アンダーカレント ~高良俊礼のブログ

短歌、音楽、日々のあれこれについて。。。


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さて、戸口を後にする頃には、それまで降ったり止んだりしていた雨が本格的に降ってきた訳なんですが、雨ごときで探検を中止するような我がチームではありません。

次なる目的地は、芦徳からぐるっと迂回して屋入。

「えぇと、屋入と芦徳には共通する伝説があるんだ」

「何ですかそれは?」

「巨人」

「巨人?」

「うん、つまりおっきい人。屋入の方はすごく漠然と、屋入万太郎とかいう巨人が住んでいて、そいつが対岸の久場に足を伸ばしたら久場の地面がへこんで入り江が出来たと」

「で、芦徳の方はもっと具体的に巨人がこの地を支配していて、その巨人の墓というのも昔あって、その墓に納められてる骨はどう考えても身長3m以上ある人骨・・・とか何とか」

「墓が残ってると?」

「いや、残ったら多分もっと具体的に史跡とかになってるはずだからこれも伝説だろう」

そんなことを話しながら芦徳を通過、半島の先端にある宇天には、きっと時空のおっさんがいるはずとか色々。

登りながら左にクイッと曲がるカーブを下ったらそこは屋入。


目的はこれ


「家人(ヤンチュ)の墓」です。

家人というのは、主家に仕える奉公人のことで、借金(納めることのできなかった年貢)を富裕層に肩代わりしてもらう代わりに、自らの身を労働力として売り渡した人も多く、ある意味この島の歴史の負の側面です(詳しくは南方新社から出版されている「奄美の債務奴隷ヤンチュ」名越護・著をお読みください)。

何故屋入にこの家人の墓があるのかというと、昔この一帯はかつて作場で、対岸から舟に乗って家人達が働く場だったそうです。

急な斜面のこの場所にある右側の石が墓石、左側の少し小振りな石にはお地蔵さんのような"祈る人"が彫られています。

場所的にこの下に仏さんが埋葬されているということはなく、これはこの地で亡くなった家人達の供養塔といった感じでしょうか。

写真を撮影したのは、去年一人で訪れた時でした。

その時斜面をちょいと登って、風化した墓碑に彫られた文字の解読に挑みました。


表面の文字の窪みを目で見て指でなぞりながら

「嘉・・・居士・・・う~ん、風化して読めない。もうちょっとこの・・・陰影があれば・・・」

と、悪戦苦闘していたその時、陽の光が墓碑を照らしたり、木陰がそれを覆ったりして、結果文字のコントラストがクッキリして

【 享和元年辛酉  嘉運良慶居士  十月十七日 】

という文字が判明したという素晴らしい経験をしたんです。

享和元年といえば1801年の江戸後期、家人制度は当然残っていた時期なので、誰か、恐らく墓石を建てて僧侶に戒名も依頼できるほどの地位と財力を持っていた人が、報われぬ一生を終えた家人達を哀れんで建立したのでしょう。

嘉、良、慶という最高の"よし"が並んだ戒名にも深い意味がありそうです。

次は"対岸"の龍郷町龍郷(通称本龍郷)へ向かいます。



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