送別会・・・

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 平成29年3月16日(木)、18:30から、上天草市龍ケ岳町樋島にある「きらら停」で、上天草市立上天草総合病院の退職者の送別会がありました。 
 今年は、多くて、10名の退職者でした。何故か、私も、非常勤なのに、とてもありがたいことに、送別会をして頂きました。 
 120名程いました。私の座席は、前の方で、横に看護部長、前に、管理者で、しばしば懇談しました。平成17年に、カナダに行く前に、面接に行った当時のことを管理者が皆に説明していました。あれから、まる12年、そんなに経ってしまいました。 
 あるドクターから、「車も持たず、ここに10年以上もいることが信じられない・・・」って感じ言われました。 
 又、職員の多くの人から、「子どもが小さい時から先生に大変お世話になり、お陰様で・・・」と言われました。 
 篠笛で演奏しましたが、ある人から、「先生、今日は、手品、なかっですね・・」とか、又、別の人からは、「太鼓、期待してたんですけど・・・」とも言われました。 
 又、文化祭で一緒にお茶会をしていた人からは、「今まで、先生がお点前してくれていたので、良かったんですが・・・」と。 
 看護学校の先生からは、「先生の穴埋め、大変です・・・」って感じで、言われました。 
 最後の方で、心温まる「感謝」の飾り物を頂きました。 
 ありがとうございました。 

https://www.youtube.com/watch?v=12ByRhpNg0Q 
https://www.youtube.com/watch?v=NG2bWKdluCY 
https://www.youtube.com/watch?v=S9vxpDwQJ_o 
 

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天草での生活・・・

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 天草で、家内と何度も散歩して、この景色を見ていました。 
 13日(月)の夕方、医局会で、最後の挨拶しました。16日の夜には、送別会があります。ここでの11年7ヶ月、確かに長かったのですが、今思うに、常に充実した状態で、急ピッチで過ぎて行った感じです。 
 どうしてこれが出来たのか?・・・→就職する前に、(医者にも人生にも疲れた感じになって、疲弊してしまって)、まる1年間、全く仕事しなくて、海外で独りで過ごしたからだと思っています。 
 リセットした状態で、天草で働く様になり、60歳になる前に非常勤医となって、肩書なしで、私なりに医療や趣味が出来て、今は、充電満杯って感じになっています。 
 非常勤医になってからは、二人体制の時は、長い休みも頂き、(家内と一緒に)しばしば京都旅行をし、また、フランスのパリで1ヶ月間過ごしたり、オーストラリアの(佐伯の姉妹都市の)グラッドストーんで1ヶ月間過ごしたり、昨年は、(中学3年の時から行きたかった)念願のアウシュビッツにも、行けました。 
 年間25(30)回の看護学校での講義(毎回、講義後に試験)、(365日24時間連絡体制の)新生児・未熟児医療(旅行中にも、新生児室から、何度か、電話がありましたが・・・)、救急医療(平日は、17:00と19:30、土曜は、10:00、日曜は、17:00、年末年始とゴールデンウィーク中には、一度も休むことなく)、アチコチでの独りボランティア演奏、お茶会でのお点前(戸次でも、大川でも、病院内で開催させて頂きましたが)、多国語学習(お陰で、語学オタクになりました)など。 
 それに、天草に就職する前に使って失くした貯金も、少なからず、又、貯まりました(老後、子ども達に何とか迷惑掛けなくて終わりそうですが)。 

http://blogs.yahoo.co.jp/masatahara59/35719781.html(←独りボランティア演奏) 

https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%A4%9A%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E8%AC%9B%E5%BA%A7%E3%80%80%E7%94%B0%E5%8E%9F%E6%AD%A3%E8%8B%B1(←多国語) 
 

 

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ヨーガ・・・

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 今年になって、ヨ一ガをしています。佐伯にいる時、ヨ一ガのプロ(インドで修行してきたアメリカ人だったかな?)から教えてもらっていましたが・・・。
 以下の写真は、平成29年3月11日の夜、家内から撮ってもらったものです。逆流性食道炎を緩和する為に、横隔膜を鍛えているつもりですが・・・効果あり?!

