とあるラーメン屋の話し
テーマ:雑感
February 01, 2010
都会の雑踏から少し離れた小さな路地に一軒のラーメン屋があった。だれに知られることもなく、ひっそりとしたその 佇まいからは、思わずここが都会であることを忘れさせてくる。静かで、ちょっとレトロな昭和の匂いが感じられる、なんだか懐かしい思い出に浸ることができる貴重な場所。
僕は、時々、仕事終わりにそのラーメン屋に立ち寄った。店は、マスターとお客が2~3名ほどで、みな黙々とラーメンを食べて家路についた。騒ぐ客もいなければ、大声で話す客もいない。みんな、このお店の雰囲気を楽しみ、自分の世界に浸り、自分自身と会話する。
とある日に行った時には、僕1人だった。時間は夜の23時。店じまいまであと1時間ほどだったが、ちょうどスープが1人分しかなかったとのことで、その日は僕が最後の客になった。この店には、一杯600円の醤油ラーメンしかない。しかも、客の要望を一切聞かない珍しい昔ながらの頑固親父のラーメンだった。油少なめとか、麺を固めにとか、そういうサービスは全くない。全てはマスターの気持ちしだい。
僕が席につくと、マスターはいつものように麺をゆで始める。僕は、携帯をいじりながら時折、物思いにふける。今日も仕事で1つトラブルになってしまったことを思い出した。ただ、そのトラブルも人間関係がもう少しうまくできていれば、防ぐことができた。メールとのやり取りから、お互いの誤解が生じて、気がついたら全く見当違いなことをやっていることに気がついて、、、
今の人間関係は、非常に複雑だ。年功序列は崩れて、先輩後輩の垣根もよくわからなくなった。みんな何を信じていいのか分からず、常にだまされないように用心深くなった。いろんな価値観が渦巻く中で、本当に信じるべきものは一体何かよくわからない。尾崎豊の歌詞のように、僕はあまりにも学生のような青臭い考え方に思わず鼻で笑ってしまった。もう20代も後半にさしかかっているのに、いまだに卒業できない自分を嘲笑った。
「はい、ラーメン。今日最後だから、ありがたく食えよ。」
マスターぶっきらぼうにそういってラーメンを置いた。僕は、透き通った醤油ベースのスープをすすり、麺とからませて食べた。このラーメンを食べると、なぜだかほっとする。食べた後に醤油の香りがやさしく僕の口の中を満たしてくれる。
「結構、遅くまで働いてるんだな、若いの?」
マスターは、店の扉を見つめながら僕に話しかけた。
「そうですね、最近忙しくて。だいたい22時ぐらいまではやってますね。」
僕は、この時初めてマスターと会話した。いつもは他にもお客がいて、マスターは1人で切り盛りしているものだから、忙しそうにして、会話している姿をあまり見たことがなかった。僕もラーメンだけ食べて帰ってしまうのが常だった。
少しの沈黙の後、
「今日のラーメンは、いつもより味がちょっと違うんだが、わかるか?」
「う~ん、、、」
僕は、唸ってしばらく味を確かめた。前に食べた味と違っているような感じもするし、そうでない気もする。少し薄味なような気がしたが、正直に言うと、ここのラーメンは毎回同じ味だったことはなかったように思う。いつもなんか味が濃かったり薄かったり、油が多かったり、麺が太麺だったりと悪く言えば、常に安定した味を提供できない店だと思っていた。ただ、だからと言って、まずいということはなく、むしろ毎回同じラーメンを食べているのに、全然飽きなかった。そういう作戦なんだと勝手に僕は思っていた。だから、唸るしかなかったのだが。
「まぁ、おいしければそれでいい。」
マスターはそういって、薄ら笑みを浮かべて店に壁にかけてある時計をみつめている。この店には、ラジオもテレビも流れていないので、マスターのだみ声が店に響き、店の外に誰かいたら聞こえてしまうんではないかと思われるほど、今日は特に静かであった。ただ、時折、猫の喧嘩する声だとか、酔っぱらって帰宅途中のサラリーマンの会話とか、タクシーが店の前を通り過ぎる音とか、そんな日常生活で聞こえるような音が聞こえる。ただ、そんな音に普段生活していれば、あまり気にも留めないが、妙にそういう音が聞こえてくる。
僕は、ラーメンを食べ終わって、携帯電話を開いた。着信一件。上司からだった。どうせ、今日のトラブルのことだと思って、面倒だから明日会社に行って直接話すことにしようと思った。
