この「蒼海の夜明け」を読んで頂いている皆さん。まずは10月にブログ更新の再開を発表しておきながら再び停滞してしまった事を深くお詫び申し上げます。10月下旬からまたしても新しい仕事が始まったため、それに追われてしまい更新どころかPCを立ち上げる事すらままならない状況でした。来年こそは何としてでも少しずつでも更新していけるように努力して参りますので、今後とも何卒よろしくお願いします。


 その穴埋めという訳ではありませんが、お正月を利用して「2006年を回顧する」という短期連載を書いていきたいと思いますので、是非ともお読み頂ければ嬉しいです。


 それでは皆さん、良いお年を!平成19年(2007年)が皆様方にとって幸多い年でありますように!

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金大中前大統領「太陽政策悪くない」責任は米にと(産経新聞)


 【ソウル=黒田勝弘】韓国では北朝鮮が核実験強行にまで突っ走ったことでノーベル平和賞の“金大中問題”があらためて議論になっている。金大中政権(1998-2003年)に始まる北朝鮮に対する一方的な支援・協力政策である“太陽政策”が今回の事態を招いたとする責任論が高まる一方で、金大中氏が「事態の責任は米国にある」と北朝鮮と同じ主張で反論し、波紋が広がっているのだ。


 これには10日、盧武鉉大統領が大統領OBたちを招いた懇談会での金泳三・元大統領の金大中批判も一役買っている。


 金大中氏と金泳三氏は長年の政治的ライバルとして知られる。金泳三氏はこの日、盧大統領の面前で「北は太陽政策で得た金で核兵器を作った。金大中政権が始めた太陽政策は失敗だった。金大中前大統領と盧武鉉大統領は国民に謝り、太陽政策は破棄すべきだ」と金大中氏を猛烈に非難した。


 これに対し金大中氏は「北の核は絶対認められないが、問題が解決しないのは米朝関係が進展しないためだ」と米国の対北姿勢を批判した。


 さらに金大中氏は11日、故郷ともいえる光州市の全南大学での特別講義で「米国が圧迫を加えるので北は生き残りのため核開発をしている」という北朝鮮の主張に立ち、制裁措置をはじめ米国の対北強硬姿勢が現在の事態を招いたと強調。「核問題は米朝の責任であって太陽政策に罪はない。太陽政策は南北関係を発展させたではないか」と自己弁護を展開した。


 金大中氏はまた盧武鉉大統領に電話をかけ「太陽政策失敗論は間違っている。さらに推進すべきだ」と訴えてもいる。


 これは盧武鉉大統領が北朝鮮による核実験実施が伝えられた直後、「太陽政策をこのまま維持するのは難しくなった」と述べたことに対する反論でもあるが、これに対し盧武鉉大統領は「心配をかけて申し訳ない」と慰労したという。


 そのせいか盧武鉉大統領もその後は「核問題とは関係なく対北経済協力事業は続けるべきだ」などと対北姿勢を後退させている。


 金大中氏は「北の核保有を悪意的に無視し圧迫と制裁を続けることはかえって北の挑発を招く」という反米・親北論を展開しているが、これには保守派を中心に世論の反発は強い。


 たとえば金大中政権以降、韓国政府が北朝鮮に提供した資金だけでも4兆5000億ウォン(約5500億円)といわれる。このため保守派は「北に軍資金を与えたようなもの」(12日付の朝鮮日報社説)といい、金大中氏の破綻(はたん)した太陽政策への執着は「自らの栄達」へのこだわりであり「指導者の邪心と誤った判断」は国の将来を危うくする(11日付の東亜日報社説)と批判している。


 さすがは平成12年(2000年)の南北首脳会談のために北朝鮮に多額の金を送り、それでまんまとノーベル平和賞を受賞したのみならず、その後も「革命同志・金正日」にシンパシーを感じて「太陽政策」と称した大甘な宥和政策を続け、若い世代を中心とする多くの韓国人を歪んだ反米主義と北朝鮮に親近感を抱かせる軽薄な同胞主義に染め上げて戦後韓国史上最悪の盧武鉉政権誕生の立役者だけの事はある。金大中も盧武鉉同様、北朝鮮のエージェントであろう。

 そんな金大中にとって、自らの思想の正当な後継者である盧武鉉への批判は自らへの批判に他ならず、また盧武鉉政権の崩壊は自分がこれまで行ってきた南北宥和政策の全否定に他ならない。故に盧武鉉を必死になって擁護しているのだろう。


 余談だが、盧武鉉と金大中を批判している先々代の大統領である金泳三は在職中はもちろん、今なおいわゆる「従軍慰安婦問題」や歴史教科書といった歴史認識などで日本を批判しているバリバリの反日主義者だが、対北姿勢に関しては金大中や盧武鉉よりは何倍もマシであるという点だけはそれなりに評価したい。


