伊達政宗公と正室愛姫の間に生まれたのが五郎八姫。
五郎八と書いて「いろは」と読みます。
その五郎八姫のお墓がある松島で開催された「五郎八姫物語」と題したイベントへ行ってきました。

 

 

一節にはキリシタンであったと言われている五郎八姫。
京都で生まれ育ち,政宗公をして「五郎八姫が男子であれば」と嘆くほど聡明だったそうです。
輿入れの際に政宗公が城下にあかりを灯して別れをしのんだという逸話や,筆まめ武将として名高い政宗公が五郎八姫にあてた手紙が残っていたりと,とても愛されて育ったことがうかがえます。
嫁いだのは徳川家康の六男・松平忠輝。
仲睦まじかったとされていますが,その結婚生活はわずか10年で幕を閉じます。
徳川家での評価が低かった忠輝が改易となり,離縁させられたのです。
(改易の理由は諸説あり)
仙台へ戻った五郎八姫は再婚することなく68歳で死去。
御霊屋(霊廟)が松島の天麟院にあります。

 

当初建てられた御霊屋は明治の廃仏毀釈の際に取り壊されたとのこと。
その理由は定かではありませんが,一説には形が十字架を連想させる十文字だったという記録が残っているそうなので,キリシタン迫害の可能性もありそうですね。

再建後は簡素な造りでしたが,2016年に生母愛姫らと同様の形の建物になりました。


普段は扉が閉じられているのですが,御開帳されていました。

 

もう一人,天麟院ゆかりの人物が天麟院二世住職の「黄河幽清」。
忠輝と五郎八姫の離縁時,子はいなかったとされていますが,その後伊達家に戻ってから男子を生んだという記録があるそうで,その子供が黄河幽清ではないかという説があります。
五郎八姫の子供は幼い頃政宗公の弟小次郎が仏門に入り身を寄せていたとされている大悲願寺育てられたとのお話しも聞きました。
伊達小次郎と黄河幽清。
歴史上では小田原参陣の際の騒動で殺されたとされる小次郎と,存在自体が秘密にされていた五郎八姫の隠し子が同じ時期に大悲願寺にいた可能性があるそうです。
うーん。とても偶然とは思えない・・・。

 

 

今回開催された「五郎八姫物語」では,着物の着付けや書道といった体験,お姫様道中,野点など様々な催しが行われ,お着物で訪れた人にはおまけなどの特典がありました。

 

 

まずは五郎八姫とその子息黄河幽清の墓前にて行われた,供養の野点に参加。

 

織部流は古田織部の創始による流派で,千利休が確立した控えめな侘び茶から更に進んで,侘びだけではなく華やかなものを美しいと感じる日本人の心を解放した流派として知られています。
茶室も広く,生ける花も色鮮やか,使用する袱紗も無地ではなく家紋入りなど,武家大名好みの流派です。

 

今回は,茶道具を置いている台を,弓矢を防ぐ楯を模して作ったとのこと。

 

菓子は「織部饅頭」。
陶器の織部焼の特色である緑の釉薬に見立てたぼかしが入っています。

雄大な自然を眺めながらいただくお抹茶はとてもおいしかったです。

 

 

続いてはお姫様道中へ。
仙台の「伊達政宗公姫五郎八倶楽部」と山形の「義姫の会」の共同で,政宗公の母義姫,正室の愛姫,息女の五郎八姫という三人のお姫様による行列です。

 

 

 

最後に政宗公の嫡孫光宗の霊廟「円通院」へ。
愛姫が生んだのは五郎八姫と忠宗の二人。
その忠宗の子息が光宗です。
19歳で早世した光宗を供養するため,江戸納涼の亭として使われていた建物を移築して本堂としています。

 

 

 

 

▼幻想的な秋の紅葉ライトアップが有名

 

慶長遣欧使節団として海を渡った支倉常長が持ち帰ったとされる薔薇にちなみ,薔薇園があるのですが,こちらはまだつぼみでした。

 

▼ガイドの色川さん。楽しくてわかりやすい解説をしてくださいます。

 

 

松島は四季を通して日本三景の美しい景色を眺めることができ,また雨の日でも楽しめる素敵な場所です。
愛姫,そして五郎八姫の眠る場所としてふさわしいところだと改めて感じました。

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