このお話は今年の1月に書籍化した「私が夢見た『優』」。私の大学時代の実話です。

出版に際し、大人の事情によってブログ上から姿を消していたのですが、再UPできることになったので、読めていなかった読者用にもう一度順次公開していきます。

発売中の書籍は、このブログバージョンにいろんなエピソードが追加された完全版になっています。

目次はこちら


私が夢見た「優」  


最終話 「あの坂道」 (第三十話 「未来が呼ぶ声」はこちら


数カ月後。
私はトモの結婚式の教会に向かっていた。大学時代の友人の一人として。
派手な式場ではなく、小さな教会で式は執り行われることになっていた。

冬も終わりに近づいた、少しだけ風の強いよく晴れた日だった。
薄い青と白のマーブルの空は低く、羽毛のようなやわらかな日差しを注いでいた。


教会までのタクシーの後部座席で、私は陽をぴかぴかと受けながら、ぐんぐん流れる街の景色を見ていた。

心は、なめらかな水面のように静かだった。



信号待ちで停まった交差点で、青色と白を基調にした外観のコンビニが目に入った。
私とトモが出会ったのは、そのコンビニと同じチェーン店だった。私たちは、まだ十八歳だった。


胸の水面にひとつ・ふたつ思い出の滴が落ちて波紋になった。それがいくつも合わさって大きな波となり、私の心を打ち震わせた。何度も何度も。



再び走り出した景色が、あまりにも飛ぶように後ろへ後ろへ流れて。あまりにも速くて。何かをとり残しているような気がした。



「トモがいつもお世話になります」


教会に着くとすぐに、トモのお母さんから挨拶を受けた。
彼のお母さんは、笑うと目尻に優しく皺がたくさん寄った。
向こうには、トモによく似たお父さんらしき人がいた。


参列者全員に対しての何気ない挨拶だったのだろうけれど、私は申し訳ない思いでいっぱいになった。



ジュンたちと並んで、私はできるだけ後ろのほうの席についた。決して綺麗だとは言えない年季の入った木の椅子。

もう何十年も、いろんな人がいろんな祈りを胸にこの椅子に座ってきたのだ、と私は思った。


私の祈りは……


木のひんやりとかたい感触を感じながら、目を閉じた。



パイプオルガンの音が、さざめく聖堂内を律するように響き渡る。
牧師入場のあと、トモが真っ白なタキシードで入ってきた。

緊張でガチガチの彼の顔を見て、私は吹き出しそうになった。

それと同時に、笑顔。
私が一番最初にきちんと彼と話したコンビニの駐車場・トモの車・キスも体も、彼と一緒にあったすべてが私の中に流れ込みそうになって、ぐぅっと溢れる涙を必死でこらえた。


私は、ステンドグラスのモザイク模様を見つめた。
たくさんの色・形が合わさったモザイク。
トモと私のモザイクは何色をしていたのだろう。



そして。
新婦が、父親とともにバージンロードを歩きはじめた。
私のすぐ隣をゆっくりと、ベールをふわりなびかせながら通り過ぎてゆく彼女は、肌もドレスも抜けるように白かった。
華奢な、守ってあげたくなる儚さを持った可愛らしい新婦だった。


新婦の向かうその先で、彼女を待つトモの顔はひどく緊張していたけれど、ゆるぎない「新郎」の顔だった。

私は、少しだけ膨らんだ新婦のお腹の中、世に生まれ落ちる瞬間をじっと待つトモの血を受け継いだ子のことを思った。




誓約が終わり、新郎新婦の指輪交換がはじまった。
牧師から誓いの形としての指輪を受けとったトモは、新婦の左手薬指に、それをはめようとした。
緊張からか、なかなかうまくいかずに、彼は新婦と少し笑い合った。
その様子に私は、トモと行った婚前旅行の越前で、彼が私の薬指にはめてくれた指輪のことを思っていた。
目の前の光景と、私の思い出がだぶって、入れ替わった。



私が、もし。
もし普通の女性だったとしたら。トモの隣で微笑んでいるのは私だったのだろうか。
二人でいることに何の罪悪感も感じることなく、皆の心からの祝福を受けられたのだろうか。


……ううん。


私はかたく手のひらを組み合わせた。
そんな仮定は何の意味もない。もうこんなところまで、歩いてきたのだから。


「たら」「れば」
人はよく言うけれど。
そうではない。
出会ったことすべてを無駄にすることができるのなら、すべてを宝物にすることだってできるはずだ。
私は大切なことに気づいた。
男として生まれ、女の外見を手に入れたけれど、私の魂は何も変わらないこと。
どこまでも私でいいのだということ。
それを忘れなければ、私の心の小さな鈴はチリリと澄んだ音色で鳴り続けるだろう。



トモと新婦が並んで参列者に頭を下げた。
その瞬間、私の頭から背筋、全身をひとつの確信が光の早さで貫いた。


終わった。
トモと私。二人の日々が確実に、終わった。


トモの「はじまり」を見届けるために、そしてもうひとつは、しっかりと私の恋の「終わり」を見届けるために、式に参列した。
それは動けなくなるほどのリアルさで、私の胸を強く強く押したけれど、同時に愛おしす過ぎる、途方もない祝福が、トモにも新婦にも、そして私にも、降りてきた。