 以上のように、韓国は先日の北朝鮮の核実験でさえも「経済協力は継続する」など、もはや「北朝鮮の同盟国」といっても過言ではない有様である。しかも政府のみならず、世論も核実験で多少目が覚めてきたとはいえ、今なお親北感情に毒されているのだから始末が悪い。今の韓国はかつての事大主義時代のように大陸側へと回帰しているように思えてならない。大手新聞の中にはいまだに「韓国と協力せよ」という主張が見受けられるが、しかし…。


 もはや拉致問題でも核問題でも「大韓民国」という国家自体が当てに出来ないし、信用も出来ない。それが可能なのは国内の少数の保守派とごく一部の拉北者家族会だけである。

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 当ブログをご覧になっている皆様方へ。大変長らくお待たせ致しました!ブログの更新再開をお知らせすると共に、約二月に渡って更新できなかったことを心よりお詫び申し上げます。実はこの間、私的にいろいろとゴタゴタしておりまして更新どころではなかったのです。もちろん安倍政権発足や北朝鮮の核実験など、一刻も早くブログで論じたいとは想っていたのですが、なかなか想うようには出来なかったのです。

 今後はこれからの時事問題はもちろん、過去の出来事も含めて少しずつ更新していきますので何卒よろしくお願いします。


 それと、アメーバブログがリニューアルしたことに伴ってブログの情報も更新しました。トップの紹介文はもちろん、新たに強化されたプロフィール機能を使って「一問一答」や「BEST3」といった項目にも書き込みましたので、一度はご覧になって下さるとうれしいです。また、従来の小泉信者たちが性懲りもなく今度は安倍首相マンセーに走り、彼が悪名高い村山・河野談話を継承すると公言してしまった過ちを「この程度のことで安倍さんを批判するな!」と擁護している現状から、当ブログにおける彼らの呼称を「小泉・安倍信者」とすることにしました。


それでは、今後とも引き続きよろしくお願いします。

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 媚支那派で首相の靖国神社参拝を批判してやまない自民党元幹事長の加藤紘一の事務所と自宅が15日に、右翼団体構成員を自称する男によって放火され全焼した事件があった。


加藤議員の実家全焼 負傷の男は右翼幹部か(産経新聞)


 山形県鶴岡市の元自民党幹事長、加藤紘一衆院議員(67)の実家と事務所が全焼した火災で、現場で割腹自殺を図ったとみられる男は、東京都内の右翼団体の幹部(65)の可能性が高いことが16日、鶴岡署の調べで分かった。同署は、男が放火に関与した疑いもあるとみて身元の確認を急いでいる。


 加藤議員は、小泉純一郎首相の靖国神社参拝に批判的な発言を繰り返しており、鶴岡署は、病院で治療中の男の回復を待って背景などについても事情を聴く。


 鶴岡署は同日、現場を実況見分した。実家の室内から出火したとみられる。男は顔にやけどを負い、靴を履いていない状態で建物の外で倒れていたことから、室内で腹部を切り、熱くなって飛び出してきたとみられる。


 この事件直後、これまでその支那よりの姿勢から加藤を批判してやまなかった保守系サイトやブログがこぞって「今回の事件は許せない!」「これでは靖国参拝反対派を勢いづかせてしまうではないか!」「例え加藤のような奴でも言論の自由がある」などとして犯人をこれでもかと批判・罵倒を浴びせていた。

 言論を自らの生業とする新聞や雑誌が言うのならばともかく、それとはあまり無関係なサイトやブログのまでもがこぞって加藤を擁護するかのような態度を取るのか、私には理解できない。


 断っておくが、私はこの「右翼団体幹部の犯人」を擁護するつもりはさらさらない。加藤云々以前に放火などという重罪を犯した輩など、法によって厳しく裁かれるべきである。

 しかしながら、では我が国の大物政治家でありながら常日頃から支那に媚び続け、首相の靖国神社参拝反対などの歴史問題や安全保障問題で支那側に立った発言をしてきた加藤には何らの責もないのか。そもそも加藤がそのような発言をし続けなければ、今回の事件は起こらなかったはずである。


 啓蒙主義で知られるフランスの哲学者ヴォルテールの「私はあなたが何を言っても賛成しないが、私はあなたがそれを言う権利を死んでも護るだろう」という名言は、言論の自由の尊さを論ずる際に良く引用されるが、しかしそのヴォルテールも祖国フランスや自分たちフランス人の父祖を貶めるような発言に対しては怒りを露わにして徹底的に否定し、二度とそのような発言が出来ないような法律にも賛同するであろう。

 もちろん言論の自由といっても無制限ではない。根拠なき他者への批判や誹謗、中傷や侮辱はその個人・団体の名誉を傷つけるものとして民法・刑法によって裁かれる。


 であるならば国家や民族、そしてもはや反論することすら叶わない、あの大東亜戦争で散っていった我々の父祖達への根拠のない冒涜とも言えるような言論を禁じるような法律を制定しても良いのではないだろうか。

 さらに言うならば、我が国におけるそのような言論というのはそのほとんどが旧ソ連、支那、韓国などの反日敵性国家、あるいは旧敵国である米国によってもたらされた、我が国を弱体化させる事を目的とした悪意ある代物なのである。そんな言論すらも法的にはもちろん社会的にも何らの制裁も受けない国などというのは、世界広しと言えど我が国だけではなかろうか。


