2011-03-30 20:50:41

+ 三回忌が過ぎた。

テーマ:* 父が食道癌

 最近の病院では手術や大きい治療の予定がない患者は、退院させられるものらしい。


 ・・・・・・と書くと当然のようだが、手術後、口から食べ物を食べれない、自力で歩けない状態で、父は退院させられた。

 一日3日、近くの町医者に点滴に通うのだそうだが、歩くのは疎か立つのもままならない状態、ベットから玄関に出るのも10分はかかっただろう。病院の送迎車に乗るのも、車いすに乗るのも、全てが命を削っているように見える。

 そんな思いで点滴に行っても、皮膚が血管がボロボロで、生きていく為の栄養が定量分入らない日々。


 確かに病院で遠回しに余命は聞いた。ということは退院後は自宅でこうやってすり減って死んでいけということか。
 どうして良いのか分からなくて(何も出来ないのだろう)、自分達はド素人で、誰も頼れなくて、何より肉親の死を受け止め切れていないのに。

 調べたり福祉に相談したりして、在宅ホスピスの点滴と緩和ケアに切り替える。


 ホスピスに切り替えてから亡くなるまでが2ヶ月くらい。手術後の転移が原因だったようだ。開腹手術によって症状が進行するというのは、よくあるのだそうだ。

 点滴に通わなくて良くなったのがとてもプラスで、緩和ケアのおかげで身体も随分楽になったようだ。我慢してくれてたのもあるんだろうな。
 それでも病院ではなく、自宅で、家族と24時間過ごせた時間は良かったと思う。
 
 食道癌なんてそれまで聞いた事がなかったのに、父が亡くなってからよく耳にするようになった。

赤塚不二夫
岡田真澄
藤田まこと
開高健
桑田佳祐
小澤征爾
立川談志
忌野清志郎

 意識がそちらにいくから耳に入るだけかな?という気もするが、やはり実際に増えているような気がする(そして最近ではまた聞かなくなり)。
 父の発症が今だったなら、もしかして食道癌だとすぐ気付けて助かったかも知れないなとも思う。


 父が病気になってからは。
 母を支えないとという想いもあり、父の為に何が出来るかずっと考え、本当に今の病院で、治療法で合っているのかと迷い、今のうちに父と沢山喋っておきたいと題材を探し、だけど元々お互い無口で、会話でのコミニュケーションより、釣りに行ったり畑仕事をしたり、黙々と一緒に何かをする時間が長かったから、いざ喋ろうとしても言葉が出ず。

 父は夜の9時になると睡眠薬を飲んで寝てしまう。だからそれまでに帰らないとと帰宅を急ぎ、手足のマッサージで10分ほどコミニュケーションを取る。


 ブレーキもハンドルもない車に乗って壁に衝突しようとしているような毎日だった。泣いても喚いてもどうにもならない。1秒1秒正確に容赦なく壁はどんどん近づいてくる。出来るだけ壁から目を逸らしたい。いっそ早く壁にぶつかってしまいたい。

 その反面、頭がついていかないのか、父の来年の春のパジャマを揃えたりもしていた。亡くなる日の昼、往診の先生から「あと3日くらい」と言われた時も、「何言ってるの、ホント冗談のセンスがないんだから」と苦笑いをしてしまった。買い物帰りで大根やら長ネギを抱えている自分の姿が変だなぁなんて暢気に考えていた。


 自分の為に「助かった」と思えたのは、先が見えない状態で、大体の頼みを聞いてあげれた事。いや、私が叶えてあげれるような頼み事を、わざとしてくれたんだろうな。

 亡くなる前の夜、私は会社から疲れて帰って、食事前に軽く手足をマッサージしてあげた。それが終わり食卓についた後、もう一度呼ばれて、手を出された。握手?起き上がりたいのかな?色々「?」マークが浮かんだ後、取りあえずマッサージしてあげると笑ってくれた。あの時、冷たくしなくて良かったと心底思う。あの時もし「今日は勘弁してや」とか言っていたら一生後悔した。まさかあれが最後になると思わなかったから、私の頭の中では絶対に亡くならないと思ってたから、それは有り得る事で。そのことだけは神様に感謝出来る。


 葬儀場で父の名前がデカデカと書かれている時、焼き場で遺骨を見る時は、とても変な感じがした。悲しいというより違和感だった。

 焼き場に行くのが恐怖だった。親を焼くのだ。父の兄弟が「お葬式をした勢いでないと、焼き場になんて行けない。うまいことなってる」と言った。その通りだと思った。


 亡くなってから3年ほど経った今でも、断腸の思いだとか強烈な悲しみというより違和感の方が強い。
 一人暮らし歴が長かったからだろうか?単に遠くに居るだけのよう気がしている。そういえば私は死後の世界を信じているから、あながち外れていないかも知れない。

