、 参加者の希望により、日程を変更することにしました。 残枠まだありますので、興味のある方はお問合せください。   2017年3月4日 13:30 - 17:00 場所:当サロン(新宿区山吹町/有楽町線江戸川橋駅下車徒歩3分) 場所は参加申し込み後にお知らせします 参加費:5000円 茶&茶菓子付 最小開催人数:2名より 定員6名 オーラやチャクラ、エーテルバイタリティ(氣)やエネルギーボディ(エーテル体)とその健康やエネルギーヒーリングのこと。また、人の健康を損ない、運命をも形作っていく「エレメンタル(想念体)」の話と引き寄せの法則の本当の仕組みについて。 本格的にみっちりお勉強する半年間の講座ではなく、まずはさわり程度の入門編からといった、受けやすいショートスタイルでのちょっと軽めのプチ講座。とりあえずやってトライ(その先は判りませんがっっ) 第一回目は基本中の基本、私たちの物理的な身体以外の、目には見えない身体やその身体が必要としているエネルギーについて。心や思考の身体によって創られる想念体についてなど。その他、オーラやチャクラがどのようなもので、どのような役割をしているのか、など。その健康を維持するために、どのようなことに注意を払えばいいのか、などなど・・・です。あとはエネルギーヒーリングとは何なのか、ヒーリングとは何をすることでそれによって何が変化するのか等も。時間があれば質疑応答の時間なども儲けたいとは思っています。 オーラやチャクラって何? エネルギーって? という用語自体がよく分からないレベルの人から、興味はあるし知りたくはあるけど、いきなり本格的に勉強を始めるほどの気合はなく、お試し程度にお話しを聞いてみたいという人など。そんな方にお薦めです。   申し込み、問い合わせはフェイスブック、あるいはホームページのメールフォームにて。 https://www.facebook.com/events/454647438258634/ http://home1.tigers-net.com/medicine_wheel/ 締め切りは2/28

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  • 04 Feb
    • 戦士の休息

      「三時方向に敵の狙撃手発見。伏せろ!伏せろ!」 銃弾が壁を貫く。誰かが叫ぶ。別の誰かは神に懇願している。殺してくれと。 クィンは戸口へ這い寄った。銃を構えて狙いを定めようとしたその時、世界が炸裂した。どういうわけか自分はイラクに舞い戻り、仲間の頭が吹き飛ぶのをまた見ている。 と思った瞬間、クィン・ウォーカーはベッドの上に跳ね起きた。心臓が高鳴り、全身汗びっしょりだった。上掛けを剥いでふらふらと窓辺まで歩き、山に広がる草地を眺めた。夜明けまで一時間足らず。すでに空の色は、新しい一日の始まりを告げている。 なぜ、繰り返しあの夢を見る? なぜ、忘れられない? クィンは窓に頭をあずけて目を閉じ、念じた。悪夢よ、二度とよみがえるな。しかしの恐怖が消え去る日が本に来るのだろうか。ケンタッキーの自宅へ戻ったという現実を受け入れられる日が。 心的外傷後ストレス障害(PTSD)というやつは、起きて欲しくないときに限って起きる、厄介なしろものだ。同じ戦地土産でも、寄生虫のスナノミなら、ティートリーオイルを垂らせば済むが、PTSDには特効薬もワクチンもない。魔法の杖をひと振りして終わり、というわけにはいかないのだ。 夜の眠りのさなかに、あるいは思いを寄らない真っ昼間に、そいつはやってくる。きっかけは些細なひと言、ちょっとした物音、場合によってはかすかな匂いだったりもする。   シャロン・サラ「マイ・スィート・ガール」より引用   ☆ ☆ ☆ これまでの過去記事の中でも何度か、「死」にまつわる経緯すなわち「死」という行為たる出来事、が強いトラウマになるということに触れてきた。 自分が死に至った事由、死に至らしめられた状況、自分を殺した道具、死の原因になったもの、自分を殺した相手、死んだ場所etc・・・ 例えば、カミソリで首を切られた人はカミソリが苦手となり、とある食べ物が原因で死ぬことになった人は、その食べ物が嫌いになったり、アレルギーを引き起こしたり、高いところから落ちて亡くなった人は高所恐怖症に、水死で水を大量に飲んでしまった無意識の記憶のある人は、水をごくごくと飲めず舐めるようにしか水分を取れず、崩落事故や地震で建物や穴倉に生き埋めになっての死は、閉所恐怖症や暗闇恐怖症を発症していたり・・・など。 人が死する状況は様々であり、病死や事故死、殺人、餓死、自然災害に巻き込まれての死、 老衰といったもっとも少ない自然死もあれど、戦争による戦場での死というのは、どんな状況にせよ、強く、深い影を後の人生にも落とすことになるようだ。 戦地から戻った帰還兵の心の問題は、今でこそ、ケアサポートプログラムがしっかりとあるようだが、湾岸戦争以前はあまり真剣に取り組まれてなかったように思う。 というか、おそらく昔からあったのだと思うが・・・ ベトナム戦争を機に大きく注目されるようになったというか、アメリカ人のベトナム後遺症ともいうべき、帰還兵とそしてその周囲の人々が抱え込むことになった数々の社会的問題、負の遺産のひとつとして、PTSD(心的外傷後ストレス障害)が有名になったというのもある。 それは主に、ベトナム戦争を題材する映画、帰還兵のPTSDを扱ったシリアスなハリウッド映画が、大きなインパクトを人々の心に与えることになったからだと思う。 それまでの戦争映画というのは、敵を敵として描き、いかに作戦を遂行するかの頭脳戦や、 戦場での駆け引きなどに焦点を置いてはいるものが多く、人としての葛藤など人間ドラマを扱う部分はあったとしても、人が人を殺すというジェノサイドを経験することによって負った、帰還兵の心の傷に触れたものは皆無に近かった。 例えば、太平洋戦争、第二次世界大戦で言えば、「史上最大の作戦」「遠すぎた橋」「大脱走」「トラトラトラ」「バルジ大作戦」「戦場にかける橋」とか、ちょっと娯楽的な感じで、戦勝国万歳って感じなものが多く。 まあ、「ジョニーは戦場へ行った」とか「西部戦線異状なし」「戦争と人間」とか、問題提起している傑作ももちろんたくさんあったけど。 「ディアハンター」「地獄の黙示録」「プラトーン」「7月4日に生まれて」なんか、この辺りの映画が問いかけてくることは大きかったよね。 そういう意味では映像の力、一本の映画が与える力、影響力ってスゴイ。 たった二時間弱で、多くのことをたくさん考えさせてくれて、たくさんの人の立場、人生を教えてくれる。(写真もまたたった一枚で真実を伝えてくれたりする) とはいうものの、「精神医学の分野」「心の医学」が発達したのが近年だっていうのも大きい。 この辺りが飛躍的に発展したのって、本当に最近で。戦前なんてとんでも理論で妙ちきりんな治療をしてたり、ありえない非人道的なマッドサイエンスティックなロボトミー手術なんてのもほんの少し前まであったし。 今でこそトラウマって、誰でも知ってる用語だけど、PTSDも、全国区で周知になったのは、日本でも地下鉄サリン事件以降ではなかろうか。 日本は太平洋戦争以降は戦争に参加してないから。帰還兵のケアサポートとかの必要性はなく、社会復帰できない彼らによって引き起こされる、犯罪が社会問題になることもないからね。 (ただ、湾岸戦争に派遣された自衛隊の人たちは、あくまで後方支援的立場であり、ドンパチをしなかったとはいえ、緊張感あふれる、いつ巻き込まれるか判らない状況下で、様々な心理的圧迫から、精神的ストレスを引き起こし、鬱、不眠ほか、ケアサポート要な人が多発したみたいだ。) でも、太平洋戦争から帰還した日本兵が肉体の障害や後遺症だけでなく、様々な心理的問題、精神疾患を抱えることになって、苦しんだってのはたくさん後に語られてもいるんだけど。フラッシュバックで暴れたり、幻聴や不眠に悩まされたり、家族に暴力をふるったり、あれやこれや・・・※たくさんの映画とかドラマとか小説とかコミックの作中で描かれてる。 けど、当時はそれを問題視する世相はなく、国も国民もそれどころではなかったというべきか。そういう意味では、どんな時代にもどの国にもどんな戦争においても、あった問題で、遅まきにして今さらながらようやっとな感じなのかな。 でも、まあ・・・生きて戻ってきて、治療を受けられる人は、まだ救いの道が残されてると言えるのかも知れない。 自分の苦しみの理由、原因が分かるから。何よりも当人自身が知っているし、周囲にも説明できるし、理解もしてもらえる(わかってもらえないことも多いが)。 PTSDから解放されるか否か、完治するかどうかは別として。 だけれども、戦地に行って、そのまま亡くなってしまった人は、生まれ変わって、平和な国、平和な時代に生まれたものの、平穏な日常の中、とくに何もない生活において、自分が何故、そのような症状を抱えるのかが分からない。心の中に広がる不安や得体の知れない恐怖感、自分の中に巣食う闇の正体が・・・自分を苦しめる見えない敵の存在が分からない。 現実には何もなく、親も普通で、とくに問題のない家庭に育ち、これといった心当たりもないのに、フラッシュバックに悩まされたり、悪夢に魘される。 それ故に周囲にも、家族にも理解されず、誰かに説明するにも、自分自身が一番理解できず、自分は狂っているのでは? 病んでいるのでは?と悩み、原因の分からない、根拠のない行動規範や無意識の癖、それらは関わる人を悩まさせ、周囲との間に軋轢や壁を生じさせもする。 深い、深い、孤独の中、奈落の底に沈むような閉塞感をもたらして。 その人自身が、他人とは違った自分の異常に気付き、問題に取り組めば、まだ光明が見つかる可能性もある。 が、自分の内に閉じこもり、理解されようとも思わず、問題意識も持たない場合、その傷や問題を手放すに相当な時間と年月が必要になるだろう。 実際、当人も気づかない「心の傷」を抱えている人はたくさんいる。 無意識の思い癖や考え方の癖に人生を支配され、深層心理の中に植え付けられ、刷り込まれた「恐怖」がある故に、心をこじらせ、不要なものを引き寄せ、人生で多くの寄り道をし、望む人生を生きれずに、本来の自分を生きれずにいる人が・・・ そういう人たちは、ほんの少し立ち止まって、自分について考え、自分の人生を邪魔しているものが何であるのか、それが自分の中にあるものだと、自分の中に要らない考えや想いがあることに気づいて、それらと決別する、ほんの少しの勇気を持って、自分を、人生を変えてみようと決心するべきなんだろう。 過去生の記憶を紐解いてみるのも一つの方法だが、別にそれをしなくても、他の方法でも何でもいいのだ。 今の人生を生きるのに余計なものがあるかどうか、それらを見つけて、手放す努力をすれば、それがきっかけで、きっと何かが動き始めるだろうから。   ☆ ☆ ☆ 友人との会話で、ご主人に奇妙なクセがあることを聞かされた。 「とにかく神経質で、物の配置がいつも同じところにないと怒るの。そして物音にものすごく敏感で、真夜中に何か音がした時とか、わざわざ起きて確かめて、異常がないと確認出来るまで、絶対に寝ないのね。家鳴りとか、家の外で木の葉が落ちる音でもダメなの」 少し他にも気になることがあったので、彼・・・友人の旦那さんの過去生を見てみようと集中してみると、 ジャングル、密林のように木々が生い茂った場所で、迷彩服を着て、張り詰めた緊張感でひきつったような、恐怖に怯えた顔をしている旦那さんの姿が見えた。 『これってベトナムだ。そして旦那さんはアメリカ兵だったんだ』 過去に何本かの映画を見ていたので、軍服や状況ですぐにそう理解というか推察できた。 私が見たのは、銃を構えながら、密林?の中を恐る恐る移動している場面。何人かの仲間といたのだけど、音や声がするたび、振り向くと、一人ずつ減っていく・・・その度に緊張の糸が張り詰めて、気も狂わんばかりの恐怖に襲われ、もう発狂しそうな、血管が今にも破れそうってくらいに、心臓の音がバクンバクンしていて、冷や汗がだらだらと。 ものすごい緊張感。 やがて後から首に手をかけられ、もう一方の手で喉をかっ切られて絶命・・・したらしい・・・というところまで。 おそらく、ベトコンのゲリラ作戦で命を落としたのかな。年はわりかし若くて、学校出たてという感じ。ティーンということはないと思うし20歳前半というところ。 その話をすると、 「・・・そういえば、ある日突然、『サバイバル入門』という本を買ってきたわ。そして、あっちこっち、ページおりまくってるの。一番最初に折ってるところが、『いかにして生き残るか』というページだった・・・しかもアメリカの本だわ」とのこと。 (ちなみに旦那さんの勤務先はアメリカ系企業で担当は貿易関連なのでした) 「なんでこんな平和な国に、日本に生まれて暮らしてて、サバイバルゲームが趣味なわけでもないのに、突然こんな本買ってきて、何だ、どーしたんだ?って不思議に思ってた。災害に備えるための防災の本なら分かるけど、北海道の山奥に住んでたって、こんなの、必要になりそうもないのにって、ねぇ。でも、ベトナム戦争で亡くなっていたのなら、そんな経験をしていたのなら、判るかも」 ちなみに彼女は私より一回りは下で、旦那さんは年下。生まれ年を考えるに、矛盾はないわけ。で、友人は戦争映画嫌いだから、「プラトーン」とか「ディアハンター」とかは観てなかったり。映画見ると、彼の抱える闇が分かると思う、けれども・・人によっては軽くトラウマ映画にはなるから、旦那さんの抱える問題を理解するためとは言え、ベトナム戦争映画を見て、というのはやっぱり酷かなあ。 それに、兵士だったのは、前世(直前の人生)だけでなく、別の人生でも、いくつか戦争に参加していたりして。(女性だったときもあるけど、男性だった時のほうが多いみたい) そういう戦場における精神的ダメージによって創られた後世の人生でも引きずる習慣的行動や考え方。この想念体のことを勝手に、ロンリーソルジャーエレメンタルって呼ぶことにしちゃったけど。 (どうでもいい話だけど、勝手に名付けたエレメンタルの中にはかぐや姫エレメンタルとかマリー・アントワネットエレメンタルとかあったりする。そのエレメンタルの特徴に合わせてww ※かぐや姫エレメンタルとは、男性に対して素直じゃなくて、あれやこれや無理難題や注文をつけたり、ダメ出しをするタカピー女だった時のパーソナリティのクセ ※マリーアントワネットエレメンタルとは、「パンがなければお菓子を食べればいいのに」というような、勘違い世間知らずで上から目線的KYなやっぱり高慢ちきだった人生のパーソナリティの考え方や思い癖。 そんな風に、こんな傾向のエレメンタルあるなって、分類して用語付けてしまってたりするのデス) ロンリーソルジャーエレメンタルっていうと、とても軽いけど、結構というか、かなり深刻なエレメンタルだなって思いました。 今はそれはしないけど、実家のお母さんが言うには、水道水でさえ、煮沸しないと飲まなかった・・・そうなんで。(東京都の水道水、世界一優秀なんだけどなぁ) あと他人の作った食べものを信用してないとか、それ以外にも共同生活を送る上で、弊害になっていること、習慣とか規律とか、色々とあるわけです。ここでは触れませんけども。 でもね、彼が前の人生でベトナム戦争に従軍して死ぬことになったというのも、それはそれで意味があるというか、それ以前の人生のことがあり、そうした体験をする、その人生を生きる必要あってのことです。だから、まあこの前世のことを、短絡的に「可哀想」「お気の毒」と同情だけで片づけることはできないのですけども。必然的に、それまでのあれやこれやの経緯で、 このような「死」に導かれているので、はい。 でも、まあ・・・困ったなあ、厄介だなあ、ロンリーソルジャーエレメンタルって。 そうですね。 この場合、当人が自分のことで悩んで、ではないので。周囲が理解するしかないのですわ。 本人が自分のそうしたところを問題と思って、解決したいと望み、相談してきてるわけでもないし、知りたいと思っているわけではないことを、 「あなた、ソレ、ロンリーソルジャーエレメンタルが原因ですよ」 「あなたのそのクセ、前世でベトナム戦争で亡くなったときの後遺症、PTSDが起因しているのですよ」 とはお節介にいうわけにはいきませんから。 この場合、妻である友人やその友人である私が出来ること、彼に対して、何をしてあげられるかって言ったら、彼のそうした意味不明で不可解な行動は、そのような過去生の出来事があったからなのだと・・・理解するように努めること。そして、その傷が早く癒えるように祈ること。ヒーリングもそのひとつの方法にはなりますが。 そんなこんなで、知らず知らずのうちに、過去の戦争のロンリーソルジャーエレメンタルの影いやさ過去生で体験した戦争のPTSDを引きずっている人、意外と多いかも知れませんね。 未だ癒えず、解放されず・・・ もちろんPTSDは戦場における死に限ったことでなく、あらゆる死によって、たくさんの人が抱える傷でもあります。 願わくば、現在の人生で、後生の平和な人生と平穏な日常の中で、少しずつ癒されて、すべての人が解放されて、心の自由を取り戻せますように。 せっかく平和な時代の平和な国に生まれて、安穏に暮らせる人生を今回選択して生まれてきたのだから、背後から忍び寄る敵の影に怯えず、ボッーとしてのんびりできる日常を、もっと楽しんでほしいものです。 今の人生では、「戦場」を離れた多くの戦士たちが、兵士だった時の人生から離れ、その記憶を埋没させ、ただ、一人の人として癒され、魂の休息において、愛のある日々を送り、少しでも人間性を取り戻せますように。   ☆ ☆ ☆ 霧がかかったような視界の中に、マライアがいた。 不自由な方の足を投げ出して、もう片方を窮屈そうな形に折り曲げて、デッキにぺたりと座り込んでいる。誰かが肩にかけようとしてくれたらしいキルトは、腰の周りに落ちてしまっている。マライアはしきりに体を揺すっている。前へ後ろへ規則的なリズムで。 無表情だからといってだまされてはいけない。頭の中では嵐が吹き荒れいるのだ。 「マライア?」 彼女は固くこぶしを握り締めている。戦闘に赴くときと同じだ。顔に表情がないが、目には光が宿っている。目の前のものではない何かを見ている。マライアがどこに居るのか、クィンには判っていた。わからないのは、そこからどうやって連れ戻すかだ。「マライア、ぼくだ、ハニー。ぼくの声が聞こえる? 君が何処にいても、ぼくはきみと一緒だ。覚えているだろう? ぼくたちはいつもふたり一組だった」そこでクィンは声を高くした。「マライア、ぼくを見るんだ」 身体を揺するばかりで、マライアは反応しない。クィンはさらに大きな声で言った。「撤退だ、コンラッド! 敵は全滅したぞ」マライアが目を瞬いた。 クィンは彼女の両手を取った。「一緒に戻るぞ。コンラッド。聞こえるか? 戦いは終わったんだ」マライアは手を振りほどこうしたが、クィンはそうはさせなかった。すると彼女はうなり声をあげた。 ドリーは見ていられなくなり、すすり泣きをもらしながらその場を離れた。ベスも涙を流し、ライアルの胸に顔をうずめた。自分がここへ来たばかりにこんなことになってしまったのだと思うと、たまらなかった。 クィンはマライアとの距離をつめて声を張り上げた。「もう終わったんだ。基地へ帰るぞ。立つんだ、さあ!」ぱちぱちとまばたきをして、マライアが突然大きくあえいだ。まるで今までずっと息を止めていたかのようだった。体の揺れも止まった。クィンは前かがみになっていた背を起こした。もう大丈夫だ。彼女は戻ってくる。 冒頭紹介の本より

