吉岡正晴のソウル・サーチン

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●ピアニスト深町純氏急死

【World Greatest Improvisational Pianist Fukamachi Jun Dies At 64】

訃報。

日本のピアニストの第一人者、深町純氏が、2010年11月22日、自宅で亡くなった。64歳だった。22日夜、自宅で倒れそのまま亡くなった。心臓疾患、正確には大動脈解離による心嚢血腫(しんのうけっしゅ)が死因。今週土曜日(11月27日)、月一定例のピアノ即興演奏会を行うことになっていた。

深町純氏の告別式は、2010年11月26日(金)13時から、目白教会(新宿区下落合3-14-25)で行われる。

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孤高。

深町純氏は、1946年(昭和21年)5月21日東京生まれ。東京芸術大学卒業直前に退学。1971年、歌の入った『ある若者の肖像』でデビュー。しかし、その後はピアニストとしてスタジオ、ライヴなどで活躍した。1973年の井上陽水の『氷の世界』など多数。1970年代から、当時はまだ新しかったシンセサイザーを使いこなし、さまざまな実験的挑戦を行った。1970年代には、邦楽のアレンジなどもこなし、同時にフュージョンも演奏し人気を集めた。特にニューヨーク・オールスターズなどは人気を集めた。また、スリー・ディグリーズが日本で録音した作品のアレンジなども担当。日本の音楽業界でもっとも売れっ子のピアニスト、キーボード奏者、アレンジャーになった。

1989年、洗足学園大学音楽学部教授に就任。ここに日本で初めてのシンセサイザー科を設立、学生にシンセの魅力などを教えた。しかし、1996年5月、覚せい剤で逮捕、活動が一時停止。2001年1月から恵比寿のアートカフェで、自身がやりたかったすべて即興ソロ演奏の会を開催して復活。これは毎月最終土曜に行われ、2007年6月の第78回からは場所を祐天寺の深町氏の店「FJ’s」に移し続行。2009年4月、記念すべき第100回が行われ、2010年10月末で118回を数えた。11月27日は119回が行われるはずだった。2004年、ニューヨーク・オールスターズでイヴェントに登場。

深町氏は業界内でつるむこともなく、職業演奏家としての仕事も完璧にこなしながら、自身の音楽を作るときには比較的一般的な商業音楽に背を向け、独自の道を歩んできた。そのため孤高のピアニストというイメージがある。

深町純・オフィシャルサイト
http://www.bekkoame.ne.jp/~cisum/

深町氏がオウナーのライヴハウス「FJ’s」のサイト
http://fjs.fukamachi-jun.com/

2010年8月から自身のライヴをUストリームで配信するようになった。2010年10月30日、最後となってしまったキーボードパーティー、第一部。

http://www.ustream.tv/recorded/10517739


2010年10月30日、キーボードパーティー第二部。


http://www.ustream.tv/recorded/10520414


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情熱。

癒し、情熱、怨念、怒り、愛、安らぎ、孤独、幸福そうしたものがすべて10本の指から爪弾かれるのが、深町さんのピアノだ。ここまでミュージシャン力のあるミュージシャンを知らない。ここまで言葉を演奏に変えられ、演奏を映像にしてしまうピアニストは、なかなかいない。

僕は彼の音楽がもっともっと多くの人にたどり着けばいいと思っているが、なかなかそこまでいかない。ありていに言えば、世間が彼にまだおいついていないということなのだろう。

彼のサイトの下のほうに「私は戦争する全ての国を、軽蔑し、憐れみ、悲しみます」と書かれている。奇しくも北朝鮮が戦争を始めようとしている同じ日に深町さんの訃報が伝わるというのも、何かの縁かもしれない。

