ここで、そこで、いろんなところで

日々の生活の中で想う、エッセイ未満のことたち


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翌日は川湯に浸ってはじまった。


私たちが川原の温泉に入ろうとすると雨。

今日は曇りの予想なのにね。


十津川村の玉置神社 にお参りしてから、那智大社へ行く予定にした。

旅館に十津川村、交通規制の張り紙がしてある。

私「これ、大丈夫ですか?」

番頭さん「玉置神社はこの手前ですから大丈夫ですよ」


ところが・・・・。


玉置神社まであと8キロのところで交通規制に引っかかる。

解除されるまであと30分あって、しかも通行時間はわずか20分!


1時間かけてここまで来たのにお参りできないの・・・!?


でももう一つほかのルートがあると教えてもらう。

で、村のいろんな方に聞いてみたら、交通解除を待って、そこからのぼり、別ルートで帰るのが一番いい方法だと教えてもらった。

旧式のナビは一つの道しか検索することが出来ず、まったく役に立たない。

道を教えていただいた銀行で地図をいただき、それを持って玉置神社へ。


与えられた気づき。

機械ばかりを信頼しないこと。

困ったときは自分だけで悩まないで、誰かに助けを求めること。



tamaki-1

玉置神社も山の頂にひっそりとある美しい神社。

熊野の奥宮だそうだ。


霧が立ち込める中、参道を歩く。

パウロ・コエーリョの「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」の中に、

「水は女神のシンボル」という言葉が出てくるけれど、まさにそれを体感する。

優しく身体を包んでもらっているような感覚。

熊野の神様はやわらかい。


tamaki-2


しかし・・昔の方は健脚だよね。


今回階段がなかったのは速玉大社くらいで、あとはすべて高台や山の中にお宮がある。

私も最初は古道を歩くことを楽しみにしていたけれど、段々とどうでも良くなっちゃった。(あっさりとめげる)

車でよかったよ・・。

熊野古道を歩いたパウロが

「熊野は女性的な道です」

とおっしゃっていたけれど、これで女性的ならサンチャゴ巡礼はどんなに険しいんだろう・・。

私にはムリかも・・・。


山を降りて、熊野川をくだり、那智大社へと向かう。

途中でおいしい湧き水に出会う。

お水がおいしいって幸せだな。

まさに「生命の水」


昨日から二人とも気になっていたことがある。

熊野川の水かさが少ないのだ。

というよりも、ダムとかいろんなもので、水量を調整されているんだろう。

川原の中心を細々と流れる川を観ていると、なんだか動物園のライオンを思い浮かべてしまう。

友人も

「川がかわいそう」

と言う。

ダムのおかげで、たくさんの方たちの生活を守られているんだろうけれど、川としてはどうなんだろう?

以前は本宮大社に被害を与えちゃうほどの荒ぶる川だったのにね。


そんなことを話しながら那智大社 へ。


nati-1


お土産やさんで一息ついて、さて参道へ、というときになって、またもや雨が降ってくる。

最初ははらはらと降っていたのに、お社に着いてお参りしたら、本格的な雨。


有名な三重塔と那智の滝の写真はかろうじて一枚。

そのあとは滝が隠れてしまうし、カミナリまで鳴っている。



nati-2


友人は「これは浄化の雨」だと言う。

私は「さっきの熊野川への呟きが、神様にとどいちゃったんじゃないのかな」と思う。


別宮の飛瀧神社へ。

まずお神酒ならぬ神水をいただく。



taki-1

那智の瀧を間近に拝見する。
やっぱり水は神様なんだとしみじみ感じる。

私たちの身体は水で出来ている。

そして大きな命の源がここにあるのをひしひしと感じる。


熊野は神仏一体の優しい場所。

なんでもおおらかに受け入れる。

神様も仏様も。

そして人の些細な悩みも。

すべての根っこは一つなんだと思い出させていただいた感じ。


ミラクルな旅。

おかげさまで、身体の中に一本芯をいただいたように思う。

それを言葉にすることはできないけれど・・。

私たちには何があっても、思い出せて、帰れる場所がある。


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写真が発明されたことはアートの世界にとって大きな転換だったのだろう。

