LEO幸福人生のすすめ

幸福の科学一信者のブログです。
幸福の科学での学びを中心として、
読んだ本や、観た映画の感想などを書いています。
面白くて~わかりやすく、ためにもなるブログを目指しています!


テーマ:
反逆(上) (講談社文庫)/講談社

¥620
Amazon.co.jp

遠藤周作の小説『反逆』。
これは上下巻2冊の文庫本になって出ています。読んだのはもう10数年前になりますが … 。

織田信長に反逆した二人の武将を主人公にした小説で、
上巻は、摂津の武将・荒木村重が主人公で、下巻は、明智光秀による反逆を描いています。

荒木村重も、明智光秀も、信長に反逆した武将ということで、この2人を連続して描くことで、
彼らから見た織田信長の姿が見えてくる。そういう小説ですね。

荒木村重という武将が、実際はどのような人物だったのか。
それは、この小説を読んだだけではわからないかもしれませんが、
クリスチャンである作者・遠藤周作は、この作品で織田信長の姿を、まさに魔王のごとき存在として活写することに成功しています。
ボクは、この織田信長像がけっこう正確な信長のイメージに近いのではないか、という強烈な印象があって、
それゆえ、織田信長を過剰に賛美する評論家を、ちょっとどうかな?と疑問に抱いてしまうくらいです。
歴史作家でいうと、藤沢周平さんは大の信長キライ。信長の事績を調べるにつれて、その残虐性は、信長本人に備わった残虐性にしか思えない、という感覚を得てから、キライになったと言います。
一方、よく歴史評論を書いている井沢元彦は過度の信長賛美主義者で、信長キライの藤沢周平さんのことを、勉強不足ではありませんかね、などと言って揶揄していますね。
塩野七生さん、堺屋太一さん、その他、織田信長を絶賛する人は多いけれど、こういう方々はみなマキャベリズムも高評価する人が多くて、覇道であっても、実績残せば優れた政治、と考えてしまうタイプの方々であって、宗教的観点から言うと、そのままハイとは頷けない評論が多いです。
ま、それはわたし自身のスタンスということなんですけども。

たしかに織田信長は、近代を開くために、古い旧態依然とした体制や、実力もないのに既得権益にしがみついた連中を一掃して、時代を切り開いた、という面はあるでしょう。
けれども、その改革はあまりに果断に過ぎて、容赦がない。
恐るべきほどのスピードで征服行をおこない、大改革を進められた裏側には、その改革によって、命を失ったり、不当な運命に見舞われる多くの人への配慮などを、あまりにも考えない冷酷非情な人間だったからではないか。そういう面もあると思うので、
必ずしも、破竹の快進撃でもって日本統一を進めた点だけをもって、この織田信長を第一級の人物と認めるわけにはいかないと、わたしは思います。

領地を拡大しても、その新領地の内政や治安、民への慰撫、配慮などを十全にして、その先に拡大戦略を取っていけば、どうしてもそれなりの時間というものがかかりますね。
武田信玄は、周囲を強敵に囲まれていたのもありますが、信濃を平定して駿河に出るまでに、かなりの年数を使ってしまい、結局それ以上のところまで行くまでに、天命が尽きてしまいました。
一方、織田信長は、尾張から美濃へ出たあとは、短期間のうちに怒涛の進撃をつづけて、近畿地方を席巻していき、やがて覇を唱えますが、
生存時から、天魔だとか、魔王だとか言われて怖れられていたわけでしょう。
戦国時代とはいえ、その残虐性は度を超していたに違いないと、その綽名から推し量ることが出来ますね。武田信玄や上杉謙信は、決してそのような呼ばれ方はしていないんですから。

織田信長が、武田勝頼の甲斐を滅ぼすために、安土城を出た時には、城の上空は真っ赤に染まっていたといいますね。宣教師のルイス・フロイスが日本史で書き残している。
これは宗教人から見たら、何かしらの天の警告なんですけれど、信長はこの天の異常を意にも介さず、武田征伐に出発する。
そのさまを観て、フロイスは唖然としたと書き残しています。
武田を滅ぼした数か月後に、本能寺の変が起きて、信長は横死するのですから、天の警告を無視した天罰といっても、あながち外れではありますまい。


あ、反逆、の話を書こうと思ったら、前置きが長くなりすぎて、信長のことを延々と書きすぎてしまいました。

ここでちょっと、この小説を読んだ10数年前に書いた、ボクの感想文を転載しようと思います。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


遠藤周作の「反逆」を読んでいる。
荒木村重と明智光秀を主役にした作品であり、織田信長の残酷さがこれでもか、これでもかと明らかにされてゆく。

遠藤周作がなぜこうした小説を書いたのか、推理すれば、
要はキリシタンを理解せず、西洋技術を輸入するための道具としてのみ酷使した信長が嫌いだったのであろう。
(注;最近読んだ遠藤周作さんのエッセイで、織田信長のことを別に嫌いではない、と述べている文を読みました。当時の近代主義者として評価している、と述べていますね。2014.8.追記)

その信長への不快と怒りが、こうした作品を書く動機を与えたのだと思う。
信長に追い込まれる村重や光秀、さらには松永久秀、高山右近らの苦悩がひしひしと伝わってくる。
信長の行動が、どれほど多くの人間を苦しめ、泣かせてきたかを作者は語る。
信長批判論であろう。