2008年7月の定例会で、彼はこんなことを言っていた。

「夢というのは、叶うかどうかはどうでもいい。(夢は)見ることが大切だと僕は思います。それは人生の目標と同じだと思うんです。(客席に向かって) みんなはどういう人生が素晴らしい人生だと思う? 僕が信じていることはひとつです。死ぬ間際に、『僕の人生は素晴らしい人生だった』と思えれば、それが『素晴らしい人生だ』と思う。で、そのためにどうすればいいかというと、これがわからないんですけど、僕にとってもっとも大切なことは、『夢をみること』です。(夢が)叶うこと、叶えることじゃない。(客席から拍手) 夢なんて叶わないんですよ。でも、ある目標、目的を持って生きることはとても大切です」

彼は昨日の夜、「僕の人生は素晴らしい人生だった」と言えただろうか。言えたと僕は信じている。

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思い出。

23日午前、最近あまり連絡がないフォトグラファーから着歴が残っていた。それからPCでツイッターを見ていたら、深町純急死のタイムラインがいくつかでてきて、あちこちに確認して時間がかかった。で、一段落してその着歴を見返して、ピンときて、「ひょっとして」と思って折り返すと、案の定、深町さんのことを伝える電話だった。そういえば、その写真家を深町さんに紹介したのが僕だった。

深町さんとよく話をさせていただくようになったのは、彼が恵比寿のアートカフェで月一定例会を開くようになってから。当時深町さんのCDを出していたポニーキャニオンの高橋祐二さん(元CBSソニー)から誘われて、行った。2001年2月最終土曜日の第二回目だった。すべて即興というピアノ演奏に衝撃を受けて、以来、毎月最終土曜日に通うようになった。ずいぶん、多くの知り合いを連れて行った。

全部即興だから、同じ演奏は二度とない。今、聴けたものはもう二度と聴けない。これがじつにもったいなく感じ、本人の了承を得て途中からビデオで録画するようになった。それを毎回コピーして、翌月に彼に渡すのが習慣になった。ライヴレヴューは毎回、ブログに詳細に書いた。全曲即興だから、事前のセットリストなどあるわけがない。演奏後もタイトルさえない。セットリスト命の僕としては、どうしたらいいか考えた。そこで、記録の意味でその曲が始まった時刻をタイトルとしたのだ。便宜上のものだった。

録音撮影についても、まったくオープンな方で、録音撮影自由、撮ったものはご自由に好き勝手にお使いください、という考えだった。最初からコピーレフトの人だった。著作権フリーだ。

毎月、正確に記録していくと、深町さんがよくしゃべるときと、あまりしゃべらずに演奏に没頭するときとがあることを発見した。そこで、彼がどれだけ演奏をしていたかを数値にすることを思いついた。ブログで、その日の音楽比率という数字を紹介するようになった。一概に言えないが、音楽比率が70パーセントを超えると、けっこうピアノを弾いている感がある。80パーセント以上になると、ピアノ・ライヴ。逆に50パーセントを切ると、よくしゃべるなあ、トークショーにおまけでライヴがついた、という感じになった。

2001年から2007年5月まで毎月最終土曜日に恵比寿のアートカフェでやっていたが、同所が立ち退きで閉店(のちに2008年4月に場所を近くに移転し再開)したのにともない、同年6月からは一足先にオープンしていた祐天寺の自身の店「FJ’s」に会場を移した。以来、2009年4月に通算100回目を行い、2010年10月30日(土)には第118回が行われた。2010年11月27日(土)に第119回が行われることになっていた。

個人的にはいくつも思い出がある。あるとき深町さんがメールをくれて、「今度テレビでライヴ告知をしてくれるらしいんだけど、君が撮ってる映像を貸してもらえないか」と言われ、いつも撮っているテープを貸し、無事その映像がほんの数秒使われた。テレ朝の「あしたま」だったと思う。べつのときには、「100回目というのは記念の回だから、そのことをどこかで書いてくれないか」と頼まれ、当時はまだあったアドリブ誌に書いた。そういえば、毎日新聞の「楽庫」で大きく取り上げて書いたときには、「こんなに大きく紹介してくれるなんて、すごいね」とずいぶんと驚かれていた。

(この項、あしたに続く)


OBITUARY>Fukamachi, Jun (1946-5-21 – 2010-11-22, 64 year-old)

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