そのものをそっくりそのまま描くという意味が失われて、人はそこにないものを描くようになったのだから。


でも、人の手で描かれたものは、写真と同じように見えても、やっぱりそこには写真では写しきれない何かがある。


写真が一瞬を切り取ったものであるのあらば、写実に徹した絵には、一瞬を表現するためにたくさんの一瞬が重ねられ、塗りこめられている。


ブドウの一房、電球一個を描くために、どれだけ観察して、どれだけの時間が費やされたことだろう。

描くときは常に厳粛な気持ちでいたいとインタビューの中でおっしゃっていた。


最新作のTHEのシリーズは裸婦のものとロープのもの。

何年もかかって製作された裸婦。

モデルの人物は今もどこかで存在していても、絵に描かれた肉体はすでにこの世には存在しない。

その瞬間のその輝きは、絵の中でフリーズされている。


メメント・モリ(死を忘れるな)

凍結された時の中に、失われていく時間が内包されている。


野田さんの絵を拝見するたびに、その研ぎ澄まされた感性に感嘆する。

その眼と手を思う。

70歳を超えても、写実の中に新しいテーマに見つけていく。

その姿に、人の中に潜んでいるあらゆる可能性を思う。


私は野田さんのスケッチが好きだ。

ただ、鉛筆のみで表現された黒と白の濃淡の空間。

その2色の間に多彩な世界が広がっている。


静かで豊かな時間がそこに漂う。


野田弘志展~写実の彼方に~


豊橋市美術博物館での開催は9月2日まで。

のちひろしま美術館に巡回。




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今年の春、「地球交響曲第6番」(以後ガイア6)を友人と観て、那智の滝に強くひきつけられた。

友達もそうだったらしく、帰りにお酒を飲みながら

「熊野に行こう!」という話になった。


私「運転できないよ。」

友達「大丈夫、私がするから」

と心強いお言葉。


実は彼女は先日の九州旅行の友人と同一人物。

まさか、鹿児島~宮崎~熊本、続いて熊野を一人で運転することになるなんて、彼女はそのときまったく考えていなかっただろうけれど・・・。


熊野は熊野古道で有名な世界遺産の場所だけど、名所があちこち点在していて、効率よくまわるにはやっぱり車が不可欠。

時間のある方は、ゆっくりと古道を歩きながらまわられると風情があっていいところ。


おとといの九州の疲れもなんのその、JRの中で行き先をチェック。


「那智~速玉~本宮が効率よいのでは?」との私の提案に、

「まず本宮でご挨拶して、那智は最後にご挨拶しましょう」と彼女の意見。


そして地図を見ていた彼女が

「十津川村、案外近いよ。十津川の玉置神社も行こうか?」

ええ?

