弁護士作花知志のブログ

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東日本大震災により被害を受けられた皆様に,心からお見舞いを申し上げます。






阿藤周平さんが,先月の4月28日に亡くなられました。阿藤さんは,昭和26年(1951年)に山口県で起きた老夫婦の殺害をめぐる「八海(やかい)事件」で,17年後の無罪確定まで,実に3度にわたって死刑判決を受けた,冤罪被害者の方です。



八海事件は,最初に逮捕された男の供述から,共犯者として4人が逮捕されました。阿藤さんはその1人でした。



阿藤さんは,無罪を主張したにも関わらず,主犯格として3度の死刑判決を受けたのですが,服役中の男が「4人は無関係である」と告白したことで疑いが晴れ,昭和43年(1968年)に無罪が確定しました。



法律制度に人生を翻弄された阿藤さんのお気持ちを考えると,胸が痛みます。







憲法36条は,「公務員による拷問及び残虐な刑罰は,絶対にこれを禁ずる。」と規定しています。死刑制度がこの規定に反しないかについて,最高裁は,「火あぶり,はりつけ,さらし首,釜ゆで等,死刑の執行の方法等がその時代と環境において人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には,憲法に違反するが,刑罰としての死刑そのものが,一般に直ちに残虐な刑罰に該当するとは考えられない。」としています(最高裁大法廷昭和23年3月12日判決)。



最高裁は,死刑の問題を刑の執行方法から残虐性を考えているようですけれども,より深刻な問題は,仮に死刑判決を受けた人が無罪であった場合,つまり冤罪であった場合,死刑が執行されてしまうと,もう取り返しがつかない,という点にあります。



皆さんは,検察官が死刑を求刑して,裁判所がそのとおりだと認定した事件で,冤罪なんてまずないだろう,と思われるかもしれませんね。でも,以前の記事「DNA鑑定と死刑制度」でお話しました飯塚事件では,死刑が執行された後,DNA鑑定の信用性に疑問が生じていることを,申しました。







最高裁判所で,実際に死刑事件を担当された団藤元最高裁判事は,戦前から大学で刑法と刑事訴訟法を教えられて,第二次世界大戦後にそれまでの刑事訴訟法から現在の刑事訴訟法へと改正がされた際に,立法にも携わられました。



その後大学を定年になった後で,最高裁判所の裁判官になられたのですね。つまり,日本の刑事法,刑罰を科す法律の大御所の方です。その団藤元最高裁判事は,最高裁を退官後,死刑廃止論者になられたのです。これはとても示唆的なことだと思います(ちなみに団藤元最高裁判事は,少年時代をこの岡山県の高梁市で過ごされて,岡山弁護士会の会館が建てられた際に,記念講演などもしてくださった方です。岡山と縁の深い方です。団藤元判事の岡山県弁護士会での講演は,団藤重光 『この一筋につながる』(岩波書店,新装版,2006年)に「心の旅路」として収録されています。)。



団藤元最高裁判事は,最高裁において死刑再審事件を担当されて,再審(裁判のやり直し)の要件をそれまでの最高裁の立場よりも緩やかにする白取決定に関わったのです。その時のことを,退官後の著書から2点,引用させていただきたいと思います。



①団藤重光『死刑廃止論[第六版]』(有斐閣,2000年)7頁



「誤判の問題が大きくクローズアップされたのは,1975(昭和50)年に私の所属していた最高裁判所第一小法廷で,再審開始の要件を緩和した『白鳥決定』を出してからのことです。この決定が出てから,四件もの死刑事件が再審無罪になったことは,みなさんの記憶にも強く残っていることと思います。



その中の免田(めんだ)事件と財田川(さいたがわ)事件は,再審事件の抗告がたまたま第一審小法廷にかかりました。この二つの事件は,記録をよく読んで見ると,正直言って,無理な認定だという感じをいだかざるを得ませんでした。



しかし,これらの事件でさえも,白鳥決定が出るまでは再審の門をなかなか通れなかったのです。言い換えれば,それ以前において,再審請求が通らないで死刑を執行されてしまった人の中には,無実の罪で処刑された人がいた可能性が強いわけで,しかもその数は明治時代以来かならずしも僅かではなかったのではないかと思われます。そのことを思うだけで胸が痛みます。」