 その意味では私にとって加藤紘一邸放火事件は、「言論の自由」というものを改めて考えさせられる契機となった。

小泉首相が靖国神社参拝 終戦記念日は初(産経新聞)


≪モーニング姿で「一礼」≫


 小泉純一郎首相は15日午前7時45分すぎ、東京・九段北の靖国神社を参拝した。小泉首相が8月15日の終戦記念日に参拝するのは初めて。現職首相の終戦記念日の参拝は昭和60年の中曽根康弘元首相以来21年ぶり。


 小泉首相は平成13年の自民党総裁選で終戦記念日に参拝することを公約にしていたが中国や韓国、政府・与党内からの反発に配慮し、毎年別の日に参拝していた。小泉首相の靖国参拝は6回目。


 首相は午前7時40分ごろ、小雨の降るなか公用車で靖国神社に到着。モーニング姿で、「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳。本殿に上がって祭壇の前で「一礼」して参拝した。


≪私費で献花料3万円納める≫


 今年6月、首相の靖国参拝をめぐる訴訟で、最高裁が「首相の参拝に法的利益侵害はない」として上告を棄却したことを受け、昇殿参拝したものを見られる。昨年10月の参拝では、大阪高裁が傍論で違憲の判断を示したことからスーツ姿での社頭参拝にとどめていた。今回の参拝で首相はポケットマネーで献花料3万円を納めた。


 小泉首相は参拝後の午前10時ごろ、首相官邸で記者団に対し「総理大臣である人間小泉純一郎が参拝した」と述べるとともに、「過去の反省をしつつ2度と戦争を起こしてはいけないという思いと、祖国のため家族のために命を投げださなければならなかった犠牲者に心からの敬意を持って参拝した」と説明した。


 8月15日の参拝を決断した理由については「多くの方が15日だけは止めてくれというから避けて参拝してきたが、過去5年、いつ行っても混乱させようという勢力がある。いつ行っても同じなら今日は適切な日ではないか」と述べた。9月の退陣を控えて今年が公約を守るラストチャンスとなることもあったようだ。


 首相は自らの靖国参拝については(1)中国と韓国の反発(2)「A級戦犯」が合祀(ごうし)されている(3)憲法違反-の3つの批判があると指摘した上で、中国などの反発については「参拝を条件に首脳会談を行わないというのはおかしく、違いを乗り越えて未来志向で対応すべきだ」と反論した。


 「A級戦犯」の合祀(ごうし)については「特定の人に参拝しているのではなく、圧倒的多数の戦没者全体のための参拝している」と説明。憲法違反だとの批判には「憲法19条の信教の自由がある。今の日本の誰にも許されている自由をどう考えるのか」と理解を求めた。


 小泉首相が支那や韓国、そして国内の反日左翼を中心とする反靖国派に屈する事なく終戦記念日に参拝した事は大変素晴らしく、とても誇りに思うものである。


 …と言うべき所なのだろうが、本音を言えば私は今回の小泉靖国参拝を半分も評価していない。まあ本当に15日に参拝するとは大して思っていなかったのだが。それはともかくとして、確かに約20年ぶりの終戦記念日参拝を実現させたこと自体は良いのだが、問題はその動機である。

 おそらくは「靖国に眠る英霊方に哀悼の意を捧げるため」ではなく、私が思うに「どうせ9月で総理辞めるから最後に15日に参拝しとくか」という政権末期の感情から来る物見遊山的なものに加え、「俺が靖国に行くたびに中国や韓国、朝日といった連中が参拝するなとうるさすぎる!そんなに言うんだったら終戦記念日に参拝してやろうじゃないか!」という小泉が従来から持っている反発を受ければ受けるほど意固地になる性癖が15日の参拝を決行した理由であろう。

 確かに政治や外交の世界では「結果良ければ全て良し」としてその過程については全くと言っていいほど論じられないのが常であるが、しかし靖国神社への参拝はまさしく我々日本人の「こころ」の根底に関わるものであり、ただ単に行って参拝すればそれで良いと言う訳にはいかないのだ。ましてや小泉には平成13年の総裁選でハッキリと「15日の終戦記念日に総理として靖国神社を参拝する」と公約したにもかかわらず、直前になって国内外の反対の大合唱に恐れをなして13日に前倒し参拝をし、その後も支持率稼ぎのためであろう、年一回で元旦や例大祭などの時期に巧妙に「取りあえず参拝」を行ってきたという前科があるのだ。故にこそ、私は今回の靖国参拝を無条件で賞賛する気には全くなれない。英霊方もさぞかし不愉快に思われていることであろう。


 小泉は結局、最後の最後まで靖国神社を冒涜し続けたのである。次期首相の最有力候補と目される安倍晋三氏におかれては終戦記念日の参拝を行って頂くことはもちろん、その際には心の底から英霊方への哀悼を目的として参拝されることを強く願う。


