朝からパパは右往左往して台所

サラリーマン兼主夫の育児と料理と、読んだ本のこととか。


テーマ:
なんだかしばらく料理から遠ざかっていますけども。

料理はしています。

主夫のユースケです。仕事は死ぬほど忙しいですが、料理はもちろんしています。

こんなのとか。
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こんなのとか。
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こんなのとか。
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まぁ、ありきたりと言えば、ありきたりですけども。

仕事が忙しすぎるのであります。

さて、そんな気ままな更新にも関わらず、いつも見てくださっている方々、主に主婦の方に、今日は朗報中の朗報です。

砂糖がストッカーの中で固まって大変・・・。

とか。

ストッカーの砂糖がなくなったから、久しぶりにビニールから移そうとしたら、ビニールの中で固形と化してた・・・。

とか、ありませんか?

塩と違って、砂糖は固まると、なんであんな依怙地なんですかね。もう、塩のようにサラっとしてないんですよね。一緒に甲子園に出場した高校生が、還暦を迎えてもなお固い友情で分かちがたく結び合ったように、もうその結束を緩めることはできませんよね、もはや。

そんなゆるぎない友情によって結束している佐藤たちを、もとい砂糖を瓦解するアイテムの登場です。

これです。珪藻土。




軽石?みたいな感じなんですかね。ただの石なんだそうですけど、周囲の水分をひっそりと吸い取るという性質を持っているのだそうです。

「固くなった砂糖に珪藻土がいいらしい。」

という話しをはじめて聴いたのは、たしか、いつかお風呂大好き芸人のアメトークだった気がするのですが、最近、団結しつづける砂糖のヤツらに、いよいよ腹が立ち、記憶の片隅でくすぶっていた情報を引っ張り出してきて、ダメ元でamazonで購入してみたのです。

板チョコ状の珪藻土を2、3個引き離し、ほうろうのストッカーにいれること、2、3日。

すると、どうでしょうか。

いままでは塊からスプーンで削りとっていた砂糖が、力を入れて削ろうとすると、塊ごと崩れるではありませんか。(砂糖がやわらかい状態のときに入れておけば、そもそも固くなるということがありません!)

珪藻土の狡猾な水分吸収作戦に、見事にしてやられてます。

砂糖さん。


もう、内容が完全にステマ化してますが、労働組合の団結に困ってるという資本家のみなさん!間違った、砂糖の団結に困ってるという主婦のみなさん!感動しちゃうので、ダマされたと思って使ってみてください。

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むかしむかし、絵本の国に小沢健二という王子様がいました。

彼は、まず相棒だったコーネリアスくんという猿と別れることを決意し、一人で旅に出ることにしました。彼には旅に出る理由がありました。

1993年に「犬は吠えるがキャラバンは進む」(以下、「犬」)という最初のアルバムを世に送り出したとき、まだ、絵本の国の人々は彼を発見することができずにいました。楽曲も、コーネリアス君と一緒に活動していたときの名残がみえ、扇風機の回る暑いバーカウンターで暗闇から手を伸ばしたり、カウボーイが失踪しているその横を少女がローラースケートで通り過ぎたりと、オシャレな残滓がそこかしこにちりばめられています。

「犬」には、君や僕という関係よりも、美しい外国の風景を絵画のように切り取った作品が目立ちます。それは、実はどれもとても素敵な歌でしたが、その頃の絵本の国の人々は、歌の歌詞から風景を思い浮かべるのが少し苦手でした。どうしても、歌の歌詞には、君や僕がでてきて恋を始めたり、終えたりしないと気がすまないのでした。ですが、王子様には、風景を美しく描写する才能だけでなく、人を想う強い気持ちと強い愛がありました。そのことは「天使たちのシーン」という曲から、如実に感じることができます。

海岸を歩く人たちが砂に
遠く長く足跡をつけていく
過ぎてゆく夏を洗い流す雨が
降るまでの短すぎる瞬間

夏の終わりの海辺を佇むように望んでいるのが僕でしょうか。聴いた人は、その景色をありありと思い浮かべることができます。遠ざかっていく人と、それに連なっていく足跡。季節は、風に涼しさが混じる8月の終わりでしょうか。13分もあるこの曲は、次の歌詞によって締められます。

月は今、明けてゆく空に消える
君や僕を繋いでる緩やかな止まらない法則
神様を信じる強さを僕に
生きることを諦めてしまわないように
にぎやかな場所でかかりつづける音楽に
僕はずっと耳を傾けている