九州であちこちと欲張ったのはいいけれど、タイムオーバーになりかけたことがアタマをよぎる。


でも、ナビもあるし、いけたら行きましょう。

と、意見が落ち着く。


しかし・・・。

レンタカーのナビはずいぶんと旧式で、操作に手間取っちゃって、二人で冷や汗。


とりあえず回れる場所からまわりましょう、ということで、新宮の熊野速玉大社 にまずお参り。


hayatama


そして、神倉神社


kamikura-1

ここはガイア6のなかで、長屋さんが楽器を弾いていた神社。

また「火まつり」という映画でも紹介されていたけれど、急な階段を松明を持って駆け下りる、「お燈祭り」でも有名な場所。

速玉神社に行くときに、高い山に赤い建物が見えて、私はすごく気になっていた。


ものすごく急な階段を昇って行くと、ことびき岩をご神体とするお社が出てくる。



kamikura-2


パワーの溢れる場所。

この岩に神様がお座りになっているのかな。

神座は「カムクラ」(神倉)と読むしね。


段々とナビの使い方にもなれ、熊野川沿いに熊野本宮大社 へ。


参道の両脇にのぼりがたくさん立っていて、それを納めた方のお名前と「商売繁盛」とか「家内安全」とか、が書いてある。

九州の神話の旅と違って、こちらはずいぶんと現世的。

熊野詣はご利益目的が多かったのかな。


ほんぐう

そして、熊野川のほとりの大斎原へ。

ここはもともと本宮大社があった場所。

明治時代に水害にあって、現在の高台に移された。



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元の社地はやっぱり気のいい場所。


先日お参りした霧島神宮は火山の噴火による火災によって低地へ、こちらは水害によって高台に神様が移っている。


ヤノベさんの「トらやんの大冒険」の中では、火で街が焼かれたり、洪水が起こったりする。


火の神様と水の神様。

なんだか不思議なリンク。


大斎原をゆっくりと歩いていたら夕方になり、その日は川湯温泉 に一泊。

川の側から温泉が湧いている場所。


翌日は十津川の玉置神社、那智大社へのお参りとなった。(つづく)












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みなさんのほうでは観れましたか?

こちらでは予報は曇りでしたが、8時くらいから晴れてみることが出来ました。

写真に撮りたかったけど、マヌケなものしか撮れなかった・・・。


でも、観れてなんだかうれしい。

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そりゃあ、霧島に行きたいなあ・・とは思っていた。

横須賀のファイヤー・イベントで気持ちが高揚して、「ああ、次は霧島だ!」って感じだったし・・・。


でも、お金もないし、時間もないし、きっと一緒に行ってくれる友達もいないし・・。


・・・と思いつつ、霧島のhpの高千穂河原 の写真を観たとたん、私の中のスイッチが入っちゃった。


「霧島行かなくちゃ・・・・!」


となると、お金はないけれど、時間の都合はうまくついたし、友達もトらやん は知らないけれど、高千穂峡にいけるのなら運転すると言ってくれるし、旅行の2週間前にバタバタと話がついてしまった。

(そのときの私たちは高千穂河原と高千穂峡を混同していて、あんなに離れているとは思わなかったんだけど・・・)


霧島は天孫降臨の神話の生きている場所。


takatihogawara

高千穂河原はもともと霧島神宮があった場所だけれど、霧島の噴火による火災により、お宮は現在の霧島神宮に移された。

ここは荒ぶる火の神様がいらっしゃる場所らしい。

それでもとても気のいい場所。

本当は高千穂峰に登りたかったんだけど、時間がないのと、靴がケイマンだったため断念。

登りたい方はトレッキングシューズのほうが無難。

でも散策道ではヘビが出てきてくれたりして、歓迎してもらえていたのかな。

(そういえば、弘前の岩木山神社でもへびに会った)


