動物さんと保護者の方のためのヒーリング&スビリチュアル

“いやしの光”は、人にも動物にも植物にも、同じように降り注ぐ。命の重さは みな同じだから

     

        

         

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こんにちは。ご訪問をありがとうございます。

 

前回の「ルルド」の記事のあとは、そのあとに訪れた、聖ベルナデッタが生活したヌヴェールでの体験について書くつもりでした。それを次回にして、今回はこちら(オーストリア)の原生林事情を、ちょっとシェアしてみたいと思います。

 

 

今日、ウィーン13区にある、「Bundesforschungszentrum fuer Wald」という長い名前の国の研究所に、代表のゲオルグ・フランクさんを訪ねました。ここは森など、自然についての研究をする機関です。

フランクさんは原生林の関係の研究者で、ガイドさんでもあります。

 

  Bundesforschungszentrum fuer Wald

 

今回訪ねたのは、2週間後に迫る帰国前に、こちらの原生林について情報を得たかったからです。

原生林はなんといっても森の基本。人が介入しない環境の中で樹木や草花、そして動物たちがどのように生を営んでいるのか、とても関心があるのです。

 

 

:原生林に関しては、オーストリアにはヨーロッパ最古と言われる原生林(「赤い森」)と、もう一カ所著名な所があるらしいのですが、あとはないに等しいようです。ヨーロッパ自体、原生林は非常に少なくなっていると言われます。

 

フランクさんによると、1994年から、それまで木の伐採などに利用されていた森を、未来の原生林として残し、その様子を研究する計画が立てられたそうです。現在、全国に195カ所あり、フランクさんはそれらを統括する立場にあります

 

お忙しい中、時間に限りがあるので、今日は多くをうかがうことはできなかったのですが、森が好きなわりには森についてド素人の私には、とても充実した時間でした。

 

で、私からの質問の1つは、原生林指定ということは、そこに住む動物たちにも手を出さない、つまり木をかじるから、というような理由で狩りを行うこともないのでしょうか、というものでした。オーストリアの森は狩りのシーズンがあって、鹿などそこに暮らす動物たちが殺されます。そこには農家の生活形態、人々の意識、文化など様々な背景がみえます。

 

この問いに対しては、狩りはするとのこと。原生林指定の森だけ狩りをしなければ、その周辺の森の、たとえば鹿が、ここの森は安全だと思い、たくさん移動してくるだろうから、という答えでした。

聞くと、ヨーロッパ最古の原生林と言われる「赤い森」も、狩りを行っていると。ということは、ヨーロッパの他の原生林も同様なのかもしれません。状況を知りたいところです。

つまり、ここヨーロッパで言われる「原生林」は、人の手を介した、いわば「準・原生林」ということなんですね。

 

フランクさんのお話では、やはり動物も殺さない形での、本来の原生林を求める人たちも存在するようです。いつかその方たちとも繋がって、話を聴いてみたいと思っています。

 

日本も同様でしょうけれど、森で狩りが行われるのは、動物が木を傷つけたり近くの畑の作物を荒らすことだけがその理由ではありません。趣味で行われる狩りもあります。その肉を販売し、食べるのが目的の狩りもあるのかもしれません。

様々な事情と考えの元、この国の「未来の原生林」計画は行われているわけです。

原生林指定の森の中には、個人所有の森もあります。木の伐採などからの収入が入らなくなる代わりに、国から補助金が出ているようです。

 

人の手のまったく入らない本来の原生林計画それ自体は、環境さえ整えれば不可能ではないと思いますが、どうでしょう。未来はまた変わるかもしれませんね。

 

ちなみにオーストリアには、日本と森に関する情報交換をしている機関や、日本へ木の伐採のやり方を教えにいっている機関もあるようです。

 

雪が溶ける来年の春ごろまた半年間のオープンチケットでこの国を訪れ、導かれるままに旅をし、この国の古い「原生林」と、未来の「原生林」を見に行くことも考えています。フランクさんがガイドをしてくれるそうです。このときまたもっと詳しくお話が聴けるでしょう。

ただしヨーロッパ最古の原生林と言われる「赤い森」のほうはフランクさんの担当ではなく、またここは関係者以外入るのは難しいだろうと言うのが、これまでの情報です。以前行ってみましたが、歩いた場所が確かに「赤い森」の中の原生林に当る所であったかどうかは、わかりません。 オーストリアの「原生林」は柵などで囲いをしているわけではないのですが、その場所を公にしておらず、その入り口はガイド同伴の場合だけちゃんとわかるようになっています。

 

 

 

お読みいただいてありがとうございます。

 

 

 

 

 

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こんにちは。ご訪問をありがとうございます。

 

 

ルルドへ行ってきました。ウィーンからフランクフルトとパリで一泊しながら、電車で3日かけての旅でした。ルルド(の泉)はフランスの有名な観光地でもあるけれど、今回のオーストリアでは行く予定はまったくなかった場所。スペインとの国境近くで、ピレネー山脈の麓に位置します。

 

実は1カ月ほど前、オーストリアのグラーツでとてもサイキックなお友達、佐藤シューちひろさん(『ニシキトベの復活』の著者)とレストランで夕食を食べていたときのこと。ちひろさんが突然言うのです。私の右後ろに聖ベルナデッタが来ていると。で、「ルルドへ行きなさいと言ってる」と。

 

かの有名なキリスト教の聖地、ルルドのことは、もちろん知っていました。でもその泉の場所を聖母マリアから教えられた聖ベルナデッタについては、あまり知識がなくて。

 

 

そんな経緯なのに、その場でルルド行きを決めた。

なぜルルドなのか?視力が回復するの?それとも他に何か...と、いろいろ頭に浮かびました。というのも、光の存在にこのように明確に行き先を指定?されたのは初めてだったからです。それも世界的な巡礼地。そのへんでちょっと普段の自分から離れてしまってたかもしれません。普段の自分は次々に目の前に現れる旅先に、なぜかと深く考えることはなく、身体が動くままに任せるだけなのです。魂が納得していることも感じる。