 病気で苦しんで弱っていた父が、元気になって遠くに行ったような、亡くなったことによって病が治ったような気がしている。

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2009-11-09 23:20:20

+ 4月から7月へ。

テーマ:* 父が食道癌
 放射線治療と抗ガン剤を2クール。
 放射線は一生のうちに打てる量というのが決まっているそうで、間に数年空けたとしても、それ以上は打てないそうだ。
 大部屋の窓際。元気そうに見えるのだけど、やっぱり体調は優れないようで、差し入れの本も漫画も目を通すだけの気力がないという。

 「この間、やはり殆ど食事せず」・・・と当時の日記には書いているが、手術後や退院後の食事量を考えると、まだまだ食べていた方だと思う。

********************************************

 手術の日。
 ネットで調べた内容とほぼ同じ、とても大きい手術だ。
 
 それでも開腹して転移が多すぎるようだと、手術をせずに閉じると説明を受ける。
 控え室で待ちつつ、家族呼び出しのアナウンスのたびにドキドキする。5時間以上呼び出しがなければ、取り敢えず大丈夫だという事。

 患者家族の控え室では、同窓会のように盛り上がる親族が一組。「ひさしぶりー!」「最近どうしてる?」などとキャッキャと盛り上がっている。思わず殺意を抱いて睨み倒すが、楽しんでいる人というのは盲目状態なので全く効き目なし。桐野夏生の「あなたの幸せは周囲の不幸」というのは、実に当たっていると思う。

 持っている本が久坂部羊の「廃用身」で、こんなシチュエーションで読む事に疑問を感じながらも一気に読んでしまう。
 待つ時間というのも辛いもので、12時丁度に売店のお弁当を食べる。

 ゲームというものの存在すら知らないような母が、「何でもいいから、携帯のゲームない?」と聞いてくる。余程気を紛らわせたかったのか。
 ぷよぷよや、テトリスなど教えるが、もともと馴染みがない所に集中も出来ず、1分も保たない。

 夕方4時ごろ、「流石にもう大丈夫かな」と思い、病室にコーヒーを取りに行く。
 帰ってくると母と看護婦が話しているのが廊下の端から見える。
 ヒヤっとして走りこむと、手術完了との事。
 執刀医の有名な先生から説明があるから、と少し待つ。
 切り取った病変部位を見せてもらい、「見える所は全て取れたが、転移が激しく、再発の可能性は高い」と言われる。

 「再発しないようにする為にはどうすれば良いんですか?再発したらどうすれば良いんですか?」と尋ねると、「再発した時に治療が出来るよう、体力をつけることくらいです」と言われる。

 ICUへ。
 「意識がない状態の人」を、初めて見る。

 それでも無事手術が終わったと言うことで、何故か「完治した」くらいに浮かれてしまって、夕食に母と回転寿司を食べる。
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2008-11-04 19:02:18

+ 私は大事な事ほど友達に言えない。

テーマ:* 父が食道癌


 思い出すのは18の頃、入学式から数ヶ月、知り合って日が浅い学校の友達と4人くらいで他愛のない話をしていた。


 一人が前日に失恋をしたんだか、親が病気になったんだか、バイトをクビになったんだか、当時の18歳にしてはヘヴィーな事があったんだ。その話を打ち明けてきたので、今からでも解決策があるのか相談に乗ったり、その子を慰めたり励ましたりしようとした矢先。

 別の子が「ところで昨日の吉本新喜劇さぁ~」と、ギャハハとmy話題に切り替え、それっきり。他の子も「えええっ!」って感じだったが、誰も止めれなかった。


 多分、そんな事はそれから何度も何度もあったのだろう。自分がされた事だってあったのだろう。

 だけどあまりに分かりやすい話だから、例として思い出すのは18の頃の、その話だ。

 友達を含む他人に何かを打ち明けるか打ち明けるまいか悩む時の基準は、”その直後「ところでさぁ」と話を変えられたとして、その子を許せなくなるかどうか”がボーダーだ。


 「ところでさぁ」と言った子は、何でそんな事を言ったんだろうな。その子の失恋話が青臭くて、聞くに耐えなかったんだろうか(そういうシチュエーションは、何度も経験がある。確かにアレは辛い)。それとも相手を引き摺り上げる為に面白い話をしようとしたのだろうか(とてもそうは見えなかった)。18の時の彼女に対しては「ただの自分大好き」だったんだろうと今でも思っている。