 後日の追伸:小泉参拝から数日して保守系論壇誌やサイトを見てみると、これまで郵政民営化などで小泉を批判していた識者や管理人が掌を返したように「小泉サン靖国参拝よくやった!」と諸手を挙げて評価しまくっていた。参拝したという一点だけで小泉のそれまでの愚行は相殺なのか?苦々しいものを感じずにはいられなかった。

終戦記念日前日に想うこと

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 いよいよ明日は戦後61回目の終戦記念日である。私は今年も靖国に参拝に行く。それがもはや会うこともかなわぬ英霊方との約束なのだから。


 驚いたのは、今なお裁判中にもかかわらず西村真悟議員が昨年に引き続いて支持者との合同参拝を行ってくれることである。西村先生を間近で見られ、話が出来る数少ない機会。もちろん私も参加するつもりである。


 はてさて、小泉は今年こそは参拝に来るのだろうか?それは…、まあ行ってみてからのお楽しみ(?)だろう。


 それでは、今日はここまでで。

小泉首相、8月15日靖国参拝の公約は「生きている」(産経新聞)

 小泉純一郎首相は8日、5年前の自民党総裁選で8月15日に靖国神社を参拝すると公約したことについて「(公約は)生きていますね」と述べ、8月15日に参拝する意向を強くにじませた。首相官邸で記者団の質問に答えた。


 小泉首相は平成13年の自民党総裁選で、8月15日に靖国神社に参拝すると公約した。しかし、この年は自民党の山崎拓元副総裁らの説得を受け入れ、8月13日に参拝した。以後は14年4月21日(春季例大祭)▽15年1月14日▽16年1月1日▽17年10月17日(秋季例大祭)-と毎年1回参拝しているが、いずれも8月以外の参拝だった。


 9月に退陣する首相にとって、今年は在任中"最後"の8月15日を迎える。小泉首相は、3日配信したメールマガジンで「戦没者の方々に敬意と感謝の思いを込めて哀悼の誠を捧げるため毎年1回参拝している」と改めて強調している。


 正直言って「何を今更ノコノコと…。白々しい」という気持ちしか浮かばない。まあ小泉信者などは「小泉サンはスバラシイ!マンセー!」とでも小躍りしているのではなかろうか。

 そもそも小泉の「靖国参拝」なるものが、自らへの世論の支持獲得のためのパフォーマンスに過ぎなかったことなど、これまでの参拝で明らかではないか。


 そう思っていた所、以下のような記事を見つけた。先頃、徹底的に批判していた山崎行太郎氏のブログである。ちなみに筆者は全ての者に対して「是々非々」の視点で見ているのでご理解願いたい。


■「小泉靖国参拝」は「英霊への冒涜」だ。


 「諸君」九月号の座談会で一箇所だけ私が感動したのは、遠藤浩一と福田逸の「小泉靖国参拝」をめぐる次のようなやり取りだった。


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  《福田   彼は、靖国参拝は「こころの問題」だとよく言いますが、首相になった一年目の゛八月十三日゛前だおし参拝から、こりゃだめだと思いました(笑)。参る、祀るとは「型」の問題です。八月十五日、あるいは春秋の例大祭など、そのけじめの日に行くことが大事であって、彼が本当に「こころの問題」と考えているならば、宗教を超えた靖国という存在に対して、きっちりと型を守ったことでしょう。


   遠藤   小泉さんにとっては「こころの問題」などではなく、靖国参拝も政略上の要請によるものです。・・・・・・個人的には、小泉さんに靖国のこころを語ってほしくありませんね。


   福田   最後の最後の゛死に体゛になった任期満了の年の八月十五日に、行っていただきたくないと思います。》


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  この議論はかなり本質的な問題を提起している。「小泉靖国参拝」を批判すると、小泉一派や小泉擁護派からは、必ず「中国や」韓国の言いなりになれと言うのか」という反論が返ってくるが、この二人の発言は、その反論そのものの欺瞞性と陰謀を暴きだす議論になっている。


 要するに、「小泉靖国参拝」批判は、小泉一派が主張するするような、中国や韓国の批判に屈するか屈しないかというような問題ではない。むしろ、靖国参拝問題を、中国や韓国の外交問題に論点を擦り替え、「反中国」「反韓国」というカードを売り物にしつつ、政権維持のダシに使って政治利用しているのは小泉純一郎自身であり、彼の取り巻きである。


 たとえば私も「小泉靖国参拝」に批判的だが、私が「小泉靖国参拝」に反対するのは、福田や遠藤が、あるいは木村三浩が「週刊朝日」で言うように、それが、「心にもない政略的な不謹慎な参拝」であり、それは結果的には「英霊への冒涜」でしかないからだ。


 全く同感である。欺瞞に満ちた「小泉参拝」を「曲がりなりにも、一応参拝したのだから良いではないか」と支持する小泉信者は、結局は靖国参拝をその程度のレベルでしか捉えていないということなのだろう。