 

 

 

そして3日もかけて訪れたルルド...。そこはネットなどで紹介されているイメージとはだいぶ違った場所でした。多くの観光客や巡礼者で溢れたイメージを持たれている方も少なくないと思います。でもここにもやはり、シーズンとシーズンオフがあるんですね。

陽光が多くこの小さな街を照らす5月から9月ごろまでがシーズン。そして雨と曇り空が定番で、たまにしか晴れることのない今は、シーズンオフの期間でした。シーズンオフにはグロット(奇跡の水が出ると言われる洞窟)に続く道沿いの、土産物の店もほとんどが閉店して、閑散としています。

いわば灰色の空の季節には観光客も少なく、それに対応していると、街の採算が合わなくなるのですね。いずれにしても年間500万人が訪れるという場所とはとても想像できない世界が目の前にあったのです。

 

 

ルルドに到着したお昼前は小雨が降っていました。Lillyのスーツケースを濡らしたくなかったので、「そこだよそこ」と指さして笑われた運転手さんのタクシーで、駅からすぐのホテルへ。そこでランチを食べ少ししたら、雨が止んでいました。

聞くと、目指すグロットはホテルから歩いて15分ほどとのこと。

簡単な街の地図を片手に、あまり歩いていない通行人に道を尋ねながら進みます。途中に営業している土産物店があったので、小さな瓶を゛持ち帰り用゛に購入。もちろんペットボトルは持ってましたよ^-^。

 

 

 

そして目指すグロットに到着。

 

しかしここでもまだ、゛私はなぜここに導かれたのだろう゛。グロットに向かって歩きながら、漠然とそういう思いが頭を巡る。

目に関しては、失明の可能性もときどきチラつくことがある。そこには恐れもある。なのにどういうわけか、治ることを懸命に望むという気持ちは沸いてこないのです。光の存在においては、私はまだしばらく今のままの目の状態を続けていくという、固い意思を持っていると言う。

 

ならば私はこの世界的に有名な巡礼地に、巡礼者としてやって来たのかというと、違うのですね。私の中にはいわゆる宗教的な感覚は希薄だし、「修行」など、そのしんどそうな言葉はますます別の次元のものであって。大体、形だけにしても、にわかに訪れることになったルルドへの巡礼者に、突然なれるわけもない。

 

~などと少々普段とは違う思考に囚われて聖域を歩いていたときのこと、思いもかけず横からスーッと、そして静かに光の言葉が入ってきたのです。

   「自然と人間の調和」

 

 

 

 

 

Lillyを製作した昨年の12月に、それまでにご縁ができていたオーストリアという場所で、森を癒して歩くというインスピレーションを得た。そして日本を離れる少し前、「あなたは土地を癒して歩く」という、光の存在からの声。実際来てみたら、森だけでなく、さまさまな土地に導かれ、それもオーストリアだけではなかった。ウィーンを拠点にして、ドイツ、フランス、リヒテンシュタイン、チェコにも行ってきた。で、よおく振り返ってみれば日本にいたときから、行きたい場所はオーストリアだけじゃなかったのです。

 

~と話しが少しそれましたが、オーストリアの田舎、そして森の風景というのは、きわめて美しい。しかしながら長期滞在している中で、その美しさが、実は「平和」からかけ離れた背景を持つことが、無知な私にも少しずつわかってきたのです。あくまでも私の描く「平和」という視点から見える、この土地の姿なのですが。そしてそれはこの国にかぎったことではありません。今この国かせ私の中でモデルになっているだけです。

 

田舎や森の風景は、その国の人々が置かれている生活と、意識の縮図です。そしてそこには隠されているものがあります。

 

もちろん「調和」という言葉から見えるものは、1人ひとり違うでしょう。

ならば私は自分の描く「平和」「調和」に向かって、どのように動いていけばいいのだろう。「自然と人間の調和」というルルドの声は、それまでの漠然とした想いから、現実的な形を求める気持ちが強くなってきていたところに、示されたものでした。どうやら私がこの地に来たのは目の回復のためではなく、この声に背中を押してもらうためだったようです。さあ始めましょう、と。といっても目の前にそのための知恵と知識が見えているわけでもなく、少々頼りないのですが 笑。

聖母マリア、聖ベルナデッタ、そして多くの光の仲間たちの、温かい応援と微笑みをルルドに感じます。

 

 

 

そして今あらためて、このキリスト教の聖地もやはり、以前の住民、自然崇拝のケルトの聖地だったことを感じさせられています。自然と対立するのではなく、調和していく。それもかつてのケルトを超える、新しい調和の形で。

 

 

シーズンオフの、灰色の空の元で訪れたルルド。そこは溢れかえる人々の持つエネルギーに被われることのない、本来の研ぎ澄まされたルルドのエネルギーに触れることのできる世界でした。それは真摯として清らかな、愛のエネルギーでもありました。この時期に導かれた幸せを感じています。

 

 

ホテルの窓から。PIC DU JER山とLilly

 

ルルドのあと、聖ベルナデッタが生活し、その遺体が安置されているヌヴェールの修道院を訪ね、その中にある宿舎に泊まりました。その体験は、またいずれシェアさせていただきたいと思います。

 

 

 

 

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こんにちは。ご訪問をありがとうございます。

 

ウィーンに来て、早いもので4カ月が経ちました。あと2カ月でツーリストの最長滞在期間の6カ月が終わるので、年末には帰国の予定です。

 

先週、プラハとベルリンへ行ってきました。

2泊しかしなかったベルリン行きの目的は、かの有名な「ベルリンの壁」を訪ねること。これは日本にいたときからの予定でした。

いえ、とくに近代史に詳しいわけでもないのだけれど、直感で行くべき場所だと感じたのです。

 

