コンピューターは現状過渡期に来ているとも言え、いずれ出てくる

革新的な技術によりコンピューターが衰退を極めていく姿を生きている

間に見れるかもしれない。それは、そろばんがコンピューターの出現で


衰退を極めていったときのように。


 コンピュータは一昔、大型汎用機を計算機と呼んできたように高機能


の自動そろばんといった扱いのものだった。だが、今やコンピューターが


扱う技術革新は、多くの人間が発明してきたものを代行してきている。


この小さなパソコンは、そろばんのような「計算機能」としての1つの仕事


を補助する機械だけではなく、既存のいろいろなものの技術の代わりを


担っていることは大きな意味がある。


 このような機械の代わりとなるものがでることは、並大抵のことでは


ないかもしれない。しかし、それは人間自身が退化を助長するような状態


とも言え、コンピューターより先に人間が衰退を極めていくような事態に


なるという、ちょっとまえのSF映画の馬鹿げたストーリーが現実味に


ならないように、コンピューターを人間の補助機能の1つとして意識して


使い、コンピューターに使われないようにしなければならない。


現代の多くは便利な物が増え、人間はそれに依存している。それは、


人間が飼っているハムスターが逃げ出したときにすぐ死んでしまう


ように(餌のとり方をしらないため餓死してしまうらしい)、その依存度が


増えれば増えるほど似たような状態にもなりかねないともいえる。


ふと考えると恐ろしい世の中に生きていると実感できる。

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 その昔、そろばんは会計事務にはなければならないものであった。


どこの会社にもそろばんがあり、日本の成長とともにそろばんが


あったといっても過言ではない。そんなニーズもあり、そろばんは


習い事の1つとして大きなウェイトを占めていた。しかし、昭和の


バブル期突入の頃の習い事と言えば学習塾が大きなウェイトを占め、


コンピューター技術が進化することで汎用機からのダウンサイズ


が進行し、人間の組織が行ってきた仕組みをコンピューターが代行


できることが格段に広がった。その頃からそろばんは文化となる


道を進み始め、人間の計算能力を高める武器はコンピューターに


取って代わられた。私自身もその時代の変化に加担した一人でも


あるといっても過言ではない。そんな衰退を極めてきたそろばんは、


いつしか日本人にその存在さえ知らない人達が増えてくるだろう。


しかし、そろばんは単なる計算機器だけの役割だけではなく人間の


能力を高める道具でもあったことを忘れてはならない。暗算を行うこと


で、指を使った検算をすることで、脳と連携を密接に行うことができ、


脳の機能を活性化し高い能力を引き出すきっかけになっていることを。


そして、私はその活性化された能力を生かして仕事や株式投資ができ


結果を残せていることを信じてやまない。

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 そろばんと私の出会いは、この世に生を持ったときからといっても過言ではありません。なんせ、私の親父はそろばん塾の先生だったんですから。


コンピューター全盛期のこの世の中、果たして今の日本そろばんを片手にしている人たちはどれぐらいいるんでしょうね。私の世代以上の方はそろばん習っていた方は、そこそこいて懐かしいんじゃないかな。


子供の頃は「そろばん塾」の看板を見かけましたが、いまやそろばんの「そ」の字も見かけない世の中になりました。


日本文化のそろばんなんですけどね。。。


いまどきの子供たちはパソコンとゲーム片手にお遊びと塾通いですね。


そんな私も、そろばんではなくパソコン片手にお仕事に、株投資にBLOGと。。。



とりあえず関係なさそうなそろばんと投資の話を絡めて、好き勝手に書こうかとBLOGを作ってみました。