歌詞冒頭の景色の描写から、僕が立ち上がってくる様子が見えます。共感できる近い場所に僕が降りてくるのがわかります。彼は、この曲を作ったことによって王子様になったと言っても過言ではありませんでした。

その後1994年に「今夜はブギーバック」というたぶん、絵本の国で最もみんなに愛されるラップソングをスチャダラパーさん達と一緒に歌った後、小沢健二は急に王子様らしく、絵本の国に召し抱えられます。

その決定機となったのは1994年7月の「愛し愛されていきるのさ」という先行シングルと1994年8月にリリースされた「LIFE」というアルバムでした。恥ずかし気もない確信犯的なタイトル。歌うときの大きな身振り、ふり乱すサラサラの髪、その髪をかき上げる仕草。笑ったときの屈託のない笑顔。思わず気を許してしまうようなかわいらしい声。恥ずかしいと、ときどき上目使いになってしまう癖。

そういうあらゆる王子様的要素によって、小沢健二は王子様になったのです。

それは、「天使たちのシーン」を筆頭に、あらゆる曲にちりばめられた美しい描写や、文学的な比喩、生きることを真っ向から肯定するという素直さ、潔さ。ギターの巧さ。そういった「小沢健二」本来の持ち味とは、ちょっと違った側面と言わないわけにはいきませんでした。

結果的に、2枚目のLIFEというアルバムは「愛し愛されて生きるのさ」「ラブリー」「ぼくらが旅に出る理由」「いちょう並木のセレナーデ」「恋は言ってみりゃボディ・ブロー」「ドアをノックするのは誰だ」などなど、ダブルタイトルのシングルも含めて、収録された曲のほとんどがシングルカットされる程、絵本の国の人々と、絵本の国のレコード会社に愛されました。普通の人には狙ってもできないようなことが、平然と出来てしまうというのも、王子様の特筆すべきすごいところでした。

LIFEの後、王子様は「戦場のボーイズライフpt2」「強い気持ち強い愛」「さよならなんて云えないよ」「痛快ウキウキ通り」という魔法がかって煌めいた楽曲を、精力的にすべてシングル盤で世に送り出します。ちなみに。

左へカーブを曲がると青い海が見えてくる
僕は思う この瞬間は続くと いつまでも

これは「さよならなんて云えないよ」という曲の歌詞です。当時、これを聴いた絵本の国のお昼の番人であるタモリさんは、自身が音楽番組の司会を務めながら、他の人の音楽を褒めたりすることは全くと言って皆無であるにも関わらず、お構いなしにこの歌詞を絶賛しました。「これは、生の最大肯定だよね。美しい海が見えて感動することはあっても、その瞬間が永遠に続くなんて、普通の人には考えられないよ。」と。

「さよらななんて云えないよ」という曲を、王子様はどういう気持ちで歌ったのか。そのタイトルは、その少し先の未来を暗示していたことに、気づいていた人は、たぶん絵本の国にはいませんでした。みな、何も知らずにあいかわらず痛快な王子様にウキウキしていました。

少しの期間充電をすると、復活した王子様の楽曲は、それまでと趣を異にしていました。1996年10月「球体の奏でる音楽」(以下、「球体」)は、なんと言っていいのか、大人じゃないような、子どもじゃないような、いやむしろ大人の、すなわちジャズアルバムでした。

ポップス的要素が、限りなく抑制された楽曲群。ピアノ、ウッドベース、ギター(王子様本人)の3人というシンプルな編成で、ほぼ一発録りされたジャズアレンジが並び、「ブルーの構図のブルース」「大人になれば」「ホテルと嵐」等のタイトルにも、ウキウキ感はありません。「犬」同様、描写的な作品も復活してきました。象徴的なのが、その直後1996年11月に単発でリリースした「夢が夢なら」というシングルです。

四季をそれぞれ

冬を「銀河を見上げる冬の小径 色とりどりすれ違うダウン・ジャケット」
春を「掠める気持ちはつばめのように 四月の空はダイヤモンド」
夏を「七夕を越えて幾つもnight&day 波が寄せては返す夕暮れ」
秋を「嵐のあとに散らばる楓 踏みよけながら駅まで急ぐ」

と歌いあげました。あたかもそこに絵本の国の美しい四季が見えてくるかのような言葉遣いは、王子様の文学的な才能を証明しただけでなく、彼が単なるポップスターでないことを絵本の国の人々に気づかせるものでした。