ベルリン中央駅から歩いて10分ほどの所にあるホテルを取っていました。そこは東ベルリンで、壁にも歩いて行ける近さでした。

 

ちなみにホテルの部屋でこの街に繋がり奏でたタオライアー、Lillyからは、とても繊細で華やかな、そして男性性、女性性のバランスの取れた音が流れてきました。ただ、そこには抑圧された感情がありました。

 

 

ホテルから10分ほど歩いた所が、かつて西ドイツと東ドイツの国境があった場所でした。このあたりは多くの犠牲者が出た所のようです。

 

 

そこからかつての壁や壁跡に沿って歩きました。ここは観光客の姿もなかったけれど、とにかく歩きたかった。そこに漂う多くの意識と共に歩きました。

ホテルを出たときから降っていた雨が、壁の傍を歩き始めたときから強くなってきて...。こちらに来てから活動中にこんなに強い雨に遭うのは初めてのこと。

 

 

 

 

 

 

しばらく歩いたあと、見張り台を目指しました。西へ逃げる人を見張った塔です。

ところが通行人に聞いてもなかなか行き着かず、通りの角にあるカフェに入って尋ねたのですがわからないと。カフェを奥に入っていく道が少し気になったのですが...。

しかたなくまた人に訪ねながら歩くうち、なにかグルっと回っているような感覚。あ、まただ!今回の旅でよく出現するグルグル回り。どうやら大きい公園のようなところの周囲を歩いているらしい。

 

 

 

入り口があったので入ってみると、そこには古いお墓の跡。それも、1つ1つのお墓の敷地がとても広く取られている。かつての裕福な階層の人たちのお墓なのだろうか。世話をされているようではないし、供え物もないのだけど、なにか優雅な感じを受けました。でもなぜか写真に撮るのはためらわれて、そのまま別の入り口から外に出ました。

 

そのお墓の中に、墓石全体が素敵な天使の彫像になっているものがあって。若い女性か子供のもののように感じたのだけど、なぜか後ろ髪を引かれるというか、気になるのです。いつかまた訪れて、雨が降っていない日にLilllyを奏でてきたいと思っています。

この墓跡があるのは広い敷地内の一角なので、次回はもっと隅々まで歩きたい。

 

それにしても他にも入り口があったのに、なぜこの一角に足が向いたのか...。

私をこの地に呼んでくれたのは、どうも「壁」だけではなかったようです。

 

ご参考までに、この場所について書かれたページです。

  https://de.wikipedia.org/wiki/Invalidenfriedhof

かつては1万8000のお墓があったそうですが、いろいろな経緯の中で破壊され、壁が作られるときには3000ほどになっていて、そのあと230しか残らなかったとか。様々な歴史を通して、軍人、一般市民、貴族など、さまざまな人たちが土の下になっているようです。

 

この場所の側には川が流れていて、あとで、この川は西に逃げようとして撃たれた人が多く出た所だと聞きました。

 

ちなみにここにはかつて1本のライムの木があって、フリードリヒ二世がよくその木に座って、彼の戦死した軍人たちと話をしていたという逸話があります。その木も壁を作るときに切られたとか。

 

 

 

そして、外に出て再び通りを歩きだしたら、すぐにあったのです。見張り台が通りの傍らに!

 

 

見張り台を過ぎると、雨が急に小降りになって。

 

そしてそして、見張り台を過ぎて歩くと間もなく、先程のカフェが~!

広い、たぶん長方形の保護された場所の、前の角にそのカフェはあって、その固まりの中に見張り台もあったということでしょう。

 

グルっと回ってるときって大体、目的地にストレートに辿りけなくてさ迷っているときなんですけど、どこか魂は納得していて喜んでいるみたいんですよね。

 

私が回ることに意味があるのなら、いくらでも回ります。

一緒に再び生きるために!

 

下の写真はブランデンブルク門。壁が壊されたとき、一番盛大なお祝いがここで行われたそうですね。

 

 

 

 

 

 

 

お読みいただいてありがとうございました。

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こんにちは。ご訪問をありがとうございます。

 

 

リヒテンシュタインに1人旅してきました。ウィーンからオーストリア側の国境の街、Fertrichまで高速列車で6時間。

 

この国に対しては、実はあまり関心がなかったのです。日本を発つ前に少し勉強したドイツ語の先生(ドイツ人)のおじさんが住んでいるということで、何度も綺麗な所だと聞かされ^-^、ならばなにかのご縁かもと訪ねることにしていたのです。それだけが動機でした。でもなぜか気になっていて...。

 

今回の訪問に当って、Schellenbergという村に繋がっていました。ここはキリスト教が来る前の、ケルトの定住地だったようです。

そして出発が近づいたころ、この国の国花が「百合」であるという情報に出会い。

百合の花は私の人生を通して現れ、私を守り、導く花とも言える、とても関わりの深い花です。

 

で、出発前に光のワンコそらに、「行こうね~」と話しかけたら、そらが言うんです。「うんっ、お母さんのふるさとだから」って!?

 

これらの情報にへーっと思いながらも、どこか深い所で納得しているような感覚を覚えて。

 

国境の街Fertrich(オーストリア)

 

さて、国境の街Fertrichは、このたびのオーストリア恒例の、雨で歓迎してくれました。

そして翌朝も小雨。その翌日は別の地に移動の予定だったのであまり時間がありませんでした。でもその天候の中、Schellenbergの村へ行くのはちょっとためらわれ、首都のVaduz(ファドゥーツ)の街中を歩いてみることにしました。

 

                        首都、Vaduz(ファドゥーツ)の市役所

 

リヒテンシュタインはご存じのようにとても小さな国。Fertrichのホテルの近くから乗れるバスで、ファドゥーツまでは40分ほどでした。ちなみにファドゥーツ城は、宮崎駿監督のアニメ、『ルパン三世 カリオストロの城』のモデルと言われています。

 