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      テーマ:
  • 31 Jan
    • 感想「チャクラヒーリングを受けて気づいたこと」

      クライアントさんでありGレッスンの参加者でもある方から、チャクラヒーリング(二回目)をセットで受けて頂いた感想を頂けましたので、ご本人の希望もあり掲載させて頂きます。   ☆☆☆   昨年のチャクラヒーリングで気づいたことをまとめてみました。箇条書きのようになってしまいましたが、この経験を踏まえて、自分と向き合って生きたいと思います。   【第一チャクラ】 この時はまだ混乱した部分が多く、心は未整理な部分ばかりが表に出ていました。アドバイスや指摘のひとつひとつが心の奥まで行かず、表面的に理解しようとしている感じでした。そのなかで印象的な体験をしました。    ●友人を事故で亡くした経験の時の感情 古い過去生の記憶の中に、事故で助けられなかった友人のために悲しむものがありました。その感情を体験した時、自分の中にこのような心があったということに驚き、その悲しみの中でしばらくとどまっている自分を体験しました。 自分の中に、無情でない部分を発見したひと時でした。このことは後から考えると、決してそだたない心を持ち合わせたわけではなく、自分が経験を理解しようとしなかったということをあらわしているように思いました。   ●荒い波動に細かい波動は伝わりにくい 第一チャクラのヒーリングを受けた時、自分の中にあるエレメンタルを全て綺麗にした後にエネルギーを入れると、とても入りにくく感じました。私の中には細かい波動と荒い波動が混在していて、荒い波動の方が割りを占めているように思いました。 荒い波動の多い中に細かい波動を広げていくにはとても時間がかかり、伝わりにくいものなんだと思いました。 この経験から推測したことは、低い波動の人は高い波動の人のものは伝わりにくく、高い波動を持つ人には、低い波動はひどく疲れるのではないか、ということでした。 低い波動はネガティブなものが多いように感じました。 それがすべて欲望志向型のエレメンタルだとしたら、欲望志向型エレメンタルを多く持つ人は他者にとってエネルギー的にも痛みを与えやすい存在になるのではないかと思いました。 私は人に痛みを与えやすい人間だったんだと思います。 ネガティブなものを心からなくしていくことは、自分だけの解放ではなく、周りへの影響に変化があることにつながると感じました。    【第二チャクラ】 この日は対話の中から自分のありようを見つめたという感じが残りました。この頃起きた事件などで自分の身に起こったとしたらどうなのか、では過去の記憶を持ち合わせながら、その人に拘らなければならなくなった時どう感じると思うのか。対話の中から自分の感覚を確かめていく時間のように思いました。 実際第チャクラを見ても、全てを口にできていない自分がいました。どこまで話していいのかがわからないという感じです。見たもの全て、感じたこと全てを言った方がいいのに、なぜか言わないでいる自分がいました。どこまで本当に感じているのか、自分に対して疑問を持っていました。見たものをすべて話せなかったのは、恐怖に勝つことができなかったからだろうと、今は感じています。 自分が過去に行なったことは、二度と消えることはないということを実感し、エレメンタルをすべて取ったとしても自分が変わらなければ意味がないということが心に響きました。 ヒーリングの間涙が止まらず、後味が悪く、もう二度と過去のような行いはしたくないと感じていました。 ヒーリング後、相手のことを考えること、相手の幸せを考えることは、すぐにうまくできることではないけれど、できないことではないのかもしれないと感じ、また、無意識のエレメンタルに気が付けるようになりたいという気持ちにもなりました。    【第3チャクラ】 この回に気づいたことは、自分の視野の狭さでした。それは今も昔も変わっていなくて、誰かのアドバイスがなければ周りが極端に見えてなく、気づかないのでした。 また、一つの過去生から気づいたことがありました。 それは、3000年前の奴隷の人生だった頃です。彼は体が小さく、できる仕事は少なかったようでした。仲間は多く、色々助けてもらったのに、そのことと人生観とは別で、もう自分はこんな身分には二度と生まれない、と思っていました。 彼はこの人生で、どんな人生にも人を愛し、学びはあり、変えなければいけないのは社会のシステムだけで、どんな人生にも意味があるということを学ばなくてはならなかったのです。なのに学べませんでした。 それは物事を悲観的に、他者を排除して考える傾向がこの頃にもあったということです。物事をとても狭い視野からとらえ、その考えを広げられない、その傾向は今の私の性格につながっていました。 また、この人生は、この後の人生に大きな影響を及ぼしているように思いました。この後の道を踏み外した人生に進んでしまうきっかけの人生が、奴隷だったとは思いませんでした。ネガティブなものは本当に怖いことになることを知りました。 アドバイスをいただいて、この過去生の彼の生き方について、私が提案を考えることになりました。私は、過去生の彼に対して、小さなことにも喜びを見出し、仲間が助けてくれることに感謝し、日々のたわいないことに気を向けて、1日1日積み重ねるというようなことを提案しました。 エレメンタルに向き合った時のアドバイスを大事にして、自分で考える癖をつけていこうと思いました。少しでも視野を広げるためには、努力するしかないと思いました。    【第4チャクラ】  ●目標を自分で決めて生きることは、とても大切なこと この回のヒーリングの前に、心に決めたことがありました。自分の生きる目標をしっかり持つということです。たとえ間違っていても、自分で決めた大きな目標に向かって生きるということは、自分の人生を人任せにしない姿勢であるというように思いました。 今までもそうして生きてきたように思うのだけれど、なにが違うのか考えた時に、もしかしたらたて方の方向が違うというか、根本の考え方が違うものだったのではないかと思いました。 今までは、私欲(エゴイズム)に基づいた、生きる目標たったように思います。 人並みになりたい、認められたい、人として対等に扱われたい、などなど。そのためにどう生きればいいかという目標だったように思います。 目標とはそういうものではなくて、自分が成長するためにはどうあるべきか、という視点が重要だったのだと思いました。 この項の最初に書いた、「たとえ間違っていても」という言葉の意味は、「(成長するという観点ならば)たとえ間違っていても…」という書き方が正しいのでしょう。 いつか本当の生きる目標にたどり着くために、今感じている生きる目標をしっかり心に据えて生きていこうと思いました。その気持ちを持ってヒーリングを受けました。    第4チャクラにあったものはさまざまなものの残骸で、それぞれの品物に詰まった、作ってくださった人の気持ち、丁寧に管理してくれた人の気持ち、壊した人の気持ちが伝わってくるものでした。そのひとつひとつは哀しく寂しく、切ないものでした。何も分かろうとせずに邪険に扱っていた過去生の自分は、一つ一つのものに込められていた気持ちのひとつも気が付かず生きていました。 「壊した人の罪を無くしなさい。元どおりに一つ一つ自分で直しなさい」とアドバイスされたことで、人の罪をなくしていくことも大事なことなんだと感じ、原因を作ったのは自分であることを再認識しました。 この回は他者の様々な感情を追体験し、ただただ悲しくて涙が止まらず、人を大切にしたい、もう二度と悲しませたくない、と思いました。そのために成長したいと思いました。  「羨ましいと思った時、自分にないものを人に見た時は、そのまま認めてあげればいい。素敵だなって思うこと。それが愛すること。そのことを見られたことに感謝すること。それが愛すること。じぶんにないものをみられたことを、見せてもらえたことを、その人の美徳を、感謝すること。それが愛すること」愛について教えていただいた言葉です。 終わってみて、気持ちはとてもハードだったけれど、愛する方法、悲しみの実感、寂しさの本質が少しでも感じられたことが印象的でした。私の過去の行いは消えることはないけれど、向き合いたいと思いました。    【第5チャクラ】 前回の後、「やらなくてはいけないと思っていたことが、実はやりたいことだった」ということに気がついた日がありました。今まで、やらなくてはいけないと思って生活を律してきたけれど、そのほとんどが実はやりたいことでした。ちゃんと生活したかったし、さぼりたくなかったということは、いろんなことを覚えたかったし、できるようになりたかったんだと思います。また、人としてどう生きたいかを考えた時に、例えば一番身近な介助の方との関係について頭な浮かび、介助を通しての関係性をビジネスライクに考えて我が道を行く生き方よりも、いろんなことを考えながらベストを尽くす生き方をしたいと感じました。 今回のヒーリングは、私の中にある「見栄」「誤解」「間違った解釈」に向き合う回になりました。寂しさばかりで、そこに愛のない赤ん坊のような心から起こした私の行動は、多くのひとを傷つけ、悲しみを残しました。 とても悲しく、ただ悲しく、もう二度とこんなことはしないと思いました。 ヒーリングの最中に見えたたくさんのガラスの破片は、私が壊したひとの心だと教えていただきました。「おもちゃのようにひとの心を欲しがったけれど、心は得ることはできなかった」 この日は立ち直れないほどの悲しいきもちで終わりました。この悲しみは、私のものではありませんでした。多くの人が感じていたものでした。    【第6チャクラ】 毎回毎回がとても大事なひとときになりますが、この回は特に私にとって大切な時間になりました。   ●人の幸せを願うことをしてもいいということ 私は、人の幸せを願うということが、何か特別なことをしなくてはいけないことなんだと思い込んでいたようです。私にはできそうもないことなんだと、心の何処かで思っていました。それは、自分と他者を差別していたということかもしれません。 ある過去生と向き合った時に、私も人の幸せを願っていいということに気づきました。 今生で私と接してくれる人のなかには、(障害を持つ人と)どう接していいかわからない、何か特別なことが必要なのかもしれないという気持ちを教えてくれる人たちがいます。そのような経験の中で、実は私自身の中にある気持ちを見せてもらっていたのかもしれないと思いました。 また、今生で障害を持つ私に足らなかったことは「他者の幸せを願うこと、祈ること」だったんだと感じました。感謝だけではダメなんだと思いました。人の視点に立つということは、その人の幸せになる視点に立つということなのかも知れません。 どうすればいいかメタトロンに聞くと、心からしあわせを願えばそれでいいと教えてくれました。なにも難しいことではなく、心から幸せを願えるならば、その時にその人に対して自分のできることがわかるように思いました。自分がなにもできないとか、なにをすればいいのだろうと焦る前に、その人が幸せであるように願ってみようと思いました。 また、メタトロンのいるべき場所がエレメンタルでいっぱいだったことにはじめて気づかされました。 ネガティブな自分のエレメンタルと向き合えるよう、鍛えたいと思いました。   【第7 チャクラ】 第7チャクラのヒーリングを受ける前に気がついたことは、「提供する方の人生を選ぶということ」です。 自分の人生は求めることばかりだったと気づきました。人生で選べる道が二つにひとつならば、求める人生ではなく、提供する方の人生をこれからは生きてみたいと思いました。なぜならば、求め続けるときりがなく、不安になり、得られないことに不満が募り、エゴイズムが大きくなるだけだとわかったからです。私はそういう人生を生きてきたのだと思いました。これからはできれば、一つ一つに学びを見いだせるような豊かな人生を生きたいと思いました。 そして、頭で考える、と言っていたことはエレメンタルが考えていたんだということを、なんとなく感じるようになりました。 サイキカル体とノエティカル体を使って、感じたり考えたりすることが必要だということを実感しました。 好きな人たちを幸せにしたいという最初の思いに戻って(自分のことしか人は幸せにできないということを胸に留めて)、自分のやりたかったことをぶれないようにすること、間違ってしまったことで取り返しのつかないことがたくさんあるけれど、二度とその道は行かないということを誓い、幸せを願おうと思いました。 第7 チャクラのヒーリングを受けて感じたことは、思い込みや恐れなど、自分で作ったネガティブなものはとても手強く、深く大きなものになってチャクラに宿っているということでした。 幾つ振り返っても新たなものがあり、不安になればまたできていくような感じを受けました。また、恐怖は本当に怖いものだと思いました。いつも雲のない空を保つためには、気持ちを強く持たないと、と思いました。自分の現実を知り、一歩一歩確実に歩くことが大事なのだと思いました。    【トータルのチャクラヒーリングを受けて】 実はまだまだヒーリングは続いております。私の中で自分と向き合うことに終わりはなく、今回は納得のいくまで向き合ってみたいと思っております。 昨年中に自分の中で納得のいった、上記以外のことを記させていただきます。   【障害についての理解が深まったこと】 私が持って生まれた障害は、私に必要な経験を与えてくれるものであり、私が人に与えてきたものを理解するためのものでした。今までの人生の結果であり、一つひとつの行いの重さに気づかないまま過ごしてしまったツケであり、蒔いた種であるということです。私が今回できないこと、制限のあることひとつひとつには意味があり、その状態を体験しなければならなかった理由があります。障害のことにすべて向き合うにはまだまだ長い道だとは思いますが、本気で受け入れて、生きてみようと思いました。   【エゴイズムと自分の区別がついたこと】  第4チャクラの回目のヒーリングを受けた時に、エゴイズムというものは怒るばかりで反省もしないし、自らも振り返らないということを見ることができました。ただ自分の気持ちを押し通すだけで、人のことを考えることもしないエゴイズム。これは自分とは違うものなんだと気づきました。 振り返らないのがエゴイズムならば、ああそうか、と思う心は私自身なのかもしれないという仮説が生まれました。 明らかにエゴイズムと違う行動なのだと思いました。 自分の姿を見つけた時、こちらの方を大切にしていこうと思いました。エゴイズムと自分を切り離して、日々自分を見つけようと思いました。   【自分の中にも愛を感じたこと】 第4チャクラの回目のヒーリングの時に、エレメンタルを綺麗にした後、湧き出るようなものを感じました。言葉にならないものでした。それが「愛」なんだと説明していただきました。胸の奥に湧き出るものは熱くなく、硬くもなく、暖かいとかそういう言い方では言い表せない、表現しようとすると涙が出てきてしまうものでした。私の中にもあったということが驚きでもありました。今でも思い出すと涙が出てきます。日々思い出して記憶を留めておきたいものです。 「愛は愛である」この時に心に聞こえてきた言葉です。 「愛は許しではない。愛は愛である」 この言葉を聞きながら、脳裏に浮かんだことがあります。 愛は許しではない、愛は愛である。そのことを肝に命じました。 ことあることに、この時のイメージを思い出している自分がいます。   【傲慢でしかなかった】  私はいつの日も自分のことしか考えず、傲慢でしかありませんでした。そのことに気がつくこともありませんでした。傲慢さに気づいた時、私の選択のほとんどが間違えていたことを知りました。自分の世界しかないということはとても怖いことだと思いました。 自分の殻の中に入らず、学ぼうという姿勢をいつも持つことは、知らなかった世界を知ることになるのではないかと思います。 毎日を大切にして、一つでも多く知り、謙虚さとは何かをいつも胸にといながら、人として生きることを身につけていこうと思いました。   【自分なりに物事を考えるということ】 私は今まで、いただくアドバイスや意見に対して、そのまま受け取って、直さなくてはと思うばかり、その方向でひたすら考えるばかりでした。今回のヒーリングの中での対話などの体験を通して、アドバイスなどいただいた言葉は、もう一度自分で検証し内省して、自分なりの結論という、見解を出していくことが必要なのではないかと思えました。    【人の気持ちを感じることができるという実感】 今回のヒーリングを受けるまで、自分には人の心を感じられるような心はないと思っていました。いくら努力をしてもできなかったことでした。 今回のことで、感じることは努力してできることではなく、感じたい、理解したい、その人の心をわかりたい、とまず思うことと、自分の中のエゴイズムを捨てていくことを日々やっていくことが大事なことなんだと思いました。人を大切に思う姿勢を持ち、経験を積んでいけばできるようになるのだと思いました。   【エゴイズムの奴隷に二度とならないということ。そのためにどう生きるか】 私は、長い間、エゴイズムの中で生きてきました。スクールで様々な知識を学んでいる時でも、そこからなにも気づけずに日々を重ねていました。 習ったことを復習しても、実践していても、そこに自分の生きる目的を持ち、自分が成長する観点から、美徳の観点から「どういう自分になりたいか」という思いがなければ、成長は決してしないということを知りました。  エゴイズムの観点から生きる目標を持っても、エゴイズムを育ててしまうだけで自分自身は成長せず、エゴイズムの強さの中で溺れてしまうのだと思いました。 20回あまりの過去生の中で同じ道を歩んでしまった私は、やはり性格に欠点があったように思います。 まず傲慢なこと。自分が正しいという観点から離れられませんでした。 差別意識が強いこと。自分は人と違うとどこかでいつも思いたいという欲望がありました。 これらのエゴイズムは、感情が強すぎること、理性を働かせる経験が少ないこと、思い込みに対して執着が激しいこと、そのような傾向が引き寄せたものではないかと思います。 そして、他者に対しての愛を育むことを忘れてしまったということが、転落の大きな原因でした。 自分の弱さ、臆病さがそこにあり、その性格と向き合えないために、他の理由をいつも探して、ひねくれた嘘の正しさ、嘘の正義感の中にいました。なにかと自分は孤独だと思いがちなのもその傾向があるからだと思います。 弱さのために、人との関係を作ることを怠けてきたということに行き着きます。 感じている恐怖や不安の根本に向き合わず、ただ逃げるだけだったということです。そして自分が一番楽な理屈に逃げてしまったのです。その結果、エゴイズムに囚われてしまいました。本来絶対に手放してはいけない、愛も見失いました。 辛くてもその場にいて、物事を見る目を謙虚な気持ちで養っていけば、自分がその場しのぎの楽な方に逃げなければ、もっと早く道は拓けたかも知れません。多くの人を悲しませることにはならなかったかも知れません。 自分の弱さを変えていくには、忍耐を身につけること、どんなことからも学んでいこうとする謙虚さを育てることだと、今は思っています。日常の様々なことから教えていただけることに感謝して、傲慢の自分を手放し、胸の中に感じた愛情を増やせるような人間を目指そうと思います。 人は望めば限りなく成長できるという言葉を信じて、わかったと安心しない生き方を身に付けたいと思っています。心から納得のいく人生を探し続けたいと思います。    この機会に、本当に、感謝しています。ありがとうございました。

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  • 20 Jan
    • 初心者からのプチ・スピリチュアリズム入門①

