LEO幸福人生のすすめ

幸福の科学一信者のブログです。
幸福の科学での学びを中心として、
読んだ本や、観た映画の感想などを書いています。
面白くて~わかりやすく、ためにもなるブログを目指しています!


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ここで私が反論記事を書くキッカケとなった、元信者(現在アンチ)の楽山日記(かなりの粘着性格)なるブログがあるのですが、
当時(2012年末~2013年初頭)、ブログ村幸福の科学カテゴリに、大量のアンチブロガーが乱入してきて、幸福の科学の悪口、信者への挑発発言を行なったがために、
多くの信者ブロガーたちから通報されて、幸福の科学カテゴリの外へ追い出されました


その通報と追い出しを、この楽山日記なるブロガーは、言論の自由の侵害である、という詭弁でもって文句を言い、
アンチが幸福の科学を批判することは、例えるなら、独裁政府や悪徳企業、邪教に対しての、世間への警告の意義がある … などなどの主張でもって、みずからの発言には正当性があるかのように主張していました。

わたしレオから見たら、正当性があるなら、なんで多くの信者ブロガーから嫌がられて通報されるわけ?しかも、第三者の運営さんが、その通報を受けて、現に殆どのアンチブログを追放処分にしたのは何故でしょう?

言論の自由以前に、多くの人たちに対する迷惑行為を行なっているとの判定がなされて、それゆえ追放されたのではないでしょうか?
それを言論の自由だとかいう、政治的権利であるかのような詭弁主張にすり替えて、自己都合の弁を述べていたので
、本記事において、その詭弁性を暴き、斬って捨てた文章です。

そもそも、この楽山日記なる人物は「言論の自由」の意味を正しく理解しておらず、すり替え詭弁によって、自分らの悪質行為を言論の自由と言っています。論外です。言論の自由自体を理解していない詭弁にすぎません。

法的権利としての、いわゆる【言論の自由】とは、国家・政府による言論統制、政治権力による抑圧からの自由の保障という意味であって、どこでも好き勝手に自由に発言する権利がある、などという意味ではありませんから。
そういう点においても、以下の論によってわたしは切り返して、楽山日記なるアンチの主張は、自己正当化の詭弁であるとして、切って捨てたつもりです。

そういう趣旨の文章であるとの理解でもって、お読みいただければ幸いです。<(_ _)>
なお、かような悪質なすり替えや詭弁の輩の言は、基本的に【信ずるに足らない妄言】ばかりであって、まともに耳を傾ける価値もない。そう、ここに明言しておきたいと思います。

(前文として追記)



------------------------------------------------------------

言論は自由です。けれども、その自由には責任が伴います。
権利の主張ばかりではなく、自由の行使を誤った場合の、責任の取り方についても言及がほしいところです。

独裁政府や悪徳企業、インチキ宗教を、言論による批判で倒せば、それは正義の言論ともなりましょう。
けれども、立派な政府や優れた企業、真実の宗教に対して、言論による批判を繰り返せば、それは誤てる言論にしか過ぎなくなります。
批判の方が間違いであり、裁判で訴えられて負ければ、罰金を払うことにもなろうし、社会的な信用を無くして、みずから罰を受けることになるでしょう。
自由な発言には責任が伴い、その内容そのものによって、いずれ判定が出ますね。

幸福の科学に関して言えば、信者はこの教えを、救世の法、宇宙の理法だと信じて、一生懸命学んでいるものですね。
それに対して、一部の批判者は、その宗教はインチキだ、カルトだと言って、批判発言を繰り返しています。
この両者にとっては、幸福の科学に対する評価・価値判断が真逆であって、天地がひっくり返っているため、そもそもの会話がかみ合いませんね。
したがって、信者からは【悪】に見える行為を批判者は【善】なる行為だと言い張っています。迷惑なお節介を、救済行動だと開き直っている。
批判者は批判の自由というが、信者にとっては迷惑行為でしかなく、出ていってほしいと思います。自由と自由の相克です。
わたしが自分で言うのも何ですが、信者同士の議論は、そうは言っても、主なる神エル・カンターレへの信仰においては一致しています。
なので、その議論も、法を基準にして話し合っていけば、どこかに話の収束点が見えてくる。
けれども、幸福の科学そのものを批判する方の場合は、もう根本のところからの対立になりますので、信者同士の議論とは次元が違うのです。
ほとんど只の水掛け論に終始する可能性がある。なのでわたしは、こうした方との長談義は、最小限に留めるようにしています。


批判をするのは自由でしょう。
現に、どこぞの誰かが自由にブログを立ち上げ、幸福の科学のことを延々と批判したとしても、それを強制的にやめさせる手だては、基本的にありません。
週刊新潮や週刊文春が当会を批判することを、物理的にやめさせることは出来ないのと一緒です。誰であっても、自由に批判が出来ちゃいます。
週刊新潮や週刊文春が、言論の自由の下にあるのと同じく、幸福の科学をブログによって批判する者も、言論の自由の下にあります。

これは、幸福の科学カテゴリの外に追い出されたとしても、そうなのです


批判・告発カテゴリに移動させられたとしても、そこにおいて、延々と当会を批判したり、悪口を言ったりする自由は、保障されてきましたよね。ここ半年以上ものあいだ。発言を封殺されることは無かったはずです。
だから、言論の自由は守られたままなんですよ

政府や企業や宗教を批判する自由と、おっしゃっているように、カテゴリ内にいようと、外にいようと、現に今でもこうして、批判を続けていらっしゃる。それがすでに、言論の自由の下にある、ということです。

