ある知人の方から,とても興味深い判決を教えていただきました。ドイツの裁判所が出した判決です。



その判決の前提となっている事件は,もともとは南米のコロンビアで起きました。2003年,コロンビアをバックパックで旅していたドイツ人女性が,現地のテロリストに誘拐され,人質となったのです。



ドイツ政府は,現地に専門家を派遣し,人質となったその女性の解放に向けた交渉を,テロリストとの間で行いました。粘り強い交渉の結果,女性は解放され,ヘリコプターを使ってドイツ政府関係者の待つ安全な場所に戻ります。テロ事件は終結したのです。



ところが,その後女性がドイツに帰国した後,別な法律問題が発生しました。ドイツには,領事法(consular law)という法律があるり,外国に滞在しているドイツ人が,財政的な負担を必要としたり,危険な目にあったりして,政府の助けを受けた場合には,後で政府はその助けのために支出した費用を,その人に請求できる,とされているのです。



冒頭でご紹介した,コロンビアでテロリストに誘拐されたドイツ人女性に対して,ドイツ政府は,人質解放のために必要であったヘリコプター代金として1万2000ユーロ(約160万円)を請求したのです。



その女性は支払いを拒否。そこで政府は,その支払いを求めて訴訟を起こしたのでした。



裁判において,女性の弁護士であるジョセフ・マイヤーさんは,「領事法は人質には適用されない」と主張します。ドイツの裁判所は,そのジョセフ・マイヤーさんの主張を受け入れ,政府は女性に対して支払いを請求することができない,という判決を下したのでした。



ドイツインターネット新聞記事/人質は,その自由のための支払いをしなくてもよい






この事件の経緯と判決は,一見シンプルで,でも私たちに「法律はどのように動かされるべきか」というとても深い側面を,見せてくれているように思います。



上でご紹介したドイツの領事法(consular law)には,「外国に滞在しているドイツ人が,財政的な負担を必要としたり,危険な目にあったりして,政府の助けを受けた場合には,後で政府はその助けのために支出した費用を,その人に請求できる」と規定しているわけです。



ですので,形式的にその法律をコロンビアでの誘拐の場合に適用すると,「コロンビアに滞在しているドイツ人が危険な目に遭い,政府が財政的な支出を必要とした」場合なのですから,政府はその法律を適用して,解放のために支出したヘリコプター代金を請求できるように思えるのです。



でも,よくよく考えてみますと,その領事法が念頭に置いているのは,例えば外国旅行に行ったドイツ人が,政府により危険だから近づかないように,と警告されている場所に行ってしまい,その結果やはり危険な目に遭い,政府が財政的負担を負いながら救済したような場合だと思います。



とすると,コロンビアに滞在していたけれども,自分には全く落ち度のないテロリストによる誘拐と人質という災難に遭った人にまで,その領事法を形式的に適用してしまうと,その人は,テロリストによる誘拐に加えて,後に解放費用の請求まで受けてしまい,まさに「踏んだり蹴ったり」の状態になってしまうのです。



これはまさに,社会的正義や公平の観点からすると見過ごせない結果であります。正義を実現するための手段である法は,そのような結論を容認していないはずです。



その結果,社会としては,「形式的には法律が適用されるように思えるけれども,その適用の結果が著しく正義・公平に反する場合には,適用が排除される」という解釈が求められることになるはずです。それがまさに出された判決の立場でありまして,おそらくはそのような観点から主張を行ったと思われる女性の弁護士ジョセフ・マイヤーさんの感覚はとても素晴らしいな,と思います。



この事件では,上でご紹介した第一審判決の後,ドイツ政府の控訴により,控訴審,上告審へと裁判は続いたということです。正解のない法律の世界における,正義・公平を求める追及が続いたのです。でも,私個人としては,第一審における弁護士ジョセフ・マイヤーさんや,第一審判決の解釈に,法律家としてシンパシーを感じています。