その日は霧島のホテルで鳥のさえずりや虫の声を聞きながら一泊。

ここは深い霧の森。


翌日は霧島神宮 へ。


jingutorii


kirisimajingu


美しくて清清しいお社。

大切なものを守りつづける誇りや気高さのようなものがある。


そして、弊立神社でおいしいお水をいただいて、天岩戸神社 へ。

ここは町全体が神様に守られているような場所。



amanoiwato


天岩戸は神域であり、拝岩するためには社務所で許可をいただく。

そして、拝遥所へ立ち入る際は、お祓いを受ける。

拝遥所ではもちろん写真撮影は禁止。


初めて入る聖域は荘厳な佇まい。

そして、今は洞窟のあとだけ残るその場所は、遥かなる昔から、誰も立ち入ることの出来ない神聖な場所。


天岩戸神社の奥にある天安河原は、神様たちが集まって相談した場所。

ここもすごいエナジーを感じる場所なんだけど、なにせカメラマンの私の腕が悪くてその雰囲気を写すことはとてもムリ。



amayasugawara


まるで、ここが現世であることを忘れてしまいそうなくらい、神話の世界にいるみたいな不思議な気持ち。


人の人生なんて、がんばって生きて100年くらいのものだけど、ここの場所は何世代も何世代も受け継がれて、語り継がれて、大切に守られて、今日に至っている。

その悠久の時間を考えたとき、今という時は、私たちだけのものではなく、ずっと受け継がれてこの時があり、また未来に渡していくものなのだと体感する。


そして、霧島神宮と同様のプライドがここにもある。


「守る」って美しいことだ。

スピードの速い現代でも、こうやってゆったりと静かに時の流れる場所がある。

そうやって大事に守られている場所がある限り、私たちは大丈夫じゃないかと思いたくなる。


そして、あなたや私の中にもそうやって守れるものがあるならば、あなたも私もきっと何があっても大丈夫なんだ。

高千穂神社 では、突然の雨。

友人いわく

「歓迎の雨だよ」

うん、そうだよね。



takatihojinnjya


高千穂峡 は平日だけれど、夏休みとあってすごい人。

乗りたかったボートは1時間待ちで諦めた。


ここも天孫降臨の言い伝えのある場所。

神様としては、どちらにも降りてもよかったんじゃないかと思うほど、美しい土地。


本当にステキな場所だったので、今度はシーズンオフにひっそりと来たい。


takatihokyou


帰りは南阿蘇をドライブしながら熊本空港へ。



minamiaso

3県またいだハードな旅。


トらやんに導かれて、たくさんの神様たちにお会いできて幸せな旅だった。




















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いやあ、行っちゃいました。

霧島アートの森


事の顛末はゆっくり書くとして・・。


19日は学芸員によるギャラリー・トークのはずだったのが・・・・。

ナント!

ヤノベさんがいらしているということで、急遽アーティスト・トークになりました!


そのアナウンスを聞いたときは、ちょうど酷暑の野外の森にいて、暑さと驚きで気絶しそうでした。


トークをしながらサヴァイバル・システム・トレイン、アトム・カーの実演。



yanobe-1

サバイバル・システム・トレインに乗り込むヤノベさん。(ボケてます)



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アトム・カーを運転しているヤノベさん。(ボケてます)



yanobe-3

タンキング・マシーンを説明するヤノベさん。(やっとピントがあいました)


トらやん以前の作品を説明して、「トらやんの大冒険」の会場へ。

今回も、町の人たちと一緒に作業したり、手作りのようで、でも完成度の高い展覧会。


ヤノベ作品は初めてだった友人も楽しんでくれてました。

で、トらやん以前のサバイバル作品を観ていた友人が一言。

「一人で生き残ったってつまらないよね」

そう、だからみんなで一緒に新しく生まれ変わっていくんだよね。


展覧会場で流れていた映像に、先日の横須賀でのファイヤーイベントのものもあり、その中に私の姿もちらりと・・・・(本人にしかわからないけれど)


私も「トらやんの大冒険」のリアルな体験者の一人。

そして、私たちは「宇宙船地球号」の一員。


その夜は天孫降臨の伝承が残る森・霧島に泊まって、大きな神話の一部になったような、幸せなときを過ごしたのでした。













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今日は一日ダラダラしていた。

今日はというより、お盆の3日間も実はダラダラしていたのだけれど、お盆は何かとやることがあって、真剣にダラダラできなかったというのが正直なところ。


今日は本当に一日休みだったから、掃除とか片付けとか、やらなければいけないことがたくさんあったのに、身体もアタマも動かず、


何か食べる→少し勉強する→気分転換にpcをいじる→やっぱり眠くなって寝る→何か食べる→少し勉強する→気分転換にpcをいじる→やっぱり眠くなって寝る→何か食べる・・・・・・・


を延々と繰り返していた。


この不調の原因は勉強じゃないかと自分で分析してみる。


久しぶりに勉強しているからアタマがついて行かず、エンジンがかからない状態であるにも関わらず、このままでは期末テストに間に合わない、と無理やり詰め込もうとするから、頭がバーストしちゃってるカンジ。