さてセンターはすぐ歩き終わり、いったんホテルに戻りました。

すると午後になって晴れてきて。

Schellenberg村へ行くバスに乗ろうとまた駅へ行ったのですが、バスだと45分くらいかかる。昼食後の身体が重く、少し風邪気味だったこともあって、10分程度で行けるタクシーに切りかえました。そして村を回ってもらうことにしたのです。

 

 

綺麗な所だと聞いていたリヒテンシュタイン。でも朝、バスから見たファドゥーツまでの景色は、雨のためくすんでよくわらなかった。

ところが今、晴れて緑が鮮やかなSchellenberg村は、オーストリアの素晴らしい自然を見慣れているのに興奮してしまうほど、感動的な美しさでそこにありました。

車道の周囲の木々。見下ろす形で見える、グリーンの絨毯。その中に点在する田舎の家々。

 

ただ一つ残念なことが!

狭い車道を登る車は容易に止められず、車内から急いで写真を撮らないといけないので、撮りたい景色があまり撮れなかった。

 

Schellenbergの村はあっという間に走り終わり、そのあと午前の歩きに続いてまたファドゥーツを回ってもらい、その周辺の村も走ってもらい。1時間ちょっとで国を一回りという感じでした。聞きしに勝る小さな国。

でもこの時間の中でタクシーの運転手さんが、一生懸命この国の実像を、それこそそのときどきに窓からの景色を通し目に見える形で話してくれ、とても充実した流れになりました。

で、はい。ここでもまたグルグルグルグル回ることになっていました 笑。

 

 

人口3万7千人ほどの小さな国に、世界から15の有力な銀行、多くの企業が集まり、移民も受け入れている。国民ぱ街のスーパーにも常に国旗が立っているほどのナショナリスト。ゴミ1つ落ちていないよ清潔な街。物価はとても高いが給料もオーストリアの倍なので、オーストリア側のFertrichに住んで、仕事はリヒテンシュタインでという人も多いらしい。世界の大企業の工場なども入っているので、働く場所もあるという。とにかく裕福な国ということで、Schellenbergの村の山の手には、お金持ちのモダンな、しかし景観を保った家が多く立っています。

 

こういう形でこの国が存在し得ている奥には計り知れない背景があるのかも、などと知識不足の私は思ったりもする。しかしとにかくこんな国もある。そこが私の「ふるさと」?:ケルトの時代?それともリヒテンシュタイン以降なのかな?

 

ちなみに旅から帰ってからネットで、こんな本があることを知りました。

魔女グレートリヒ』(マリアンヌ・マイドルフ著、種村季弘・田部淑子訳)

中世リヒテンシュタインを舞台にした、魔女狩り、魔女裁判をテーマにした本で、『魔女に白い花束を』という題名で漫画化もされているという。リヒテンシュタインの民話が元になっているらしい。

 

私には、ケルトのドルイドであった時代も、魔女狩りで火炙りになった時代もある。

 

この国、そしてSchellenbergの村はいずれもう一度訪れ、とくにこの村は、今度は足で歩いてみたいと思っています。ワンコそらの言う、゛お母さん(私)のふるさと゛に想いを馳せながら...。

 

 

リヒテンシュタイン公国に関する情報はネットでもたくさん見られると思いますが、読み物タッチの面白い記事(下記)をみつけました。お時間があれば読んでみてください。


  

  不思議の国リヒテンシュタイン 前編

   http://www.onyx.dti.ne.jp/sissi/episode-83.htm

  

  不思議の国リヒテンシュタイン 後編

   http://www.onyx.dti.ne.jp/sissi/episode-85.htm

 

 

                       ファドゥーツの街で

 

お読みいただいてありがとうございます。

 

 

 

 

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こんにちは。ご訪問をありがとうございます。

 

一昨日になりますが、近場の森、Schwartenbergpark(ウィーン)へ、タオライアー、Lillyを奏でに行ってきました。その前日、この森でツリーケアをしたぱかりです。

 

 

Lillyと一緒のときは、Lillyが入った大型スーツケースを運ばないといけない関係から、森の麓からちょっと入った場所で、直観的に対象の木をみつけるのが常です。基本的にはその辺りで大きめの、しっかりした木を選びます。そのほうが奏でたあとの木のエネルギーを森に広げるパワーが大きいからです。でも決める目安の一番は、そういう条件よりも、ピンっと来ること。感覚,,,。出会い、なんですね。

 

今日の木さんは~と木立を見渡しながら歩いていると、昨日はなぜか気づかなかった1本の木が目に飛び込んできました。

周辺の木よりも太く、しっかりして、とくに印象的だったのは、とてもニュートラルなエネルギーを放っていたこと。この木を最初、道の側(反対側)から見たとき、そこだけが別次元のように存在していました。

 

 

 

奏で始めると、これまでの場合となにか違う。私に木の気持ちが伝わってくるというより、なんていうか木自身は感情の流れをある面抑えて、こちらのエネルギーを見るように意識が働いているような...。

 

そして、伝わってきた声。

 

こちらに来て2カ月が過ぎましたね。生活にもだいぶ慣れてきたようです。この辺でゼロに戻ってみたらどうでしょう。膜を取り払って、シフトするのです。

 

もっと軽~く。もっと思考から自由になって。

見える景色が違ってきますよ。

私たち森との交流もより深いものになっていき、別次元にあなたを誘うでしょう。

 

あなたは何も怖がることはないのです。

あなたは光なのです。もっともっと軽くなれる。

もっと多くのものを受け取ってください。

 

 

今の自分の状態を認識しつつ、不必要なものは捨て、新しいスタートラインに立ちなさい、とのメッセージ。

本来の、純粋な光の自分に近づけば近づくほど、可能性もどんどん広がっていくよと。

 

森からの想定外の展開に少々どきまぎしながら、そのあとその場でいつもはやらない奏での練習などしながら、遊んでいる自分がいました。いつもは始終、相手への奏でに集中して終わるのですが。