      そしてまたイベントのお知らせです。今日は瞑想会でした。いつものことですが、少人数でまったりと。ワークショップというよりは女子会って感じですかねー でもって、またしても来月とタイトなスケジュール。2/3のイベントもまだまだ参加者募集中です。   2017年2月25日 13:30 - 17:00 場所:当サロン(新宿区山吹町/有楽町線江戸川橋駅下車徒歩3分) 場所は参加申し込み後にお知らせします 参加費:5000円 茶&茶菓子付 最小開催人数:2名より 定員6名 オーラやチャクラ、エーテルバイタリティ(氣)やエネルギーボディ(エーテル体)とその健康やエネルギーヒーリングのこと。また、人の健康を損ない、運命をも形作っていく「エレメンタル(想念体)」の話と引き寄せの法則の本当の仕組みについて。 本格的にみっちりお勉強する半年間の講座ではなく、まずはさわり程度の入門編からといった、受けやすいショートスタイルでのちょっと軽めのプチ講座。とりあえずやってトライ(その先は判りませんがっっ) 第一回目は基本中の基本、私たちの物理的な身体以外の、目には見えない身体やその身体が必要としているエネルギーについて。心や思考の身体によって創られる想念体についてなど。その他、オーラやチャクラがどのようなもので、どのような役割をしているのか、など。その健康を維持するために、どのようなことに注意を払えばいいのか、などなど・・・です。あとはエネルギーヒーリングとは何なのか、ヒーリングとは何をすることでそれによって何が変化するのか等も。時間があれば質疑応答の時間なども儲けたいとは思っています。 オーラやチャクラって何? エネルギーって? という用語自体がよく分からないレベルの人から、興味はあるし知りたくはあるけど、いきなり本格的に勉強を始めるほどの気合はなく、お試し程度にお話しを聞いてみたいという人など。そんな方にお薦めです。   申し込み、問い合わせはフェイスブック、あるいはホームページのメールフォームにて。 締め切りは2/15  ※最小開催人数に満たない場合は中止または延期になる場合があります。また平日や夜間開催を希望される方はお気軽に問い合わせ下さい。  

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    • スピリチュアルな道

      結局のところ、スピリチュアル(霊性)において、一番大切なことというのは、「人としての在り方」以外のなにものでもなく、人と人との関係性、自分以外の他人をどう大切に出来るか・・・ この一言に尽きると思う。   すべての発端はそこで、帰結するのもそこ。   つまりは自分を含めた他者への愛の示し方であり、自分以外の存在の固有の個性を寛容に受け入れ、相手の内的世界も慈しんで、尊重して生きること。   目には見えない世界を尊重して大事にして生きるとは、目に見えるものの中に込められた、人の(見えない)想いも大切にして生きること。   人の心を、気持ちを大事にして、想いの行方を見極めて、受け止めて、きちんと伝えて、どんなことにも真心を込めて、誠実に向き合って、命を大切にして、生ある世界を輝かせて生きること。     いやさもっとシンプルに言うと、自分以外の人との関係性、他人との関係性を大事にして生きること。   出会いや縁を大事にして、身近にいる人にしても、そうでない人にしても、関わった人たちすべてを大切にして、思いやりや愛情を示して、誠実に生きてさえいれば、間違いはないというか・・・   たぶん、本当にただそれだけのことなんだろう。   スピリチュアルな道というのは、しごく簡単でさほど難しいことではない。   スピリチュアリストが大切にすべきなのは、何よりも謙虚さで、人としてどう生きるかで、周囲の人たちに日々自分の愛情や思いを伝えていくこと。そして愛のある行いや仕事をすること。 そのような生き方を貫こうとする段階で、私欲(エゴイズム)が邪魔をするから、余計なエゴイズムを切り捨てていく修養をするだけ。自分も周囲の人も不幸にするような、自分の中にある考え方や思い癖を断ち切っていく道を、自らに課すだけのこと。   スピリチュアルな修養というのは、内省して自らの行いや生き方を振り返り、己が欲望、エゴイズムを冷静に見つめて、自身を含む色んなことを観察していく目を養って、エゴイズムに呑まれない生き方が出来るようにと・・・物事への理解力を高めて、心や精神の力を鍛えたり、 愛ある生き方とは何かを模索して、それを実践するためのトレーニングでしかなく・・・   だから、人間関係を・・・周囲の人との関係性を疎かにしてまで、進むべき道ではないんだよ。   霊性を高めるというのは、偉業を成し遂げる立派な人間になることでもなく、奇跡を起こせる聖者になることでもなく、自分の命を犠牲にして世を救うヒーローになることでもなく、   たくさんの人に愛情と理解を示すことの出来る人になろうとするだけのこと。   それはそんなに難しいことでも、特別なことでもない。   身近な人との縁を大切にするだけでいい。 大切にしたい誰かを愛するだけでいい。   まずは身近な人から、家族や友達、仲間とか、職場の人たちとか。そして何よりも自分自身。   自分が示すことの出来る愛情や友情を示すことからでいい。   でも、無理に誰かを愛する必要性なんて何処にもなく、どうしても好きになれず、愛せない人を・・・憎しみや嫌悪感を覚えてしまう人のことを、赦すことのできない人を愛せない自分を責める必要はない。   自分に親切にしてくれる誰か、自分が愛している誰かに、「ありがとう」って、感謝の気持ちを素直に伝えるだけでいい。   人は、人の間でしか成長できないし、人間関係によってしか、人の霊性も精神も磨かれない。それは本当のことで、人間力を身に着けていくことこそが、霊的な成長で。   そこには神のメッセージを聞くとか、宇宙意識と繋がれるとか、霊の姿が見えるとか見えないとか、スピリットたちと話せるとか、奇跡的なヒーリングが出来て病気を治せるとか、未来が分かるとか、神通力があって雨を降らせることができるとか、他人の過去生が分かるとか、透視能力があるとか・・・   そんなのはどこにも関係ないし、必要もない。   そんな特技なんかどうだっていいんだ。   身近な誰かの心を思いやり、気遣ってあげる優しさを示せること以上に大切なものはどこにもない。   誰かの事を大切にして、労わってあげる気持ち以上に尊いものはない。     大切な誰かと一緒にいる時間。その人の言葉を聞き、心ある言葉をかけ、その人にとって必要なものは何であるのかを考え、精一杯できることをしてあげるだけ。   人を大切にすること、モノを大切にすること。   そのような生き方を示すのが霊性(スピリチュアル)な教えの法であり核。   逆を言えば、それが出来ないで何がスピリチュアルか?ということになるだろう。   ・・・とはいうものの、私自身、それを実践して生きて来れたわけじゃない。どちらかというと、過去において、あまり人もモノも大切にして生きることはしてこれなかった。其れがゆえにそのことを強く教えられ、骨身に沁みさせられる経験があっての今ともいえるから。   だからこそ、それが一番大事なんだと気づかされたというのもある。結局のところ、スピリチュアリティの是非や真価は、人との関係性、人を大事に出来るか否かであるのだと。 愚かなことをたくさんして、間違いもたくさん犯してきて、他人にたくさん迷惑をかけて、その結果、自分自身が一番痛い思いをして、かつての自分自身の姿に悩まされ、苦しめられ、そのツケを払うことになり、ようやく改めて痛感したこととでもいいますかね。そんなところです。 #ハッシュタグ #エゴイズム#スピリチュアル#他者への愛#生き方#スピリチ

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  • 09 Jan
    • イベント告知~魔女のお茶会

      数年ぶりにワークショップ開催をしようと思います。 フェイスブックのページでも告知しているのですが、いちおうこちらでも・・・ まあ、そのちょっと企画してみました、的な?ラフなものです。 定員は6人くらいの少人数で考えていますが、2名以下とかだと中止するとオモワレ。   でもって、今回女性のみですー 参加資格は常識あってマナー守れる方ということでお願いします。 ★魔女のお茶会~午後の瞑想会(女性のみ)  ・日程:2017年1月20日 13:30 - 16:00  ・参加費:2500円 茶&菓子込み フツーの瞑想会をやります。 内容としては三つの身体の健康とバランスを取る 基礎的なエクササイズ瞑想とパワー補充と浄化のための 太陽の瞑想(仙道の応用)の二つを予定しています。 瞑想初心者からお気軽に。 上級者には物足りないかも知れませんがっっ  まあ、ラフな感じで茶飲み、おしゃべりしながらで。 ★魔女のお茶会~星占いからの占星学入門  ・2017年2月3日 13:30 - 16:00  ・参加費:3000円(茶&菓子代込) 自分のチャート(ホロスコープ)が読めるようになるための 占星学のお勉強をするのではなく、 「私は〇〇座だから、こういう性格なんでしょ?」 「〇〇座と〇〇座って相性悪いんだ、ガーン!」 みたいな、 「占星学って何ですか?? 何が分かるんですか?」 的な初心者向けに、占星学で分かることとか、 一般的なマスコミでの吉凶占いに用いられている 太陽占星学(星占い)と占星学の違いについてなど解説します。 とりあえず初回(二度目があるのか不明)は、 占星学で分かることとか、各サインの意味とか、 そんな感じ。あとは質問に答えたり、とか。 まあ、ようするに「占星学ってなんですかー?」って まったく知識のない人に、優しく分かり易くをモットーに 参加者の知りたいことに答えていく、 講座というよりは、ラフにお茶しながらたべる・・そんな会です。 ◎参加表明のときに、生年月日、 もし分かるのであれば出生時間(母子手帳に書いてあります)、 出生地(市町村位まで)、パートナーがあればパートナーの分も。  興味のある人、参加希望者はメール(フォーム)下さい。 http://home1.tigers-net.com/medicine_wheel/ お問い合わせもお気軽に。 フェイスブックからの申し込みでも大丈夫です。 https://www.facebook.com/Medicine-Wheel-677842025652721/

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  • 30 Dec
    • 占い・・たかが占い、されど占い

      占い・・たかが占い、されど占い 文・小林公雄 埼玉県在住*真言宗某寺住職   「占い」とは、裏の意を探る事から、そう呼ばれるのだと言う。何も売らないから占いというのだと洒落をいう人もいる。私が占いと出会ったのは、中学の時に父が手相は当たるものらしいというのを聞いて自分も興味があるし、父を喜ばせようと手相の本を求めたのが始まりである。 当時から劣等感を抱いていた私としては、なぜ自分と他人あるいは人それぞれの性格や能力・才能が異なるのか関心があったので、それを知る術として占いにのめりこんでいった。 手相・人相・指紋・姓名判断・墓相・家相・印相・タロット・トランプ・ルーン・周易・梅花心易・占数術・干支術・気学・0学占星術・四柱推命・ダイス・西洋占星術・宿曜占星術などを自分なりに研究してきたが、その間には色々と考え悩み、思うところあって占いを辞めようとしたこともあった。 しかし、神秘的なことを好み、精神世界が大好きな私としては、結局占いを捨てられる訳も無く、今日まで自分の一部として付き合っている。 占いについて考える時、まず占いとは当たるものなのか、ということが問われると思う。経験の上では「占いは全く当たらないとは言えない」という言い方が出来る。例えば、自動車免許の合宿で拝見した同じ特徴を持つ二人の手相の場合は、身体的疾患が当たった。また、本山で多くの僧侶の手相を拝見したときに気付いたことは、後継者の運を持った人が多いことであった。また、サラリーマンの時にお得意様のイベントで占ったときは、0地帯にある人が多かった。名前の発音でカップルの相性を当てたり、ホロスコープのアスペクトでカップルの性格と結婚観の相違を指摘したりもした。 そして、私は敢えて「占いは当たる」とは言えないのである。 「占いが当たる」とはどういうことなのか。新刊の占い本が出るたびに、その宣伝文句には「これも当たった、あっちも当たった」と社会的事件や政治・経済、そして芸能界のゴシップについての事例が出ている。これらの予言は、読者の側からは「事後予言」の形でしか受け取らざるを得ないし、ましてその占いの答えを聞いて社会や政界が対処したとは到底思えない。 もちろん、政治家や経営者が個人的に相談して指針とすることはあるだろうが、組織や機構が占いで左右されることはないだろう。 特に毎年年末年始に放映される「今年(あるいは来年)の占い」の中で地震や台風についての答えは聞いていても苦笑してしまう。例えば、地震も台風も毎年何らかの影響は与えるわけだし、その予言がいつ、どこで、何が起きると言ったところで、果たして政府・自治体・経済界が対策を立てるだろうか。また、芸能人のカップルの相性を占って、その答えが「相性は悪く、離婚するでしょう」だったとして、その予言の通りにならない中むつまじいカップルに対して「なぜ別れないのですか」とインタビューするレポーターがいるだろうか。 5W2Hの項目について答えるだけの具体性が必要だと思う。 以前、母親の健康について相談があった。 私と断易を得意とされる占い師の答えは「どこが悪いのかは不明だが、八月に注意しなさい」という同じ答えになった。(私の未熟さのせいか、何故か病巣が解らなかった) そして、実際には母親は健康に異常はなく、九月を迎えたというのである。ここで相談者いわく、「当たらなかったんですね」である。 私はこう言った。「では、当たって欲しかったんですか。天気予報は聞いても天候を変えることは出来ません。しかし、占いの場合、良い事は当てて悪い事は当たらないように努力することです。もし、占いの答えが絶対で変更不可能なものだとしたら、敢えて占ってもらう必要があるでしょうか。占いはシュミレーションであり、現在のままで行くと、この先こうなるという予測です。ですから、今を変えれば未来は変わるのです」 果たして運は変えられるのか。 占いの上で例を挙げれば、手相の大凶の相が大吉の相に変わった例がある。 以前勤めていた会社の先輩の手相に、29歳の時に九死に一生を得るという相が出ていたので注意するように言ったのであるが、数年後、彼が29歳の時、彼は災難どころか昇進したのである。聞けば、彼は私に注意されてから、飲食や運転などに注意していたのだと言う。 また、タロットで占ったときに、相談者の希望が叶えられるのは難しいと答えが出た後で、相談者の考えや思いを変えるようにアドバイスして相手が納得した上で、改めて占うと望ましい答えが出るものである。本人の思いや考え方を変えただけで答えが変わるのである。 さて、「占いは当たるものだ」として考えてみたい。 占いはなぜ当たるのか、その答えのひとつとして先人たちの経験に基づく統計的なものだという意見がある。だが、現代ほど情報網の発達していない昔に、どうやって他人の人生の統計が調査できるのであろうか。また、そんな手間暇かけて調べる人がいただろうか。西洋占星術において、星の位置による統計的に有意な結果を得ている部分があるようだが、それとても占星術が説くほんの一部分に過ぎない。 こんな話がある。占い師が「お宅の家に松の木がありますな」と言う。相談者が「いいえ、松の木ではありません」と答えると、占い師いわく「無くて幸い。あれば大変なことになりましたぞ」。 別の話ではこうだ。占い師が「お父さんは死んでいませんね」と言う。この場合、 死んでいない、つまり存在していない」という意味と、「死んではいない、つまり存在している」という二つの受け取り方が出来るのだ。相談者がどちらの場合でも該当することになるので、相談者は当たったというふうに思うのである。 占い師ではないが、霊感商法と思われる被害にあった人たちから伺った話はこうだ。まず最初に家族構成と年齢を用紙に記入させると、それを基にそれらしい脅し文句をのたまうらしいのである。たとえば、20歳前後の息子が入れば事故に遭うと言い、年頃の娘が入れば結婚運が悪いと言い、働き盛りの人は病気になると言うのである。この場合は常識的に考えれば誰でも当てはまることをもっともらしく言っているに過ぎないのであって、そのような不安があればこそ、保険制度が成り立っているのだ。常識的に考えても言える事柄を、相談者の態度や言葉の端々や表情で推測して答えているに過ぎないこともあるはずであり、抽象的な占いの答えをより具体的に答えるためには必要なことだと思う。そのことが、「占い師の苦手な客は当たったとも当たっていないとも言えない無表情な客だ」という指摘に表されている。 当たるかどうかを判断しているのは、どうやら相談者のようだ。占い師の言葉を自分なりに判断して当たったと思ってしまう。冷静に考えれば誰でも思い当たるようなことでも、占いの答えとして聞くと絶対的なものだと思ってしまう。つまり、「当たった」のではなく、「当たったと思い込んでしまう」のである。こんなことを言えば、次のような反論のご意見が聞こえてきそうだ。「お前の場合はともかく、私の占いは当たる」と。 実に占い師自身が相談者同様「当たった」と主観的に捉えているに過ぎない。占いが当たったという背景には、このような主観的な意味での「当たった」という例が少なくないのではないかと思う。 仮に占いが当たるとして、占い師の側から考えてみたい。多くの場合、様々な占い師がいるのにもかかわらず、相談者はなぜ「或る占い師」のもとを尋ねるのであろうか。「医者選びも運の内」とは言うが、占い師を選ぶ段階で既に運の善し悪し、つまり「占い師選びも運の内」という相談者自身による「占い」が始まっていると言えるのではないだろうか。占い師は相談者を占う前に、既に相談者によって占われているのだ。この機縁があればこそ、六壬神課・梅花心易・ホラリー占星術などの時間を基にした占いが存在する。 この「機縁」が存在するのは何故だろうか それは占い師と相談者の間に「縁」があるからだ。「なあんだ、そんなことか」と言わないで欲しい。なぜなら、この単純な法則にこそ重要な鍵があるのだ。私たちの行為とそれに関わる出来事は、一見偶然であるようなものも全て私たちに関係しており、かつその原因は私たち自身にある。このことは「因果応報」「自分で撒いた種は自分で刈り取れ」「人生に偶然はない。ただ必然的な偶然があるだけだ」などの言葉で古今東西言われており、様々な宗教やクリスチャンサイエンスなどの思想において説かれているので、既にご存知のことと思う。 だが、果たして頭では理解していても、心底納得しておられるだろうか。つまり、この法則から言えば占い師に縁のある相談者がくる訳で、もっと言えばその占い師のレベルに合った相談者が訪れることになる。だから占い師から見れば、自分に見合った相談者が来るので、「当たる」という主観的判断をすることになる。 また、PK(念力)予知能力者タイプの占い師の場合、相談者の運を変えてまで結果的に当ててしまうことも考えられる。ここまで極端な場合ではないにせよ、相談者の方で、占いの結果を受け入れ信じるあまり、その通りに「当ててしまう」ことはありうるのではないだろうか。 紅茶を飲んだ後、カップの底に出来た模様で占う方法があるが、パーティの余興である人が若い女優を占ったところ、半年後海外でヒロインに抜擢され成功を収めるが、その後まもなくして泥棒の被害に遭うという答えが出た。結果は後に全くその通りになったのだが、占った当の本人は占った当初、「思い付くままに口に出して言ったまでで、本当に当たるとは到底思えない」と漏らしたというのである。 これなどは、占い師の告げた答えを相談者の潜在意識が受け入れたために、占いの結果通りになった例ではないだろうか。 これまでは、占いに対する疑問や問題点を考えてきた。「たかが占い」といった観点である。では次に「されど占い」という観点から考えてみたい。 占いは薬であり、占い師は医者とよく似ていると思う。健康な人が医者を訪ねることもないし、薬を求めることもない。それと同様に悩みのない人が占い師の門を叩くこともない。自ら占いの本を手に取ることもないだろう。本来人間の望ましい姿は心身ともに健康で、人間関係にも恵まれ、物質的な余裕のある生活をすることであろうが、現実には何かの苦悩や問題を抱えているものだ。そこで医者であれば、患者を診察して適切な薬の処方箋を書くように、占い師も相談者の悩みに対して適切な答えを与えることが必要だと思う。 ただし、如何に現代医学が進歩したとは言え、まだまだ様々な難病が存在し、生命の神秘そのものについても解明されていないのと同様に、運命に対する様々な考察が行われても、その正体が掴めても「占い」そのものの限界を知った上で、占いに対して臨んでいかなければならないのだと思う。自分の占いに対する自信は必要だが、自分の占った答えに絶対的な確信を持ち、当たっていないという相談者の返事に耳を貸さない占い師がいるとすれば、それは不完全な占いに対する盲信であり、注意すべき態度である。運命に対する謙虚さが占い師には求められると思う。 先に譬えたように、占いを薬とすれば、その調合を誤れば薬変じて猛毒と化すこともある。漢方薬で言えば相談者の体質にあった薬を処方し、調合するように、相談者も気付かない、場合によっては敢えて隠している真の原因と問題の背景を探り、相手に応じた対応が望まれる。だからこそ、占いだけに拘わらない広い知識と視野を持って社会的常識を踏まえた回答を心掛ける必要があるだろう。 占いは現在の状況を客観的に捉える一つの観点であり、「このままいくとこうなる」という未来のシュミレーションである。であるから、少なくとも現状に至る過去の原因や現在の状況と相談者の心境などは当てる必要があるだろう。そして、その答えは一夜にして悩みが解決する魔法の奇跡のような答えではなく、常識的にも納得できる第三者的な回答になるのも当然だと思う。精神的に動揺している相談者を占いを通じて、冷静に考える機会を与えることが出来ると考える。例えば、一人占いの場合には周易やルーンなどの助言に耳を傾けるのが適切だと思う。私自身も易の爻辞の言葉やルーンのメッセージをじっくりと味わいつつ考えるときがある。そうしたとき、自分の気付かなかったところが見えてきて、はたと気が付き、感心してしまうことがある。 しかし、占いを信じるあまり、愚かな行動をしないようにしたい、 例えば、方位を気にして医者に行くのが遅れて病気を悪化させたり、相性が悪いからといって幸せな二人の仲を裂こうとしたり、せっかくのチャンスを時期が悪いと言って、断ったりするような、常識ある考え方や冷静な状況判断もせずに、占いの答えのみで行動してしまうことである。自分の人生に対する責任ある決断ができない、このような「占い中毒」にならないこと、そして「占い中毒患者」を生み出さないことが占い師の課題だと考える。 「占い」とは、相談者当人とその人を囲む環境とを繋ぐ無意識との会話の道具であり、その道具を使ってメッセージを伝えるのが占い師であろう。道具に振り回されることなく、うまく使いこなせる人が良い占い師と言えるのではないだろうか。 占いという道具を生かし、活かすようにしていきたいと自分は思っている。 日の下に生まれると書いて「星」と読む。占星術を研究するようになってから、夜空を眺めるようになった。星の輝きを見つめながら、古来から人は運命を司るものとして、今の私同様に星を見つめていたのだろうとロマンティックに思いを馳せる。人が運命や運に思いを寄せ、自分の行く末を考えるとき、運命はその片鱗を「占い」という形で、ほんの少し覗かせてくれるのである。そして、その神秘に魅かれる「占い師」も悩める人たちがいる限り存在していくことだろう。    

