記憶の連続性


記憶の連続性の中で人は生きています。
生まれてから今までの記憶。
記憶とは感情を伴います。

感情が伴わないのなら忘却となります。
その人の記憶が、その人の意識の幅となり、
その人の思想になります。

そして、その思想は、
その人の感情を生みだしていきます。
そしてまた、感情は、
記憶を生みます。
この循環をし続けながら人は成長していきます。

過去には、いつだっていけます。
喜怒哀楽の記憶の時。

喜びに包まれた時は
静かなる喜びを全身で受けて。

怒りに包まれた時は、
静かなる怒りを思想で封じて。

哀しみに包まれた時は、
静かなる哀しみを心に秘めて。

楽しみに包まれた時は、
静かなる楽しみを魂で感じて。

記憶で人は生きています。

追憶。過去のへ旅は、
なぜいまの自分が在るのか、
それが分かり得る。
弱いより強い記憶の影響。
そして数々の記憶が一貫性となり、
いまの自分を作っていると知ります。

今日も明日もあさっても、
まだ知らない新しい記憶を心に残せますように。
そう自分に願っています。
自分の価値は自分でしか作れないのですから。(^^)v
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自己幸福供給力は感知力次第というときれいごとかも。
頭がいいとか悪いとか、
人と比較しても全く意味はない。
そんな事より、自分の中で、
今の自分は、頭がいい状態か、悪い状態か、
を把握して比較する方がいい。
頭がいい状態は、なんでもくるくる考える事ができる状態。
根底には幸せな感じがある。
楽しいし面白いから集中できる。
活発な感じ。頭がよく働くから体もよく動く。
頭が悪い状態にあるというのは、その逆。
人生は楽しむためにあるのだから、
頭がいい状態の自分であれと。
そう思います。
人の財産は、
その人の頭の中にあるのが本当であって。
それは、気持ちや思いや意識であり、
感情や情緒ともいえる。
つまり、本来の人の財産とは、
頭の中を何で満たしているか、
何で満たされているのかということになる。
ここで、金持ちの勘違いもあるかもしれない。
(金が全てであるかもということにも僕は同意する。)
僕はもってないけれど(笑)
良いものが満ちている時は、
頭がいい状態。なので気持ちがいい。
悪いものが満ちている時は、頭が悪い状態。
なので気持ちは良くない。
せっかくの人生、おもいっきり楽しまないと。
財産はいつも頭の中にあるのですから。
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また由来を書きますね。今日は、悪党編(笑)
ただいま~と声がする。
只今は、たったいま、
帰りましたとの挨拶の言葉ですね。

もう夕方です。日が長くなりましたね。
日暮れ時の様子を、たそがれと言います。
「誰そ彼」と書きます。

誰が彼だか暗くて判別できない様子のことですね。
たそがれ。

暗くなってくると、
奴等はいつも街に集まります。
グルリと輪になり悪いことを企てることから、
グルという言葉が生まれました。


ちなみに奴等に、カモられるのカモるは、
鳥の鴨のこと、
簡単に捕まえられる事からです。


奴等は、向こう見ずで、
無茶にキバッて無鉄砲。

向こう、つまり将来のことをよく見ないで行動すること。
無鉄砲は、鉄砲なしで、
刀を振りかざすだけでは勝てないの意味です。
気張るは、気を張るでそのまんまですね。

たまに仲間内でもめたりもします。
二個上とか一個下とかがポイントで、
元々ソリが合わないんだよ、
サバ読んでんじゃねーよ、
ウザいんだよ!という感じでしょうか。

ウザいは、簡単で、
うじゃうじゃしている様子が短くなって、
つまり、うじゃがウザいに。


ソリとは刀の刃が合わなくて
鞘に収まらないからきています。

サバを読むは、港で魚が揚がると大きな魚は、
例えばマグロなどは一匹二匹と数えます。
逆に小さな魚は、バケツ一杯二杯とかです。


で、ちょうどサバは中間で、
一応数えなくちゃいけない魚ですが、
いつも早口で数えて適当に数をつけていた。
その事からサバを読むという言葉が生まれました。

もめ事は喧嘩に発展しそうです。
怒ってる方は真っ赤に、怒られている方は真っ青です。
顔色のことです。
取り巻きは無責任にも面白がっています。
面白いって面、つらが白いと書きます。


面白いって、顔(面)が白くなるから面白いというんです。
イメージ的に、
パッと目の前が明るくなり顔が白く浮かび上がった感じです。

よーし、今日は、これくらいですね。
いま、ビール飲んで、ほっこりタイム中です。

ほっこりは、京ことばで、元々は、
仕事が終わって安堵した気持ちをほっこりと
言い表した言葉です。
今では、なんでも、
リラックスしてゆったりと過ごすとき全般に使いますね!

今日もお疲れ様でした。
皆様、おやすみなさいませ(^-^)v
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愛は与えるもので感謝は与えられるもの。
欠乏欲求。満たされない。
それが無いからほしくなる。
それは僕も同じ。

忘れがちな情理。
それは、自分が与える立場にならないと
人の心は決して満たされはしないということ。

人の為に生きるとは、
即ち自分を生かす生き方でもあるということ。

前置きはこの辺で。
一体何を言いたいのか?
すごく単純で逆説的なこと。

自分が他者に働きかけて生きている人は
ネガティブなことは、まず言わない。

人に尽くすように社会と関わろうとしている人は
まず自分自身の不満を口に出しはしない。

つまらない、いやだ、面白くない、
ダメだ、面倒くさい、くだらない、嫌い。
そして他者への悪口も口に出るようになる。
そんな人ほど、

解釈の重要度が完全に自分に偏重し過ぎている。
ネガティブな言葉や思いは自分のことだけに
意識が集中しすぎているのではと。


未熟でもいいから、自分自身に責任があり、
社会と関わって生きているのなら、
自分の役割を自覚しているのなら、
他者の役にたちたいと生きているのであれば、
自分の中の不満は自ずと氷解するのではなかろうか。
好きというのは、本能的なもので、
意思には関係なく心の奥底から
自然と発露するものであるから本当に好きなものは
理屈で説明ができない。

スープカレーが好きだからカレー屋をやっている。
なんで?って聞かれても、
好きだからってなる(笑)
それはねという説明は後からついてくる。

学問の世界でも、新しい事を見つける時に。
過去の積み重ねで新しい事を
見いだすのではない場合が多いそうです。
直感的洞察が働き、答えが先にひらめく。

それを万人にわかるように
誰がやっても同じ結果になるように、
データと論拠を仮説、検証を繰り返し
整合性のある説明がなし得た時に形となり、
論文として発表されるようです。

特許をいくつも持つ研究者の友人がいるので
今度、直に聞いてみようと思います。