王子様は、あきらかにポップスと距離を置いていました。

それでもうっかり甘いお茶なんか飲んでみたりする王子様は、相対的にいえば、ダントツに相変わらず王子様でした。そのことを王子様本人がどのように感じていたのか、小沢健二を王子様としてではなく、ひとりの人間として草場の影から応援していた少ない数の人々にも、それは預かり知れない領域でした。

さらなる短い充電期間を経て、小沢健二は1997年7月に「Buddy」というシングル曲をリリースします。それから1998年1月まで「指さえも」「ある光」「春にして君を想う」という楽曲を立て続けに世に送り出します。初期の2枚にはそれぞれカップリングが3曲収録されるなどミニアルバムの様相を呈しており、4枚のシングルすべてを集めるとアルバムができてしまうほど、それぞれ完成度の高い作品でした。

当時の王子様の心境を理解していた人は、絵本の国にはいませんでした。後になってわかったことでしたが、最後の2枚のシングルからは、王子様が、かなり明確に絵本の国や、ポップシーンから旅立つことを決意していることがうかがえます。

その決定的な要素をふたつほど、端的に紹介してみます。

ひとつは、「ある光」の歌詞にある「この線路を降りたら」という一語です。歌詞全体を見直すと、直接的な言及は避けてはいるものの、よくよく読み解くと、小沢健二がポップシーンの中に引かれたレールから降りますという意志を表明していることが、ひしひしと伝わってきました。

それと、もうひとつはシングル「ある光」のカップリング曲です。

その曲のタイトルは「美しさ」というタイトルでした。新曲かと思って聴いてみると「さよならなんて云えないよ」だということがわかります。これは、とても示唆的です。つまりこれは、かつて「さよなら」なんて云えなかった王子様の「さよなら」なのです。さよならが云えるようになってしまった王子様が、さよならがわりにタイトルを改題したのです。

本当は分かってる 2度と戻らない美しい日にいると
そして静かに心は離れていゆくと

かつての王子様は、だれにもそのことを伝えずに、ひっそりと楽曲に想いを込めて、線路を降りていきました。

王子様は、王子様であることを辞め、小沢健二に戻りました。

そのことに気づいた人々は、かなり限られていました。ほとんどいなかったと言ってもいいかもしれません。多くの人たちは、王子様がかつて歌ったように、静かに長い時間の記憶を消し、優しさを抱きしめるように、街中で続いてく暮らしに戻っていきました。

それが今から十数年前のことです。小沢健二が、絵本の国で煌めく王子様として召し抱えられていた期間は、1994年7月から1998年1月までの約3年半という、とても短い期間でした。絵本の国に「小沢健二?そんな人知らなーい。」という人が増えてくるのも仕方ありません。「えー、そんな人いたね。誰だっけ?歌手?」とかいうのも。

正確に言うと、あれから16年が経ちました。

2014年3月19日。魔法がかった煌めきを帯びて、またみんなが手に取れる姿で「我ら、時」として戻ってきました。

かつて小沢健二の曲を愛した私たちはもう知っています。

かつて王子様と言われた小沢健二は、本当は、人々の着実な生活をその生活の美しさを歌うことのできる、とても人間的な歌手でした。彼の歌は、毎日の生活に想いを重ねて生きる人の心に、スッと染み込むようです。王子様などというような、非現実の遠い存在ではなく、とても身近な生活の擁護者でした。

小沢健二がいなくなっても聴き続けられてきたそれぞれの楽曲は、宝石のようにキラキラと輝き、魔法のように過去を彩り、未来を照らす珠玉でした。そして、それは十数年という時を経て聴いても、変わることのない普遍性を帯びています。その曲の強さや、優しさや、美しさは「小沢健二?誰それ?」という今の絵本の国の人々の心にも、届くのでした。

その曲を聴くと、心のどこか大切な部分が救われるのでした。それは、それほど大げさにではなく、ささやかなものでした。けれども、触れられるような救済が宿った音楽は、まだ稀有でした。

なので、絵本の国の人々は、春の夕べにたゆたうように、この音楽を爆音で聴き続けるのでした。

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小沢健二作品集 「我ら、時」
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おしまい。