 大人になると皆趣味趣向が分化してきて、一筋縄ではいかなくなってくる。

 同じ事象の反応の幅は、180度のブレがある。

 私の知る限りでも、愚痴を言った時でさえ、「聞き流して欲しい派」と「一緒に怒って欲しい派」が居る。


 友達の父親のお通夜に行った時、お悔やみを1言2言言った直後、つい昨日父親を亡くしたばかりの子に向かって、自分のネット恋愛の苦悩を滔々と愚痴り始めた子が居た。

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2008-10-10 18:34:17

+ あっさりと告知される

テーマ:* 父が食道癌

 3月中旬。女友達と二人で城之崎へ旅行に行く。
 温泉巡りの最中、母から電話がある。
「今どこに居るのん」「城之崎ー♪旅行中」「じゃ、良い」「どしたん」

 聞いていくと、私の家に届いている資料が必要とのこと。
 「捨てたかも知れんけど、家帰ったら見てみる」ということで電話を切る。今思えば本当は父の話をしようとしていたのかも知れない。

 確かにこの時話されていたら、私は旅行どころではなかったと思う。
 実際、父が入院してからは旅行どころか遊びに行く事も殆ど出来なくなってしまったから、最後の「何の悩みもない脳天気な旅行」だったかも知れないのだ。
 母の気遣いの気持ちは嬉しかったし、流石だと思った。そして、この歳になってもこんな事態になっても、守られている自分を厄介者に感じた。


 帰ってから母に電話をする。実家にお土産を持って行こうと思う。
 折角帰るのだから、退職後に不定休で再就職した父の休日に合わせようと予定を聞くと母は「うーん」と言い渋る。


 そして「お父さん、ガンなんよ」と。


 その時、最初に思ったのは「やっかいな事になったな」。
 オオゴトだけどどこか余裕の気持ちだったのだ。

 私のイメージではガンは一昔前の結核と同じく、「一昔前は死病だったけど、今では十分に治る病気」だったからだ。
 しかも食道というと普段は殆ど意識しない場所。食道には失礼だが、胃腸ほど体調に応じてアピールしないし、肝臓や腎臓ほど重要なイメージがない。
 「暫くは大変だろうけど、節目節目の厄みたいなもの」
 そんな間違った先入観があったのだ。


 3月の始めのパーティの数日後、とうとう食べ物が喉を通らなくなってしまい、母に「病院に行け」と言われたそうだ。
 病院では初診のその場で内視鏡検査をしてくれて。
 内視鏡の画面をディスプレイに映して見つつ、内科の40前後女医さんに
「あーーこことここ、癌ですね。大丈夫、このくらいなら治りますよ。早めに入院して治療を開始しましょう」と軽く告知されたそうだ。


 父は病院から一人で帰り、母に「僕、癌やねんて」と言ったそうだ。

 年末に健康診断を受けていた筈なので「いつごろ出来た癌ですかね?」と聞くと「ここ3ヶ月でしょう」と言われる。
 その後手術の為に外科に移ってから外科の先生に尋ねた所、「3ヶ月は有り得ない。2年前後経ってる筈」との事。
 後から分かった事だが、ステージ4。


 出来て2年目の癌と、3ヶ月の癌では治療方法も違うと思う。医者って、病院ってこんなモンなのかな?女医先生に対する不信感を感じる。

 数日後、女医先生の上司と思しき医師から別の用事で電話があり、ついでに「治る治ると言ったようですが、一応覚悟はしておいて下さい」と言われる。


 インターネットで調べて愕然とする。
 食道癌は、癌の中でかなり難しい部類に入るそうだ。
 5年の生存率が何パーセントであるとか。5年?すぐじゃないか?

 病院嫌いの両親の事だから頼みの綱の「早期発見」からはほど遠い。

 
 父と言えば酒と煙草の人で、だから私や母は肝臓と肺の心配しかしていなかったんだ。


 酒と煙草というと、食道癌、ドンピシャだ。
 だれか身内に食道癌経験者が居れば、「酒と煙草がダメなんだって」という知識があれば、「のどが痛い」と言われた時に、即対応出来たのに。
 「また御飯を食べたくないだけなんだ」「どうせ検査に行けと言っても、絶対に行かないだろう。逆切れされるだろうから言わない」と流してしまっていたんだ。


 その1週間後、病院のベットが空くのを待って、初診をして貰った大学病院に入院。治療を開始する。

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2008-08-06 19:34:11

+ そういえば夢も見た。

テーマ:* 父が食道癌

 2月の終わり。毎晩のように父の夢を沢山見る。


 気になって夢判断のサイトを検索。
 「女性の夢に出てくる父親は、本当は父親の事ではなく恋人の意味」と書かれてあるのを見て、「ああ、遠くに居るアノヒトは・・・」なんて暢気に想いを馳せる。


