夢。 | 菊池秀治オフィシャルブログ「俺は、今ここにいる」

夢。

チームからも発表がありましたが

昨シーズンをもちましてアイスホッケー選手を引退する決意を致しました

本来であればお世話になった方々の前で

自分の口でしっかりと感謝の気持ちを伝えないといけないところ

このようなご報告となってしまい大変申し訳ございません

アイスホッケー選手としての

最後のゲームはプレイオフ・セミファイナルで

アニャンハルラに敗退

スポーツは勝つときもあれば、負けるときもあります

勝ったときはこんな喜びは他にはないと感じますが

負けたときもこんなに苦しいことは他にはないと感じます

全てをひっくるめてスポーツなのでしょうが

最後まで負けた苦しみを受け止めることが嫌いでした

しかし、マイナースポーツといえども

国内・アジアにおける第一線でその経験ができたことを誇りに思います

365日1日も頭から離れなかったアイスホッケーがこれからはなくなる

毎日アイスホッケーの為にトレーニングをしていたことがなくなる

毎日防具を着て、スケート靴を履いて氷の上に立つことがなくなる

アイスホッケーがたくさんの出会いをくれました

今まで培ったことの全てがアイスホッケーから学んだことです

ありきたりな言葉になってしまいますが

そう考えると、やはり僕の人生はアイスホッケーそのものになります

 

現役選手を引退すると決めたときから

初めて自分の為にアイスホッケーをプレーしたいと思いました

アイスホッケーがたくさんの夢をみせてくれました

アイスホッケーがたくさんの夢へと導いてくれました

今の僕の夢は

「アイスホッケーを価値あるスポーツにする」

アイスホッケー選手が子供達のやりたい職業にランクインする

子供達が外でホッケーをして遊んでいる

アイスホッケー選手を子供達が安心して目指せる職業にする

日本人選手がNHLやKHL等の海外リーグで活躍するのが当たり前になる

日本人のアイスホッケー選手が高年収ランキングにランクインする

アジアリーグが世界を代表するリーグになる

オリンピックでは全国民が日本代表アイスホッケーチームを応援する

街中でアイスホッケーに見て触れることができる

アジアリーグ、国内リーグ、代表の試合結果をメディアで常に目にする

欲張り過ぎるかもしれませんが心からそう思っています

 