1枚目・・・両側の足底を付けた状態で、胸をピタッと付けています。
2枚目・・・まだ、未完成です。今年中には、何とか?
3枚目・・・この姿勢で、深く、腹式呼吸をしています。

 

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暇つぶしの話(その11)

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 人生の指標

1)私が、若い時にお世話になった、(地域の民間の大きな救急病院の)理事長、そこでの職員がいろんな事情で退職する時、必ず、最後に会って、理事長自らが辞める職員に丁寧にお礼を言って、一番最後に、「良かったら、又、いつか、ここに就職して下さい・・・」って感じで言われていました。
 多くの職員がそれを聞いて、涙していました。
 多くの病院と退職する職員の関係が、いつも、こうだといいですね・・・。

2)私の父も家内の父も、他界した後のことを、前もってそれなりにいろいろと話していましたが、その時は、しっかりと受け止めていませんでした。両父とも、子どもや孫たちが墓参りで難儀しない様にと、生前に、お墓の場所を、便利な所に決めていました。
 昔は、盆と正月は、故郷に帰って墓参りするのは当たり前でしたが、今は、なかなか難しいですね。交通の便は、以前とは格段に良くなっているはずなのですが・・・。
 今は、ビデオなどがあって(写真も沢山あって)、いつでも故人が見れる感じになっているので・・・それが却って墓参りを妨げているでしょうか・・・?
 兎にも角にも、70歳近くになれば、終活、しっかりしておくべきだと思います。私の場合、それなりに、もうしていますが・・・。

3)来月の3月19日で、天草を発ちます。
 30歳なる前に、郷里(佐伯)の救急病院に就職して、そこで10年半余(独りで8年半ほど)、勤務しました。天草では、それ以上の期間(11年7カ月)でした。
 その間、いろんなことがありました。
 私の住むアパートの前の道路が出来(10年以上掛かっていましたが・・・)、新しいトンネルが出来、小学校と中学校が合併して1つになりました。古い建物が壊され、同じ場所に、5階建ての立派な看護学校も出来ました。病院がへき地拠点病院になっていることもあり(県下に3つあり)、医学生や研修医など、いろんな人の出入りがありました。
 私も、いろんな勉強が出来ました。当院の外科と眼科で、手術もして頂きました。
 惜しまれて退職するのは、私にとっては、とても有り難いことで、深く深く感謝です。

4)平成11年5月に私の医院が閉院した時のことを思い出すと・・・→開業するよりも、閉院する方が難儀しましたね。
 その時のカルテなどが、まだ、家の倉庫に半分近くあります。少しずつ、処分して来たのですが、個人情報のことなどもあり、まだ、残っていて、慎重に対処しています。
 人の一生も、産まれる時よりも、最後が大事ですね。
 いろいろあっても、最後がハッピーエンドで終わると、今までの苦労が帳消しになる感じがしますが・・・?!
 反対に、最後、いい加減に過ごすと、今までの努力の成果が失われてしまう気がします。飛ぶ鳥、跡を濁さずですね。

5)ベートーベンやモーツアルトの曲、今も、世界中で、多くの人が聴いています。それと同じで、世の中の為に、その人がしていた事や言われた言葉、後世の人が、しばらくの間、覚えていますね。これって、その人が、死後もこの世にしっかりと生きていることになるのではないでしょうか?!
 父が言った言葉・・・→「若い時の苦労は、買ってでもせよ!」。
 父から、小さい時、将棋も囲碁も教わりました。で、全て、父に負けました。一度も勝った記憶がありません。将棋は、私が習い始めに、歩3丁で、囲碁は、9目以上置いて、完全に負けていました。勝負の世界の厳しさを私に教えてくれたのだと思います。
 それと、私の名前の事を、次の様に時々、説明していましたが(同じことを何度も、聞かされましたが・・・)・・・→「織田信長に仕えていた家老の平手政秀(まさひで)、若き信長が無鉄砲なことばかりするので、それを正さないと、私は自害しますと言い、本当に自害してしまった。その時、信長、深く悲しんで、それから自重する様になった。」で、そんな政秀の生き方をしなさいと言われました。
 母が言った言葉・・・→「他人が喜ぶことをすることが大切、高漫が一番いけない!」。
 家内の父親が言った言葉・・・→「自分の力だけで今の自分があると思っている時は、まだ、子ども。他人様のお陰で今の自分があると思える様になったら、大人の仲間入りが出来る。」と。
 高校の数学の先生が言われた言葉・・・→「個性を失くすな!」。
 茶道の先生が言われた言葉・・・→佐伯市の市民茶会で、「どうして飲めばいいんですか?」と聞かれると、「鼻から入れなくて、口から入れて下さい・・・」と説明していましたが・・・。この先生がいると、場が、急にパッと明るくなり、皆の緊張が取れていましたが・・・。
 書道の先生が言われた言葉・・・→「書は、心である!」
 篠笛の先生の先生が言われた言葉・・・→「音色に、その人の人生(観)が出ます。いろんな人生経験を積んて、ある年齢に達しないと、どんなに上手に吹いても、他人には、響きません。」。
 研修医の時に、小児科部長が言われた言葉・・・→「赤ちゃんは夜作られる、小児科医も夜作られる!」。
 皆、故人となられていますが、私の頭の中では、まだ、今もしっかりと私の人生の指標となっています。
 