 大抵は夢らしいハチャメチャなものばかりだったが、ひとつだけ「え?」と思ったのがあった。
 みんなで筍掘りに行っている夢。

 現実でも筍掘りは毎年の恒例行事だ。メンバーもそのメンバーで、夢にしては筋が通っている。


 父は何をするにも抜かりなく、母が天然でオッチョコチョイ。だから私は母の心配しかしていなかった。「転ばないだろうか?」「足をひっかけないだろうか」。

 ところが父の方が斜面で足を滑らせる。「父の事だから、まぁ大丈夫だろう」と思いつつも、私は念のため父が着ているパーカーの襟を掴む。

 ところがスルっとパーカーが脱げてしまい、父はそのまま斜面を転げ落ち、下の道路で額を打つ。


 何日後かまで時間が飛び、私は車椅子の父の横に居て、誰かに向かって喋っている。

 「あれ以来、父は性格が変わっちゃって扱いにくくなったのよ」



 寝覚めの良くない夢を見る事は珍しくない。


 だけど今思い返せば、脈絡のないものを含めて、あれだけ父の夢を立て続けに見たのは初めての事。もう少し気になっていれば良かったのに。


 余談だが、父は検査結果を聞きに行く前の夜、父の両親が暗い所で並んで座って、父の方を見ている夢を見たそうだ。

 亡くなって何十年経つ祖父母が未だに夫婦として並んで座り、初老の我が子を見守るという構図がとても暖かく有難いものに感じた。

 同時に「検査結果聞きに行く時に夢に出られても遅すぎる。数ヶ月前に出てきて、早く検査に行くよう促してくれれば良かったのに」とも思ってみたりする。

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2008-08-04 19:26:16

+ サインを出していてくれたのかも知れない。

テーマ:* 父が食道癌

 3月の始め、たまたま実家に帰る日に両親がホームパーティをするというので、同席させて貰った。
 ゲストは実家をリフォームした時、設計をして下さった母の友人の建築士さんご夫婦だ。


 デザートも近くなった頃、旦那さんの方が「ご両親が歳を取っていく事、心配?」と"老後の世話をする気があるのかな"的な事を遠回しに聞いてこられた。
 話の運びからすると、旦那さん自身が自分の娘には照れて聞けない事を、酔いに任せて同い年の私に聞いているという感じだ。
 ご夫婦はユタカなので、頼る気満々なのではなく、気にかけてくれてると嬉しいなというレベルの聞き方で。


 兄弟が首都圏で就職した時点で、老後の両親の面倒は私が見る事になるのだろうという心構えは、あった。
 キャパが狭いから、周りにいっぱい迷惑かけて、見苦しさ全開になるんだろうなぁとか思いつつ。


 ストレートに答えるのも照れるし、普段から気になっていた事を言った。

「心配はしているけれど、体調が悪くなっても、悪い悪いと言うばかりで病院に行かないんですよ。しつこく言うと怒り出すし。

 もし何かあった時、"あの時無理矢理にでも連れて行っておけば"なんて後悔したくないんですけどねぇ。**さんからも言ってやって下さい」と。


 毎日のように「グラグラしてる」と言いながら、病院に行かず結局何ヶ月も放ったらかしにしておいて、抜かざるを得なくなった母の歯を思い出しながら。
 風邪で高熱なのにわざわざ雨の中畑仕事をして、肺炎で入院した時の父を思い出しながら。
 
 「行かなきゃとは思ってるんですが、この歳まで何十年も病院に行っていない。今病院に行ったら悪い所が山ほど出て来て、病人になってしまいそうで怖いんですよ」と母が答える。


 治療という形で白黒つけ、白であると証明出来るまで白くする事で発生するデメリットは確かに有る。

 だからまぁ、「病院に行くと病人になる」という発想も有りかなぁと少し思いつつも、何故かこの日の話はひっかかっていた。


 父は昔からとても良く動いて、良く働くのに、食べる事が大嫌いだ。カロリーの殆どはアルコールで摂取しているのではないかと思われる。
 この日も勧められた料理に対して「喉がひっかかって飲み込み辛いから、結構です」と断っていた。

 「昼沢山食べたから」「昼が遅かったから」「昼同じものを食べたから」「昼油モノだったから」「この食べ物のニオイが苦手だから」「会社でお土産を夕方食べてしまったから」
 物心ついた時から聞かされ続けてきた、父が食べまいとする言い訳は多種多様で、「ああ、また始まった」としか思えなかった。

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