「お茶、飲むか?」
そういって、マスターは一杯のお茶を差し出した。湯呑みは、なぜか寿司屋に出てきそうなたいそう立派なもので、その中に緑茶がなみなみと注がれていた。
「あっ。茶柱!」
僕は、思わず叫んでしまった。湯呑の真ん中にきれいに茶柱が一本立っていた。
「おっ、ラッキーだな。なんかいいことあるかもしれないな。」
「そうですね、そうであるといいですけど。」
「いいことあるに決まってんだろ、昔から茶柱ってのは縁起がいいもんだって言うじゃねえか。」
「はぁ。」
僕は、ため息交じりに言った。
「なんか、疲れてんじゃねえか、お前さん。」
マスターの励ましに対して、僕の反応がよくなかったので、そう聞いたのかもしれない。でも、確かに疲れていることは間違いなかった。
「疲れてる、確かに疲れてますね。もう、自分が疲れているのかどうかさえもわからなくなってきました。毎日、仕事して、家に帰って、寝て、また朝が来て、会社に行って仕事をして、家に帰って、寝る。この繰り返しです。たまにある休みも上司から電話がかかってくる有様ですから、ゆっくり休んだことななてありませんよ。」
「なんか、聞いているとあんまり楽しそうじゃねえな。」
「そうですね、楽しくないですね。ただ、今の僕の選択肢の中には、これしかないんです。他にあれば、そっちにいきますよ。」
「まぁ、他に何があるのかわからないけどな。わからないから、選択肢がないってことか。でもよ、その選択肢を狭めているのは、自分だってことも確かだよな。違うか?」
マスターは、ゆっくりと考え込むように言った。
「この道を選んでしまったのは、自分ですから、楽しくない道を選んでしまったのは自分のせいってことは、わかるんです。だから、ほかの人の責任ではない。ただ、自分で選んで自分自身に不満を言っている。それだけです。」
「辛いな。わかもの、そういう生き方はカッコ悪いんじゃねえか。お前さん、ほかにやりたいこととかねえのか?なんか目標とかそういうのは??」
「さぁ、何がしたいのか、自分でもよくわかりませんよ。夢とかそういうのはないんです。ただ、毎日を平穏無事に生きていければ、それでいいって感じかな。」
「それって、今流行りの草食系ってやつか?俺の息子もちょうど今年社会人になったばかりでな。なんかうちの家内が『あの子は草食系なんだから』とか言ってたが。」
「さぁ、どうなんでしょうね。草食っていうよりも、僕の場合は、植物系じゃないですか?ただ、懸命に生きる。そこに夢があるのかないのかなんて、どうでもいい。ただ、生きて、そして死ぬ。」
「植物系とは初めて聞いたな。そんあ植物系のサラリーマンに出会えるとは、面白いね。ラーメン屋の店主やってるといろんな人間に出会えるけれど、植物系は初めてだな。」
マスターは、妙に植物系男子にはまったようで、うれしそうだった。僕は、そんなマスターを横目にお茶を飲んで、携帯をいじっていた。メールが2件。1件は、会社の同僚からの合コンのお誘いメール。もう1件は、前に友達から紹介されて、連絡先を交換した同じ年の女の子からだった。
合コンは、日程が合わずにキャンセルのメールを打った。女の子からのメールは、僕の趣味の映画のことや、会社での出来事についていろいろ聞いてきた。とりあえず、すぐには返事が出来そうにないメールだったから、後で家に帰ってから打つことにした。
時計をみると、0時を回っていた。これで家に帰って、風呂に入れば、もう1時過ぎ。明日は、6時起きだから、約5時間の睡眠。5時間も寝られるなら、儲けもんだ。
僕は、テーブルに600円を置いて、マスターは、無言でそれを受け取った。コートを羽織って、店の扉までいった時、マスターがふと思い出したように言った。
「頑張れよ。別に植物系だろうが、なんだろうが、お前がやりたいようにやれることが一番いいんだから。他人に振り回されるなよ。」
「ありがとう。」
僕は、呟くようにそう言って、店を出た。外は、ひっそりと静まり返っている。空を見上げれば大きなお月さまが1つ。それ以外は、何もない。星のひとつも見えない。明るい満月が一つだけ。いや、違った。1つ満月の下に輝いている星があった。満月の明るさでわからなかったが、よく見ると1つ星があった。