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    • 「占い」に関する7つの自問自答

      「占い」に関する7つの自問自答 文・秋野月彦 三重県在住の占星術研究家 問1.占いブームは本当か 問2.占いは統計学か 問3.占いは科学か 問4.占いは宗教か 問5.占いは当たるか 問6.占いは心理学か 問7.占いは何の役に立つのか     問1.占いブームは本当か 「占いブーム」という言葉を聞くたびに、筆者は「本当か?」と、いつも疑問符をつけたくなるのだ。仮に以前はそうだったとしても、少なくとも今(1994年現在)はブームを過ぎてしまっているように思う。本屋に行っても一頃のように占いの本は並んでいない。 実際、「六星占星」以来、売れた(あるいは売れている)占いの本はなく、出版社も占いの本の出版には慎重である。何年か前に、次々と出た家庭の主婦などによるパートの占い師がぐんと減り、全体としての数も減少している。占いで食べていくには難しい時代なのだ。 しかし、筆者は熱が冷めた今だからこそ、占いについて、少し冷静に見たり、考えたりできる時期が来たのかもしれないと思う。 今回は占いについて、日頃あれこれ考えていることを書いてみたいと思う。 問2.占いは統計学か 「占いは統計学ですから」・・・未だにこんなことを堂々という占い師がいる。最近も筆者の知人がある会で同席した東洋占術のベテランからこの言葉を聴いたそうだ。 これは誤っている。占いは厳密には統計学ではない。そして、統計学で占いは証明できない。おそらく、統計学の手法が発達したとしてもそれは難しいと思う。 こう書くと、先の占術家は、「占いは長い歴史を持ち、何千、何万という先人たちの知恵と経験の蓄積の結晶なのです」というかも知れない。 しかし、人間の経験というものは主観的で、曖昧で、それほど論理的とはいえないのである。何百年、何千年と常識として考えられていた事が、今日、明日には崩れ去ることだって有り得るし、今を生きている我々がつい何年か前の人々の常識に笑ってしまう事だってあるわけだ。(例えば、ガンを治すと言われブームを起こした紅茶キノコが実は雑菌のかたまりだったなんていうのがある) また、統計学を用いて占いを検証しようと真面目な試みがないではないが、今のところ成功しているとは言い難い。占星学を検証したゴークランの研究は、出生天体の配置と人間の職業や特性に何らかの関連があるということは実証したものの、占星学の往来のルールや予言の正当性を証明したことにはならなかった。 筆者の周囲にも、何百、何千というデータをもとに占星学の統計的研究にチャレンジする人物がいるが、ネックは膨大な占星学のルールのうちの何を取り上げるか、また、他の条件をどうそろえるか・・・(ほら、小学校の時、理科で日光の当たり具合による植物の生育の違いを比較するには、日光以外の例えば、与える水の量や肥料の有無などは揃えるというのを思い出してもらえればいい))が、難しいようだ。 例えば、「会社の社長さんには、処女宮の人が多い」という結果が出たとしても、そもそも社長さんの世代には偏りがあるだろうし、一年のうちで秋生まれの人が多く生まれる傾向があったら、「処女宮」が多いとは言えなくなるのである。そして、また、なぜ、社長さんには処女宮の人が多いのかということが占星学の論理でもって証明できなければ実証されたことにはならないのだ。 おまけに、調査者は、自分の納得する結果を得る傾向がある(「自然現象と心の構造」ユング&パウリ 海鳴社)そうだし、占いに関しては、当たったこと、当てはまることをよく覚えていて、はずれたこと、当てはまらないことを無視したり、忘れる傾向がある(社会心理学の研究から)というから、事態はますます複雑である。   問3 占いは科学か もう一つ、「占術家がよく口にする言葉に「占いは科学だ」というものがある。「科学的占い」という表現も少し前にはよく耳にした。これは占いの信憑性をPRするための謳い文句であるが、こう言うことによって、筆者は占い師自らが墓穴を掘っているような気がしてならない。 残念ながら占いは科学ではない。少なくとも因果関係のはっきりした機械論的科学ではない。 「科学だ」「科学的○○だ」という表現は、明治から終戦直後まで、日本人が科学技術コンプレックスを持っていた頃、人々の心をくすぐる言葉だったのかも知れない。しかし、1970年代頃からは、人々はむしろ「科学でない」「科学的でない」からこそ、占いに惹かれているのではないだろうか。その意味で、占い師が「占いは科学だ」と言う事は、"反占い者"には格好の批判材料を提供し、占いファンには失望を与えるという二重の不利益を自ら招いているように思える。 科学的とはどういう事か。 ① 事実をもって説明できる。(実証性) ② だれがやっても、何回やっても同じ結果になる。(再現性) ③ 結果に至る方法、プロセスが論理的で矛盾がない。(論理性) 一般的に一応、この3つの条件を兼ね備えていることが必要だ。タロット占いを例にしても、およそ当てはまらないことに気づく。むしろ、再現性の正反対、その時のその一瞬に意味を見いだそうとする点、論理を越えたひらめきを重視する点など、「科学の対極」に位置しそうである。 また一見「科学的」に見える四柱推命や占星学(アストロロジィ)、手相、人相などにしても、なぜ生まれた時の天体の位置や干支がその人の性質やその後の行動に影響を与えるのか、なぜ手のひらの皺や顔の動作で性格や将来が言えるのかを説明できなくては、占星学も推命学も手相・人相学も「学」にならない。「科学」はその体系自体の中で完結していなくてはならないのだ。 最近読んだ本で「運を開く手相」(大川恒平著・KKベストセラーズ<ムック>の本 900円 1994年3月刊)は、久々にホネを感じさせる手相の本だった。こういう手相「学」のために努力している人も今だ健在なんだと感じた。 しかし、占い(あるいはその中の幾つか)は、将来、「科学」になりうる可能性がないわけではないと思う。最新の宇宙論や物理の世界は、今までの「科学」のイメージを越えて、むしろ「神秘的」と言えるような理論や仮説を提示しだしている。特に、波についての研究と、最近のカオス理論には目が離せない。 その中には、我々が慣れ親しんだオカルティックな事柄と似ていたり、占いの中では常識とも言えることだったりして、マニアを嬉しがらせてくれる。 こういう点に着目して、将来の学問の母体となる文化の一つとして、「占い」も保護し(占いはトキか!)、継承しましょう、という声もある。が、筆者などは、逆に、「そんな消極的な価値しかないの?」と言い返したくなる。   問4 占いは宗教か 「え~、これって何が解るんですか?」「本当に当たるの?」(占いの客が席につく時のセリフ)・・・「いいです。ワタシ、占いとかあんまり信じてないから」(占いの客が席をたつ時の捨てセリフ) こんな経験はないだろうか。こういう苦い思いをした後、筆者は「信じてないなら、来るなよ」と毒づきたくなる。 が、ちょっと冷静になってみると、「占いって、信じるか、信じないかのレベルのものだろうか」という思いが沸き起こってくるのだ。 科学と対をなして考えられ、科学とはしばし対立するものと捉えられるものに、「宗教」がある。 「占いは神の宣託であって、絶対なのだ」-意外かも知れないが、「占いは科学だ」と言う人の反対で、こう言い切る占い師が存在する(筆者の身近にも)。 キリストが人々の罪の身代わりになって十字架にかかったことを信じることや、阿弥陀の四十八願を頼って極楽往生を信じることと、「占い」を信じることは同じなのだろうか。占いと宗教の関係を考える時、確かに、占いが一つの手段として利用され、宗教の一部に何らかの形で組み込まれていたこと(あるいは「いること」)は歴史的にみても事実だろう。 話は少しそれるかも知れないが、つい先日、知人の占い師のところにやってきた相談者(中年女性)はある占い師のところで「あなたの息子さんはもうすぐ死ぬ。それを防ぐには、今日の午後10時までに40万円持って来なさい」といわれ、用意して持っていったという。持っていく方も行く方だけれども、この手の話には事欠かない。 もう一つ、筆者の同窓生のある女性は、両親に結婚を反対され、その両親は占い師に占ってもらった結果、「相性が悪いから不幸になる」を盾に、その彼と別れることを迫ったそうだ。 まあ、とにかく、占いはうまいように「利用(ここでは悪用)」されてしまいやすいのだ。 本来、宗教だって疑うことは許されていいことで、必要なことだと思う(確か、聖徳太子の言葉にそんなのがあったはずだ)。ちょっとの疑いでぐらつくようじゃ、それは本物ではない証拠だろう。宗教も占いも目にみえないものを対象にするところが多いので、疑問を入り込ませにくいという欠点もあるようだ。 上記のような例から、「だから占い(占い師)は・・・・」なんて言わせないためにも、占いは占いである程度独立したポジションを保つべきだと考える(とりあえず、今のところ)。そしてやはり盲目的にひれ伏すのではなく、その中(結果)の条件や制約・限界にも目を向ける謙虚さを常に持ち続けたいと思う。 占いと宗教の違いについては、もう少し考えてみたいところだが、別の機会に譲ることにして次の問いにいく。   問5 占いは当たるか 今更という命題だが、これは避けて通れない関門だと思う。「根拠があろうが、なかろうが、要は当たりゃいいのだ」「当たることこそ占いの命なのだ」という至極もっともな主張に対して、「果たして本当に当たるのか」という"興醒めた"問いを発して考えようというのである。 さて、次のような考え方がある。 「占いが科学と違うのは、科学が量を重視する(定量化を目指す)のに対して、占いは本人にとっての質を問題にする点にある」…なるほど、この言葉はそれなりに説得力がある。 例えば、手相において、本人があまり問題にしていなかったり、印象的でなかったりした場合は、結婚を示す影響線が現われない場合があることや、周囲から見て不幸であっても、本人が満足している時は、良い星回りで表されるなんていうことは、この世界ではよく言われることだ。 結局のところ、真実は本人にしか解らないということか。つまり、当たっているか、はずれているか、は本人の主観が基準になるわけだ。 占いの場面でその人の性格を当てるということがよくある。占い師の鑑定を聞いて「当たってる!すごーい!」「えー?あんまり当たってない」「そうかな? 全然違うと思いますけど」などの答えが返ってくる。この場合、「当たっている」「当たっていない」ということは、日頃、自分の性格について自分なりに捉えていることと比べて言っているわけだ。性格を占うことに限らないが、結局は自分の見方の正しさを確認しているに過ぎないことになる。 次に相手の過去や未来の出来事を当てるということを考えてみよう。手相にしろ、占星学にしろ、過去のことはよく当たるが、未来のこととなると当たる率はかなり低くなるということが言われる。手相の場合、脳の記憶が手の皺になって現われるという仮説からもそれは十分に考えられるわけだ(つまり、先取りして皺になるということは考え難いということである)。 占星学で未来を占う場面、厳密には過去その人が同じような星の位置の時、その問題に関係する天体をどのように使い、選択してきたかを調べてから判断する作業(手続き)が要求される。本人のクセのようなものを探るわけだが、それでも未来というのは幾つかの可能性を持っていて、その選択によって異なった姿を見せてくれる。つまり、いまだ決定していない、不確定な要素を含んでいるため、そうなるかははっきり言えない…というのが一般的な見方だ。ゆえに数年前、十年前先を見ても、解ることは限られてきて、今一つピンとこないといった感じになってしまう。 また、過去・現在・未来を占う際には、「いつ」といった指定がどうしても必要だ。「いつ」がないと当たったことにはならない。今年(1994年)の夏は何十年ぶりという水不足に悩まされ、各地で雨乞いが行われた。かつて空海や最澄といった高僧たちもさかんに雨乞いを行っている。しかし、この雨乞いの効果があったかどうかは解らないのだ。一応、何もしなければ日照りが続くと家庭して、雨が降れば雨乞いのおかげだと考えるわけだが、昼間に「よし、夜になるように祈祷いたしましょう」と言って、数時間後に日が暮れても、これは祈祷が効いたのではない。 もう一つ例を挙げると、子供に向って「あなたは何年か後に大人になるでしょう」と言ったところで予言にならない。ノストラダムスを筆頭とした「○○の予言」が今まで驚くほどの的中率だというが、「いつかはわからないけど、こうなる」といった類の予言が非常に多い。しかも、だいたいがどうとでも解釈できる言葉なのだ。 当たるかどうかということは、実は非常に微妙な問題である。   問6 占いは心理学か 「当たればいいんだ」という意見とは対照的に、「いや、そんなことはどうでもいいことだ」と言う人もいる。 確かに天気予報を例にとって考えれば、たとえ今日の天気予報がはずれたとしても、天気予測の技術を非科学的だと言う人はいない。 「予言(予測・予知)」は結果なんだ。大切なのは手続きなんだ(!?)と。が、「当たる、当たらないとは…」という言い方はむしろ、「占いは自分を映し出す鏡なのだ。それを使って自らの行く先と魂の在かを見つけ出すためのものなのだ」なんていう、占いと心理学を結び付けたがる人がよく使う言葉だ。 しかし、心理学という学問も、未だに科学からも哲学からも、はてまた医学からも敬遠されがちで、中途半端な位置にいる分野なのだということは付け加えておこうと思う。 そしてまた、心理学と結び付けることは、占いがそれ自体では未熟で不完全なものだということを自ら認めてしまっていることになる。 私は個人的には、例えば天体は目に見えない波(信号)を私達に送っていて、精神面だけでなく、物理的な現象面にも影響を及ぼしていると思っている。しかし、それを証明できるようになるには、あと何年かかるだろう。ちょっと科学が(2,3歩)進歩したところで、それは非常に難しいと思われる。   問7.占いは何の役に立つのか 本当はこの問いを先にもってこなければならなかったのかも知れない。しかし、この問いに対して筆者はまだ答えを見出せないでいる。 未来予測、相性…何とでも言えそうだが、自身の答えになってこないのだ。もう少し考える時間が必要なのだろうか。その代わりといってはおかしいかも知れないが、最後に個人的な事を書いて終わろうかと思う。 私が「占い」がすごいと思うのは、「この人は、占いなどに溺れてしまいやすい人なので気を付けたい…」という"占いの結果"が出たことである。 以後、毎日3種類は見ていた暦(占いの)を見ることはやめてしまった。  

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  • 24 Dec
    • 占いについて述べられた言葉~占い・神託全般

