★ナイル・ロジャーズ『ソウル・ブレンズ』に登場 (パート2) | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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★ ナイル・ロジャーズ『ソウル・ブレンズ』に登場 (パート2)

【Nile Rodgers Talk On Soul Blends (Part 2)】

(昨日からの続き)

トーク。

来日中の「ナイル・ロジャーズ『ソウル・ブレンズ』で語る」(オンエア、4月17日日曜午後)のパート2。(1は前日のブログ参照)

『ソウル・ブレンズ』は2時間まるまるナイル、シックとナイル・プロデュース関連作品ばかりで選曲された。

オムニバス・アルバム『エヴリバディ・ダンス』の選曲はナイル自身で行い、いくつかの許諾を取るのが難しい楽曲は、自身でマドンナやデイヴィッド・ボウイに電話をした。

マーヴィンが、「ナイルが使いたいといえば、誰も『ノー』とは言えないでしょう」というと、ナイルは答えた。

ナイル。「それはやってみなければわかならい。You’ll never know. マドンナなんか、なかなか映画にも貸さないようだからね。でも今回は、バーナードの没後15周年ということで、頼み込んだ」。

そして、リスナー橋本さんからの質問。

「イタリアのグループ、チェンジのベース奏者、デイヴィッド・ロマーニがイタリアのレコーディング・スタジオにナイル・ロジャーズがやってきたことをとてもよく覚えていて、感激したそうです。このことを覚えていますか?」

ナイル。「チェンジは最初、僕とバーナードでプロデュースする予定だった。ただ、僕たちは『シック・サウンド』をむやみに(人に)あげてしまいたくなかった。誰かをプロデュースすることはまったく問題ないんだが、誰かのプロジェクトで僕たちのサウンド、つまりシック・サウンドをそのまま出すというのは、やりたくなかった。シスター・スレッジのプロジェクトは、シスター・スレッジのためだけに作ったサウンドで、それはシスター・スレッジ・サウンドだ。彼ら(チェンジのプロデューサー)は、シックの人脈を使ってシック・サウンドそのものを欲しがったというわけだ。(それを断ったのは)僕たちは自分たちの尊厳を持っていただけだよ。他のアーティストをプロデュースすること自体は全然問題なかったわけだからね。僕たちのシック・サウンドをそのまますべてあげてしまうというのは、ちょっとよくないと思ったんだ」

リスナーのトミーさんからの質問。

「闘病中の来日、とても感謝しています。今回の新曲『アイ・ウォナ・ダンス』はとても嬉しいのですが、何年も新譜を待ち続けているファンとしては、次の新録フル・アルバムを期待していますが、いかがでしょうか」

ナイル。「『アイ・ウォナ・ダンス』にはおもしろい話がある。僕の母方ミケンズ側のいとこ、スパイク・ミケンズはクール&ザ・ギャングのメンバーだった。クール&ザ・ギャングは、僕の叔父(アンクル=スパイク・ミケンズの父。父とナイルの母が兄弟)のリヴィング・ルームで結成されたんだ。だから子供の頃、僕はこのクール&ザ・ギャングに入りたいと思っていた。これこそが僕にとってのグループだと思えてならなかった。クールたちと僕らは昨年、一緒にツアーに出た。そこで、『今まで、何で一緒に何もやらなかったんだろう』という話になって、一緒にレコーディングすることにしたんだ。ところが、僕が昨年10月末に癌になってしまい、まったく(ギターを)プレイすることができなくなった。レコーディングは中断。手術が終わって、なんとかまたプレイできるようになって、クールがうちのスタジオにやってきてレコーディングをした。そして、このアルバムの締切の前日にマスターテープが完成したというわけだ。将来に関していえば、僕はキャッチアップしているところだ。(なんとか、現状に追いつこうとしている)実はここ7ヶ月、何にもやってないんだよ」

ナイル。「ブロードウェイ・ショー、ツアー、書籍の発売、ビデオ・ゲームの音楽の仕事なんかもたくさんある」

マーヴィン。「そんなに忙しくて、どのようにバランスを取っているのですか」

ナイル。「寝ないんだよ。(笑) だいたい2-3時間しか寝ないんだ」

マーヴィン。「さて、これから『アイ・ウォナ・ダンス』をかけますが、クールとシックは、もうとっくにコラボレートしててもおかしくないですよね。しかも、メンバーは親戚だ。なぜでしょう」

ナイル。「クールとシックには、ほかにも共通点がある。クールの初期のアルバムのエンジニアはボブ・クリアマウンテンという人物で、シックの最初のアルバムのエンジニアでもある。二つのグループは、本当に並行して活躍していた。だが、お互いそれぞれに忙しく、ツアー自体も一緒にしたことはなかった。また、クールたちは他の人、アーティストをプロデュースしない。で、クールたちは、いつもロード(ツアー)に出ている。僕らが「ウィ・アー・ファミリー」を作って以来、この曲は年間2百万ドル(1億6千万円)を稼ぐようになった。他にも、『アップサイド・ダウン』『ル・フリーク』『グッドタイムス』『ラッパーズ・デライト』があった。一緒にやる機会がなかっただけだ」

マーヴィン。「つまり、ナイル、あなたたちは音楽が好きで、やりたいようにできる。やらなければならなくて、それをやるわけではない、ということですよね。義務ではない。だから、日本の人々は、今、この時期に日本にやってくることに本当に敬意を表してるんです。本当にリスペクトしている」

ナイル。「僕には選択の余地はなかった。この地が好きだし、バーナードが僕に人生を与えてくれたんだ。He gave his life for meあのとき、医者はバーナードに『武道館のコンサートは、やるな。キャンセルすべきだ』と言っていた。だが、バーナードは『ありえない、やらないわけにはいかない』と言ってやってきたんだ」

そして、バーナード・エドワーズは、ライヴが終わった翌日、東京のホテルの部屋で息絶えていた。1996年4月18日の早朝だった。

(続く)

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●次回来月にワンデイのライヴ、ナイル・ロジャーズ5月29日公演、

一日だけ。ナイル・ロジャーズ&シックのライヴが、5月29日(日)ブルーノートで決まった。彼らは当日、中国から来日、その日の夜に2ステージを行う。バンドメンバーは翌日帰る。

●WOWOWで収録

バーナードの命日、4月18日、東京公演最終日の模様を、有料衛星放送ワウワウ(WOWOW)が録画収録した。現在ワウワウでは、ナイルを追ったドキュメンタリーを制作中で、ドキュメンタリーとライヴをまとめて、放送する計画が進行中。4月18日は、ナイルの盟友、バーナード・エドワーズの命日。

● 今日は大阪

ナイルご一行は、19日新幹線で大阪に移動。20日に大阪で日本最後のライヴを行う。

ナイル・ロジャース/シック公演
2011年4月20日(水)
前売:7,350円(税込)
開場: 18:30開演: 19:30
会場: 心斎橋クラブクアトロ(大阪府) [地図] [周辺の宿泊施設]
問合せ先: SMASH WEST : 06-6535-5569

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ARTIST>Rodgers, Nile
RADIO>Soul Blends