※蛇足:「絵本の国」というのは、小沢健二が「子どもと昔ばなし」で連載している「うさぎ」に登場する日本という国のことです。
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あなたが我が家にやってきたのは、娘が生まれるのよりももっと前でしたね。友人から妻への誕生日プレゼントとしてやってきたのでした。ふわふわの手触りが好きで、しばらくはボクの枕にされたりして、不遇の時代をかこつことになってしまったことを、申し訳なく思います。

あなたが、本来の役割を果たすことになるのは、そよ風という娘が我が家にやってきてからのことです。正確には、娘のために病院に連れてこられて、生まれたその日から、あなたはわが娘と一緒に眠っていましたね。

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(生まれた病院で)

眠るように目をつむった温和な表情で、娘と一緒に横になっている姿が、あまりにも自然になり過ぎて、家族の一員のような気になることさえあった程です。

娘が大きくになるにつれ、我が家にはあなたの友人が、日増しに増えていきましたね。ディズニー映画に出てくる有名なモンスターや、スウェーデンあたりからやってきた毛並みのいい犬や、熊。それから、誕生日やクリスマスのたびに我が家の一員として増えていく、アンパンマンさんや、ムーミンさんたち。

それでも、娘が毎晩一緒に抱きしめて眠るのはあなただけでしたね。

くまさん。

同じ熊のぬいぐるみとあなとの名前がかぶってしまうという理由で、娘は、もう一匹の熊には「山の手さん」なる珍妙な名前をつけたりしたこともありました。

あなたが娘に抱きしめられるようになって、かれこれ5年になります。正直なところ、最初ボクには、あなたがそれほどまでに娘の寵愛を買う理由がさっぱりよくわからなかったのですが、それでも、娘があなたを愛する様子を見ていて、今では、ボクでさえ、あなたに対して強い親近感のようなものを感じています。

娘の眠りは、あなたによって守られているのだとさえ思います。

そんなあなたの鼻が、命を宿した生物ならばきっと炎症を起こしたとでも言うようにくたびれ、そのまんまるの鼻をつつむ布きれが、薄れてきてしまったのは、かれこれ3カ月くらい前のことでしたね。

ボクはすっかりうろたえましたが、娘はそれでもあなたを大切にしていましたね。どれだけの友情が、娘とあなたとの間に強固につながっているのか、ボクには、検討もつきません。

日増しに弱くなっていく布きれはある日、すっかりめくれて、中綿がまんまるの姿で露出しても、娘はおやすみのたびにいつも通り抱きしめ、キスをして眠りにつくので、ボクはあなたのその病気をなんとかしてあげようと、決心しました。

ボクは、一応服飾の学校に通っていたのですよ。裁縫道具だって一式あります。けど、残念ながら、ずいぶん長いブランクがあります。それに、縫っていたのは洋服だけなのです。しかも、その洋服づくりの技術にしたって、大したことはなかったのですから。

「大手術になるけど、きっとうまくやるからね。」娘にはそう約束しました。

自信はありませんでしたが、娘を想うあなたへの気持ちがあればこそ、私は、失敗は許されないという想いを強くし、覚悟を込めてそう娘に約束したのです。

鼻をいったん取り外す際の娘の不安そうな目をあなたにも見せてあげたかったです。けれど、あなたがいつものように、安らかに目を閉じて眠ってくれていたことにも感謝しています。

手術はちょうど1時間くらいかかりましたね。

鼻が、ピンク色になってしまったことも許してください。あなたの大親友である娘には、事前にそのことを断っておきました。「ピンクのお鼻の方がかわいいよ」と、娘は喜ぶように言っていましたよ。

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だいぶ不器用な手術ではあったけれど、それでも娘はあなたの新しくなった鼻を気に入っているようです。なんども口づけをしていましたね。たぶん、今度名医が現れて、きっともっとキレイにあなたの鼻を治してくれるはずです。

でも、安心してください。今のままでも、娘はあなたをいままでどおり抱きしめてくれるはずです。娘のあなたへの信頼は、疑いようもなく、揺るぎのないものなのです。

あなたが、いつまでも、娘の友達でいてくれていることに感謝します。
どうか、これからも、娘の眠りをお守りください。

あなたの鼻をピンク色にしてしまったことは、謝ります。ごめんなさい。

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※後日、ピンクの鼻は、私の母による追加手術により、より堅牢に身体と繋ぎ合わされました。写真はその手術前です。笑