したがって、カテゴリを追い出されて、強制移動させられたとしても、言論の自由が侵害されていることにはなりません。
わたしの願いは、性質の悪い批判者は、外に出て行ってほしいということですが、それが実現されたとしても、それは言論の自由の否定ではない。単なる通報と移動です

たとえば、週刊新潮の記者が、幸福の科学内で行われるご法話や霊言収録現場に乗り込んで、ここで批判させろ。どこで批判しようが俺の自由。
俺は、迷っている信者の目を覚ましたいのだから、ここで批判させてもらわなければ意味がない。ここで発言する自由があるはずだ。
などと言ったとして、通ると思うでしょうか? 通りませんね。けれどそれは当たり前の話です。
ブラック企業を批判するのに、社長が社員に訓示を垂れている場所に乗り込んで、ブラック企業批判をすることが許されていますか。それが言論の自由ですか?追い出されたら、言論の自由の侵害?そんなことはありませんね。

この人はつまみ出されて外に出されるでしょう。当然の話です。
けれども、こうした人であっても、外に出たら好き勝手な批判記事を乱発できるんです。それを強制的にやめさせることは出来ません。
当人はおそらく言いたい放題でしょう。しっかり言論の自由は保障されてます。

幸福の科学カテゴリで行われた、強制移動もこれと同じことです。
幸福の科学カテゴリにおいて、一部ブロガーが、記事内容に問題ありと、運営さまに判定されて、カテゴリの外へ出されたこと。けれど、外に出された後でも、発言は自由です。場に相応しくないから移動させられたけれど、発言そのものは自由のままです。上の例と同じ話ではありませんか。
要するに、批判・告発カテゴリに強制移動させられることは、その場に相応しくない不適当者と見なされて追い出されたまでの話ですが、そのこと自体は言論の自由の侵害とは呼びませんね
なぜなら、移動させられた後でも、その人の言論は自由なんですから
詭弁を弄して自己を正当化して、被害者顔するのはやめてもらいましょう、ということです。


政府にとって都合の悪いことも言えますし、企業にとって都合の悪いことも言えますし、もちろん、宗教にとって都合の悪いことも言えますよ。

したがって、言論の自由は、きちんと守られています。

相手の都合の悪いことでさえ自由に発言できるので、悪しき政府や企業、宗教をいくらでも追及できますね。
相手にとって不快であり、傷つくような発言であり、道徳に反するような発言であっても、ひょっとすると、社会悪を正す発言である可能性もあるので、頑張る意義があるかもしれません。

もう一度確認すると、一部の批判者が、通報され、カテゴリを強制移動されたことを指して、言論の自由の侵害とは呼びません。言論の自由は保障されたままだからです。

発言の場が制限されたり、自分の好きな場で発言できないからといって、それを指して、言論の自由の侵害のごとく言いつのるのは、お門違いです。
発言内容自体は自由のままなんですから、言論の自由は保障されているからです。

この場所でないと意味がない、なんて主張は、言論の自由とは関係ありませんね。
共産党や社民党本部に乗り込んでいって、議員たちや党員に、直接語りかけて迷妄を解かねば!なんて言って乗り込んでいったって、追い出されるのが普通でしょう。
それは場をわきまえておらず、社会ルールに違反してるだけのことであり、それゆえの追放です。言論の自由とは関係ありません。
この人たちの迷妄を解きたければ、別に本部に乗り込まなくても、世間一般に意見を問うて、ふつうの人たちをまずは啓蒙すればいいだけの話です。

これと同じく、幸福の科学を批判するのも、何も幸福の科学カテゴリでなければ意味がない、などという理屈は通りませんね。
これまた、自分のブログの力によって世に訴え、読者をひきつけ、まずはシンパシーを感じる人たちを説得していくところから始めればいいだけの話です。それが正義だと思うのなら。
幸福の科学批判・告発カテゴリという、明確に目的を表したカテゴリがあるのだから、そこを盛り立て繁盛させて、幸福の科学批判にシンパシーを感じる人を引きつけていけばよいのではないですか。
それに対して、幸福の科学カテゴリに行けば、信者もシンパも大勢いて、一挙に影響力を行使できるなどというのは、成果を性急に求める図々しい考えにすぎず
追い出されるのが当然です


そもそも、カテゴリから外に出される、強制移動、などの処置は、ブログ村の利用規約に則って行われているものですね。
これは、大勢のブロガーが集まる場ならではの交通ルールのようなものであり、その判定と適用の権限は、運営者さまにあります。ブロガーが判定を行えるわけではありません。
そのカテゴリ内において、不適切な発言が多いブログは、利用規約によってルール違反と判定され、移動や削除などの処置が採られているようです。
幸福の科学カテゴリにおいては、基本的に、信者ブログが追い出されるのではなく、批判ブロガーの方が多数、強制移動されているようですね。
この現実に対して、厳粛にその裁定を受け止める態度も必要かと思います。
ファンファンうるさく音を鳴らす運転者は、近隣に迷惑なので、警察官がやってきて連れ去っていきました。
誰もいないところなら、ファンファン鳴らしながら好きなだけ走っても、誰からも文句は言われないかもしれません。自由は保障されている。強制移動は、このようなものかと考えます。

もし、多くの人々が住む、町や村の中で自由に走りたいのなら、社会人としての常識、および、ルールを守ってくださればいいだけの話です。
ブログ村で言えば、利用規約というルールがあります。ルールを守って、社会人としての良識に反しない範囲で書くのなら、批判サイトであっても、強制移動はさせられないようです。

以上です。



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ブログのコメント欄は、ブロガーの管理能力が問われる場
http://gunleo.seesaa.net/article/422459257.html


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