      ミュスはまた ポキスのテバイへ行き、神託を求めた。 なお最初にテバイを訪れたときには、 アポロン・イスメニオスの神託を求めた。 ここではオリュンピアと同様に、犠牲を焼いて神託を伺う。 ~ ヘロトドス 「歴史」八巻一三四 ~   エウボイアなる岩山の、広き側壁切れ込んで、洞窟つくりその口は、百にわかれた広い穴。 百の穴経てシビュレの、いらえはひびく百の声。敷居のきわまで、一行が、来たときシビュレ声あげて、「アポロン神の予言聞く、時は今ぞ」と叫び、また「神が、神が、おおそこに!」叫んで扉の前に立つ、シビュレの顔つき顔色は、変わって髪もざんばらに、一方胸は波を打ち、その狂暴な錯乱に、心の臓は高く鳴り、打ち見る姿はいつもより、大きく高くその声も、この世の人のものならず。すべては神の近づける、息吹を感じるためにこそ。 ~ ウェルギリウス 「アエネイス」第六巻 ~   私の見るところでは、洗練され教養ある民族であろうと、粗野で無知な民族であろうと、未来を占い、ある人々を通して告知し、予言することが出来るという見解を有していない民族は存在しない。 なにを根拠に腸卜師は、良好な内臓にあっても分かれている肺が、時を中断し、日を延期するというのか。なにを根拠に鳥占い師は、右の空の鴉と左の空の鴉が、なにかを確証するというのか。なにを根拠に占星術師は、月とつながった木星や金星は子供の誕生の際に吉であり、土星や火星は凶と見なすのか。なぜ神は、我々が眠っている時には警告を下さるのに、覚めている時には放置なされるのか? あらゆる夢には原因がある。だが、不死なる神にかけて、この原因を迷信や不条理によって誇張せぬように注意せよ。 ~ キケロ「予言について」 ~ 紀元後始めの数世紀、明白な理由があって、神の本質や死後のことがらについて人間の好奇心が、異様に膨れ上がった。そして古い異教の神託所も、時流に遅れないためには、こみいった、多かれ少なかれ、キリスト教的な神学のすべてが織りなす混乱に、対処しなければならなかった。つまり、時代に相応した神託を必要としたのである。 ~ カール・ブレシュ (古代史家)~   ギリシャ人が神託を信じたのは、 かれらが迷信深い愚か者であったからではなく、 この信仰なしには生きて行けなかったからである。 ~ エリック・ロバートソン・ダッズ (古代史家)~   バビロンの王、 その道の首処(はじまり)その途の岐処に止まりて占卜をなし、 箭を揺すり、テラビムに問い、肝を調べおるなり ~ 「エゼキエル書」第21章21 ~   運勢判断師は、下層階級の人々の慰め役であると同時に、モラリストでもある。社会が供給できないか、もしくはしたくないのどちらかである不足したものを彼らは供給してくれる。 ~ R・チェンバーズ編 「日々の祈祷書」 ~   それが神様のなされようというもの。 賢者には謎めいた託宣を下され、 愚者には簡単明瞭に告げられるのじゃ。 サイコロは常に正しい目を出す。 ~ ソポクレス~   未来をのぞくことは、人間の性向である。最高の教養を持ってしても、また、いかに数々の正当な批判や予言がその方法に対して投げかけられても、この性向を決して抑えることはできないのである。 ~ マーティン・D・ニルソン(宗教史家)~   ヘレニズム時代は科学的に裏付けられた悟性を尊んだ時代であり、当時アケロン湖畔の死霊託宣所の祭司団は、あの世からの示現を完璧に演出することを強いられた。 ~ ソティロス・ダカリス教授(考古学者)~   われわれは、ギリシャ人が次のような民族であることを心得ていなければならない。彼らの占い信仰はまったく際限も無く、大事につけ小事につけ未来とかかわり、個人や国家の運命を占うことは、日常茶飯事となっていたのである。 ~ ヤコブ・ブルックハルト ~   アンピアラオスは夢神託を受け、トロピニオスは不思議な祭儀を執行した。この際、神託伺い人は地下の洞窟におもむかなければならなかった。ふたたび、洞窟を立ち去るとき、伺い人は精神錯乱状態にあって、自分自身の予言を生み出すのであった。状況にしかるべき考慮をはらうならば、巫女の行動を説明することは、近代心理学にとってけっして困難ではない。 ~ ハーバート・W・パーク(古代史家)~   クラロスには、デルフォイのような巫女はいない。ある特定の家から、それも通例 ミレトス市から選ばれた祭司がいて、神託を求める人たちの一人名前だけを聞くと、洞窟に降りていく。 おそらく祭司は、文字も詩法も知らないはずだが、聖なる泉の水を飲んでから、尋ねる人が胸に懐いている問いに韻文でもって答える。 ~ タキトゥス「年代記」第二巻五四 ~   神々が存在するのに人間に未来を予言しないとすれば、それは神々が人間を愛していないのか、あるいは神々にもなにが起きるのか解らないのか、どちらかであろう。・・・・だが、たしかに神々は我々を愛しているのである。 ~ ストア派のクリュシッポス、ディオゲネス、アンティパトロスの学説 ~   禍に慣れているものにはわかるのだが、人間は、苦悩の奔流に押し流されるとき、いかなることにも、すぐ怖じ気をふるう。だが運命が穏やかに流れると、人間はこう思う。幸福の変わらぬ息吹はいつまでもそよぐのだ、と。 ~ アイスキュロス ~   疑いも無く、浅はかな人々が信じているように、交霊占い(ネクロマンシー)なるものが存在しているとするなら、人に害を加えるにせよ、利益を与えるにせよ、たいした力を持つということになろうが、そうしたものはこの世には存在しない。 ~ レオナルド・ダ・ヴィンチ ~   神託を他から切り離して、純技術的仕組みとして理解することは出来ない。そうではなくて、神託はそれが一民族の宗教界の中で占める位置によって、重要さや意味を維持するのである。 ~ ハンス・クリーズ(古代史家) ~   すでにお聞き及びの事と存じますが、マザー・ノッティンガムという女性がおります。若い頃は尿の検査を して病気を判断するのがかなり上手でした。彼女の後にはマザー・ボンヴィがおりました。それから、ペパーアレイにハットフィールドという人物がいて、この男はかなり上手く失せ物を見つけるのです。もう一人コールハーパーに惑星を見つけるのにたけた者がおります。ゴールデンレインのマザー・スタートンは予言が上手で、バンクサイドのマザー・フィリップは、背中の虚弱をよく直し、またクラーケンウェル・グリーンには、いろいろにことの上手な大変信心深い既婚婦人がおります。バンクサイドのメアリー婦人は占星術の天宮図の確定にたけ、ウェストミンスターにも一人いて(この女性はなんと呼べばよろしいのか)、この人は本と鍵、櫛と大ばさみを用いてました。皆それぞれの才能に従って、上手におこなっています。 ~ T・ヘイウッド「ホグズトンのワイズウーマン」三章一節 ~   世の中のあらゆる占いは、それぞれ一面の真実を物語っている。一方、どんなに悪い卦が出ていようとも、私たちが今しっかりとした理想をもち、その道を歩む決心をしたならば、その意志に易断が勝るということはない。多くの占いは物質的な利得、社会における名声や家庭の安定を占っていて、苦難の中で自分を磨き、忍耐によって魂を向上させるという魂の願いや、主の意志を一致させることによって達成される、地上での貴重な体験についての構成要素に欠けているからである。 ~ エドガー・ケイシー ~   占星学とは、知識の中で最も高貴なもので、医学と錬金術と未来の予言に使用しなければならない。人が誕生するとき、星はその人の気質と未来の運命を予定する。人の運命は天体の動きによって影響を受けるが、しかし運命を最終的に選ぶのは人間の自由意志である。 ~ ロジャー・ベーコン ~   アリストテレスの説くように、星には純粋な霊が宿っており、一見、人間の自由な意志の働きと見える行動も所詮はすでに天命によって定められている。 ~ ピエトロ・ボンボナッティ ~   占星術を信じられないと決め付けてはいけない。星の影響を信じることは、何よりもまず経験の所産であり、その種の経験は極めて説得的であるから、これを否定するのは占星術を調べたことのないものであろう。 人が生まれる瞬間の惑星の配置が、その人の性格を決定するのは、どのようなやり方によるのであろうか・・・・人の運勢は生涯を通じてちょうど農夫が畑のカボチャに手当たり次第まきつける紐のように作用する。紐はカボチャの生育には役立たないが、その形を決めてしまう。天空の場合も同じ事で、惑星が人に、習慣、経歴、幸福、子供たち、 財産、配偶者など授けることはしないまでも、彼の運命をある型にはめ込んでしまうのである。 ~ ヨハネス・ケプラー ~ もしも、一つの体系として全宇宙を考えるならば、人間はこの体系の縮図である。そして、小さな人間は優れた宇宙によって支配され、その影響を受けている。 全宇宙が一つの統一体であり、人間はこの統一体の縮図であると、ともかく考えるならば、狂人か何か阿呆でなければ、惑星が人間の身体に影響を及ぼすということが、奇妙なことと思うもののは誰もいないであろう。人間は万物の縮図であるわけであるから。その内に天体の世界を是非とも内蔵していなくてはならない、と考えるからである。・・・・・・すべての下位の世界は、その上位の世界に支配され、そこから影響を受ける。 ~ ニコラス・カルペパー ~   占星術は宇宙の惑星の性質にもとづき、人間の気質を分類する手段である ~ マルシオ・フィチーノ ~   さて、星辰は人間にもまた、直接の影響を及ぼすものであろうか。これはもち論のことである。人間の四肢は、地・火・水・風の四元素から成り立つものである。以上、当然のことである。一人の人間の体質中に、火熱・寒冷・乾燥・湿潤の四元素がたかに混合されているか、その程度の差によってその人の情熱、情緒、性質が分かり、またかかりやすい病気も定まり、生死も決まるのである。 このいろいろの混合の仕方は、誕生の瞬間における、諸星の位置によって出生児にインプリントされるので、一生の間についてまわるものである。 ~ チコ・ブラーエ~   私は当人に対して、その生涯の人生において、自然の成り行きの中で起こり得る全般的な善なること、もしくは悪しき事を判断する。それはまた、彼の体質、素質、性格、人柄についても同じである。次に私は、健康、地位の喪失、昇進など、そうしたものにとって吉の年と不利な年の指示をする。この世の人間の生活に関連することの中で、何らかの形で天宮12宮のどれか一つと関わりをもたないようなことは何も無い。 ~ ウィリアム・リリー ~   占星術による思案の主なメリットというのは、他の技をもってしてでも、不可能である理由説明ができるということで、様々な風土に住む人々の間で、なぜ習慣、しきたり、儀式、法、気候が多様なのかという問題に答えることなどが挙げられる。 ~ ジョン・ブッカー~   オックスフォード、ケンブリッジ両大学への入学は、そこで教えられることを学ぶことを可能にする誕生時の星位を持つものに限ってはどうか・・・ ~ ジョン・ガットベリー ~   達人で分別のある占星術師であれば、その巧みな技術によって、惑星の影響から生ずるたくさんの悪い事態はどのように防ぐかを示してくれる。 ~ リチャード・ネイビア ~   子供が生まれつき どのような専門職(もしくは天職)に最も適し、あるいは一番傾向性があるかの指導をしてくれる最良の指針。 ~ ジョン・オーブリー ~   占星家は、惑星の観測によって、いかなる職業に、いかなる境遇にすべての人が・・・生まれつき一番向いているのかを教えてくれるのかもしれない。 ~ チェーダー朝のある聖職者の言葉 ~   ヘンリー八世がローマと絶交したのは、1533年に火星、水星、木星の合が牡羊座で起きたからである。 ~ ジェローム・カーダン ~   ハーヴェイが血液の循環を発見したのは、火の三宮で土星と木星の合が起きた年であった。 ~ ヘンリー・コウリー ~   (われわれの咳と死亡文書の増大に関して)そうした出来事を理解しようというのであるならば、占星術師に頼らなくてはかなわず彼は大気の変動を起こす驚愕すべき原因を示し、運勢の不思議な秘密の力について説いているからである。世間はむわれわれの思案がいかに尊いものであるかを理解しておらず、また天体がわれわれの予言に従うのを見ると、いかほどの満足が得られるものかということがわかっていない。 ~ ジョン・ゴード ~ 占星術の用途は、一般的に起こる出来事の原因を発見し、明らかにするということ。例えば 戦争、平和、飢饉と豊作など。また個別的に人に起こるかと、たとえば健康、病気、貧困などもそうであり、その結果そうした出来事が予見されているのであるから、われわれは賢者としてよき事を増大させ、悪しきことをそらすようにすることが可能になる。 ~ とある占星術師の言葉 ~   神が美徳を泉、本源、冷えた大地、植物、石、鉱物、最下位の生き物の排泄部にさえ、お与えになったということを、ともかく否定しないというのであれば、なぜ美しい惑星からその影響力を奪ってよいものであろうか。なぜなら、星はその数が多く、抜きんでて美しく大きいことを知っているので、無限なる者の知の宝庫においては、すべの星に対してさえ、特定の美徳と作用がかけていることはありうることではない、と考えてよい。それは大地の表面を飾る全ての薬草、植物、果実、花がそうしたものを有するように。 ~ ウォールター・ローレイ ~   占星術の下す予言と予測は、宗教のものとことなると考える。預言者は霊感で語り、占星術師は既知の自然的な根拠から語るのであって、現世の結果は、その固有の原因に具体的な形で存すると考える。 ~ トーマス・トリッジ ~   占星術の正しい用い方は、次の十通りである。 1)占星術が教えてくれることは、地域に関する事だけでなく、人の智恵および風土のもとで驚くことの相違があるが、それにはいろいろな原因があるということ。 2)これほどの多様性が生じる、その原因が何かを指摘すること。 3)ある時代には、どのような運命もしくは事件が諸国に起ころうとしているのかを示すこと。これは判定的占星術と呼ばれる。 4)刻々と変化する大気およびその他の四大の元素の状態を予想する。 5)穀物であれ、ワインであれ、油であれ、その他大地が生み出すごとくものの収穫が、幸福にも増産されるのか、不幸にも減るのかを告げること。これは、ターレスが実験済みのことであり、彼は飢饉の到来を予知していたので、自分の収穫をしまい込んでおき、高く売ったのである。 6)戦争、飢饉、異常かんばつ、洪水、家畜の死、王様の交代、王侯の滅亡など(を告げる)。 7)種まきはいつ行ったらいいのか、もしくは農業技術に関するその他のすべてのことをするのに適した時(を告げる) 8)医者を開業している者、水先案内、つまり諸国と諸王国の発見を任務とする者に対して、大いに光を与える。あるいは学問的な技で彼らに知をもたらすであろう。 9)この学問から予知と天体暦が作られ、これは万人に必要なものでもある。 10)占星術の正しい用法は、あらゆる個人の体質、つまりあらゆる種類の時間毎、毎日の、毎週の、毎月の、毎年の性癖、変性、気質を我々に示してくれる。 ~ 「数の秘密」ウィリアム・イングベン ~   タロットは象徴であり、象徴以外の言語も記号も持たない。その絵に真実の意味が与えられることによって、それは無限の可能性が可能であり、あらゆる場合に正しい意味を作るアルファベットとなるのである。そのもっとも高度な段階において、それは神秘への鍵を提供する。 ~ アーサー・E・ウェイト「タロット解読」~   他人を占う場合、特に念頭に置くべきことは、相手を必要以上に心配させてはならないということです。的中率を落としてでもいいですから、結果については和らげていうべきです。人間はおかしなもので、たいていの人は、占者に優しく批判される事を好みますし、また、あなたは過去に苦労をしましたね、と云われるのが好きなのです。(過去に苦労をしたことがない人なんていませんね?)質問者を決して脅えさせてはいけません。他人を必要以上に混乱されるより、占いの信用が落ちることのほうがはるかにましなのですから。かといって、あまり楽観的になり過ぎないように。 ~ サーシャ・フェントン「英国流正しいタロット占い」より ~   カウンセラーは神ではない。相談に訪れる質問者は、占者のカードを読む技術を見込んでいる訳であるから、占者は持てる最高の技術を発揮しなければならない。カードを読む過程においては、ほとんどの人は潜在的なサイキック能力を使用する。とはいえ、占者は必ずしも高度な千里眼を備えた超能力者である必要はない。いかなる場合においても、占者は自分が魔術やオカルトや、あるいはその他の特殊な能力の持ち主であると吹聴してはならない。そういう事をいうのは正直と言えないからである。―彼らは占者を降霊術師か読心術師と考えている。占者が超能力者であるならそのように宣言しても良いだろうが、そうでないならば、そのことをはきり言わねばならない。タロット占い師が知るべき最も重要な点は、質問における問題の性質、問題における質問者の感じ方、問題について質問者が知るべきことである。なぜならばそれはメッセージを質問者の直接の必要性に結びつけるのに役立つからである。 ―占者は依頼者から信頼される立場にいるはずである。すなわち占者は、依頼者にとっては、占いの体系とその背後にある神秘伝承の代表者となるわけである。 ―重要な事は、質問者が未解決の問題に取り組めるように、質問者に対してサイキックな空間を提供してやることである。そのためにはまず信頼の雰囲気とリラックスした客観的な雰囲気を作らねばならない。 ―占いに手を染める以上、我々は他人のトラブルに鈍感であってはならない。―人生の危機にあるという事は、占者にとって一つの良い機会であるということである。なぜならそのような体験を経てこそ、占者自身が質問者の状況や心理、彼らが人生の次のステップに行けない理由などを身を以て知ることが出来るからである。タロット占者は質問者が占者を通して出来事の有り様とその結果の可能性を眺めることの出来るような存在でなければならない。占者はカードの客観的な読み手であり、質問者各自の欲望と共感を以て引き出し、達成の道の途上に障害を直視させる。 ―そしてタロットとは質問者が思うがままの結果を引き出すための道具ではなく、質問者の成長と目覚めを助けるための道具である。 カードが質問者に語りかける事は、正直に質問者に告げるべきであるが、その際には最新の注意を払うべきである。例えば、わき見運転による事故を予知したなら、「あなたは事故に遭います」等とは言わずに、「カードのメッセージは、運転の際には集中力を持ち、疲れている時には運転しないようにということです」などとアドバイスする。同様に、将来手術か病気を予想されたとしても、より深くリーディングを見直して、その原因を探り、その原因となる出来事を避けることで健康を維持できないか考えてみるのだ。占いは変えようの無い未来を冷酷に告げるものではない。 人間というのは、よい知らせより悪い知らせの方をよく覚えているものである。人生の心配事を増やすのは、タロット占い師のすることではない。タロットによって、質問者が暗礁の間で舵を取り、最も効果的な生き方を発見する手伝いをこそするべきなのである。占者はタロットのメッセージを伝えることで他人を助け、その人が自分で自分を助けられるよう手伝いをするのである。占者の解釈力は質問者をして大きな人生の方向に焦点を合わせる力を持ち、そこから相手は糸口と重要な鍵を引き出す。このリーディングの相互の過程は占いの迷信を超越し、真の占術(ディヴィネーション)のより深い領域へと質問者を誘う。そこではタロットは直に質問者に対して語り、その指導と希望のメッセージを伝えるのである。 ~ ケイトリン&マシューズ「アーサー王のタロット占い」より ~ 今日では、タロットを取り出す前に後ろを振り返って、異端尋問官がいないかどうかを確かめる必要こそなくなったが、勤め先やパーティでタロットを実演して見せたりすると、軽信的な人々の前で奇跡を演じることを期待されるだろう。タロットというのは尊い叡智の体現であるから、そのような使い方は慎まなければならない。現代においては、こうしたものへの弾圧はあざけりへと姿を変えたのである。それはマスメディアにおけるそれらの扱いを見れば明らかであろう。 占いは、熟練とした者の手によって、控えめに用いられた時にのみ有効な道具となりうる。それ以外の場合は、タロット占い師以外の人々が言うとおり、不幸にして占いとは、迷信や秘教的原理に対する誤解に満ちた非常に卑しい技であることは否めない。ほとんどのデッキと同様、このタロットも、霊的世界及び物質的世界に対するより深い理解が得られる。 現形的な世界とコンタクトする象徴的な手段である。伝統的なシンボルに親しむ者ならば、誰にでもこれらのカードの中に、彼らの個人的・集団的・あるいは霊的な生活と関連する意義深い照応やパターンを見出せるようになることだろう。タロット占いのような技術を借りて、このようなパターンを発見し、そのっ卦か人生を動かしたり、道を見出したりりパターンそのものを作り出したりする力は誰の中にも眠っているのである。 とはいえ、個人的に守ってきたパターンを完全に置き換える事は出来るようなオカルトのシステムや占いの道具は存在しない。なぜならそうしたパターンこそ、我々が必要とする指導と支援を伝える内を認識する引き金となる。タロット占いというのはそのように使用するものであって、毎日の運勢を見たり、決意を固めたりするための道具としてこれに頼り切ることは、すなわち怠惰な精神の持ち主であることを表すに過ぎない。故に、多くのタロット占いの本では、占いをしすぎるのを戒めているのである。 タロット占い師の第一の目的は、人生のより深いところにあるパターンを読むことであり、現形的なリアリティの内なる深い世界から我々が生活する日常的な世界へと、力のあるイメージを運ぶのを手伝うシンボリックなメッセンジャーとしてカードを使うことである。そしてタロット占者の責務は、この解釈の技に通じ、自分自身のみならず、自らの人生のパターンを把握するのが困難な多くの人々の助けになることにほかならない。 ―タロットで占いをするという事は、秘教的なカウンセラーになるということである。これは極めて責任ある立場であるということは、タロットで占いを始める前に真剣に考えておかねばならない問題である。 ―現代において、それを学ばんとする者は個人的な伝統の相互関係から、各自が訓練の方法を自分で発見する必要がある。 ―だが本来、こうした仕事をする者は、自分が果たして確かな論理的根拠に基づいて仕事をしているか、あるいは自分がカウンセラーとしての能力と資質を持つかということを真剣に考える必要がある。 ~ ケイトリン&マシューズ「アーサー王のタロット占い」より ~