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一度好きになったらとことん好きになるタイプです。

ユースケです。こんにちは。

もうかれこれ20年来ですか、大ファンである小沢健二が、明日「笑っていいとも」に出演するそうです。

実は、ひふみよツアーのライブ盤が、本日19日発売でその告知を兼ねてということになるんだと思いますが、約15年ぶり?になるテレビ出演が、もう少しで終わってしまう「いいとも」っていうのは、なんだかとても感慨深い思いがあります。

とても冷静を装って文章を書いていますが、実は、遠足前の子どものように、浮足立って、仕事も手につきません。

ミュージックステーションという番組を長らくやっているタモリは、実は音楽には2、3の言辞を持つ人で、かつては自身もジャズトランペットを吹いていました。彼がトランペットを止めたのは、自身がMCを務める番組にマイルス・デイビスをゲストに迎えた際、マイルスの前でトランペットを吹かされ「お前のペットは笑っている」と言われたのがきっかけだったそうです。

たったその一言です。

タモリは、その一言で「ギャグでも音楽に関わってはいけない」とでも思ったのでしょうか。

そんな彼が、どんな気持ちでミュージックステーションのMCを続けているのかは、想像だにできませんが、同じ長寿番組でも、終始楽しそうにふるまっている「タモリ倶楽部」のように、番組収録を楽しんでいるようには見えず、代替可能なメロディに、浅薄で無意味な歌詞を乗せただけのポップミュージックに価値を見出していないことだけは明白で、と言ったら言い過ぎかもしれませんが、とにかく音楽番組のMCなのに、音楽に対して言及することの全くないMC、それがタモリなのです。

さて、そのタモリにして

「俺、長年歌番組やってるけど、いいと思う歌詞は小沢くんだけなんだよね。あれ凄いよね、“左へカーブを曲がると、光る海が見えてくる。僕は思う、この瞬間は続くと、いつまでも”って。俺、人生をあそこまで肯定できないもん」

と言わしめたのが、小沢健二です。いいともで小沢健二を前にして言った「さよならなんて云えないよ」についての評です。とても面白い回で、タモリと小沢健二がすごく真面目に音楽について話すというもの。(youtubeにも上がっていて、結構有名なエピソードです)

小沢健二が最後に笑っていいともに出演した際は、「指さえも」という曲を、生で披露したときでした。タモリが、静かに聞き惚れるように小沢健二の歌を聴いている姿が印象的な回で、タモリが小沢健二の音楽を全うに評価していることを、ここでも感じることができます。(たぶん、これもyoutube で見ることができます)

32年続いたギネスに残るほどの長寿番組の最終盤。

10数年の沈黙をやぶってテレビに戻ってくる小沢健二が「笑っていいとも」を選んだのか、あるいは「笑っていいとも」が小沢健二を選んだのか、どちらかはわからないにしても、最後にタモリと小沢健二のやりとりが見れるというのは、必然というような気がしなくもなくて、深い感慨を覚えます。

きっと明日は今日の井上陽水同様にギターを抱えて、恥ずかしそうに現れ、タモリに捧げる歌を歌うのだと思います。

「ぼくらが旅に出る理由」か「流星ビバップ」か「ある光」か。

あるいはタイトルからして相応しい「さよならなんて云えないよ」か。

いずれにしても、10数年ぶりにテレビに戻ってきた小沢健二が、しばしの別れのためにタモリに歌う曲は、タモリもそしてお茶の間のみんなまで、心震わせるのだろうな・・・という強い予感だけがして、今からもう、なんにも手がつかないのでした。



すでに「我ら、時」としてリリースされていたボックスのCDだけが、「通常版」として発売されました。

我ら、時 通常版
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ボックスは、高くて買えなかったー!っていう人も、これを機に聴いてみてはいかがでしょうか?

ちなみにこのCDについて1点、説明させてください。

実はこのライヴ、開始から「ぼくらが旅に出る理由」のサビの部分まで、漆黒の闇の中でライヴが進行しています。本当の真っ暗。誰がなにをしているのかもわからないのです。それが長すぎるので、もしかしたら、このまま最後まで真っ暗なんじゃないか?と思った程です。(私だけじゃなかったはず!)