 

そして今、森に対してどこか肩の力が抜けたような感覚があります。

これからの景色、楽しみです。

 

ありがとう、森。

 

 

 

 

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こんにちは。ご訪問をありがとうございます。

 

いつからだったか覚えていないのですが、 5~6年前までの数年間だったと思います。自分が、喜びの感情をすぐ閉じてしまうことを意識するようになったのは。喜びの感情はもちろん現れるのですが、その感覚がそのままふわーっと続くのではなく、ドアを閉めたようにすぐ引っ込むような感じ。意識的にそうするのではなく、言ってみれば機械的にそうなるのです。ですがそのことを意識するようになってから、だんだんその不自然さが気になるようになって。

 

このような現象は、昔はなかったように思うのだけれど、よくわかりません。

 

スピリチュアルな世界に足を踏み入れたことで、深い所に潜んでいて大きくその姿をみせなかったものが浮かび上がってきたような。

 

とにかくほかのブロックはどんどん外れて行くのに、そのことだけがいつまでも変化しない。その原因もわからない。

 

で、5~6年前にエンジェル関係のワークショップを受けたことがあって、その中で2人一組で相手のビジョンを見るというワークをやったのです。

 

ペアになった方が言うには、

「チベットの僧だったときのあなたが見えました。ほかの僧たちと一緒に平和を願って祈っている姿...。とっても優しそうな方でした。もうすぺてに対して平和を祈っているんです。小さな虫に対しても同じ。

でも祈っても祈っても社会の状況は変わらない。そんな中であなたはとても苦しくて、自分の喜びを外に出せなくなってしまったんです。」

 

自分の喜びの感情についての気持ちを、その方に何か話したわけではないのです。ですからこの言葉が来たことに、驚くやら納得するやら。

もういい加減、゛喜びのドアを閉める゛現象の原因が知りたかったし、そこから解放されたいと願っていた時期でした。

 

そのあとからだんだん、この現象について意識しなくなっていき。

気が付いたらまったく意識しなくなっていて、現象自体が消えていました。

 

 

今ば、すべては見えない存在(私自身の魂も含めて)によって導かれたものだと感じます。

そして、心から強く願うときは、その答えはやってくるんですよね。

 

 

 

 

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こんにちは。ご訪問をありがとうございます。

 

前回の続きです。

 

今回の旅に予定していたVogesenの森の中の3つの山、聖Odille山、聖Donon山、聖Brotch山をあとにして、帰途の旅に付きました。

 

その日のホテルはドイツの「黒い森」の中。

夜遅くならないようにとBrotch山を出発したのですが、途中、道路の工事に引っ掛かり、ホテルに着いたのは夜9時過ぎ。 田舎の人たちは寝るのが早い。小さなホテルのレストランはすでに終わり、オーナー夫婦もプライベートタイムに入っていました。

夕食代わりに、ホテで購入できたポテトチップとジュースでお腹をごまかして^^;

 

 

翌朝、ホテルの近くにあるという素敵な滝に向かうべく出発。

パーキングから歩きになったのですが、その道は幅30~30㎝ほどで、片側は山がせり上がっており、反対側は崖のようになっている。もちろん舗装などしていないので、足を痛めてバランスを取りにくくなっていた私には、とても歩きにくい。ぼやっとしてると落っこちそうで、ちょっと怖い。そんなに多くはないけれど、後ろからも人が来る。山に張り付いて、先に行ってもらいました。

 

それでも15分くらい歩いたところで前から来た人に聞くと、滝まではあと3~4キロとか。その場で引き返すことにしました。その道をその距離歩くのは私にとって負担が大き過ぎるし、またその日のホテルに入るのが遅くなってしまうからです。その夜のホテルは予約もまだでした。

この情報が今回早めに来たということは、その滝はパスしてもいいということだと感じました。

 

通訳さんは前日の「妖精が作った石」に続いてまた目的を断念かと残念がったけれど、この旅の真の目的は予定していた景色を見ることではなく、導かれた地と交流し、そこで出会うべくものと出会うこと。「観光」ではありません。

 

ドイツ最後の地はLindau。ボーデン湖の東の端に浮かぶ島です。といってもとても短い橋をそのまま車で渡るので、島であることに気づかないくらい。

大きく長く東西に伸びるボーデン湖を右に見ながら車を走らせます。リンダウは、1年中バナナが穫れるほど暑い所。観光客でいっばいでした。

 

 

まずはホテルを探しに、電車の駅の側にあるインフォーメーションへ。

ところがリンダウのホテルは希望したのよりかなり高額の所しか空いていなくて、6キロくらい離れた別の地域なら、今日だけ空いている部屋が1カ所あると言う。即決 笑。

 

ホテルは賑やかなリンダウとは打って変った、緑の多い、静かな住宅地にありました。で、ホテルのオーナーが言うには、6分くらい歩いたところにボーデン湖があると。ええーっ、そうなのお!ボーデン湖をじっくり味わう時間はなかったので、今回は車の中からだけのはずだったし、それでいいと感じるくらいの関心度でした^^;

 

ところが近くにあると知った途端、心がにわかに色めき立って。

リンダオのビーガン対応レストランで食事をしたあと一旦ホテルに帰り、ボーデン湖に向かいました。時間は夜7時過ぎだったけれど、なにせこちらの夜は9時ごろまで明るい。

 

 

そして目の前に現れたのは、落日の時の、繊細で美しいボーデン湖の姿。波乱万丈だった旅の疲れを忘れさせてくれる、さざ波の音...。思ってもいなかった癒しの光景。おかしな表現かもしれないけれど、とてもシックな高い波動。

しばしベンチに座って、そのギフトの中に身を沈めました。

湖の向こうには山が見えるのですが、一番奥の山はスイスです。

 

 