 というよりもそれ以前に、果たして小泉は15日に参拝するのだろうか?前科があるあの男のことだから半分も信用できまい。もっとも、万一参拝したとしても「最後の最後でやっと公約果たせたんだね。オメデトウ」ぐらいしか思い浮かばないが…。

安倍氏、4月に靖国参拝 例年通り「心静かに祈り」(産経新聞)


 安倍晋三官房長官が今年4月にすでに靖国神社を参拝していたことが3日、分かった。複数の関係者が明らかにした。9月に自民党総裁選を控えていることもあり、安倍氏は「戦没者の慰霊や祈りを外交や政争の具にしてはならない」として公言しなかったが、「ポスト小泉」の最有力候補であるだけに、靖国参拝の是非を争点化する動きが加速しそうだ。


 安倍氏の参拝は小泉純一郎首相の参拝を後押しする“効果”もあるとみられ、「終戦の日」の8月15日に、首相として最後の参拝に踏み切る公算が大きくなった。首相-官房長官の参拝となれば、中国などの執拗(しつよう)な干渉に「政府の姿勢」を示すことになる。


 関係者によると、安倍氏は4月15日早朝、警護官ら数人と靖国神社を訪れ、モーニング姿で昇殿を参拝。この後、東京・新宿御苑で開かれた恒例の「桜を見る会」に出席した。


 安倍氏はもともと、4月21~23日の春季例大祭に参拝することを検討していた。しかし、式典の混乱などが予想されるうえ、衆院千葉7区補選の投開票日(23日)と重なったことなどから断念した。


 15日の参拝当日は薄曇りで肌寒く、参拝客はまばらで混乱は一切なかった。参拝後、安倍氏は周囲に「落ち着いた環境で、戦没者のご冥福を心静かに祈ることができて本当によかった」と語ったという。


 安倍氏は平成5年に衆院議員に初当選して以来、毎年欠かさず靖国神社を参拝している。自民党幹事長当時も「一国のリーダーが、国のために殉じた方々に尊崇の念をもって祈るのは当然だ」と繰り返し、首相の靖国参拝を支持。昨年10月末、官房長官就任直後の記者会見でも「私は今まで国民の一人として、政治家として靖国神社を参拝してきた。この気持ちをずっと持ち続けていきたい」と述べた。


 安倍氏は、中国や韓国の反発を受け首相の参拝を対中外交などと結びつけて批判したり、A級戦犯の分(ぶん)祀(し)を求める自民党内の動きについて「戦没者を慰霊し、手を合わせ祈るということを政争の具にすべきではない」と周囲に語るなど強い不快感を示してきた。


 こうした考えから、安倍氏は総裁選で、首相に就任した場合に参拝するかどうかについては、公約に盛り込まない方針だ。しかし、安倍氏の靖国参拝が明らかになったことが、世論調査で圧倒的な優位に立つ安倍氏の追い込みを模索する非安倍勢力の結束を、促すことにつながる可能性もある。


 靖国に参拝すること自体は特に問題もなく、それはそれで素晴らしい事と思うのだが、なぜ今の今まで黙っていたのか、またなぜこの時期になってそれを公表したのか。どうにも「コソコソ参拝しました」という印象を受けてならないのだが…。


 安倍氏には彼らしく、4月の参拝の時点で堂々と「私は靖国神社を参拝しました!」と胸を張って言って欲しかったと思うのは私だけではあるまい。

昭和天皇:富田メモ 「私もA級戦犯に祈らない」 石原都知事、昭和天皇の気持ち理解(毎日新聞)


 東京都の石原慎太郎知事は21日の会見で、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に昭和天皇が不快感を示していたことを示す資料が見つかったことについて、「そのお気持ちはよく分かりますね」と語った。自身が今年も靖国神社を参拝することを明言し、「私が戦争の責任者と思っているA級戦犯について祈るつもりは毛頭ない」と語った。


 石原知事はA級戦犯について「占領軍が勝手に決めたもので、気の毒な立場の人もいるし、明らかに戦争の責任者もいる」と指摘。戦勝国による東京裁判を「一方的に勝者が敗者を裁く裁判に正当性はないと思う。日本人自身が裁くべきだった」と批判する一方、「裁判に正当性がないと言っても、断罪された人たちに罪がないというのはおかしい」と話した。


 石原知事は就任2年目の00年から毎年、8月15日の終戦記念日に靖国神社を参拝している。【北村和巳】


 「終戦記念日に靖国を参拝するけれども、『A級戦犯』には祈らない」。これを「A級戦犯」を含む英霊方への不敬と冒涜以外の何者でもないと言わずして何と言うのだろうか。

 私は靖国神社を参拝する者の最低限の礼儀や資格として「誰彼を区別することなく、散華された全ての英霊に対して感謝と祈りを捧げる事が出来る」と考えている。そもそも我が国には主権回復後の国会決議において、戦犯は一切存在しないことになっているのだ。だのにそのような区別で参拝することは、結局は東京裁判を肯定しているのと同じことなのだ。