つまり、そのサビ前までは、10年以上小沢健二のライヴを待ち続けていたファンが、流星ビバップも、間のモノローグも小沢健二を視認できずにいるのです。

想像してみてください。

ずっと待ちにまった小沢健二は、まだその瞬間まで見えていないのです。

そしてそのまま「ぼくらが旅に出る理由」に突入していくのですが、もう真っ暗でもなんでもいいや・・・と、みんなが諦めかけたその瞬間、まさに旅から帰ってきたといわんばかりに、まっさらな光に照らされて、私たちの前に現れるのです。なのでCDでは、そこでちょっと異常な歓声が沸きあがります。

あのライヴに行かれた方は、間違いなくその瞬間を思い出して鳥肌が立つと思うのですが、きっと運悪くいかなかったという人も、そのことを想像して聞いてみると、劇的な感動が訪れると思います。

静かな春のゆうべに音楽とたゆたうには、とてもふさわしいCDです。

ぜひ、聴いてみてください。

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三年前のあの日、私は、テレビに釘付けだった。会社の会議室のテレビを付けて映し出された景色はどれも深刻で、すぐ父に電話をしたが、迷子の子どもが途方に暮れて立ち尽くすように、電話はあて度もなく信号の迷路を彷徨い向こう側にたどり着くことはなかった。津波と聞いて避難するような父には思えなかったから、便りのつかない時間と、不安を募らすテレビの映像に、父と祖母の安否を想い、希望を抱くのが難しかった。

車検を通したばかりの車を波に拐われるのが忍びなかったという父と、指定の避難場所がわからなくて高台に登ったという認知症の祖母と、それぞれの命を守った理由は、ささやかだった。明くる日、順に伝わってきた吉報は、変わり過ぎた三陸の景色やまだ安否の確認できない多くの友人や親戚達、福島原発の刻一刻と変わる不安な状況とは対象的で、喜ぶのが不謹慎にさえ思われて、複雑な気持ちになったのを覚えてる。

同級生から聞いた忘れられないエピソードがある。

沿岸の食品工場の屋上で、夜を過ごしたという。大型の漁船の衝突を免れた建物の屋上に多くの人がいた。猛スピードで通り過ぎていった大型漁船や重油タンクから漏れた燃料が、工場よりも川上の街並みを燃やし尽くすように暗く黒く炎上していた。間断無く訪れる余震が、津波の再来を想起させて、その度に肌を寄せ合う人々に命を脅かす喫緊の不安を掻き立てた。「死ぬんだろうな」とそう思いながら、その瞬間を待つように身を寄せ合った。三月の夜の寒さよりも前に、目の前に迫りつつある漆黒の炎が、人々の希望を凍りつかせていた。

どうやら生き残れるかもしれないと予感を強く抱くことができたのは、朝日の到来と同じだったという。はためくように差し込む冬の朝日は煌めき、目の前の惨状を残酷に照らした。それでも、死が遠のいていくのを感じたという。喜びでもなく、悲しみでもない。しいて言えば、三月の寒さを思い出さすような光だったと言った友人の言葉が忘れられない。

同級生から聞く話しの全てが物語だった。生き残った人間の話しが、全て武勇伝だった。物語には起伏があり、悲しみと喜びがあった。ときどきユーモアがあり、笑えない怒りがあった。そのどれもが、光輝く生の力強さだった。でも、その眩しさは、少しだけ残酷でもある。

なくなった命にかつてあった輝きは、今は、海に沈んだ宝石なのだ。生きて話すことが叶わなかった、同じだけ些細な、悲喜こもごもの因果があった。生きて語られるわけではないそのエピソードは、海に沈んでしまった宝石のように思える。

「そんなつもりじゃなかったのに。」何も言い残せなかった死者に、まだ話す余地があれば、生き残った私たちも、少し救われただろうか。その輝きは確認しようもなく、今日も海に沈んだままだ。

私たちに出来ることをしたい。そう三年前は思っていたが、今はどうだろうか。私たちに出来ることがずいぶんささやかで、むしろ、ほとんど無力なのだというのに気づかせることの方が多い三年だったのではないか。誰かのためになにかをするのは、とても難しいことなのだと思う。

朝起きて、仕事に向かい、帰ってきて眠りにつくまで、そのほとんどが、誰のためでもなく自分のためなのだ。

でも、そこに輝きがないわけではない。他人のために生きていても、自分のために生きていようと、生も死もひっくるめて、命は輝いているのだと、同級生の話しを思い出すたびに、私は思う。

そして少しだけ残酷なことに、語られる輝きが生の最中だというだけだ。どうせなら自分のために、そしてときどき他人のために、その輝きを誰かに伝えたい。それが、三年経った今、考えていること。

海に沈んだ宝石を想いながら、楽しいと思える生の最中に。
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