この寒空のなか、満月と1つの星。彼らに思考というものがあるのなら、一体何を考えているのであろう。僕のカッコ悪い生き方に、彼らはなんて言うだろう。
つづく
僕は、時々、仕事終わりにそのラーメン屋に立ち寄った。店は、マスターとお客が2~3名ほどで、みな黙々とラーメンを食べて家路についた。騒ぐ客もいなければ、大声で話す客もいない。みんな、このお店の雰囲気を楽しみ、自分の世界に浸り、自分自身と会話する。
とある日に行った時には、僕1人だった。時間は夜の23時。店じまいまであと1時間ほどだったが、ちょうどスープが1人分しかなかったとのことで、その日は僕が最後の客になった。この店には、一杯600円の醤油ラーメンしかない。しかも、客の要望を一切聞かない珍しい昔ながらの頑固親父のラーメンだった。油少なめとか、麺を固めにとか、そういうサービスは全くない。全てはマスターの気持ちしだい。
僕が席につくと、マスターはいつものように麺をゆで始める。僕は、携帯をいじりながら時折、物思いにふける。今日も仕事で1つトラブルになってしまったことを思い出した。ただ、そのトラブルも人間関係がもう少しうまくできていれば、防ぐことができた。メールとのやり取りから、お互いの誤解が生じて、気がついたら全く見当違いなことをやっていることに気がついて、、、
今の人間関係は、非常に複雑だ。年功序列は崩れて、先輩後輩の垣根もよくわからなくなった。みんな何を信じていいのか分からず、常にだまされないように用心深くなった。いろんな価値観が渦巻く中で、本当に信じるべきものは一体何かよくわからない。尾崎豊の歌詞のように、僕はあまりにも学生のような青臭い考え方に思わず鼻で笑ってしまった。もう20代も後半にさしかかっているのに、いまだに卒業できない自分を嘲笑った。
「はい、ラーメン。今日最後だから、ありがたく食えよ。」
マスターぶっきらぼうにそういってラーメンを置いた。僕は、透き通った醤油ベースのスープをすすり、麺とからませて食べた。このラーメンを食べると、なぜだかほっとする。食べた後に醤油の香りがやさしく僕の口の中を満たしてくれる。
「結構、遅くまで働いてるんだな、若いの?」
マスターは、店の扉を見つめながら僕に話しかけた。
「そうですね、最近忙しくて。だいたい22時ぐらいまではやってますね。」
僕は、この時初めてマスターと会話した。いつもは他にもお客がいて、マスターは1人で切り盛りしているものだから、忙しそうにして、会話している姿をあまり見たことがなかった。僕もラーメンだけ食べて帰ってしまうのが常だった。
少しの沈黙の後、
「今日のラーメンは、いつもより味がちょっと違うんだが、わかるか?」
「う~ん、、、」
僕は、唸ってしばらく味を確かめた。前に食べた味と違っているような感じもするし、そうでない気もする。少し薄味なような気がしたが、正直に言うと、ここのラーメンは毎回同じ味だったことはなかったように思う。いつもなんか味が濃かったり薄かったり、油が多かったり、麺が太麺だったりと悪く言えば、常に安定した味を提供できない店だと思っていた。ただ、だからと言って、まずいということはなく、むしろ毎回同じラーメンを食べているのに、全然飽きなかった。そういう作戦なんだと勝手に僕は思っていた。だから、唸るしかなかったのだが。
「まぁ、おいしければそれでいい。」
マスターはそういって、薄ら笑みを浮かべて店に壁にかけてある時計をみつめている。この店には、ラジオもテレビも流れていないので、マスターのだみ声が店に響き、店の外に誰かいたら聞こえてしまうんではないかと思われるほど、今日は特に静かであった。ただ、時折、猫の喧嘩する声だとか、酔っぱらって帰宅途中のサラリーマンの会話とか、タクシーが店の前を通り過ぎる音とか、そんな日常生活で聞こえるような音が聞こえる。ただ、そんな音に普段生活していれば、あまり気にも留めないが、妙にそういう音が聞こえてくる。
僕は、ラーメンを食べ終わって、携帯電話を開いた。着信一件。上司からだった。どうせ、今日のトラブルのことだと思って、面倒だから明日会社に行って直接話すことにしようと思った。
「お茶、飲むか?」
そういって、マスターは一杯のお茶を差し出した。湯呑みは、なぜか寿司屋に出てきそうなたいそう立派なもので、その中に緑茶がなみなみと注がれていた。