僕が小学校に入学前

何もわからない僕に父親は防具を着せ

東伏見のリンクの上へ送り出しました

滑れない上に当時は人見知り

周りにおびえながら、泣きながら滑る

正直、当時はアイスホッケーが大嫌いでした

でも子供というのは単純で友達ができ始めると楽しくなる

このとき、同じタイミングで西武ホワイトベアーズに入団したのが

現在、日本製紙クレインズでプレーをしている井上光明でした

スケートも少しずつ滑れるようになり

スティックで少しずつパックを触れるようになった頃

チームからユニフォームが支給されました

客席で大きく広げて嬉しそうに微笑んでいる両親を

練習中の氷上から眺めていたことは今でも鮮明に覚えています

背番号は「8」まさかこんなに長い間「8」にお世話になるとは

当時は考えもしませんでした

小学校高学年にもなると東京ではそれなりの選手になってきました

当時は気付きませんでしたが東京では・・・の話です

5年生になって初めて東京代表として全国大会に出場

それなりに自信を持って挑みました

1回戦を難なく勝ち進み

2回戦で苫小牧選抜と試合

結果は0-16

全くアイスホッケーが違いました

こんなに違うものかと信じることができなかったですし

初めてアイスホッケーでカルチャーショックを受けました

でもこのときから北海道や東北の選手に

負けたくないと本気で思うようになり

高校進学時に北海道、東北と同等に戦える関東の強豪校

埼玉栄高校に進学するきっかけになりました

埼玉栄高校といっても当時の生徒の半数は

北海道や東北から特待生が入学してくる

初めて家を出て寮暮らしをしたのでホームシックにもなりました

1年生時は試合に出場できない時期が続きましたが

自分のわがままで埼玉栄高校に進学させてもらった上に

周りのライバル達は特待生で自分は違う

ここで結果を出さないと両親に会わせる顔がないと自分に言い聞かせ

必死に周りにしがみつきました

徐々に試合に出場できるようになり

2年生時の終わりにはU-18日本代表にも選出され

やっと両親に胸張って会えると安心したのを覚えています

大学も法政大学に進学し

自分自身では順調にアイスホッケーキャリアを進んでいるつもりでしたが

2年生になっても3年生になっても

オファーをかけてくれるアジアリーグのチームはありませんでした

諦めきれず、もがき続けましたが

3年生の終わりから就職活動を開始

運良く企業から内定ももらえたので

大学でアイスホッケー選手のキャリアを終える決心をした4年生の夏

東北フリーブレイズがアジアリーグに新規参入すると創設されました

周りには内定先を断ってまで

アイスホッケー選手になることを反対する人もいましたが

僕の気持ちは決まっていました

ここまで応援してくれた家族にアジアリーグでプレー姿を見せたい

「アイスホッケーを価値あるスポーツにする」

この2つの理由に勝てる理由は

今までの人生にも、これからの人生にも無いと思います

フリーブレイズがなければ経験できなかったことがたくさんあります

ここまで長くアイスホッケーをプレーすることができたのも

こんなにたくさんの方々に応援してもらえるようになったことも

全てフリーブレイズのおかげです

途中3シーズンお世話になった中国のチャイナドラゴンでも

本当に多くのことを経験し学ばせてもらいました

 

「アイスホッケーを価値あるスポーツにしたい」

これはアイスホッケー選手を引退してもできることです

小中学生時代を過ごした地元では

アイスホッケーを知っている学校の友達はほとんどいませんでした

負けず嫌いな僕はそれも悔しかった

一生懸命、命かけてプレーしているスポーツが知られていない

でも世間一般的に考えると

それが答えなのかもしれません

僕はアイスホッケーをただのウィンタースポーツで終わらしたくない

もっともっと熱狂的なスポーツにしたい

友達には当時から

「僕がアイスホッケーをメジャースポーツにする」と公言していました

一緒に遊ぶ際に無理矢理ホッケーに巻き込んだりもしました

大人になってから当時の地元の友達と一緒にお酒を飲んだ際に

「小学校の時からアイスホッケーをメジャーにするって言ってたよね!どうすればいのかな・・・?」

と真剣に話してくれた時は嬉しくてつい飲みすぎました

まだまだ終われません

主観的になってしまいますがこんなに面白いスポーツは

他にないと思っています

競技人口も、それを取り巻く環境も他スポーツに比べると小さい

だからこそ手を取り合ってできることがたくさんあります

これは僕の勝手な見解ですが

日本ではアイスホッケーを愛せば愛する程

日本のアイスホッケー界に不満を持ってしまう人が多い気がします

指摘や否定し合うこともすごく大事なことですが

あまりにも肯定し合うことが少なすぎる

責任を押しつけ合うばかりでなく

互いに歩み寄りも大切なのではないでしょうか

アイスホッケーを取り巻く環境

チームを取り巻く環境

選手を取り巻く環境

全てが右肩下がりの状態

現役の選手は終えますが

僕のアイスホッケー人生はまだまだ続きます

 

最後になりますが

西武ホワイトベアーズでプレーした9年間

埼玉栄高校でプレーした3年間

法政大学でプレーした4年間

チャイナドラゴンでプレーした3年間

そしてフリーブレイズでプレーした5年間

アイスホッケーをプレーした24年間

どこにいっても周りの方々に恵まれ

本当に幸せで楽しい時間を過ごすことができました

これからはこの幸せで楽しい時間を少しでも多くの方と共有したい

1人でも多くの子供達にアイスホッケーを通じて

幸せで楽しい時間を過ごしてもらいたい

心からそう思います

幼少期から支えてくれて

常に頑張るきっかけを与えてくれていた家族には

感謝しきれません

方法は変わりますが

これからは違う形で家族孝行していきます

本当にありがとうございました

そして、日本全国のフリーブレイズファンの方々

これからもフリーブレイズ、日本とアジアのアイスホッケーを

どうぞよろしくお願い致します

 

 

アイスホッケーが大好きです

 

 

 

 

 

 

 

菊池秀治