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法律学,特に憲法の教科書を読みますと,必ず「判例は法か」という問題が論じられています。



「法」とは何か,と申すととても哲学的な問題でありますが,代表的には国会により定立される法律のように,社会における「拘束力」を有する存在を「法」と定義されます。社会において拘束力を有する規範が「法」なのです。



それでは,国会が制定する法律に対して,特に最高裁判所出した判断(判決や決定。「判例」と称します。)にも,国会で制定された法律のように,拘束力はあるのか,という問題が,「判例は法か」という議論なのです。


「判例」は法である,と主張する立場は,最高裁判所により判断が出された場合,下級審裁判所も,その最高裁判所の判断に合わせるような判決を出すようになる,それは,その最高裁判所により出された「判例」が,法律と同じように拘束力を有するということである,とするものです。


でも,仮に「判例」に拘束力があるとすれば,下級審裁判所の裁判官はその最高裁判所の「判例」に反する判断を行うことができないはずですが,実はそのようなことはないのです。下級審裁判所の裁判官は,最高裁判所の判断である「判例」に反する判断も,行うことができるのです。


ただ,仮に下級審裁判所の裁判官が,最高裁判所の判断よりも自らの判断の方がその法に与えられる意味としてはふさわしいと考えたとしても,最高裁判所の判断(「判例」としての立場)が変化する可能性がないと考えられる場合には,あえて下級審裁判所の裁判官がその事件で自分の判断を優先した判決を出しても,事件当事者が上訴すれば,結局最高裁判所で「判例」の立場に従った判決が出されて終わってしまいますね。それは,事件当事者に不要な上訴の負担を課すことを意味します。ですので,最高裁判所の「判例」が存在する場合には,そのような判断が出されにくい,ということにすぎないと考えるべきなのです。


つまり,どんなに最高裁判所の「判例」が存在していたとしても,それはあくまでも最高裁判所の解釈ににすぎず,その判断には法律と異なり拘束力はないのです。その点で,いかなる意味においても,判例は法ではないのです。私達は,法にいかなる意味を与えるかにつき自由である,と言うことができるでしょう。




昨年(平成27年)12月16日に最高裁大法廷で違憲判決が出された,民法733条1項が規定する6カ月の女性の再婚禁止期間が憲法に違反しないのかを問う裁判につきましても,やはり「判例は法か」という問題が存在していました。



なぜならば,原告の女性と私が今回の裁判を提起することを決めた段階において,その問題については,既に最高裁判所による判断(判例)が存在していたのです。



女性の再婚禁止期間が憲法に違反しないのか,さらにはその規定を改正しない国会の立法不作為が国家賠償法上違法ではないのかの問題について出された最高裁第三小法廷平成7年12月5日判決(以下「最高裁平成7年判決」といいます。)です。



最高裁平成7年判決は,「民法733条の立法趣旨は,父性の推定の重複を回避し,父子関係をめぐる紛争を未然に防ぐことにあるから,国会が同条を改廃しないことが憲法の一義的な文言に違反しているとはいえず,国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではない。」と判示していたのです。



それでは,原告と訴訟代理人弁護士の私は,最高裁平成7年判決が存在しているから提訴しても無駄だ,と考えたのか,と申すと,決してそのようには考えませんでした。なぜならば,判例は決して法ではなく,それ自体に拘束力がある存在ではないからです(判例は法ではなく,紙に書かれた活字である憲法に与えられた意味にすぎないのです。)。



このように,判例は決して法ではなく,活字である法に与えられた意味にすぎないことになります。社会が永遠に変化していく存在である以上,私達が活字である法律に,その時代における意味を変化させ続ける必要があるのでしょう。それは,時代により正義観や公平観が変化する以上,当然のことなのかもしれません。



結果として,原告の女性と私が二人三脚で最高裁までたどり着いた裁判は,平成27年2月18日に大法廷に回付されることが決定され,そして同年12月16日に最高裁大法廷で違憲判決が出されて,最高裁平成7年判決の判断(判例)は変更されたのでした。活字である憲法に与えられた意味が変化した瞬間でした。





この「判例は法か」という命題は,この社会には「正解」は存在しない,決して「答え」を最高裁判所が見つけ出してくれるわけでもない,ということをも意味することだと思います。それを見いだして,活字である法律に新しい意味を与えていくのは,私達なのです。



この社会の構成員である私達が法に対して主体的にアプローチし,光を与えることにより,法に色々な意味が与えられます。法に与えられる光が多ければ多いほど,事件の解決として出される最高裁判所の判断(判例)の光も輝きを放つような気がしています。



「判例は法か」の議論は、私たちに、そのとても大切なことを改めて教えてくれているように思います。

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