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    • 占いについて述べられた言葉~占いを否定する言葉

      今や何かがなされたが、 わたしが主張していたことは何も起こらなかった。 しかし、わたしは金を手に入れた。 ~ 開業していた占星術師としての経歴について... 「発見された迷子の羊」ロンレンス・クラークソン~     この悪しき技はいたるところで賛えられ、 追い求められていて、 それはほとんどの男も女もなす所であるが、 とりわけ主キリストの福音を教授する者であると 是非とも思われるしかるべき者によるのである ~ ジョン・ローンス「判定的占星術に反対する簡潔な宣言」 ~     誕生時の星位を確定することで、 人が将来どうなるかを教えるのであるが、 それはこっけいであり、不敬なことである。 それは占星術が、神がその予定において 似ていないようにされた者たちが 人生と生活様式で 大変似たものになると確定するからである。 ~ ウィリアム・パーキンス ~     占星術・・・・・ 我々の眼前に雲を置き、 神の摂理から無理に引き離してしまうもの ~ カルヴァン(神学者)~     富と悲嘆、豊かさと欠乏、 戦争と平和を引き離すものは 太陽でも月でも、木星でも火星でもない、 神御自身である。 長生きは信心深いことの報いであって、 運星の遺産などではない ~ 主教フーパー ~     教会において誰が再生し、 誰が再生しないかを知るために 占星術師に頼っていくことは、 我慢ならぬ侮辱である ~ 主教カールトン ~     わたしは次なる占星術の問題の解決をしている。つまり、病人に対して回復の見込みがあるかないのか、いなくなってしまった当事者の安否、一人の女性が幾人の夫を持ち、幾人の子を儲けるか、望んだ相手と結婚出来るのか、結婚相手の女性が処女か否か、もしくは結婚してから自分の言うことを聞いてくれるか、あるいは持参金が十分にもらえるのか、男性が賢いか愚かか、新調の制服を着るのはよいことか否か、求愛者になるのは今年が良いか来年が良いか、夢が良いことを表しているのか悪いことを表しているのか、生まれてきた子が父とされている人の子か否か、海上の船が無事か否か、引越しは良いことか否か、訴訟でどちらの側が勝つのか、そして占星家が扱うよろずの問題一般である。 ~ ジョン・ウィルソン「詐欺師たち」二章二節 ~     占星学的にも、職業的にも遺伝的にも、また環境と言えども、実体の意志や決心にまさるものはない。いかなる惑星の運行も、太陽や月の相の力も天上の主要部さえも、人間の意志の統治以上のものではない。人間には選択の力が与えられている。 リーディングによれば、占星学の起源は魂の堕落と密にかかわっていたようだ。 こうして地上に生れ変わった実体の、いわば履歴書が出生天宮図なのである。ある定まった時間と空間が交差する地上の一点に、魂が投入した際に織り成される。太陽系の諸天体と12宮、室、さまざまな区分やアスペクトに本人の魂の情報が記録される。チャートは霊魂の航海図であり、人生は海であり、惑星の力は風、意志が船のこぎ手だ。人は自分のチャートを調べることによって、自分がどんなカルマの風を起こしているのかそれに対処して人生を航海して行くにはどうしたらいいのかを学び取る。 太陽が、この太陽系の支配者として位置付けられているとすれば、地上の植物や鉱物同様、その居住者に対しても影響を及ぼすと考える方が的を得ているように思われないだろうか。 占星学から明確な応えが得られないというのではない。しかし、占星学を信じる人々はそれを支配するというよりも、むしろ支配されることが多くなるものだ。占星学は多くの例において真実である。だが、惑星間のアスペクトはサインやシンボルに過ぎない。個人の意志以上に重要な価値をもち、重要な援助となる力などないのである。 出生の場所や時刻が(太陽や惑星の)位置によって支配されるのではない。実体の生涯への影響という点では、その位置で判断できるかも知れない。なぜなら、実体は事物の宇宙計画の中に占めるその位置に関係させて、自己の能力を用いるからである。 ~ エドガー・ケイシー~

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    • 占いとの上手な付き合い方~自分にあった占い師選び

      自分にあった占い師を選ぼう 【占いを賢く生活に役立てるために...】   ● 納得できる占いと納得できない占い ● 占い師との相性 ● なぜ占い師という存在が必要なのか ● 占い師の定義 ● マイ・カウンセラーとしての占い師を探そう ● 占い師のタイプ-分類を知る   ■納得できる占いと納得できない占い■ 占いがあたる、あたらない以前の問題として、占ってもらったはいいが、占い師の言っていた応えがいまいち自分にはピンとこない。何をいっているのか、言葉がよく理解できない。自分が知りたいことと、どうもピントがズレている気がする。。なんか釈然としない。。。とにかく、???だった。ああいう言われ方は心外だわ、なんか不愉快だわ・・占ってもらって気分悪い思いをした。 なんてことがあったりします。   その第一の原因としては、占いを行った者(占い師)の人生観が偏っていたり、ボキャブラリーが貧困で出た答えを他人に上手く伝えることが出来ないだとか、能力及び技術不足だとか日本語が下手くそ過ぎるとか、人格に問題がある人だった・・などなど、占い師の方に色々と原因があるという場合があげられます。 占い師というのはサービス業及び特殊な技術職ではありますが、免許制度はありませんし、能力や技量を計る水準が世間一般的にはないので、ちょっと占いを勉強した人が、「私は占い師です」と自称で名乗ってしまえば、それでまかり通ってしまう世界でもあります。実のところは・・・   ですから、占いの看板を出していたり、名刺に占い師と書いてあるからといって、その人の占いの能力までをも信頼してしまうにはちょっと性急な結論だと思います。 有名無名という肩書や料金のことよりも、世間の評判、何よりも自分の目でその人となりと技術を確かめて、サービスを受ける側として、安心して自分のライフコンサルタントをまかせられる相手か否か・・・を見抜きましょう。 ■占い師との相性 ■ 占いの内容がしっくりとこない、第二の原因としては、相性の良さ悪さが考えられます。世の中には人間がごまんといまして、いろんな個性、思考と行動パターンをもった人が存在して成り立っています(皆が同じだったら、世の中とてもつまらないものですよね)。価値観もそれぞれです。うまが合う人もいれば、合わない人もいます。互いの言葉や行動が理解しあえる人のことを一般には、相性が良い人と言い、その逆で言葉が通じにくかったり行動が理解しにくい人のことを相性が悪い人といいます。 相性の良し悪し、これは別に悪いことではありません。当たり前といった感じの事です。人間は一人一人違う個性があるのですから、理解できない人できる人に大きく分類してしまっても当然かなと思います。   さてさて、占い師も人ですから、性格といいますか、タイプというのがあります。その人の占いがどうこうもありますが、お客さんの側から物を言うと、自分に相性の良い占い師と悪い占い師というのがどうしても出てきます。また、占い師からみても、相性が悪いお客さん、良いお客さんというのがいたりします。 ですから、自分と相性の悪い占い師にみてもらった時には、相手の言葉の選び方がピンとこない、言葉が難しすぎる、抽象的な言い方でさっぱり何がなんだか解らん・・何を言われてるのか?? 私が知りたいのはそんなことじゃないんですけど・・ぷんぷん・・という釈然としない結果には十分成り得ます。 そうすると、お金と時間の無駄だった・・占いなんて、何の役にも立たない、意味がない、という、クライアント(占いをしてもらう側)、カウンセラー(占い師)双方ともにあまり良いこととは思えません。どちらもせっかくの占いという知識を生かしきれてないという意味で・・ いわゆる需要と供給のバランスが取れていない状況ですね。   私の場合でいえば、私の占いがあうお客さんと合わないお客さんというのがいます。私の占いから導き出される言葉が自分にしっくりときて、納得いくと、そういってくれるお客さんもいます。その逆に、難解で問題が深くて抽象的すぎる、もっと単純で白黒はっきりついた具体的なアドバイスが欲しい・・と、不満に思うお客さんもいるのは事実です。 そして、未来予測に限っていえば、私の占いがいつもあたって外れたことがない・・という人もいれば、いつも全く当たった試しがない・・という人もいます(単なる技量不足かも(笑)) 私の突き放したような言い方を嫌う人もいますし(時に叱ったりもしますので・・・)、先生の説明が一番解りやすいし、物の言い方が好き・・といってくれる人もいます。 そういう訳で、私という人間や私自身の占いの伝え方が合わない人は、その人にとっては私に鑑定料金を払うだけ無駄なお金になってしまうので、もっと自分にあった占い師さんを探してみて下さい・・と思うわけです。物凄く高飛車なんですけど、私の占いに対する姿勢や考え方、私の占いから導き出される応えが性にあってる、解りやすい・・自分にはピンとくる・・・って人だけが、私の占いに対してお金を払うことの意義や価値があるのだと思うので。ええ、人生に無駄な経験はないとはいえ、お金もエネルギーですから、資源は大切に。お金は有効に、自分のためになることに使うべきで、ホント大切にした方が良いですよ。 私が思うに、世界中全ての人に好かれる人、全ての人と合わせられる人が存在しないのと同じように、全ての人が納得する占いの応えというものはなく、全ての人に常に最良の応えをもたらし、納得させることの出来る占い師はいない・・と思っています。 もし、それが出来るという占い師の人がいるのなら、ずいぶんと自信過剰な人だなぁ・・と思いますし、そんな人がいたらお会いしてみたいものです(笑) まーそれが出来る人は、全人類を占いの応えをもとに救済できちゃうメシアかなって思いますがー・・・   【占いと占い師と、そして占ってもらう人と】   ■なぜ占い師という存在が必要なのか■ 占いは占い師と呼ばれる人でなくても、誰にでも出来る行為です。はっきりいって、占いをするだけなら、誰にでも出来ることで、そこに占い師の存在は必要ありません。 では占い師の存在意義とはなんでしょう? 占いをするだけならだれでも出来ますし、応えを欲している人が行えば良いのですが、得てして人間には主観があり、こうありたい、こうなればいい、という希望的観測や個人的欲望、自我があります。ですから、情動や捉えかたによって、主観の入った都合のよい占いの応えになってしまう恐れがあります。そういう訳で、占いから導き出された応えをありのままに解釈していくには、客観的な視野から、象徴を読み取ってくれる人がいた方が良いということなのです。 また、人に相談する行為、というのは、人に話を聞いてもらうということ、自分の行動や悩みを思考してそれを言葉にする、ということで、占ってもらう側の人にも自分の置かれている立場や考えを客観的かつ冷静に見つめ直す機会を持つことにもなり、有意義なことだと思います。 ■占い師の定義■ まず、ある占いについて熟知していること。一つでもいいし、複数こなせればそれにこしたことはないでしょう。占いの方法と、その占いから何を導き出せるか、何が占えるか知っている事、占った様相の結果の読み方を知っている、これが特定の占いを熟知しているということにつながるかと。 それから、占いを用いて、他人にアドバイスしていくことを、自分の責務と感じていたり、あるいは他人の相談や助けになることを占いを使ってしている人・・・のことかと思います。 無料か有料かは占いの質やその人の占い師としての技量に関係ないかと、私は思っています。鑑定料を取るとか取らないとかはまた別の問題ですので、占い師によって何故占い料金に差があるのかを話すのと同じでここでは論外ということにしておきます。   以下の記述が占い師の定義であるとはいいませんが、占い師とは占いを行い、その占いから導きだした応え、象徴(様相)を、占いの応えを必要としている人に、言葉(言語)にして、説明してあげる人のことだと考えます。そして、そればかりではなく、占いの応えを欲している人・・が発している質問の内容に占いから導きだした応えをあてはめて、なおかつそれをクライアントが現実的に対処していけるように、本人がそのアドバイスに従って自分の問題を自分で解決していけるように、具体的に提示・説明してあげる技量も必要なのではと、私は考えます。(とはいうものの、私がそれを完璧にこなしているとはお世辞にも言えませんが・・自爆)   ■マイ・カウンセラーとしての占い師を探そう■ まー今まで述べてきたようなことで、せっかくお金を払って占いをしてもらうのだから、その時間や結果を有意義に自分に生かさないではもったいない・・・ということで、まずは自分とフィーリングの合う占い師を見つけよう!という結論なのですが・・ さて、どう探すか・・・ 占いは占ってもらおう!と思い付いたときが占い時とも申します。ある意味では良い占い師、悪い占い師いずれに出くわすもその人の運で、おみくじのごとく、その応えが必然的なのでその占い師、その占いにひきよせられ出会ったと考えるのも、あながち間違いではないのですが・・・ 占いを役立てようと思った人の側にも、それを上手に利用していくにあたって心得や知識というものがあった方が良いように思います。 一つ目は自分が今回占ってもらおうと思っている悩み(相談内容)及び知りたいことの応えを得るには、どのような占いが最も適切であるか知ること。また、自分がどんなタイプの占い師が好きか・・とか。年取った人の方が良い、若いお姉さんみたいな人がいい。男性の方が理性的な感じで・・とか。 占い師を探すのは、占いの館やデパートの占いコーナー、雑誌、電話帳、インターネットなどなど。。まあ、困ることはないと思います。あとは金銭的な折り合いとか時間的なものとか、それは本人の金銭的な価値観というもので、ハイ。それだけのお金を出す価値があるか否かどうかは自分のお金ですから、自分で考えて決めることです。 初めての人に占いをしてもらう時は、占ってもらったことのある知人や周囲の人からその占い師の評判を聴くのも一つの手ですが、最初占ってもらう時には、その人の人物像や雰囲気に好感が持てるか否か、その人の占いに対する姿勢、ポリシー、その人の占いの進め方(方法)、その人が占いから導きだした言葉や説明の仕方(占いの結果が自分の期待していた応えとかいうのではなく)が自分に解りやすいか、受け入れやすいかどうか・・・等、ただ単に占いの結果を得るというだけでなく、自分にあった占い師かどうか確かめるようなつもりで、そのような視点で出かけた方が良いでしょう。   占いのはしごは別に私は構わないとは思います。いろんなタイプの占い師に同じ質問を占ってもらっても別に悪いことだとは思いません。はしごしながら、自分がぴったりくる占い師探しをするのも良いと思います。でなければそうそう占いをする機会はないと思いますし・・同じ占いでも色んな角度からの見方があります から、色んな意見や物の見方を聞いてみる・・という意味では、一つの問題を多方面からアプローチして全容を知るという事にもつながりますし、最終的にはこれらの意見を参考にしながら、自分が一番納得の行く行動を選択していけばよいと。 ただ、自分が聞きたい答えが聞けない、望んでいるような応えを言ってくれないので、他をあたる・・というような姿勢の人は最初から占いに頼らない方が良いです。お金をドブに捨てるようなものですし、占いはその人にとって毒以外の何物にもなりません。 なかには、占い依存症という人もいます。占い師のいうことが絶対で、占いのままに行動する人もいたりします。占いのとおりに行動していれば絶対安心だと思うのか、自分の考えや判断力、行動に自信がないのでしょう。 そういう人にとっては、占いは百害あって一理なしですので、占いはやめた方がいいと思います。   占いはあくまで占いであって、占い師は神の使者ではなく、あくまで見えない世界から受け取ったシンボルを説明するメッセンジャーに過ぎません。そのメッセージが全てではなく、またそのメッセージの読み間違いだって、時におこりうる現象です。 占いを頼むものは、占い師が占いから導き出し伝える言葉を、客観的情報と受け止めて消化していく必要があると思います。それが出来ずに全てを鵜呑みにして振り回されることは、占いを役立てていくことはおろか、占いによって人生を狂わされていく不幸な事態を引き起こしてしまいます。 その辺りは占いを使っていく占い師のモラルや心構えが何よりも肝心であるとも思いますが、占いを使っていくクライアント側も、占いや占い師を絶対的なものとして盲信したり、逆に恐れたりせずに、自分の人生に役立てていくための有意義な方法論のひとつとして、あるいは自分と向き合うセラピーのひとつの形として、もう少しラフに、そして建設的に賢く使っていっていただきたいものだと切に願います。   ■占い師のタイプ分類を知る■ 大きく分けて、占い師のタイプは次の3通りに分類されるように思います。   ●カウンセラー・セラピストタイプ ●人生相談説教型タイプ ●巫女的タイプ(チャネラーも含まれるかも)   カウンセラー・セラピストタイプ このタイプの占い師はさらに2通りに分類されるでしょう。 まず、最初はヒーラー的なセラピストタイプ。親切なお姉さん占い師やお兄さん占い師など、何処にでもいる感じの親しみやすい雰囲気の占い師です。 相談者の立場や側になって、親身に話を聞いてくれるなど、言葉選びも慎重で丁寧な人が多いです。あたりも柔らかく、口調もソフト、自分の価値観や意見、世間の常識を押しつけたりせず、相談者を決して批判せず、相手の意見や気持ちを常に尊重し、時に暖かく包み込んでくれたりもします。 占いそのものよりは、人間が好きで、他人を助けたり、占いを使って人の力になりたい・・と切望している人がこのタイプに多いように思います。このタイプの占い師さんは、占いそのものの結果とかよりも、占いをして相談をする、した、ということをきっかけに相手が立ち直ってくれればと、占いの後のアドバイスに力を入れてくれるようです。 お説教をされたりするのがキライな人や共感的・同調的なアドバイスを求めている人にはおすすめの占い師タイプかも。   もうひとつのタイプは、冷静かつ客観的な視野をもつ、クールな学者肌的占い師。占い師というよりは占い研究家と呼ぶのにふさわしく、占いの知識や教養を広範囲にわたって持っている人が多いです。きわめて常識的で、物ごとに対する造詣深く、分析力に優れています。合理的で具体的、理性的・現実的なアドバイスをしてくれるのが特徴といえるかも知れません。  感情的な見方をしないので、世間一般や自分の意見や価値観を押しつけることもないですし、あくまで占いを通しての見方や結果をそのままシンボル通りに伝えてくれます。 占いの深い知識と理解を通しての、第三者的かつ具体的なクールアドバイスを求めている人には、グッドなタイプかも。 温かみのある慰めの言葉を期待してしまうような人には、つきはなした物の言い方をしているように思えてしまうらしいので、冷たい占い師さんだなあ・・と、映ってしまうかも知れません。   人生相談説教型タイプ 私が思うに、東洋占術を得意としている主に年配の占い師さんにこのタイプが多いような気がします。また運命は固定的であって、持って生まれた運はそうそうは変えられないだの、いわゆる宿命・運命論的な考えを持っている占い師さんがこのタイプに含まれるかと。「あなたはこうだから、こうなる」というように、相談の原因を占いで得た”運気””命運”などに求めるので、アドバイスはあくまで占いの論理に従って行われることが多いです。  また、不思議と年配の方は人生を苦労してこられたあげく、占いを職業とすることに辿り着いた方が多いようです。ですから、苦労した経験など、そのような、人生の先輩としてのアドバイスをしてくれるようです。 怒ったり、叱ったり、相談者の境遇に涙したりなど喜怒哀楽をはっきりと出してくれたり、はげましてくれたり・・母のような父のような、隣のおばさんのような・・時に自分の人生経験や実例をまじえて話してくれる人も少なくありません。 ただ、このタイプの人の占いは世間の常識はこうだとか、人生とは、運命とはこういうものである、というような、占い師自身の考えや思想によっているので、占い自体というよりは、その占い師自身の人間性や魅力、カリスマ性が、アドバイスに繁栄されているので、その占い方法よりもその人の言葉に説得力があるか否かが実力の真意といったところでしょうか・・・  「思いっきりテレビ」や「もしもしラジオ電話相談室」が好きな人、人生経験豊かな人に自分の人生を聞いてもらいたい、自分をガツンと叱ってもらいたい・・世間的・常識的に悪いことは悪いと言ってもらいたい人、自分の良くないことの理由を原因を運命や運気に求めている人には良いでしょう。   巫女的・チャネラータイプ 霊感のあるタイプ・・つまりは第六感に頼る、占いというよりは、ご神託メッセージのようなものをインスピレーションで感じて告げる占い師がこのタイプといえそうです。 あくまで占いを行って、そのシンボルを伝える、無形のものとの仲介者的立場に徹している人が多いので、具体的なアドバイスや占いの結果に対する突っ込みには弱かったりします。つまりは、あくまで占いの結果、答えを伝えるメッセンジャーだったりするので、そのあとのフォロー、アドバイスまでの指針は期待しない方が良いでしょう。スフィンクスの謎掛けではありませんが、占いの結果の解釈は相談者自身が考えていくところが大きいです。 ですから、セラピストタイプのように相談者の立場に立って共感的に話を聞いてくれることを望んでいる人には不向きです。具体的かつ現実的なアドバイスを必要としている人には、???な占いになるでしょう。 予知・神託としての占い、純粋に無形のものからのシンボルとしての占いの応えを欲している人におすすめです。     と、まあ・・占い師のタイプを強引に分けてみました。一口に占い師といっても様々で、用いている占いの方法やその人自身の占いや運命に対する考え方、人生観、人間性によるところがその人の占い・・に反映されています。 占いはあくまで架空の論理(思想・学説)であり、使っていく技術にしか過ぎません。万能ではなく、絶対的なものではないので、占いがすべてを左右するわけではありません。 占いも不完全ですが、使っている人間も不完全なのです。 占い師だからといって、何も特別な人種なわけではないのです。占い師はどの人も普通の人です。みんな、ありきたりの生活をおくっている、一般的な一市民です。誰にでもなれます。特別な人が占い師になれるわけではなく、占い師だからといって、特別な能力を有しているわけではありません。 人に人格の優劣があるように、占い師にも人格の優劣があります。なかには詐欺まがいのことをやっている占い師もいます。新興宗教がやっている占いもありますし、霊感商法的なことをやっている占い師もいます。 人助けのためと精進している人もいますし、商売と割り切って占いを行っている人もいます。 人がいろいろいるように、同じ仕事でも別々の理由でその仕事に取組んでいるように、それぞれの占い師が占いを仕事としている理由も動機も様々です。 また、時に占い師も占いを読み違えることがあります。 所詮、人間なので、感情があったり、体調に左右されたり、間違いもあるのです。 この占い師が言った言葉だから、占いで出た答えだから・・といって、それを全てと、絶対的なものとしては盲信するのだけはやめていただきたいな・・と思います。 どうか、自分にあった占い師さんと出会うことで、納得の出来る、自分のためになる占いと出会って下さいまし。そして、占いや人の意見に左右されることなく、占いを一つの新しい視野として、有意義に御自身の人生の開拓・修正を行って下さいまし。   占いがあなたや社会の害にならず、実りをもたらすものとして、人類の智恵として、そうあっていられるように・・・そうなりますように・・・    