②団藤重光「現代社会における判例の任務」法学教室42号(有斐閣,1984年)9頁



「今までは無罪を言い渡すべき高度の蓋然性をもった証拠が新たに出て来た場合,例えば別に真犯人が現れたというような場合に限って再審の開始を認めていた。ところが,私ども(注:最高裁判所第一小法廷の裁判官)が考えたのでは,今まで出てきていたところのいろんな証拠と新しく出てきた証拠とを総合して考えてみようというのです。



もともと,有罪判決はご承知のとおり合理的な疑いを超える程度の心証がとれた場合に言い渡されるものです。合理的な疑いが残れば無罪です。そういうふうなことを再審の関係にも当てはめるべきだ。つまり,今までの証拠と新しく出た証拠とを総合してみて,この程度では有罪とするだけの心証はとれない,どうしても合理的な疑いが残るということになれば,積極的に無実だということは出なくても,これは再審の開始をするのが当然であろうと。こういうふうな考え方であります。」



つまり,刑事訴訟法には再審開始,つまり一度確定した裁判のやり直しが認められるための要件を定めた規定があるのですが(刑事訴訟法435条「再審の請求は,左の場合において,有罪の言渡をした確定判決に対して,その言渡を受けた者の利益のために,これをすることができる。六 有罪の言渡を受けた者に対して無罪若しくは免訴を言い渡し,刑の言渡を受けた者に対して刑の免除を言い渡し,又は原判決において認められた罪より軽い罪を認めるべき明らかな証拠をあらたに発見したとき」),1975年に白鳥決定が出される前は,仮に死刑判決を受けた人がいて,再審請求をされて,新しく証拠が出されても,真犯人が見つかったり,完全なアリバイが証明されたりしない限り,再審は行われなかったのです。新しい証拠からすると,確かに疑わしいけれども完全に無罪というわけではないなあ,という程度では,再審は開始されなかったのですね。



ですので,先ほど引用いたしました『死刑廃止論』において団藤元最高裁判事は,本当は無罪だった人が,真犯人が見つかったわけではない,という理由で再審請求が認められずに,死刑が執行された場合がかなりあったのではないか,ということを述べられているのです。



そして,最高裁がその「白鳥決定」において,再審開始についての条文である刑事訴訟法435条6号の「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」という規定の解釈を変え,法の動かし方を変えたことによって,ようやく再審請求が認められる場合が出てきたのです。



その一つに免田事件という強盗殺人事件があります。1948年に熊本県で祈祷師夫妻が殺害されて,娘2人が重傷を負わされ,現金が盗まれました。警察は事件当時23歳だった免田さんを疑い,別件の玄米を盗んだ罪で逮捕して,拷問と脅迫を加えたと言われていますが,強盗殺人について自白をさせた後,その自白を証拠として強盗殺人で逮捕したのですね。



強盗殺人事件で逮捕されて,免田さんは,事件当日には女性と一緒にいたのでアリバイがあると主張したのですが,どうも警察がアリバイの捜査を行った際に,その女性に対して「一緒にいたのは事件当日ではなく翌日でした。」というように証言を誘導させたのではないか,と言われています。また,検察は証拠品である凶器の鉈(なた),免田さんが犯行時に着ていて血痕が付着していたとされる法被・マフラー・ズボンなどを廃棄していたそうです。



その後裁判になり,1950年に地方裁判所で死刑判決を受けて,1952年に最高裁で上告が棄却されて死刑が確定した,つまりいつ死刑執行になってもおかしくない状態になりました。その後免田さんは再審請求を行いましたが,第5次請求まで全て棄却されました(第3次請求は地裁では再審の開始が決定されたものの,検察の即時抗告により高裁で取り消されました)。そしてその後1975年に,先ほどお話しました白鳥決定が出され,再審開始についての最高裁の立場が変わった結果,その後の第6次再審請求がようやく認められて,1979年に再審が開始されたのです。



再審ではアリバイを証明する明確な証拠が提示されたこと,検察側の主張する逃走経路に不自然な点が見受けられたことなどが指摘され,1983年,発生から実に34年6ヶ月後,無罪判決が言い渡されました。