 
 

ありがとうございました。

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 3月1日(水)は、看護学校の卒業式でした。 
 3月2日(木)は、上天草市の3(~4)カ月健診で、松島まで行きました。13:30からで、いつもの様に、少し講話をして、診察しました。帰り際に、保健師さんから、「いつもいいお話をありがとうございました。」と言われました。 
 そして、3月3日(金)は、看護学校での最後の講義(国際看護学)で、4時限目で、14:50ちょっと前に始め、途中で5分間休んで(いつものストレッチ体操もして)、16:30を5分間ほど超えて(今まで、5分間も延長して講義することはなかったのですが)、(誰もしない感じの)多国語の講義をしました。 
 講義終了後の試験をして、その解説をして、そして、最後に、「月の砂漠」の曲を、心を込めて演奏しました。拍手、大きかったです。 
 帰る時に、ハングルの連音化のことで、質問を受けました。国家試験に関係ないことも、皆から真剣に聴いて頂いて、嬉しいです。 
 新生児も昨日、退院してしまって、もう、何もかもが、ここでは、私にとっては、最後になって行く感じで、今までが長かっただけに、寂しさもあります。 
 ホント、皆に、大変お世話なって、大きな事故なく、無事に過ごせました。気が付くと、もう、この5月で68歳にもなり、70歳に近いんですね。 
 ここで、患者さんから教わったことは、山ほどあります。又、講義を通して、とても勉強になっています。ここでの看護学校の存在、私にとっては、とても大きかったです。 
 ありがとうございました。 

 

https://www.youtube.com/watch?v=nsxwIZDJB0E

 

 

卒業式

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 平成29年3月1日、13:30~14:50まで、上天草看護専門学校の二階講堂で、平成28年度、上天草看護専門学校第38期生の卒業式がありました。 
 39人の卒業で、私も、参加しました(非常勤講師で、100分講義を25回担当)。まとまりのあるクラスでした。 
 学校長の式辞で、2つの事を強調して言われました。 
 1つ目は、「社会人としての豊かな人間性」。 
 そうですね、社会人として、常識ある態度を取れることがまず大切ですね。誰にでも、ちゃんと挨拶が出来ること、他人の気持ちになれること、身の回りの整理・整頓、約束を守ることなど、専門的な技能と同じ様に大切ですね。 
 2つ目は、「向上心と夢を持ち続けて欲しい」でした。 
 今の時代、医療は急速に変わります。現状維持は、実質、後退ですね。そして、いくつになっても、夢を持つこと、大切ですね。夢は、人それぞれでしょうが・・・。 
 学生の送辞と答辞、いつも、心打たれますね。 
 相撲の世界では、横綱何て、横綱になってからが大変ですね。看護師さんも、免許を取ってからが、大変ですね。社会に出れば、多くの事がそんな感じですが・・・。 

https://www.youtube.com/watch?v=dFvqkISJkpg(仰げば尊し) 
https://www.youtube.com/watch?v=asiQgKT3fHg(蛍の光) 
https://www.youtube.com/watch?v=LZLiYHMisFs(校歌) 

 

暇つぶしの話(その13)

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 新入社員時代を振り返って、しておかけば良かったと後悔している事のアンケート調査の結果が、昨日(2月26日)公表されていましたが・・・(17の選択肢があって、その内の3つを選んだ結果)。 