ボーデン湖に心を残しながらホテルに帰ったのですが、部屋に入った途端、まさにドバーっと強烈な疲れが出てビックリ。というのも、これほどの疲れが一挙に出るという経験はしたことがないし、ましてや旅の途中で現れることはなかったからです。家に戻ってリラックスした途端に疲れがどっと出る、というのはまだわかるのですが。で、ドバーッが来たとき、「今回の旅の役目。果たしたね」と言われているような感覚も。

 

実はホテルの私の部屋、料金は予定内なのですが、オフホワイトのカラーを基調にした、広くてソファーなども置かれている、長く滞在する人にいいようなくつろぎの作りだったのです。旅の最後のプレゼントかと思ったくらいでした。でも、これがこの現象の原因とも思えないのだけれど。

 

さて翌朝は街でレンタカーを返し、リンダウから電車でⅠ時間ほどの、オーストリアのFeldkirchで下車。今回レンタカーのトラブルで一日費やしたため行けなかったリヒテンシュタインへの、バスやタクシーの状況を直接仕入れるためです。リヒテンシュタインには飛行場もなく、電車も走っていなくて、この駅からバスが出るのです。ご存じのように、小さな小さな国です。

 

その後はウィーンへ向かって6時間の旅。

 

 

そして~、 ウィーンのアパートに着いて少し経ってから気が付いたのです。あれっ、1年以上前から浄化の現れで下半身が弱くなり、それもあってウィーンの森で足首を捻挫し、それに加えて今回の旅で膝を打ってますますおぼつかなくなった足が、大幅に回復しておりました!。最後のホテルでの旅の疲れドバーっの結果です。もちろんドバーっを起こしたのはボーデン湖。

100%とは言えないけれど、筋や筋肉が正常なときの動きと感覚を取り戻していました。走ることからも遠ざかっていたのに小走りで歩いていたり。下半身に久し振りにエネルギーが回ってきた感じなんです。

 

7月にオーストリアに来てから、水の持つ癒しの力を強く感じています。とくに肉体に対する影響が秀出ています。このたびのボーデン湖がその極め付き。Vogesenの森での予想外の歩きで想定外に身体を使ったことも、今回の現象に繋がったのかもしれません。そしてもちろん森の癒しもそこにあるでしょう。通訳さんの場合は、ドノン山を歩いたあと、多量の鼻水と咳の形で浄化が起こっていました。

 

 

旅の終わりに宇宙が与えてくれた、粋な計らいに感謝。

 

そしてLilly、常に守護し、導いてくれる多くの光の存在たち、日々出会う人々に感謝です。

 

 

 

 

 

 

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こんにちは。ご訪問をありがとうございます。

 

前回の続きです。

 

 

Lillyの故郷、フランスのVogesenの森、聖Odille、聖Dononを訪ねた翌朝、3つ目の山、 Brotsch山に向かいました。

 

私は大体、旅の前知識はいい加減なまま現地に行くことが多いタイプ。 導かれたものに心がコミットしたらそのまま身体を動かすだけです。Brotsch山についても、着いてから、入り口に「魔女のテーブル」と名付けられたテーブルがあり、森の中に「妖精が作った石」という、9メートルの石が立っているという情報を得ただけ。妖精が作った石、見てみたいなあと思いました。

 

で、たしかに魔女のテーブルはありました。ただ、これは写真の通り、とても近代的 笑。たぶんその場所にそういう言い伝えがあったのでしょうね。

ちなみにこのカップルは、魔女が来るのを待っているのだと言っていました。魔女は今、目の前に来てますですよ^-^。

 

 

 

妖精の作った石までは森を歩いて30分くらいとの情報だったので、まずは麓の木々の中でlillyを奏でることに。Lillyは大型のスーツケースに入れて運んでいるので、30分の山道は難しいのです。

 

インスピレーションを感じた木の下で奏でたあと、木にLillyを当てて奏で、木のエネルギーと直接交流します。

 

 

重厚でパワフルなエネルギーを持つ森。その音色はしかし、悲しみの混じった、抑えたような辛い気持ちを伝えてきた。長い間耐えてきたことを伝えてくる。そして今も苦しみの種が生まれているような音...。

気になりつつ歩き始める。

途中の道で、黒い虫がたくさん死んでいる。進んでいくとまた同じ虫が道の上でたくさん死んでいる。どうしてだろう。この虫たちの寿命の時期なのだろうか?それとも他に原因があるのだろうか。

とにかく歩みを続ける。

 

すると今度は、風もないのに道の両側の、緑の葉っぱが一斉に、優しくゆらゆら落ちてきた。 

ケルトの森は、私が彼らに会いに行くことを決めたときからそのことを知っています。いえたぶんもっともっと昔から、そのことを知っています。ケルトの旅は、私、そして私の魂の家族と彼ら森(自然) との、新生ケルト(自然崇拝)再生のための、約束の旅なのです。そしてこのプロジェクトには、光の存在と手を携えて、志しを持った多くの方々が参加されていると思います。それぞれの表し方で。

 

 

さて、ゆるい坂道で、歩きやすい出だし。といっても私は足を痛めていたので、負担が出ない程度にしか進めないのだけれど。

 

ところがとっくに30分は経っているのにまだその石は現れない。

またこの森は、不思議なくらい人に会わないのです。先に訪ねた2つの森とはちょっと違う。少々不安と焦りを感じていると、道の横の茂みで覆われた、山を知った人しか歩かないような細い道の下から、1人の男性が現れて。

 

石までの道を尋ねると、まだ30分くらいかかる。それもとても急で険しい道だから、麓に戻ったほうがいい。もっと楽なルートがあるからそちらから行ったほうがいいと言う。えっ、別のルート?