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    • 占いとの上手な付き合い方~占いの得手不得手

      目的や相談内容に適した占いを選ぶ   【知りたい事象と項目】 自分自身(または他者)の個性・性質(いわゆる性格というもの)について、職業的適正、チャンスの時期、運気のリズム(衰退)、全般的な気運すなわち以って生れた運命的傾向(健康(体質)・恋愛運・結婚運・家族運・不動産運・財運・その他)恋愛・結婚においては相性など   それらの質問に対して適した占い→命学と一部の相学が適しています   東洋系 ・気学・九星術・四柱推命・紫微斗数・宿曜占星術・七政四余命学(中国星命術)・姓名判断・ヒンズー占星術等 西洋系 ・西洋占星学・数秘術等 ◆時間と空間に根差した占い、つまり個人と宇宙(自然様相)の関係を基点においている占い、個人の出生図から判断するものが適しているといえます。   ■手相や人相は流動的で固定的なものではないので、短期的・一時的なものとして考えた方がよく、細部にわたるまでは示していないように思われます。しかし元々健康を見るための医学的検分(あくまで陰陽五行の東洋思想の)から発達したものですので、健康を見るには最も適しています。それから、東洋と西洋の見方とがありますので、東洋人に西洋の手相・人相学、また西洋人に東洋の手相・人相をあてはめるのは無謀というものです。 人相は幼少時は親からもらった特徴ではありますが、成人するにつけ、本人が作った顔になりますので、他人に与える印象・それによって閉ざされる運・開かれる運などを教えてくれます。姓名判断もどちらかというと、名前(韻律・視覚)が他人に与える印象(イメージ)を持っていて、それによって左右される運気を表しているようです。 とはいうものの、手相や人相観の人たちの中には、優れたヒーラー的素質のある人や相手(質問者)の波動を感じ取る事が出来る人もおり、単なる手相観などに留まらず、多くの情報を引き出せる人も少なくありません。 【知りたい事象と項目】 開運・子孫繁栄・事業運   それらの質問に対して適した占い→相学と一部の命学が適しています   東洋系 ・方位学・家相・地相学・風水・奇門遁甲 ・姓名判断・印相・陰陽道 など 西洋系 ・西洋占星学(アストロカートグラフィ・エレクション)   【知りたい事象と項目】 現在の迷いに対する応え(ヒント・アドバイス)を得る、未来予測(現状から察してこうなるであろう方向性と結果)を得る、人の心の動きを計る、天候、状況(現在・過去・未来の時間的変化)、失せもの探し   それらの質問に対して適した占い→兆学(媒占法)が適しています 東洋系 ・易経(周易・断易・梅花心易) 西洋系 ・カード占い(タロット・トランプ その他)・ルーン・ダウンジングなど

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    • 間違いだらけの占い選び~風水ブーム

      風水ブーム 私は東洋占は専門ではありません。専門家でないのに、口をはさむのはでしゃばり以外の何物でもないのですが、昨今の風水ブームには、むむ・・という感じです。 だって、気学とごちゃまぜになってるんですもの。 出発点といいますか、ベースとなる考えが陰陽五行であるのは東洋占の常識なので、そんなに大きく違いがあるわけではないけど、まーその平たくいえば気学と風水はいちおーベツモノであります。その辺りを詳しく説明しろと突っ込まれると弱いのですけど。   多分、本場の風水を学んだ人には、首をかしげるよなことばかりなのではとも思います。 家の内部だけをみて、室内のインテリアがどーのこーのっていうのは風水にあっては、片手落ちもいいとこですから。   風水というのは別の言い方をすれば東洋思想における地理学なので、風水を用いて、家だの内装をどうこう(開運)したいのなら、まず、家の立っている土地を見なければなりません。立地条件とか周囲の建物とか、ちゃんと先にみるわけです。 方角も大事ですけど、それよりも問題はその家の立っている土地の気の流れを把握しないと・・どこから、陽の気が流れてきているのか、陰の気はどこにたまっていくのか・・ 風水は土地の気の流れをみることから始まるのです。龍脈から始まった5穴を知ること、これがはじまり。 本当は家(村とか街)を建てる前にそれをして、家を建てるわけです。そして、その家の中にその良い気を呼び込み、逃がさないようにして、なおかつ、陰の気をためないよう、入らないようにして、それでも悪いものが入ってきてしまったらすばやく外に出す。 つまりは風水とは自然の立地条件を生かし、それを利用した子孫繁栄のための家作り、後々まで栄えるための都市作りの思想でもあります。 これから、家を立てる人はそういったところから始めると良いですね。 けど、すでに立ってしまった家、賃貸住宅などに関しては、あきらめるしかないかというと、そんなことはないです。風水思想では周囲の建物も自然の景観とみなします。 ですから、マンションやビルなんかは山とみちゃって良いのです。 いずれにしても、その家(部屋)の土地と周囲の気流れを把握して、良いものを家(部屋)に取り込めばよいのです。まず、立地条件と土地の気(陰陽のね)をみてから、家の中を見ればよし。   家相って面白いもので、単なる迷信ばかりではなく、理にかなっていたりします。だから、あながち馬鹿にもできないなーと私は思います。 けど、こういう家がよい、と分かっていても、借りたりする家はそうはいかない。 で、西はこういう色がよい、東にはこういうものを置くと良い。。といっても、その家の日当たりや風通しは、家によって違います。 南の日当たりが悪い家だってあるし、東の窓がない家もありますから。昔は日当たりがいいといったら南があたり前で、どの家も南向きにたっているものでしたが現代住宅事情はそうはいきません。 北向きの家だってあるし、ほとんどの家が条件悪いっていいかもしれない。   つまり、土地や建物によって、気の入り方は異なっていますので、方位的考えに振り回されるのは無意味であります。その家にはその家なりの見方があるということをお忘れなく。 その家の立地条件、部屋の間取り、どこから風が入ってくるのか、日当たりがいちばんいいのはどの場所か、などそういうことを考えてから、部屋の利用方法、インテリアの配置、おくものやカーテンの色は考えた方がベターです。 でもって、本格的に風水師に見てもらうのも手ですが(いきなり部屋に入って、ああだこうだいうヤツは偽者かもね。羅針盤をもって、家の周囲からじっくりと見てくれるのが本物の風水師) そんな金はありませんという方、ようは自分が家にいて居心地が良い部屋作りをすれば間違いないのであります。 辺り前のことなんだけど、風通しをよくして、湿気を溜めない。つまりはそういうこと。 だってそれがそれが風水なんだもん。 ゴミを腐らせたり溜めたりしないで、部屋の掃除はよくする。これは最低限のジョーシキ。。。 風水で開運を期待しているあなた、掃除もしない部屋でインテリアの色や配置だけ変えても、まったく無意味ですのであしからず。      

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    • 間違いだらけの占い選び~冠婚葬祭をふりまわす占い

      冠婚葬祭をふりまわす占い   ◆仏滅と大安 日本の結婚式はこれに左右されております。 「占いなんてどうでもいい、キョーミなし」という人でも、結婚式、葬式となると何故か仏滅と大安、友引などカレンダー(暦)でチェックして、気にしたりします。 これは六曜という占いなのですが、はっきりいってこれは気にするにあらず・・です。 振り回されるだけちゃんちゃらおかしい・・ もともと日ではなく、時間を見る占術で、使われるようになってからは100年ちょっとという、気学同様新しい占いです。 確かに昔からあった占いではあるけれど、そんなに重要視するほどの占いではありません。 これが何で広まったかというと、世が明治になったとき、占い禁止令というのが発布されましてー 占いを書いた暦とか作ってはいけなくなったんですね。法律で・・・ そうしたら、世間がパニック。暦に毎日の占い? がないので、何を今日の指針にしたらいいのか解らない。それで、庶民はカレンダー屋にクレームをつけたんです。それで、暦業界は苦肉の策で、今では使われていないが戦国時代に使われていた、古いむかーしの占いをひっぱりだして、暦に載せたわけです。それが六曜。   それまで流布していた占いではないので、おかみ。。も知らない占いということで占いとして認められず、法律にはひっかからなかった・・それでOKで普及しちゃったわけです。 今も昔も、毎日の占いって人気あるのねー   ※明治維新の歳、太陰暦から太陽暦に代わるとき、「旧暦の俗信・暦注を記した暦は出版禁止」という法令が出た。  

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    • 間違いだらけの占い選び~占いで人を救えるか

      占いで人を救えるか 応えは「No」である。占いは一つの情報であり、指針だ。占いは奇跡を起こす魔法ではない。人の生活に十分助けになってくれる価値あるものだと、私は思うが。 そもそも占いが何かに対して働きかけ、助けてくれるものではない。 最終的に自分を救えるのは自分である。人生で得た教訓や経験及び知恵、そして占いで得た指針やアドバイス、知識を生かすも殺すもその人次第なのである。   占いは吉凶を告げる。 けれども吉とは何であろうか? 凶とはどんなことであろうか? 占いにおける吉凶ほど当てにならないものはない。吉凶はその人個人が判断するものだからだ。   相談者は言う。 「私にとってどちらが良いでしょうか」「私は幸福になれるでしょうか」 良いとか悪いとかいうのもこれまた主観だ。その人にとっての幸せな状態というのはおそらくその人しか知らない。 人によって価値観は違うし、幸せという意味も違う。何をとって幸せとするかは結局その人の価値観によって全然違ってくる。世間一般の、というのは…人が思う幸せが本人が感じられる幸せと同じとは限らない。その人にとっての善いこと、悪いことというのも、人が決める問題ではない。善悪の判断というのは、幸不幸の感じ方と同じで、その人の観念と価値観によって異なっているからだ。お金がなければ、という人もいる。愛が無ければ・・という人も。何も望まない、という人もいる。要は本人が充足感を得られるか否かが重要であるから。   その人自身が、自分なりの主体性・価値観と人生における目標・目的を持っていなければ、真の幸福を見つけることは難しいだろう。人の意見でそれを決めるのではなくて、自分がそれを取り入れるのが有益であるかどうか、それに対して納得できるのか、その考えに従った法が良いと思えるのか否か、である。自分の考えで選んだことに対して人は責任を持たなければならない。   運命は、神からも人からも与えられるものではない。自分が撒いた種、自分に与えていたものに出会って行くという事である。結果として今目の前にあるものを選んでおいたのは、自分なのだから。   ついている人、ついていない人という物の言い方があるけれど、ついていない人はついていない(と思われる)道を選択してしまっているようにも思える。 けれど、そのような時、天を恨み、そういう星の元に生まれついてきた事を絶望するために占いは存在するのではない。人や何かのせいにしていても何も解決しない。 人間は一人では生きていけないし、大勢と人生という行路を交差させ繋 がりを持って存在しているのであるが、他人のために生きているわけではない。 人との関係をどうとらえているかはその人自身の主観で、それを変えていくのも望ましくない方向に向っているのも、その人自身にょって成されているのだから。自分の未来と人生をどのように仕上げていくのか、結局はその人の心次第・・その人の希望の矛先如何である。自分の人生に結論を出せるのは人生の最終地点に立った時の自分自身以外には誰もいない。未来の自分が過去の自分の選択にどういう価値を与えるのか…未来の自分が、今の自分をどう思い、その選択と道筋ほどう受け止めるのか。   自分という枠を与えられた魂、与えられた命をさて、どう演出していくか、あなたはどう生きたいのだろうか?   占いはそういう積極的に自分の人生を生きていこうとする人の何よりも力強い味方となる。しかし、依存心強く他力本願で、生を積極的に生きようとしないものにとっては、自らの弱さや運のなさ、上手くいかない言い訳を証明するだけの無用の産物となってしまう。  