私たちは、何も、何も間違っていなかった


前列で、うつむき加減でしきりにハンカチで目元を拭っているトモのお母さんを見て、私は思った。



人が人を思う気持ち。なんてみっともなくて、なんてしつこいのだろう。けれど、どうしてこんなにも尊いのだろう。




式が終わり、出席者を一人一人見送る新郎新婦の前に私は立った。次の会には出席せずに、私はそのまま帰ることに決めていた。

「おめでとう。元気な赤ちゃん産んでね」


新婦に声をかけると、


「ありがとうございます!」


彼女はブーケのようにまっさらな笑顔で、私に笑い返してくれた。

「来てくれてありがとう」


トモが笑顔で、右手を差し出した。


「うん、幸せになれよ~! てかちょっと太った?!」


軽口を叩きながら、私たちは何年も繋がりあった同士しかできない握手をした。



トモの、手。
見覚えのあり過ぎる、手。
私を救って、守り続けてくれた手。
この手が守っていくものは変わったけれど、それでいい。
あの日々のトモが、これからも私を救い続けてくれるのだから。
私の手を握ってくれたこと、忘れない。
たくさんのこと、忘れない。

口に出せない感謝が、手と手のぬくもりを通して、トモに少しでも・何万分の一でもいいから伝わればいい、と切に願った。



「じゃあ」


私はゆっくりと手を放した。


「うん」


トモは頷いた。


本当の終わりの風が吹いていた。
それまでの二人の日々を唄に変えながら、優しく。

一瞬。

吹きやまないその風の中で、トモの顔が一瞬・歪んだ気がした。
そんな彼からそっと目を逸らして、新婦さんに頭を下げ、私は歩き出した。


パンプスが。
教会入り口の階段を一段一段下りてゆく私のパンプスが、眩い日差しを照り返していた。


振り返って見上げると、白い十字架と青い空。
目を細めるほどくっきりしたそのコントラストの中で、私は。
あの坂道で、トモと住んだ部屋で、さまざまな二人の時間にこっそり流れていた二人だけの唄を聴いた。


これが、トモとの最後だった。



生まれたのは男の子だった。
のちに、共通の友達から聞いたその子の名前には「優」の文字が使われていた。


優。
優。
私が夢見た「優」。
私の夢は、生きている。





晩秋に。
私の実家のあの坂道で、二人並んで「すごいなぁ」と息を飲んで見上げた、黄金色のイチョウ。
激しく萌え散っていく金のイチョウの絨毯の上で、私たちは同じ幸せを見上げていた。



私が今住むマンションのすぐ近くにも、見事なイチョウ並木がある。
今年も、心を奪われるほどの金色の葉がただただ豪華に、惜しげなく散った。
雨のように金が降りしきる中を、しとしと一人歩いた。



時間は流れ、隣にいたトモはもういなくなったけれど、それでもイチョウの金は美しい。
一人で見ても誰か違う人と見ても変わらずに美しい。
人生はその時その時の美しさを味わえばいい。



「ずっと一緒にいよう」
大きな時間の流れの中では、それは無責任な言葉。けれど、真実の言葉。
私はこれからも、愛した人にはやっぱり言う。何度でも言う。
「ずっと、ずっと一緒にいよう」
と。



ミキは結婚して、子供が産まれた。黒目がちの可愛い男の子だ。

もう辞めてしまった老人ホームには、知っているお年寄りはほとんどいなくなってしまった。
トモの生まれ育った街に、一緒に行く約束は果たせなかったけれど、小さい頃のトモの面影が今も幸せに眠っているその街の名を、ふとしたことで耳にするだけで、あたたかくなれる。



私は歩いていく。
ともに歩くことはできなくなったけれど、二度と巡ることはないあの時間で、トモと私は幼いままで・慈しみあ合いながらずっと笑っていられる。
どんどん忘れながら薄れながらも生きていく中で、それは本当に喜ぶべき素晴らしいことだ。
色づいたイチョウの葉のように、記憶は落ちても輝く。
時間の風に揺られながらモザイクの唄をうたうように。



そんな風に、すべてが同じラインに乗っている。
私もトモも、ミキ、ハツばあちゃん、出会った人、もう会えない人、そして「優」。
同じライン上の皆が大きな輪になって、この空を巡り続ける。

陽に透かされ・風に揺れるイチョウ越しの、透明に近い青空で。
出会う命の不思議を唄うように高く高く。
それが、誰もが願い続ける「永遠」に一番近いのだ・と思う。
永遠の輪。
そこから零れ落ちる光の養分をふんだんに受けて、今年も来年もその先もずっとイチョウは金に色づき、土に還り、また青く生まれる。


トモ。今、心から言える。
「私を救ってくれてありがとう。どうか今のあなたの目に映るイチョウの金が、あのときよりももっと鮮やかな素晴らしいものでありますように」



トモと私が、肩を寄せ合って語り合った未来。
ともに歩く未来を信じた私たちの前には、三人の「優」がいた。
確かにいた。それでいい、きっと。



この記録をあの坂道の私に捧ぐ。
あのイチョウ坂道で。
ドキドキしながらトモの車を待っていた私に。
二人でずっとずっと一緒にいられると信じて疑わなかった。

何も迷いはなかった。
ただ好きでいることだけが全てだった、幼い私がいる唯一の場所、あの坂道で。

             終


皆さん、最後まで読んでくれて本当にありがとうございました。









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