1位、将来に備えた「預貯金」 
2位、語学力を磨くための「外国語の勉強」 
3位、キャリアアップのための「資格取得」 
4位、プライベート充実のための「友人関係の構築」 
5位、見聞を広めるための「旅行」 
となっています。 

1位、将来に備えた「預貯金」、そうですね、納得ですね。 
 「○万円、貸して・・・今、ちょっと都合が付かないんで・・・必ず、直ぐに返すから・・・」何て言われて、貸したお金が返って来なかった経験、ありませんか? 
 冷静に考えると、10万未満のお金の都合がどうしても付かなくて借りる人、かなり困っている訳で、そんな人に貸す時は、もう、返って来ないと思って、上げた気持ちになって、貸すべきですね。 
 若い人でも、毎月、ちょっとちょっと貯めて行く人、います。立派ですね。でも、しようと思えば、出来るケース、少なからずあると思うんですが。例えば、煙草を吸う回数を減らすとか、パチンコに使うお金を減らすとか、外食の回数を減らすとか・・・。 

2位、語学力を磨くための「外国語の勉強」、確かに、今の様なグローバル社会では、充分に納得ですね。 
 どうしたら語学力が身に付くのか・・・→今は、時間さえあれば、どこにいても、スカイプなどで、出来る時代ですね。それも、多言語が。まあ、日本にいて、英会話がとても上手くなった人、あまり知りませんが・・・?! 

3位、キャリアアップのための「資格取得」、大切ですね。 
 特殊な資格と技能であればある程、需要と供給の関係で、それなりの報酬がありますね。 
 私が接したオーストラリア人で、彼は、特殊な技能(鉱山関係)を持っていて、ブリスベンとパース(4日ここで仕事)の間を飛行機で毎週通っている男性が現にいましたよ。その男性の子どもさん(男の子)、パパベッタリって感じでしたが・・・。 

4位、プライベート充実のための「友人関係の構築」、これも大切ですね。 
 永い人生、遠い親戚よりも近くの友達って感じで、年を取れば摂る程、若い時からの友達は、大切にしたいですね。仕事仲間だけでなく、趣味仲間、必要だと思います。今からでも遅くないと思います。 

5位、見聞を広めるための「旅行」、そうなんです、旅行は、ずっと楽しめますね。 
 行く前に楽しみ、行った現地で楽しみ、そして、行った後も、思い出して、楽しむ、そう、一生楽しむといいでしょう。 
 初めグループ旅行で、その内、個人旅行で、そして、国内だけでなく、海外へも。取り敢えず、韓国語を勉強して、ソウルへ2泊3日とか・・・?! 
 体験しないと理解できないこと、多いです。 

*写真は、釜山。2004年12月9日~12月28日まで、韓国の釜山に独りで行って、外国語学校と大学のダブルスクールに通って、ハングルを勉強する。 

 

暇つぶしの話(その12)

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 「・・・を摂ると、○○に効きます・・、・・・すると、△△になれます・・・」って感じで、いろんな効果が専門家により、テレビで一方的に流される時代になっています。時に、専門家の間で、全く逆の内容になっているケースもありますが・・・?! 
 例えば、手を洗うと、手から細菌が流されて、清潔になれます。と言うのに、手を水でよく洗う前と洗った後に、手の表面をこすって、それを培養して、細菌の増え方を見ると・・・→ 
 洗った方が、少なかったとしたら、そうか、手を洗った方が清潔になるのだとの結論が一応出せるかも知れない。 
 しかし、この実験、逆に、よく洗った方が細菌が沢山培養されて、逆になる結果になった論文が現にあったりして・・・で、理由は、溝に潜んでいる細菌が、よく洗った結果、外に出て来た為に、その菌を拾った為とのことですが・・・つまり、実際に客観的に証明しようとなると、その客観的方法が難しくて、思った通りの結果が出来ないこともあるのです。 
 インフルエンザには、本当に、タミフルが効くのか・・・それを調べるとしたら・・・→ 
 タミフルを飲んだ人で、よく効いたと思われる人の数(A)とそうでない人の数(B)を調べて、A/A+B、B/A+Bで、常に、前者が後者よりも多ければ、そうだと思いたいのですが、よく考えると、これは、不正確ですね。 
 タミフルでなく、全く効果のないのを飲んだ人も調べて(飲む人には、タミフルがどっちか分からない様にして)、よく効いたかと思われる人の数(C)とそうでない人の数(D)を調べて、C/C+D、D/C+Dも出して、それ等を比較する必要がありますね。それも、数が多ければ多い程、より正確になりますね。 
 しかし、実際は、免疫力の強い人もいますし、そうでない人もいますし、人種でも効き方が違うと思われますし、土台、同じ条件で実験すること自体、生き物の場合、難しいですね。特に、感情に左右され易いヒトの場合は。 