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    • 占い利用ガイド~対面鑑定

      対面鑑定の上手な利用法   電話鑑定・メール文書鑑定のところにも書きましたが、会社を通すにしても、占い師個人に直接依頼するにしても、その質問に相応しい、占い方法、占い師を選定しましょう。 デパートや街中にある占い館はとても便利だと思います。都心にいけばたいていありますし、料金も明朗。デパートとかに入っているコーナーはテナントの一部ですから、消費者の立場として悪質だと感じたときにはクレームもいいやすいでしょう。 ふらっと立ち寄った場所で「占い」の看板を見て、なんとなく・・という場合もあるかもしれません。イベントなどで「無料」で占いサービスをやっていると、特に悩みはないのにせっかくだから見てもらおうという気持ちになるのかもしれませんね。 大体のお客さんは「見てもらおう」という意気込みを持って、占い師のもとを訪れるようです。 そういうときは悩み事や問題など、占ってもらいたいことがはっきりしているものです。 まずは、その内容を解決するのに適した占い技術を会得した占い師の元を訪れましょう。 占いショップや占い館、コーナーなどには所属している占い師のプロフィールや占断が記載してありますから、それが目安になるでしょう。あとは、パッとみた印象ですね。信用できるか、できないか。占ってもらいたい人か否か。(ネガティブな印象を持った人の言葉は、どんなに良い言葉でも「聞き入れる」姿勢を持つことは難しいものですから)   ・相手の気持ち、今後の展開、現状、具体的な質問、3ヵ月以内の運勢、 ⇒兆学(ト占)が向いています ・相性、現在のツキや運勢的なもの、吉凶判断、開運、身体の弱点や健康、 ⇒相学、命学の一部が向いています ・性格判断、適職、適性、才能、先天的な運勢、人生全般、結婚、相性、事業運、長期的な未来 ⇒命学が向いています   ※各占いについての詳細な説明は別ページにあります 個人で看板を出している人道端の占い師の判断基準も、占いの方法と料金、見た目の印象が肝心でしょう。美人とかハンサムとかそういう問題ではなく・・・。   あとはオフィスを構えたり、自宅で鑑定をしている占い師の場合。雑誌で見たり、占い師名鑑を見たり、インターネットで検索したり、他人からの紹介だったり、そのあたりはetc.... 一般にいうところのマスコミに露出していて知名度の高い有名占い師は料金設定は高く、予約を取るのも結構大変だったりします。(時に一ヶ月以上先という場合も) まあ、まずは電話やメールで問い合わせして、予約をとります。 このときに事前データを渡したりするわけですが、占う内容によっては事前のやり取りが必要な場合も発生します。日時だけを指定して、時間だけの約束をとり、占い師のもとにいってから話が始まる場合もありますし、先にいろいろとデータなり話を伺って、対面するときには必要なもの一式を揃えて(すでに解答がでている状態)で話が始まる場合もあります。 家相・墓相・方位、風水、改名や命名、開運法を伴ったものは事前もしくは事後の打ち合わせが結構必要だったりします。たとえば、実際に現地に行くとか・・そんなわけで事前事後の調査やアフターフォローがあるのでこのあたりの占いは一回ですべてが解決・・ではないので、料金も時間それなりにかかるわけです。   その他の占いですが、事前にデータをもらわずその時間内にすべて込みで占いをする、事前データをもらって必要なものすべて揃えて対面のときにそれらについてじっくりと納得いくまで話たり、伝えられることを時間内にできるだけ多く伝えようとする。両方のスタイルがあります。 このあたりは個々の占い師のやり方如何です。どのやり方が正しい正しくない、良い悪いということは言えません。すべては当人のスタイル、やりやすいやり方でやっているだけなので。 利用者であるお客さんが、それで納得いくか満足できるかだけでしょう。   でも、たまーにインチキ霊感占いで、事前にデータを聞くことで身上調査して・・なんていう手の込んだことをする詐欺まがいの占いがありますが、これは要求する料金がべらべうに高いのと過去のことしか言わないので、インチキかどうかはすぐに見抜けるはずです。 私の場合でいうと、ある程度事前にデータはもらいます。誕生日とか住所とか。ト占はタロット、命学は占星術で見ていっているわけですが、ト占・・タロットで見ていくことはともかくとして命学(占星術)だと質問の内容によって見るチャートが異なり、打ち出しておきたいチャートがあるので「おおまかな内容」については質問しています。時期を見るのか、相性を見るのか、先天的なことを見るのか・・などですね。   でもまあ、そのあたりは占い師の判断とやり方なので、基本的には予約時に占い師に要求されたデータだけ提出して、あとは予約した日に尋ねるだけ・・・それでいいと思います。   ※家族や対人関係、恋愛や結婚の相性など、相手がいての悩みは相手のデータも必要です。 あ、尋ねるときは手ぶらでいいんですよ。当日支払うべき料金だけ持参すれば。占い師にみやげ物は必要ありません。そのあたりは依頼者の気持ちだと思いますが。   当然ながら、占ってもらいたい内容は心の中で整理しておきましょう。 メモなどに箇条書きしておいてもよいかもしれません。それを持参して占い師の言葉を書き留めても良いですし、テープなどを持っていって占い師の言葉を録音するのも自由です。 限られた時間を有効に生かすために、質問事項は整理して、的確な言葉で伝えるようにしましょう。   料金設定は人それぞれ 占いショップやコーナーは、お店によって設定した料金は大体一定です。たまに売れっ子占い師は指名料がかかったり、別途の料金設定になっている場合もありますけど。 個人のオフィスはその占い師個人が自分の占い技術に価格を設定したもの。 その価格が適正であるか否かは、利用者の価値観と言えるでしょう。 ただ、占い館やコーナーは時間がきっちりとしていて延長料金をしっかり取られる傾向があります。当たり前なんですが・・・個人のところは比較的融通が利く・・という感じですか。     対面鑑定の長所と短所 相手の顔を見て話ができるので、自分の状態をわかってもらえる・・という利点があるかと。声だけの電話より、人間的なふれあいは得られると思います。まあ、一種のヒーリング効果のようなものですね。電話と違って「尋ねていく」というリアクションとその行動につながるまでのワンクッションがありますから、人の話を十分に聞ける状態に多くの相談者はあったりします。 電話の向こうの誰だかわからない人・・ではなく自分の目の前にいる確実な存在と話す、ということで「相談に訪れている自分」を客観的に見られるのでしょう。 基本的には一件いくらですし、延長料金もかかります。その場での支払いになるので、電話と違って無意識にお金を使いすぎることはあまりないと思います。   占い師の個人オフィスの場合、わりと時間的には融通が利くかもしれません。多少話が長引いてもOKという感じでしょうか。ただし、きっちり延長料金を取る占い師もいますので一概には言えません。あと、予約制なので他のお客さんと顔を合わさなくて良いというのが利点かもしれません。個人のお宅に遊びに行った・・という感覚で家族や他人にも言い訳ができるかも。 占い館ですと、どうしても隣のブースに聞こえたり、通行人に姿を見られたり・・があります。誰にも知られたくない秘密の会話や相談をするのなら、個人のオフィスの方が都合がいいかもしれませんね。 ただ、自宅の近くで適した占い師を探すとなると結構大変かも知れません。 都心に住んでいる人は良いのですが、地方に住んでいる人(特に離島とか)は飛行機や電車代を使って出張や旅行のように出かけてくるというのでないと、体面鑑定ができない人もいますから。そういう人はやはり電話やメールが便利でしょう。料金的にも。  

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    • 占い利用ガイド~メール・文書鑑定

      メール・文書鑑定の上手な利用法   電話鑑定のところにも書きましたが、会社を通すにしても、占い師個人に直接依頼するにしても、その質問に相応しい、占い方法、占い師を選定しましょう。 占いといっても一口にいろいろで、占いには多種多様な種類があります。まず、自分のその質問の解答を得るのに適した占いは何であるのか・・・それを考えましょう。   ・相手の気持ち、今後の展開、現状、具体的な質問、3ヵ月以内の運勢、 ⇒兆学(ト占)が向いています ・相性、現在のツキや運勢的なもの、吉凶判断、開運、身体の弱点や健康、 ⇒相学、命学の一部が向いています ・性格判断、適職、適性、才能、先天的な運勢、人生全般、結婚、相性、事業運、長期的な未来 ⇒命学が向いています   ※各占いについての詳細な説明は別ページにあります 適した占断が見つかったら、この占い師に見てもらいたい・・という人を後は探すだけです。 今ではインターネット上で多くの占い師が個人サイトを開設していますから、サイトの雰囲気や文面などで依頼したい人か否かの判断ができるでしょう。中にはサンプルを載せている占い師もいますから、サンプル自体が目安になると思います。 設定している金額、有名な人は自然と高くなりますけど、占い方法、値段、結果が届くまでの期間などをチェックして、後は記載された手続きに従って申し込みのメールを送ればいいだけです。   ※家族や対人関係、恋愛や結婚の相性など、相手がいての悩みは相手のデータも必要です。名前を見てもらう場合は正確な漢字。 支払いは先払いか後払いかのどちらかになります。後払いの場合、入金を確認してから結果が届くので、急いでいる人は後払い(占いの結果が届いてから占い師が指定した日にち以内に入金する)の方が結果が届くのは少しばかり早いでしょう。 依頼してから結果が届くまでの日数は占い師によって異なります。すぐをモットーにしている人もいますし、2,3日以内だったり、一週間前後だったり。そのあたりは事前に確認しておくべきです。   依頼するときのメールは、その占い師が設定した必要事項(名前・住所・連絡先・生年月日など)、そして占って欲しい事柄を書きます。 内容に関しては前後事情やいきさつ、自分の心情などを書き連ねる人がいるようですが、なるべく何を知りたいのか何を占って欲しいのか、それをきちんと明示して、それ以外の本筋から離れたことは事情説明にとどめておいたほうがよいかもしれません。 上手な質問の仕方が適切な解答を導き出すのだということもお忘れなく。 (占いだけでなく、通常の対人コミュニケーションでも「伝え方」次第で聞きたい答えがちゃんと聞けるか聞けないかっての、ありますよね)     メール・文書鑑定の長所と短所 メール鑑定は文面で結果が来ますから、何度も繰り返し読むことができますし、忘れた頃に読み返すこともできます。聞くと忘れてしまうことでも、文章だと後から読めますので他人から聞いた話を忘れっぽい人にはいいかもしれません。 また、電話だと電話代が気になる、つい長話してしまい料金オーバーが気になるという人には、定額料金のメールは便利だと思います。電話の通話記録を家族に知られたり、電話しているところを見られたら困るとか、電話だと家族に邪魔されたりしやすい・・・という人にもメールは証拠さえうまく隠せばよい手段かもしれません。   電話だとうまく話せない、言葉を発することが出来ない人にも、メールは便利なものです。手紙のほうが上手に自分が思っていることを伝えるのが得意だという人もいますし。 兆学などで得られたその場しのぎの解答ではなく、命学での解答はいわば鑑定書のようなものですので一生モノとして半永久的にとっておくこともできます。忘れた頃に引っぱり出して読んでは確認することも出来ますので、適性や長期的な運勢のことに関しては文章で解答をもらっておいたほうが保存版という意味ではよいかもしれませんね。   欠点としては即位即答ができないということ。 手紙のやり取りですから、解答に対する返信がその場では得られないという点です。だいたいにおいて、最初の解答に対する質問のやり取りは一回まで。中には一ヶ月はフォローする・・という占い師もいるみたいですけど、たいていは一回までの質問になら答えます。というケースが多いようです。 たとえば、質問者が自覚している問題と本質的な問題が外れていたり、その問題を基点として見て行くべき問題が新たに見つかったときなどは、電話とか対面の占いの場合は占いで見る範囲を広げたり、さらに突っ込んだ占いをしていくこともできます。最初の占いによって、本人がもっと他のことが自分とっての問題であることを気づいたり、他の質問が新たに発生したとき、電話や対面だとそれに対して答えてあげることができるわけです。 ですが、メールですとそれがほとんどできません。メールで帰ってきた返事に対して、質問者が納得できるか理解できたか、が目安で質問が発生して・・・それに対して前の占いを踏まえた上でのアドバイスと解答をするという形になります。    

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    • 占い利用ガイド~電話鑑定

      電話鑑定の上手な利用法 ◆受話器を取る前に最初に質問の整理をしておきましょう。混乱しているときには難しいことだと思いますが、自分が「何を聞きたいのか。何について質問したいのか。どんなことを知りたいのか」はっきりさせておいたほうがいいと思います。可能なら、メモか何かに質問事項を書き出しておくと良いでしょう。今回、自分が占いによって何を解決したいのか、その問題が自分の人生や生活の中で占めている比重を考えた上で如何ほどに重要な問題なのか、どこまでの時間とお金を費やせるのか、ボーダーラインを決めておくと良いでしょう。あ、占いに必要なデータも用意しておきましょう。自分の出生年月日や出生地、時間など。※家族や対人関係、恋愛や結婚の相性など、相手がいての悩みは相手のデータも必要です。名前を見てもらう場合は正確な漢字。 電話占いといっても一口にいろいろで、占いには多種多様な種類があります。まず、自分のその質問の解答を得るのに適した占いは何であるのか・・・それを考えましょう。  ・相手の気持ち、今後の展開、現状、具体的な質問、3ヵ月以内の運勢⇒兆学(ト占)が向いています・相性、現在のツキや運勢的なもの、吉凶判断、開運、身体の弱点や健康⇒相学、命学の一部が向いています。・性格判断、適職、適性、才能、先天的な運勢、人生全般、結婚、相性、事業運、長期的な未来⇒命学が向いています。 ※各占いについての詳細な説明は別ページにあります その問題に適した占いの検討がついたら、その占断を得意とする占い師のいる占い会社に電話します。たいていは占い師(占い方法)を指定できるはずです。 単純にいって、兆学(ト占)で導き出せる答えはさほど時間がかかりません。命学は東洋西洋を問わず命式(チャート)と呼ばれる占いで用いる図表が必要ですから、これらを算出して書き起こすのに多少時間がかかります。解読にもそれなりの手順が必要です。相学も、家相・墓相、風水など羅針盤を用いたりするので時間はそれなりにかかってしかるべきです。まあ、相学は姓名判断以外は電話鑑定には向かないものといえるでしょう(電話で伝えるのなら、事前事後のやり取りが何回も発生するということです)。手相、観相はテレビ電話でない限り不可ですし。 さて、心が弱っていて、どうしていいのか判らない。混乱していて思考能力がない、何が悩みなのかわからない・・・そんなときは占いというよりは、カウンセリングやヒーリングがオススメです。昨今では電話でもカウンセリングや遠隔ヒーリングのサービスを行っているところもありますから、そういうところに頼ったほうがいいかもしれません。■電話による占いを受ける前に■1)いったん気持ちを落ち着けて、頭の中で質問内容を整理する。 聞きたいことのポイントをまとめ、メモに書き出しておく。2)金銭・時間的なボーダーラインを決めておく(予算の上限)3)自分の悩み・相談に適した占いは何なのか、選択しておく。 そして、適した占い師のいる占い会社を選ぶ ・商品代価は時間単位電話鑑定は一件単位の料金設定ではなく、一分ごとの料金設定、通話時間が代金という商品代価になっています(そうでないとこもります)。初めに自分にとっての金額のボーダーラインを引くことが大切だと思います。レベルの高い生活をしていてお金が有り余っている人なら別ですが、通常の人はたいてい一ヶ月いくらの中で生活しているはずですから。このくらいの金額で収めたい、というある程度の目安を持つとよいかと。金額的にあまり出せない、という人は最初に計算して何分までの会話ならギリギリ大丈夫かを割り出しておくとよいでしょう。ようするに何事も自分の生活レベル、支払い能力に見合った商品の選び方をすべきなのですね。もちろん、時に人は自分の支払い能力以上の「モノ」や「サービス」が必要なときもありますけれども。それは本人が「自分の現在の支払い能力を超えているモノだけれども今の自分にはそれが必要だ」と、自らが納得して支払うものでなくてはなりません。さて、30分の通話が金額的な限界でそれ以上の金額を占いにはかけられない。という人は最初にその旨を占い師や電話会社に伝えてもよいのではと思います。たとえば、「すみません。予算的に制約があって、あまり長い通話時間をかけられないの難しいかもしれませんがなるべく30分以内でお願いしたいのですけど・・・」と。それに露骨に嫌な反応をする会社や占い師はその時点で辞めたほうがいいかもしれませんね。ただ、その場合、そうは言われたものの内容がとても複雑で質問者とのやり取りとの流れで、どうしても30分で話が収まらない時などは、話が中途半端に終わってしまったり、時間内に終わらせるため表層的な解決方法を伝えるにとどまってしまったり・・・多少の省略もおきてしまう可能性も承知しておくべきでしょう。相談を受けた側は、もし「10分以内で私の悩みに対する占いの回答を提示して欲しい」というリクエストがあったとき、プロであるなら10分以内で導き出せる最低限の回答とその鑑定に必要な諸作業(命式の計算など占いの解答を得る手順)をコンパクトにまとめて伝えることはできるはずです。ただ、それがあくまで10分間のいう時間制限の枠組みの中でしか得られない回答であるという事実を利用者側も忘れずに。 その占い師が提供する占い(情報)をどの程度得ようとするか、より密度の濃いサービスを受けるか占いを中断するか・・・電話を切るか切らないかのタイミングはすべてお客である当人次第。対面鑑定なら一件単位の料金設定なので、占いが終わったあとの雑談などに料金はかかりませんが、電話はその雑談にも通話料金が発生し、依頼者の負担となります。占いの流れからの雑談や占い師との会話を楽しみたい人にとってはそれも必要な情報で良い気晴らしになりましょう。たとえば、病院でお医者さんと世間話をしたり、お店で店員さんと会話する・・・そういうのもコミュニケーションという意味で大切ですよね。それと同じです。たわいのない会話、人間同士のふれあいというのはたいへん貴重なものです。占い以外の会話で心がほぐれたり、そこから日常生活のヒントを見つけられることもあるでしょう。なかには、占いそのものより他人と会話する時間を持つこと自体が必要であったり、自分の話を聞いてもらうだけで救われる人もいるので、本来の占いを使用してのアドバイスから外れた会話は必ずしも無駄なものではありません。でも、人の価値観は様々で、ゆとりある経済的背景を持っていることからそのような情報を得るための自己投資を惜しまない人もいれば、そのような会話にまでお金を使いたくないという人もいるでしょうし、ほんの少しの料金オーバーが気になってしまう人もいます。このあたりはお客さん側がコントロールできるならしたほうがいいでしょう。もちろん、占い師側も見極めるべきなんですけど・・・双方が認識と自覚をもつべきところで、いずれにしてもお客さんも自己管理の範疇で自分なりの価値観を定めてから占いの利用にあたるべきでしょう。 ・電話鑑定の長所と短所電話鑑定の長所は、自分が占ってもらいたい、と思ったときにすぐに占ってもらえること。今ではたくさんの電話鑑定業者があり、ほとんど24時間、深夜まで利用できます。インターネットの普及で占い師の顔を見ながらのテレビ電話鑑定やチャット鑑定といったサービスも可能になりました。何が便利になったかというと、都心に出かけなければ、時間と交通費をかけて占い師のところに出向いていかなければならなかった地域に住んでいる人たちも自宅にいながらにして自宅でサービスを受けられることではないでしょうか。そういう意味では時間的制約のある人や自宅を離れることが難しい人でも占いの恩恵を受けれるようになったのは良いことです。 ただ、欠点としては一分いくら・・という後払いシステムのため、利用者にとっては割高になるときもあり、かつまた手軽すぎていつでも占いに頼れるという現象がおきてしまい、占い中毒・依存症にかかりやすい点が上げられます。気軽に利用できることで気がついたら、一ヶ月に払いきれないくらいの金額を費やしていた・・ということも。これは利用者の問題でもあり、業界の問題でもあります。何かあるとすぐに占いに頼ってしまう・・という現象(依存症)もよくありませんが、ひとつの悩みに対して納得いく内容を言ってもらえるまであらゆる占い、占い師を渡り歩いてしまう(納得いく結果を聞けるまで、あらゆる電話会社、占い師にかけまくってしまう)という「占いのはしご」をしてしまいやすいのも電話鑑定ならではの特徴かも知れません。 <占い師側のジレンマ> お客さんの悩み(問題)に対して、必要なアドバイスをしたいと思ったとき、伝えたいことがもっとあるとき・・・利用者主体ですから、お客様が電話を切りたがって十分な会話が成り立たないときや、時間的制約があるときは占い師側にとってはジレンマでもあります。つまりは需要と供給がかみ合わないのも困りものです。 

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∞Reincarnation~輪廻転生∞
星の数ほども、砂漠にある砂の粒ほども存在する人間の、一人ひとりに命があり、魂があり、人生がある。決して語り継がれることのない忘れ去られた物語。歴史に名を刻まれることはなくとも、魂に歴史は刻まれて、記憶の片鱗は確実に次の人生に影響を及ぼし、継承されていく。そんな風な、名も無き人々の忘れ去られた過去のドラマ…生と死と癒しの物語、そしてそこから知り得たことや得られる学びや教訓、そしてその周辺の予備知識としての霊的知識(スピリチュアリズムや霊的真理)の話など。




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プロフィール

Alma

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女性
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東京都
自己紹介:
大都会、東京の片隅に生息する50代BBA魔女 ・スピリチュアルセラピストとして非科学的な観点か...

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