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March 08, 2011 20:55:15

人生は人性│再び島地勝彦

テーマ:今東光和尚・瀬戸内寂聴・島地勝彦
私はいつも、カバンにジャンルの違う2、3冊の本を突っ込んでいる。

移動中の電車の中なんかで、ふと思いついたときにパッと読みたいたちなのだ。
いずれiPADのようなものに置き換わるかもしれないが、やはり紙の質感を捨てがたいと思う旧式の人間である。。

昨日珍しく雪の降った都内のカフェーで、愛読書のひとつであるシマジさん(島地勝彦さん)の本を取り出した。

何が気に入っているかというと、ダンディズムを絵に描いたような人で、北方謙三の本に出てくるようなハードボイルドな雰囲気も漂っている。そこにはKENBOの理想とする男性像がある。

そのシマジさんの他の書き物などツラツラと眺めているうちに、この人は人生を投げているわけでは決してないが、好きな女のためなら軽く自分の命を放り出してしまいそうな危なさも漂っている気がしている。

実はそんな人生観にすごく共感を抱いているのだ。


いくら言葉にして表しても無意味だし、それに軽々しく口にすべきことでもないかもしれない。

ただ愛する女の危機があったとき、それで救えるなら、さらりと自分を差し出せる男もいる。

それならそれでよいではないか、とためらいなく動ける気持ちが分かる。

生きることに執着を燃やしながらも、好きな女のためには自分のことはどうでもよいといったらお分かりだろうか。

女性の皆さんは、到底納得できないかもしれない。

ニャンコもそうだ。ピンチがあれば飼い主も自分も絶対助かるのだ!と強い信念でいる。メラメラ



シマジさんが、若い(30代)担当の編集者に諭す話が載っていた。

「ミツハシ(編集者の名前)はまだまだ甘い。女性は男性と違って、何歳になってもセックスが可能だから性の問題は奥深いんだよ」と。

そしてシマジさんは、今東光大僧正が存命中のかなり昔の話を持ち出した。

83歳の松山の老芸者さんが、四国の大将(今は新来島どっくという名前に変わっているが、当時、来島どっくの坪内さんといえば超大物として知られていた)の坪内社長へ懇願した。

「私はもう20年以上男さんに抱かれていません。もう長くない命ですから死ぬまでにもう一度抱かれたい。私を抱いてくれる男性を紹介してくれませんか」

坪内さんは今東光大僧正へ相談した。

さすがの大僧正も、「おい坪内、俺より年上か・・・。二人して死んじまうぞ・・・」と丁重に断りながら、顔を見合わせて「梶山だな」、という運びになった。

梶山というのは、当時大流行作家であった梶山季之さんのことだ。女好きでは規格外の怪物という話だったからだ。

梶山さんは、老芸者さんを奥道後温泉に入れて体をほぐし、お相手を務めたということだ。

今東光大僧正が、どうだった?と聞くと梶山さんは興奮して語ったそうだ。

「いやあ、女というのは恐ろしいですね。大洪水になって雄たけびもすごかったです」と。

その老芸者さんは、それから1年もしないうちに亡くなったそうだ。


シマジさんは、編集者にこう諭した。

「性の問題は深い。ミツハシ、だからゆめゆめ軽んじてはならないのだ。人生は人性なんだよ」と。


うーん、深い、と感じた。

極めた男ならではの、洞察だ。。

「人性」は男より女のほうが断然深い、とKENBOは確信している。

例えば、女性は好きな男に対してどんどんと自らを解放し、どちらかというと自然な感覚に身を任せることでより深い快感を得られるようにできている・・・ようにみえる。

しかも、その快感はいくらでも引き出され、また開拓される余地がある・・・ようにみえる。

ニャンコを観察していると、まさに疑いようもない事実だと確信しているくらいだ。ビックリマーク

女性にとっては、いかにして自分を縛っている見えない足枷を外せるかが鍵だ。


一方で、男において同じ理屈は通じない。

男のほうは、その最中においてもいかに自己制御できるかどうかが課題だ。

その自己制御は、ふたりのエ★チをさらに高いレベルに押し上げ、より深い愛情や快感をもたらすために欠かせない。

男が自分の快感にそのまま身を任せていたら、自分勝手に射☆精してお終い、というパターンしかない。

ヌカズ何発でいけるという男も、若い一時期のことに過ぎない。

草食系でない10代から概ね30代前半くらいまでの男にとっては、ほとんどが自分の快感=射☆精欲と同じような意味だ。

以前にも記事に紹介したことのあるアダム徳永さん(ア ダ ム タ ッ チを彼に教えて愛情を育む)は、彼女とのエ★チを素晴らしい創造体験に変えていくために、

まず・・・

「射☆精という欲望を捨てる」ところから教えているという話を聞いたことがある。

これは、多くの男性にとって驚き以外の何物でもないが、実は全くその通りだとKENBOは思っている。

「射☆精という欲望を捨てる」という意味は、射☆精を第一の目的にしない、最優先しないということである。

射☆精よりもはるかに快感となるのは、愛する女性が延々と、忘我の境地で乱れるさまを五感で感じることだ。


いずれにしても男のほうにハンデがあるのが、「人性」だ。

これを乗り越えることでやっと、君の彼女の見えない足枷を外す手伝いができるというものだ。

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