*写真は、長女の次女(7カ月)を2月20日に撮ったもの。

 

お産・・・

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 「いつ、産まれそう?」「それがまだ、はっきりしなくて・・・」って感じで、今まで、助産師さんと私とで、やりとりの会話をしてきました。 
 そうなんです、いつ産まれるか何て、多くのケースで、はっきりとは、言えませんね。直前だと、言えますが・・・。 
 急に陣痛が起きて、乗り物の中でお産何てこともありますね。今までの私の長い経験では、トイレで産まれて扱ったケースが2例ありましたが・・・。 
 初産だと、陣痛が始まっても、直ぐに産まれないことが多いのですが、経産婦だと、思った以上に早く産まれるってことって、よく経験します。 
 時に、胎盤早期剥離と言って、初産経産に関係なく、直ぐに処置しないと大変なことになることもあります。これだと、産まれて来るベビーの3分の1が亡くなり、3分の1に後遺症が残るってことで、超救急医療が必要ですね!(当院でも、深夜0時過ぎに帝王切開したことがありましたが・・・幸いに、母子共に、無事でした。) 
 数多いお産の中では、めったにないケースを時に経験します。 
 その為に、いつでも、遅れない様に、いい医療体制が取れることが大切なのですが、その為のスタッフ確保が、実際には、大変ですね。お産は、365日、24時間ですから。
 医師の健康上のことも考慮して、産科医と小児科医は、出来るなら3人以上をと、全国規模で、集約化が行われました。が、現実には、まだ、独りや二人の産科医・小児科医の医療機関も、沢山あります。 
 当院でも、3月から、産科が中止になりました。産科の先生、本当にお疲れ様でした(ここに20年以上もいて、殆ど独りでお産に携わってきた団塊世代の先生ですが)。 
 平成2○年○月21日(火)、朝7時過ぎ、食事する前に、分娩室からコールがあり、直ぐに駆けつけました。初産で、40週6日、3200gの女児で、吸引分娩でした。で、活動力は良好でしたが、酸素モニターで値が少し低く、又、肺の聴診で、ラ音が多かったので、ビタミンK(止血剤)を筋注した後、直ぐに、保育器に収容しました。その後、幸いに、経過良好でした。 
 平成2○年○月22日(木)、夜の11時過ぎ、ちょうど床に入ったところでしたが、分娩室からコールがあり、直ぐに駆けつけました。初産で、39週3日、2940gの女児で、吸引分娩でした。で、顔色よく、肺の聴診所見も良く、保育器入れることなく、ビタミンKを筋注しました。その後、経過良好でした。 
 (吸引分娩をしているので、今後、1週間、黄疸に注意しないといけませんが・・・)
 ここでのお産で、私が取り扱うベビーも、これで終わりになりました。 
 長い間、本当に、ありがとうございました。 

*写真は、日齢4の(ニューヨーク在住の)孫(長女の次女)、スカイプで撮る。

 

暇つぶしの話(その10)