考えてみると、確かに信長のやった悪行は、列挙すれば切りがない。
比叡山の女子供の皆殺しや、善住坊の竹鋸斬首、荒木村重の妻子の磔刑、浅井長政の漆髑髏、裏切った武将に対してはその妻子眷属まで容赦せず、斬首・串刺し何でもやる。まったく残酷無残な男だ。
信長は要するに、統率力とは恐怖させること、畏怖させることである、そう思っていたのだろう。
それゆえ自分の命令は絶対であり、それに逆らう者は容赦しない。恐怖こそが秩序を確立させる。
それゆえ、そうした統率方針を採ることは、自分の天下統一にとっては必要不可欠の絶対方針である。そう考えていたのだろう。
ゆえに、自分を魔王としていかにも恐ろしい人物に仕立て上げ、それをもって人々が畏怖するための必要条件としたのである。
絶対服従の世界をつくるためには、自らを魔王として恐怖させる必要があると考えたのだ。
この心理の根底には信長の人間不信がある。
人と人の結びつきを、信頼関係によるものだとは、信長はついに気がつかなかった。
信頼関係に基づいた結束こそが最大の強さを持つのだということを知らずに、恐怖によって畏怖させた絶対権力こそが最大の強さであると錯覚した。
信長はだからこそ、必要以上に自分を恐ろしい人物に仕立て上げ、まさに魔王としての生涯をおくったのではあるまいか。

信長は部下を信頼したことは一度も無かったはずである。
また部下から心から慕われたことも一度も無かったであろう。
しかしこれがまったく顛倒したリ-ダ-論であることは言うまでもない。
実際、信長ほど家臣から恨まれ、裏切られた主君は珍しいくらいである。
外様の久秀や村重が謀反を起こすのは当然であろう。
久秀や村重にしても、家康の下にいたなら、あんな無謀な謀反は起こさなかったはずである。
ともかく信長の非情さがこれほどよく表現された小説も珍しい。
多くの歴史評論家あるいは経済評論家などは、信長の先見性や行動力のみを美化しすぎ、信長の非人間的な人格的欠点を棚上げしすぎている。
だから彼らの信長論は一面的である。実際、神の目から見れば、人格こそが第一であって、事業の大小などは二の次なのだ。だから信長という人間を、俺は決して評価できない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だいぶ前に書いた私的な文章なので、敬称抜きで、多少乱暴な言い方をしているのは、お許しくださいませ。

ともかく、「反逆」を読んだ直後は、この小説の主人公たちに感情移入してしまい、信長ってのは許せんなー、と思いながら読んでしまったので、どうしても過激な文章になってしまった感じでしょうか。

ちなみに、今年からの大河ドラマ・黒田官兵衛は、この荒木村重の謀反事件と濃厚にかかわってくるので、
織田信長と荒木村重の確執、さらには明智光秀による本能寺の変も、おそらくはドラマ中で描かれることでしょう。
キャストをみると、荒木村重とその妻だしの名が、ちゃんと出ています。
このだしという女性が、『反逆』の中では、とても重要な存在となっています。
彼女は熱心なクリスチャンですね。
しかし、夫・荒木村重の反逆によって、このだしに襲い掛かる運命、その結末 … 。

織田信長に対する、肯定的な評価、賛美論は多数出ていますけれど、
天魔としてのイメージは、やはり、信長に滅ぼされていった者の視点から見てみないと、わからないものがあるでしょう。
戦乱の世だから、悲劇が多数起こってしまうのは仕方がない面もあろうかと思いますが、
天魔と言われた男の非情さの面も知っていなければ、織田信長という人物の本当の姿は、わからないのではないかと思います。

遠藤周作の描いた『沈黙』という小説は、宣教師がキリストを捨てなければ、信徒たちを拷問にかけて殺すとか、そのような脅しをかけて、宣教師たちの信仰をゆさぶります。
キリストを捨てれば、信徒たちは助けよう。しかし捨てなければ、信徒たちを殺すことになる。
お前の信仰が、信徒たちの命を奪うことになるのだ。
そう役人に詰め寄られた宣教師は、どのような選択をするのか。
そういう小説も、遠藤周作は書いていますね。

織田信長は、キリシタン大名の高山右近に対して、これと似たような脅しをかけました。
自分の命令通りにすれば、信徒への保護を続けよう。
だが余の命令に従わない場合は、キリシタンの権利を奪い、皆殺しにする。
それでもよいのか。
そう詰め寄られた高山右近は、ひとり城を出て出奔する。そういうシーンが、別のドラマで描かれているのを見たことがあります。

織田信長はキリシタンを保護した、宣教師を優遇したといっても、こういう態度を見れば、
彼に、神を敬う気持ちなどなかったことは明白だし、やはり西洋の道具を手に入れるための仲介者としての関心、あるいは異国の文物への興味でしかなかったのではないか、とも思えます。


以上、織田信長キライ論を延々述べてしまいましたが、

こういう面も濃厚に持った織田信長ですから、やはりプラトンの哲人王や、偉大なる君主というには、あまりにも性格的な欠陥が多い人物だったので、
本能寺の変で、明智光秀に倒されたのは、むしろ天意にかなう行為だった、とわたしは考えていました。

最近、霊言でそのあたりのことがわかって、納得~~と思ったレオでした。


おしまい。



反逆(下) (講談社文庫)/講談社

¥620
Amazon.co.jp

AD
いいね!した人  |  コメント(6)  |  リブログ(0)

レオさんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。