 故に石原慎太郎(以下敬称略)のような自分勝手に英霊方を区別するような輩には今後一切靖国に来るべきではなかろう。


 しかも石原は昨年も同じような事を言っていたのだ。以下は昨年9月5日付産経新聞に掲載された石原の連載エッセイ「日本よ」である。


「歴史に関する、ことのメリハリ」


 八月が過ぎて靖国問題は旬が過ぎ沈静したかに見えるが、靖国が国際問題として蒸し返されるようになった切っ掛けのA級戦犯の合祀(ごうし)に関して、率直にいって私には納得しかねる点がある。というより私はA級戦犯の合祀には異議がある。


  合祀の是非が論じられる時必ず、彼等を裁いた極東軍事法廷なるものの正当性が云々されるが、我々はそれにかまけて最も大切な問題を糊塗してしまったのではなかろうか。それはあの国際裁判とは別に、この国にあの多くの犠牲をもたらした戦争遂行の責任を、一体誰と誰が問われるべきなのかということが、棚上げされてしまったとしかいいようない。


 私は毎年何度か靖国に参拝しているがその度、念頭から私なりに何人か、のあの戦争の明らかな責任者を外して合掌している。それはそうだろう、靖国が日本の興亡のために身を挺して努め戦って亡くなった功ある犠牲者を祭り鎮魂するための場であるなら、彼等を無下に死に追いやった科を受けるべき人間が鎮魂の対象とされるのは面妖な話である。死者の丁寧な鎮魂を民族の美風とするにしても、罪を問われるべき者たちの鎮魂は家族たちの仕事であって公に行われるべきものでありはしまい。


 太平洋戦争に限っていえば、あの戦場における犠牲者の過半は餓死したという。そうした、兵站(へいたん)という戦争の原理を無視した戦を遂行した責任者の罪を一体誰が裁くべきなのか。それは国民自身に他なるまい。


 自ら育てた航空兵たちを自爆に駆り立てる特攻突撃を外道として反対し続けていた大西滝治郎中将は、最後には国体を守り抜くためには若者たちに死んでもらうしかないと決心し特攻を発令したが、その責任を取って敗戦後間もなく、自分が殺した数千の英霊への償いとして割腹自刃した。


 それも並の死に方ではなく、駆けつけた秘書官に、「俺は償いのために苦しみぬいて死ぬのだ」といって絶対に医者など呼ぶな、介錯などするなと命じ八時間もの間血の海の中でのたうち回って絶命したという。ならば英霊もそれを是として、ほほ笑み許すことだろう。同じように本土決戦を主唱していた阿南陸相も自刃して果てた。公家出身の近衛文麿にしてさえ毒を仰いだ。


 A級戦犯の象徴的存在、かつ開戦時の首相東条英機は、戦犯として収容にきたMPに隠れて拳銃で自殺を図ったが果たさずに法廷にさらされた。彼を運び出したアメリカ兵は、彼が手にしていた拳銃が決して致命に至らぬ最小の22口径なのを見て失笑したそうな。


 そうした対比の中で、ならばなぜ大西中将や阿南陸相は合祀されないのか、私にはわからない。


 当時中学生だった私はなぜか父に促され、父が仕入れてくれた傍聴券を手にして近くの見知りの大学生に同伴され、二度市谷に赴きあの裁判を傍聴したことがある。当時の私には裁判のやりとりの詳細は理解出来なかったが、二階に上がる階段の途中で、立っていたMPに履いていた下駄がカタカタ鳴ってうるさいと脱がされ、雨に濡れていた冷たい階段を裸足で歩かされた屈辱の記憶がある。


 故にもではないが、私はあの極東裁判は歴史的にも法的にも正当性を欠いていると思う。開廷の冒頭イギリス、オーストラリア国籍の弁護士将校が行った、この法廷がジュネーヴ協定に謳われた戦争における非人道的行為の責任者を裁くというなら、我々にはこの法廷を維持する資格は無いのではないかという陳述は、ウエッブ裁判長が慌てて通訳を差し止め後に報告の中から削除してしまった、という事実に鑑みても極めて妥当と思われる。あれが勝者による敗者への報復を含めた催し物だったことは自明だが、しかしなお、我々はあの戦争の責任者の存在について、あの裁判の正当性を非難することだけですむのだろうか。どの世界にも会社を潰してしまって責任を問われぬ経営者などいるものではない。


 私は後年、あの裁判で終身刑をいい渡され後に復帰し、国会議員となり法務大臣も務めた賀屋興宣氏に私淑したが、賀屋氏が皮肉に「まあ人間の性としても、あの裁判は仕方なかったでしょうな。あれでもし日本が勝っていたりしたら、そりゃあもっと酷い裁判をやったに違いありませんよ」といっていたものだった。


 がなお、あの裁判の非正当性にかまけて我々があの戦争の真の責任者について確かめることなしに過ぎてしまうなら、他国からいわれるまでもなく、我々はあの戦争という大きな体験を将来にかけてどう生かすことも出来はしまい。そしてそこにこそ、隣国たちは居丈高につけこんでくるのではないか。