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 今からどんどん繁盛して行くだろうと予想される会社、今からどんどんと衰えて行くだろうと予想される会社、どこが分かれ目になるのでしょうか・・・? 
 (懇意にしている)ある公認会計士が私に次の様に言ったことがありますが・・・→「仕事を受けるかどうかは、トップの人とじっくり話して、後は、トイレを必ず見ます。トップと一番下を見れば、後は、その間にいますから・・・。」と。で、トップの考えが立派で、トイレがちゃんと掃除されていて、初めて、請け負うことを考えるとのことでしたが・・・。 
 今の時代、現場の意見を無視して、「トップダウン方式」で経営しても・・・→その時、トップが部下から尊敬され、強いカリスマ性がある時は、部下はそれなりに付いて行きますが、それがないと、いくらトップがガンガン言っても、部下は、長い目で見れば、次第に離れて行きますね。 
 会社が大世帯だと、トップが末端まで一人一人把握するのは、土台無理なことです。トップがよく把握出来るのは、せいぜい、側近の10人程度ですね(10人でも多いのでは?せいぜい5人まで?)。 
 新しい市長が皆の選挙で選ばれると、昔だと、三役の助役・収入役・教育長が決まっていましたが・・・今は、収入役はなく、助役の代わりに副市長となっていますが・・・それと同じ感じで、行政上、上の少ないポストの人選は、最も大切ですね。 
 その大切な上のポストにふさわしい人をトップがしっかりと公平に選べるかどうかですね。そして、それぞれの領域に関する直属の部下をトップが信じて任せ、何かあれば、最後は、自分が責任を取るって感じの(田中角栄みたいな)スタイルにすれば、トップが命って感じで、一生懸命に頑張るかも知れませんね。 
 今の官僚の様に、各省の大臣がコロコロと代わり、課長→部長→局長→事務次官と、ほぼ、年齢順に(T大中心の)ヒエラルキーが出来たガチガチの官僚組織だと、歳を取れば取る程、後のポストのことを考えて、不安が一杯で、思い切ったことが出来なくなりますね。末端の現場の実態を充分に把握する何て、構造上、出來ませんね。 
 昔(私が研修医の時)、県病院に勤務していた時、病院近くの角店で、1カ月に1回の頻度で、(いつも部長の払いで・・・おでんが多かった感じですが?)夕食を摂りながら、小児科のスタッフ(5~6人)が皆集まって、少しアルコールが入った状態で、懇談していました。これが、今考えると、超良かったですね。(30年程、そこで小児科部長をしている)トップが、部下をどう思っているのかがよく理解出来ましたし、適切なアドバイスを素直に受けることが出来ました。 
 部長(当時、副院長)は、県下の小児救急の不備をいつも嘆いていました。「赤ちゃんは、夜作られる、小児科医も、夜作られる。」って部長の言葉、今も、しっかりと覚えていますが・・・。 
 郷里の救急病院に就職した時、私の意見が通って、「新生児・未熟児センター」が出来ました。私も、若かったので・・・→ナースで、小児科は、任せられないと思うと、院長の所に行って、小児科のスタッフからはずしてもらっていました。そんな感じで、各科からの(ドクターからクレームの付いた)ナースを院長が全て院長の傍らで責任もって教育していました。 
 ある時、「もう、かなりしっかりしてきたから、どうでしょうか?」と院長から尋ねられた時、私は、「小児科では、あのナースには、子どもを任せられません、ダメです!」と強い口調で言うと、「そうか・・・」と院長が言われて、院長の方が私に常に合わせてくれていました。 
 この病院では、とても忙しかったのですが、産婦人科の院長と理事長が、私を絶対的に信じてくれ、又、私の部下も、私に付いて来てくれて、仕事がし易かったですね。(→それで、開業するまで、10年半もいて、独り小児科医では、8年半も頑張れましたが・・・) 
 福岡県の病院に就職した時にも、ここでも、上の人の在り方を学びました。 
 理事長はとても忙しい人で、何カ所も理事長を兼ねていて、年に、1~2回程、私が勤務する病院に来ていました。その時、必ず、会食をしてくれて、「困った事はないか?遠慮せずに言ってくれ、ここでは言いにくい事でも・・・」とよく言われていました。 
 1月1日のちょうど正午に、私が診察をしていると、予告なしに小児科外来にヒョッと来て(3分もいなかったと思われますが)「ご苦労様です。」と頭を下げて言われました。この時の理事長の姿を見て、益々やる気が出てきたのを覚えています。 
 現場の意見を無視して、部下の気持ちになれずに、部下を無視して、トップだけで決めて突っ走ると、いつかは、亀裂が起きてしまう気がしてなりません。 

*私が院長職の時、家族持ちの職員には、家族旅行を、独身の職員には、海外旅行をして頂きました。写真は、たはら小児科医院のナース二人がアメリカに行って、1994年2月に撮ったものです。開業の8年半余、私は、遠くに行くことなく、毎日(毎晩)、欠かさず仕事をしていました。ある人から言われました、「先生は、人を集める能力はあるけど、経営能力は素人。」と。