その事件の被告人であった免田さんが,再審裁判で無罪となった後で,大学に招かれて講演をされており,その講演は以前の記事「裁判員裁判と無罪判決~鹿児島地裁での裁判員裁判~」で引用させていただいておりますので,よろしければお読みください。



http://ameblo.jp/spacelaw/entry-10732439295.html








団藤元最高裁判事は,死刑廃止論者となったきっかけについて,以下のように書かれています。



団藤重光『死刑廃止論[第六版]』(有斐閣,2000年)8頁


「これから誤判が本当に絶無になると,いったい誰が断言することができるでしょうか。もちろん,事実認定の点で,裁判官は十分な訓練を受け,かつ,経験を積んでいます。



しかし,人間である以上,絶対に間違いがないと言い切ることはできないはずです。しかも,再審による救済にも限界があって,決して絶対的なものとは言えないのです。・・



私は,最高裁判所に在職中に,記録をいくら読んでも,合理的な疑いの余地があるとまではとうてい言えない,しかし,絶対に間違いがないかと言うと,一抹の不安がどうしても拭い切れない,そういう事件にぶつかりました。



具体的事件ですから,ずっと抽象化してお話する以外にありませんが,それはある田舎町で起こった毒殺事件でした。



状況証拠はかなり揃っていて,少なくとも合理的な疑いを超える程度の心証は十分に取れるのです。



ところが,被告人,弁護人の主張によれば,警察は捜査の段階で町の半分だけを調べたところで,一人の怪しい人物を見付けて逮捕しました。それが被告人だったのです。



町のあとの半分は調べていなかった。もしあとの半分も調べていれば,同じような状況の人間がほかにも出て来た可能性がないとは言い切れないのです。・・



そのような事情も,個々の証拠の証明力を減殺するといったものではないので,合理的な疑いが出て来るとまでは言えませんから,事実誤認の理由で破棄するわけには行かない。しかし,それで絶対に間違いないかというと,一抹の不安が最後まで残るのです。



要するに,合理的な疑いを超える程度の心証は取れるのですから,証拠法の原則からいって有罪になるのが当然だった。しかも,もし有罪とすれば,情状は非常に悪い事案ですから,極刑をもって臨む以外にはないというような事件だったのです。



私は裁判長ではなかったのですが,深刻に悩みました。しかし,死刑制度がある以上は,何とも仕方がなかったのです。



いよいよ宣告の日になって,裁判長が上告棄却の判決を言い渡しました。ところが,われわれが退廷する時に,傍聴席にいた被告人の家族とおぼしき人たちから『人殺しっ』という罵声を背後から浴びせかけられました。



裁判官は傍聴席からの悪罵くらいでショックを受けるようでは駄目ですが,この場合はいま申しましたような特異な事情でしたので,これには私は心をえぐられるような痛烈な打撃を受けたのです。その声は今でも耳の底に焼き付いたように残っていて忘れることができません。」







団藤元最高裁判事は,退官後に改訂された『刑法総論』(創文社,第三版,1990年)481頁において,以下のように述べられています。



判決の際に重い刑に値した者も,その後の本人の改悛情況や社会情勢の変化などによって,仮釈放や恩赦などによる緩和が必要になって来ることがすくなくない。刑罰のもつべきこのような動的な性格にもっとも適切なのは自由刑であり,もっとも不適切なのは死刑である。



しかも,誰が死刑判決に絶対に誤判がないと保障することができよう。実際に死刑確定事件で再審無罪になった事例は,周知のとおり,十二にとどまらないのである。わたくしは,人道的見地から,どうしても死刑廃止論を採らざるをえないのである。」



そして団藤元最高裁判事は,いわゆる死刑基準を示した永山事件の控訴審判決(東京高裁昭和56年8月21日判決(裁判長船田三雄判事の名から,船田判決として知られています))が「立法論として,死刑の宣告には裁判官全員一致の意見によるべきものとする意見があるけれども,その精神は現行法の運用にあっても考慮に価するものと考える」と判示したことにつき,「わたくしも判旨の基本思想に賛意を表する者である。」と述べられているのです。









このブログでもお話しました。法律制度は,「この世には完全な人間など存在しないのだ」という,人類のたどり着いたとても悲しい事実を前提にして,構築されています。



そして活字として紙に書かれた法律制度に意味を与え,動かしていくのも,その不完全な人間なのです。



人の命という取り返しのつかないものを社会として奪う刑罰である死刑を,どのように制度として設け,さらにどのように動かしていくのかを,私達は今後も考えていく必要があるのではないか。死刑制度に人生を翻弄された阿藤周平さんが亡くなられた報道に触れて,改めてそう思ったのです。

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