 あの裁判の最中に、件の開廷冒頭の陳述への配慮も踏まえ、瞬時にして数十万の非戦闘員を殺戮(さつりく)した原爆への罪悪感の相殺のために突然でっち上げられ法廷に持ち出された南京大虐殺なるものも、互いにまだ一級の歴史資料が現存する今、靖国に祭られる者の資格云々とともに我々自身の手で検証されるべきに違いないと思うのだが。


 そうせぬ限りこの国は、結局何でもあり、無責任ナアナアの風潮に押し流され、周りからつけこまれるまま衰微の道をたどりかねない。


 「A級戦犯」への明らかな侮蔑のみならず、東条元首相を嘲笑したこの文章には、さすがの私も石原に対して怒りと失望を抱いた。また、東条元首相のお孫さんである由布子さんも石原への抗議を込めて「チャンネル桜」の特番に出演し、またその場に同席していた『正論』編集長の水島氏が同11月号で石原にインタビューしたものの、途中からまんまとはぐらかされてしまった。


 なぜ石原が「A級戦犯」に対して憎悪にも似た感情を抱くのか。私が思うに、石原が属するいわゆる「昭和5年世代」は自分たちを「戦地に行って上官や先任兵に殴られたり飢えに苦しむこともなく、日教組などから偏向教育を受けることもなかったから戦前や戦中を正しく見ることが出来る」などと自賛しているが、しかし彼らは大東亜戦争での初戦での日本軍の大勝利と後半での敗北を事細かに見てしまったために結果的に敗戦の要因をつくってしまった戦争指導者たち、つまり「A級戦犯」を憎んでいるのではないだろうか。


 石原よ!今後もこのような無礼な参拝を続けるのならば、二度と靖国の鳥居をくぐるな!さもないといずれバチが当たるぞ!

胡散臭い「昭和天皇メモ」

テーマ:

 今月20日、以下のニュースが日本中を震撼させた。


A級戦犯、靖国合祀 昭和天皇が不快感 元宮内庁長官メモ(産経新聞)


 昭和天皇が靖国神社のいわゆるA級戦犯合祀に不快感を示していたことを示すメモが表に出たことについて、安倍晋三官房長官は20日午前の記者会見で、「政府としてコメントする事柄ではない」と述べた。だが、自民党内は現在、戦没者の追悼をめぐって、A級戦犯分祀(ぶんし)論、国立追悼施設の建設や千鳥ケ淵戦没者墓苑の拡充論など百家争鳴状態にあり、波紋が広がるのは間違いなさそうだ。


 政府は、小泉純一郎首相の靖国参拝に関しては「首相自身が判断するもの」(安倍長官)との姿勢だが、首相の参拝に反対する勢力が、今回のメモ発見を利用し、勢いを増すことも想定される。またメモ発見が、首相の靖国参拝に反対している中国の高官が、「A級戦犯分祀論」を唱える自民党の古賀誠元幹事長に賛意を示したばかりというタイミングの問題もある。


 ただ9月の自民党総裁選に向けて「公になった言葉ではなく、非公式な会話メモで判断するのは、昭和天皇の『政治利用』につながりかねない」(百地章・日大教授)との懸念も出ている。


 政府筋は「(故・富田朝彦宮内庁長官のメモだけでは)昭和天皇が本当に不快感を示すご発言をしたかどうかは、誰も分からないだろう」とも指摘する。


 また、仮に内心がどうであれ、昭和天皇も現天皇陛下も春秋の例大祭には靖国に勅使を派遣するなど、靖国重視の姿勢を示し続けてこられた事実は重い。靖国の現宮司の南部利昭氏は就任に際して「天皇陛下から『靖国のこと、よろしく頼みます』と直接、言われている」(関係者)ともいう。


 今回のメモ発見でも、「戦没者追悼の中心施設は靖国」(小泉首相)という事実には何ら変わりはない。


 ■「政治利用」に懸念も


 昭和天皇が昭和63年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)について「あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと不快感を示されたとする当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)のメモが残されていることが20日、分かった。昭和天皇は50年以降、靖国神社を参拝されていない。A級戦犯合祀は昭和53年。


 関係者によると、富田氏は昭和天皇のご発言などを手帳などに書き留めており、63年4月28日付で靖国参拝に関するメモが残っていた。昭和天皇が「私は或(あ)る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが」「だから私(は)あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などとお話しになったとしている。


 「松岡」「白取」はA級戦犯として祭られている松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐イタリア大使を指すとみられる。


 ほかに「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが。松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々(やすやす)と。松平は平和に強い考(え)があったと思うのに、親の心子知らずと思っている」などの記述もあった。


 「筑波」はA級戦犯の合祀をしなかった筑波藤麿・靖国神社宮司(故人)、「松平」は最後の宮内大臣の松平慶民氏(同)、その「子」は長男でA級戦犯合祀をした当時の松平永芳宮司(同)とみられる。