「あっ。茶柱!」
僕は、思わず叫んでしまった。湯呑の真ん中にきれいに茶柱が一本立っていた。
「おっ、ラッキーだな。なんかいいことあるかもしれないな。」
「そうですね、そうであるといいですけど。」
「いいことあるに決まってんだろ、昔から茶柱ってのは縁起がいいもんだって言うじゃねえか。」
「はぁ。」
僕は、ため息交じりに言った。
「なんか、疲れてんじゃねえか、お前さん。」
マスターの励ましに対して、僕の反応がよくなかったので、そう聞いたのかもしれない。でも、確かに疲れていることは間違いなかった。
「疲れてる、確かに疲れてますね。もう、自分が疲れているのかどうかさえもわからなくなってきました。毎日、仕事して、家に帰って、寝て、また朝が来て、会社に行って仕事をして、家に帰って、寝る。この繰り返しです。たまにある休みも上司から電話がかかってくる有様ですから、ゆっくり休んだことななてありませんよ。」
「なんか、聞いているとあんまり楽しそうじゃねえな。」
「そうですね、楽しくないですね。ただ、今の僕の選択肢の中には、これしかないんです。他にあれば、そっちにいきますよ。」
「まぁ、他に何があるのかわからないけどな。わからないから、選択肢がないってことか。でもよ、その選択肢を狭めているのは、自分だってことも確かだよな。違うか?」
マスターは、ゆっくりと考え込むように言った。
「この道を選んでしまったのは、自分ですから、楽しくない道を選んでしまったのは自分のせいってことは、わかるんです。だから、ほかの人の責任ではない。ただ、自分で選んで自分自身に不満を言っている。それだけです。」
「辛いな。わかもの、そういう生き方はカッコ悪いんじゃねえか。お前さん、ほかにやりたいこととかねえのか?なんか目標とかそういうのは??」
「さぁ、何がしたいのか、自分でもよくわかりませんよ。夢とかそういうのはないんです。ただ、毎日を平穏無事に生きていければ、それでいいって感じかな。」
「それって、今流行りの草食系ってやつか?俺の息子もちょうど今年社会人になったばかりでな。なんかうちの家内が『あの子は草食系なんだから』とか言ってたが。」
「さぁ、どうなんでしょうね。草食っていうよりも、僕の場合は、植物系じゃないですか?ただ、懸命に生きる。そこに夢があるのかないのかなんて、どうでもいい。ただ、生きて、そして死ぬ。」
「植物系とは初めて聞いたな。そんあ植物系のサラリーマンに出会えるとは、面白いね。ラーメン屋の店主やってるといろんな人間に出会えるけれど、植物系は初めてだな。」
マスターは、妙に植物系男子にはまったようで、うれしそうだった。僕は、そんなマスターを横目にお茶を飲んで、携帯をいじっていた。メールが2件。1件は、会社の同僚からの合コンのお誘いメール。もう1件は、前に友達から紹介されて、連絡先を交換した同じ年の女の子からだった。
合コンは、日程が合わずにキャンセルのメールを打った。女の子からのメールは、僕の趣味の映画のことや、会社での出来事についていろいろ聞いてきた。とりあえず、すぐには返事が出来そうにないメールだったから、後で家に帰ってから打つことにした。
時計をみると、0時を回っていた。これで家に帰って、風呂に入れば、もう1時過ぎ。明日は、6時起きだから、約5時間の睡眠。5時間も寝られるなら、儲けもんだ。
僕は、テーブルに600円を置いて、マスターは、無言でそれを受け取った。コートを羽織って、店の扉までいった時、マスターがふと思い出したように言った。
「頑張れよ。別に植物系だろうが、なんだろうが、お前がやりたいようにやれることが一番いいんだから。他人に振り回されるなよ。」
「ありがとう。」
僕は、呟くようにそう言って、店を出た。外は、ひっそりと静まり返っている。空を見上げれば大きなお月さまが1つ。それ以外は、何もない。星のひとつも見えない。明るい満月が一つだけ。いや、違った。1つ満月の下に輝いている星があった。満月の明るさでわからなかったが、よく見ると1つ星があった。
この寒空のなか、満月と1つの星。彼らに思考というものがあるのなら、一体何を考えているのであろう。僕のカッコ悪い生き方に、彼らはなんて言うだろう。
つづく