でも戻るといってもすでに30分以上も歩いているんです。

石を見たいなら、もう、進むしかない。

 

ところがまた行っても行ってもその石は現れない。石までの印はたまにあるのだけれど、ないのです。あと何mという数字が。

諦めて引き返そうかという思いが頭にちらつき始める。するとまた突然、今度はガイドとそのお客数人のグルーブが前方から出現。

ガイドさんが言うには、あと10分。

ここまでくると、あと何分というのは言葉通りには取れなくなっていた(スミマセン)。でも小さい数字には励まされる 苦笑。

 

ところがまた、歩いても歩いても~。

途中で、1人目の男性が話していた゛急な道゛が現れました。

 

 

いい加減心身共に、いえどちらかというと心(しん)のほうが消耗してきたころ、今度はまた1人の男性出現。歩きの途中で休憩していた様子。あと長くて20分だと言う。゛グッドラック゛と言われた言葉が気にかかる。

それでも「長くても」の言葉に励まされ、やっとだと思う気持ちで先に進む。

 

ところが~。

行っても行ってもなのだ。相変わらず誰にも会わない。そのあたりは坂道ではなかったけれど、ずーと前に伸びてその先が微妙に曲がっているので、曲がった先に何があるのか永遠にわからないの図。わかりますか?その状況。

同行の通訳さんが、「森をぐるっと回ってるみたい」。そう言われれば...。

この地点で3時間は歩いていた。

 

はい。もうここで事態がよく呑み込めました。

歩いていたのではなく、歩かされていた。いえ導かれていたのです、妖精さんに。

このあともたぶんもうそろそろだろうからと少し歩いたけれど、引き返すことにしました。これ以上歩いたら、その日のホテルに着くのがまた夜中になってしまうからです。

石を見られなかったのはちょっと残念でした。でも妖精さんの真の意図は私がその石を見ることよりも、森をぐるっと大きく回ることだったのです。ですから、引き返す判断に迷いはなかった。ここまででいいと感じました。

 

帰り道は知った道なので、足は速く進みます。けれど、なぜか最後の30分くらいだったはずの道が、その2倍くらい長くて。何というか、そこはもう三次元じゃなかった。そして、別れを惜しんでくれた妖精さんの悪戯のように、私には感じられるのです。

 

 

 

 

結局、6時間は歩いたようです。最初の情報、片道が30分って?笑。

初めから6時間もかかると知っていたら、石を目指すことはしなかったでしょうね。痛めている足で、自分でもよく歩けたものだと^-^。そうタフなほうではないのだけど、どうしてか自然の中ではエネルギーが増すようなんですよね。

 

それにしても妖精さん、諦めの気持ちがちらつくたびに、人気のない道に案内人(妖精さん?天使さん?)を出現させ、なんとか頑張れそうだと思える程度の時間を提示して、前に進ませるなんて 笑。

 

 

Lillyの音色は純粋に、相手の感情や想いを伝えてくれます。

 

 

このあと再びドイツに入り、ウィーンへの帰途に付くことになります。

とても素敵なギフトが待っていました。

 

~続きます。

 

 

 

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こんにちは。ご訪問をありがとうございます。

 

前回の続きです。

 

波乱万丈の出だしの中、いよいよlillyの故郷、フランスのVogesen(フォゲーゼン、ボージュ山脈)に向かいました。まずはVogesenの森の1つ、聖なるOdille山の麓のホテルに。小さな々、古い素敵な街、Odille。予約が一杯の中、ようやく取れたホテルですが、偶然Odilleという名でした。

ところが道が狭くて元々駐車のスペースがない上、観光シーズンだからか近くにパーキングできる所がなく、小さな街中をぐるぐる回り、そのうち辺りは真っ暗に。夜も10時近くになって、ようやくホテルに入りました。

 

それにしてもウィーンに滞在するようになってからの旅は、とくに車を使った場合、途中で迷ってぐるぐる回り、ホテルに入るのが夜遅くなることが多いんですよね。その都度ナビがうまく働かないとか、道路標識が十分でないなどの原因はあるし、その状況の中で出会う不思議な現象を見ることもある。でもどうもこのぐるぐるが気になるんです。

実は今いるウィーンのアパートの周りも、入居して少ししたころ迷って、道を尋ねた通行人の方の携帯ナビと一緒にぐるぐると、尋常ではない歩き方をしたことがあって、そのときからぐるぐるがよく頭にちらつくのです。

 

ただ、最後はいつも状況が整います。

 

聖Odille山


翌朝、Odille山に出発。

この山の頂上には、7世紀半ばに生まれたアルザスの守護聖女、オディールが安置されている修道院があります。

頂上近くまで車で上がれるのですが、あとは歩きなので、パーキングから少し離れた木々の間でLillyを奏でました。その音は女性的で、華やかな音色も現れて。

聖女オディールは、目が見えない状態で貴族の家に生まれ、そのことを恥とする父親によっていわば捨てられ、修道院で育ったようです。そんなオディールについての記述には、華やかさは見られません。でも貴族の娘として生まれた彼女の内側には、本来、華やかさが備わっていたのではないでしょうか。

 

なぜか、「いつかまたここに来ようね」とLillyに話すと、Lillyも嬉しそうに「うんっ」と^-^。

 

今回は森の予定が優先していたので、建物をゆっくりと見て回る時間はありませんでした。でも私もLillyも、聖女オディールとは、なにか深いご縁があるように感じるのです。

 

 

 

聖女オディールの修道院

 

 

華やかさと穏やかさ、そして秘めた激しさのようなものも同時に感じたOdille山をあとにして、次は同じくVogesnの森である、Donon山に向かいました。

この山の頂上にはかつてケルトの神殿があり、当時のものは根石しか残っていないようですが、ローマ時代にその上に建てた建物を1800年

年代に再建したものがあります。

 

 

 

頂上までは歩いて1時間と聞きいて登り始めましたが、とても険しい急な坂が多く、下からいろんな方向を向いて突き出た、大小の石の段差だらけ。視力がかなり弱い上、その2日前に石の階段に膝を強くぶつけ、バランスが悪くなっていた足には正直厳しく、まるでドルイド時代の修行を思い出させられているようでもありました。そんな修行があったのどうかは知りませんが^^; で、ドルイドの私は頑張って、2時間近くかかって頂上へ。