 富田氏は昭和53年から63年まで宮内庁長官を務めた。



靖国A級戦犯 昭和天皇 合祀に不快感 宮内庁元長官メモ「だから参拝せず」(産経新聞)


 昭和天皇が靖国神社のいわゆる「A級戦犯」の合祀(ごうし)について「あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと話されたとするメモを、元宮内庁長官の富田朝彦氏(故人)が残していたことが20日分かった。昭和天皇はA級戦犯合祀が明らかになる3年半前の昭和50年11月以降、同神社を参拝されなかった。メモは、明確になっていないご参拝中断の理由を探る貴重な史料といえる。


 関係者によると、富田氏は宮内庁次長時代を含め、昭和天皇との会話を手帳などに書き留めていた。靖国発言のメモは63年4月28日付。メモによると、昭和天皇は「私は或(あ)る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが」「だから私(は)あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと語られたと記されている。


 「松岡」「白取」は日独伊三国軍事同盟締結にかかわりA級戦犯として祭られている松岡洋右元外相(未決拘禁中に死亡)、白鳥敏夫元駐伊大使(終身禁固刑を受け獄中死)を指すとみられる。


 また「松平は平和に強い考(え)があったと思うのに、親の心子知らずと思っている」などの記述もあった。「松平」は最後の宮内大臣の松平慶民氏(故人)、「子」は長男でA級戦犯合祀を決めた当時の松平永芳宮司(同)とみられる。このほか「筑波」は41年に厚生省から祭神名票を受け取りながら合祀しなかった筑波藤麿・靖国神社宮司(同)とみられる。


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【富田元長官のメモ】


 私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが


 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが


 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と


 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている


 だから私あれ以来参拝していない それが私の心だ(原文のまま)


 私は当初、このニュースを知ったときには「まあ、先帝陛下は大東亜の開戦に最後まで反対されていたようだから、思わずこのような事を側近に漏らされてしまわれたのだろうな」ぐらいに思っていたのだが、翌日になってネットを見てみると何とあの「富田メモ」が偽造なのではないか、という情報が縦横無尽に流れていたのだ。後になってニュース番組で「富田メモ」の実物が移っていたのだが、確かに不自然に貼り付けているような感じを受けた。さらに言うならば、昭和天皇のお言葉としてはかなり違和感を感じてならない気がするのだ。

 このニュースは日本経済新聞の20日付朝刊が元になっているのだが、やはり日経はこのタイミングを狙って流したのだろうか。そして昨年の始めに朝日の「NHK番組改編事件」と同様に偽造したのだろうか。しかし、仮にも五大紙の一つである日経が恐れ多くも昭和天皇のご発言を捏造した、などという事が発覚すれば間違いなく日経は終わるだろう。それを考えると全くの偽造と言い切るのも難しいのかも知れない。


 しかしここで重大なのは、万一事実であったとしても、これが立憲君主であらせられた昭和天皇の極めて「私的」なご発言であるという事であり、間違っても政治利用するような事は決して許されないという事なのだ。


 特に朝日はこのニュースが発表されるや否や社説で「昭和天皇の気持ちを尊重するべし」という旨を書いていたが、では皇室典範改正問題で三笠宮寛仁親王殿下が女系天皇反対のお気持ちを表わされた時に、やはり朝日は社説で無礼にも「皇族ならば政治的発言は控えるべきだ」などと書いていた事を忘れたのだろうか?皇族方のご発言に対するご都合主義にも程があろう。


 また、さらに言うならば、あまり死者に無理打つような事はしたくはないのだが、今回の火種を残してしまった今は亡き富田元長官の責任は決して軽くはないであろう。本来ならば、このような後生に多大な悪影響を及ぼすような手記や日記などは、自らが死す前に必ず全て処分しなければならないのが道理である。恐らく富田氏は「このような貴重なものを処分することなど出来ない…」などとしている内に亡くなってしまったのではなかろうか。なぜこのような人物が宮内庁長官を務めていたのか、全く困った事である。


 さて、昭和天皇が「富田メモ」にもあったように、大東亜戦争開戦の要因となった日独伊三国軍事同盟締結の推進役であった松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐伊大使に多大な不快感を催されていたのは概ね事実であろうが、しかし私個人としてはそれは酷ではないかと思う。

 特に松岡に関しては満州国建国を否決した国際連盟脱退と先述の三国同盟締結に関して保守派からも毛嫌いされているようだが、私には松岡の気持ちもある程度が分かるような気がする。人種平等宣言を白人植民地保有諸国のエゴで否決し、さらには清朝のラストエンペラー・溥儀の願いを受けて建国し、平和で安定した国家になりつつあった満州国を承認しなかった国際連盟への失望。米国の対日敵視戦略によって孤立させられた日本を何とかしようと、全体主義であると知りつつもヒトラーのナチス・ドイツとムッソリーニのファシスト体制下のイタリアとの同盟締結。後生に生まれた我々はその結果でもって松岡らを批判するだけで良いのかも知れないが、苦悩の末に行動した彼らの思いも酌み取る事も大事なのではないだろうか。