 

 

Donon山は、山全体のパワーが強く、フランス、ブルターニュのカルナック 列石やイングランドのストーンヘンジと同等のパワーがあると言われています。異次元の入り口とも。

私には、この山のエネルギーは実直な男性を感じさせ、強く、安定感を体感させるものでした。

そして、頂上に立つ建物の上から見た広大な景色は壮大で、その空気はとても高い波動に満ちていました。

ケルトの全盛期のこの山のパワーは、いかほどのものだったのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日は今回のVogesenの森最後の、3つ目の山、Le mont Brotschへ。

 

~続きます。

 

 

 

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こんにちは。ご訪問をありがとうございます。

 

昨年12月に産声上げた、タオライアーlillyの故郷、フランスはVogesen(フォゲーゼン)の森を訪ねる旅に行ってきました。Lillyは桜の木ですが、製作ワークショップの主催者、「癒しの森」の美幸さんによると。伐採された場所は特定できないとのこと。導かれるままの旅です。そしてそれはLillyの思いでもあったのだと感じています。「あなたは土地を癒して歩く。森と仲良くするでしょう」。2カ月前、日本を離れる前に伝えられた、光の存在からの言葉が頭をよぎる。森だけではなかったの?その意味はこちらに来て、だんだん体感してきています。

 

さて、今回の旅は、ウィーンからドイツのフランクフルトまで電車で6時間半のあと、レンタカーを借りてドイツ→フランス→ドイツ、そしてまた電車でウィーンまでという道程でした。運転は同行をお願いした、通訳のRさん。

 

その日はフランクフルトで食事をしたあと、Morsdorfという村に向かい、夕方ホテルに着く予定でした。

ところがナビの調子がいまいちでホテルの住所が入れられず、とりあえず近くの村を設定して見切り発車。それが、近くの村であるはずの、「ラー」という文字を頭に付けた場所は、そこだけではなかった。その周囲に3カ所もあることが、真っ暗になってから判明。真の目的地のラーはその地点から50キロも先だった!相変わらずホテルの住所も設定できず、ホテルからの迎えもその状況では難しく。

 

現在地もはっきりしないまま真っ暗な山道で車を止め、途方にくれる女二人。

すると、なんとありがたいことに、今ままで反応しなかったホテルの住所がナビ上に!

 

夜中の1時近くにホテルに着きました。

オーナーの老夫婦が遅いチェックインに不満も感じさせない笑顔で姿を見せ、お腹はすいていないかと、自家製野菜のスープまで勧めてくれ。ありがたくいただきました。

 

そしてあとでRさんが言うには、ナビが効かないまま真っ暗な中をさまよっていたとき、突然、ナビに「Bocksberg」という現在地が現れて消えたという。「Bocksberg」とは「魔女の集まる山」という意味を持ち、オーストリアでもこの場所のことはよく知られているのだと。子ども達は「Bocksbergに連れて行くよ」などと大人から脅されて育つのだそう。

Rさんはまた、真っ暗な森の中を、何人かの人影がよぎるのも見えたと。

 

どうも、その辺りでウロウロしないといけなかったみたいですね。ドルイドであった私も、Rさんも、彼女たちの仲間ですから^^;

 

翌朝は、ビーガン食の私のために、近くの街で買ってきたというビーガンマーガリンやペーストなどがてんこ盛りでテーブルの上に並べられていました。びっくりするやら嬉しいやら。なにか親戚の家にでも来た感じ。

 

 

実はここのホテルを予約したあとでわかったのですが、ホテルのすぐ前から出ている道には、「Keltenweg(ケルトの道)」という名が付いていました。

 

 

 

さて午前中は、この村に寄った目的である、森にかかる360mの長いロープの橋を渡るため、歩きで出かけました。↓

https://www.youtube.com/watch?v=d0XqWDcuA5c

ここは順調に着けば前日の夕方、行く予定だったのですが、前日は空が曇っていたそうです。この日は晴れていて、橋からの森を堪能できました。

 

 

 

ここでまた「実は」という言葉が出るのですが、前夜山でさまよっているとき、エンジンを切っていたのにエンジンがかかった瞬間があり、ナビの不調も含め、この車は替えてもらわないといけないと話していたのです。

朝起きたとき、急に救急車かパトカーのサイレンのような音が携帯から鳴り響き、車の状況に対する警告と受け取っていました。こちらでは、こんな音が携帯から出ることは普通、ないようです。

 

しかしレンタカー会社は車を引き取りにはこないので、しかたなく1時間半くらい走った所にあるレンタカー会社まで行くことに。ところがエンジンをかけたのですが、かかりません。

今度はレンタカー会社との交渉の末、車のメーカーであるフォルクスワーゲンからレッカー車に来てもらうことになりました。30分くらいで到着したフォルクスワーゲンのスタッフがエンジンをかけてみると、えっ、今度はかかる。とにかく近くにあったフォルクスワーゲンまで行き、チェックしてもらうことに。

 

フォルクスワーゲンでは原因がわかったのかどうかは定かではないのだけれど、代車が出ないならお金を返してもらえなくても車を置いていくと話したからかどうか、レンタカー会社は代車を認め、ようやく近くの空港にあるレンタカー置き場で別の車に乗り換えることができました。

 

 

かくして波乱に満ちた出だしの中、Lillyの故郷、フランスのVogesenの森のうちの1つ、聖なるOdille山の麓にあるホテルに向かったのでした。食事のほかにもどこか母親のようにいろいろ世話を焼いてくれた、ホテルのオーナーに少し後ろ髪を引かれながら...。

 

ちなみにVogesenとはケルト語で、「山の神様」という意味だそうです。

 

~続きます。

 

 

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