それと、きっとこの暑さも原因なんだろう。

どれだけクーラーの効いた涼しい部屋にいても、身体はこの異常な気温をキャッチしているらしくて、

「暑いはずなのに、涼しく感じているなんて、なんだかヘン!」

と、身体が訴えているような気がする。


とか何とか言ってみても、休みは今日まで。

明日からは仕事もあるし、自主登校もあるし。


でも、そのあとちょっと不思議なスピリチュアルツアーとか、楽しいことも待っている。(結局勉強しないのよね。だから今のうちにやっておかなくちゃいけないのにさ。なんだかんだと言って、結構遊んでいるんだよね、私)


ということで、夏休みのダラダラも今日が最終日。


貴重なダラダラ日なんだから、残り少ない一日、思う存分ダラダラしてお風呂に入って寝ようかな。







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私はチャイコフスキーが好きらしい。


なぜ「らしい」かと言うと、今まで何気に聴いていて、心に響いていた音楽が、チャイコフスキーが作曲したものであることが多いからなのだ。

以前、クラッシック好きのrisaちゃん と旅行したとき、

「これ、多分チャイコだと思うけど・・・」

とメロディーを口ずさんだところ、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲だと判明した。


で、同級生のクラッシックマニアのKちゃんがチャイコフスキーをイロイロ貸してくれて、何気に聴いていたら、「聴いたことがない」と思っていた交響曲が実は非常に好きな曲だということがわかった。


交響曲第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」


最近は気に入って何度も繰り返して聴いている。


最初の暗い導入部から、明るい旋律へと変化していくのだけれど、それを聴いていると「悲愴」というよりも、苦しみや哀しみの中から再生していくたくましさのようなものすら感じられる。

この曲を聴いていると、乗り越えていける強さを自分の中に信じられるのであれば、辛いことも悪くない経験なのかもしれないと思える。

きっとチャイコフスキーもそうやって、何度もいろんなことを乗り越えてきたんだろう。


「のだめカンタービレ」のなかで、哀しそうにこの曲を弾こうとする幼い千秋さまに、おとうさんが

「チャイコフスキーは悲しくてもそれを言うことができなかったんだ」

と諭す部分がある。


深い哀しみを美しい音楽に昇華してくれたチャイコフスキーに乾杯。





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今日からお盆。

8年前から我が家には仏様が帰ってくることになった。

なので、その年から、お盆はお休みだけど、どこかへ遊びにいける期間ではなくなった。


京都育ちの友達は、こちらに来て、お盆が3日間しかないのをびっくりしていた。

京都はお盆が13日に始まって、16日の大文字の送り火で終わる。

こちらは13日にお迎えしたら15日には送り火を炊いて16日からは日常生活に戻るので、「一日足りない」と感じるらしい。


先月上京したとき、東京ではちょうどお盆だったので、泊めていただいたお花の師匠のおうちではお盆の支度がしてあった。

花かぼちゃとか、お盆のお飾りが私には珍しくて、最近は地方色が薄れているけれど、まだまだいろいろあるものだと感心したのだった。


我が家でも、お盆の支度をしてある。

ズボラな私は、昨日の夜、せっせと提灯を組み立てた。

(本当は8月に入ったら、飾ってもいいのだけれど・・・)



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そして、きゅうりの馬はなぜか我が家では作らなくていいことになっているので、ナスで牛を作る。


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我が家の仏様はのんびり帰ってきて、またのんびりとあちらの世界の戻っていくいくらしい。


今日は風が強くて迎え火がなかなかつかなくて大変だった。

明日はお上人がいらしてお経をあげてくださる。

あさっては送り火を炊いてお盆が終わる。


少し忙しくてのどかな3日間。



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性別とか、時代とか、カテゴリーとか、すべてを軽く突き抜けて、私たちを楽しませてくれるアーティストのモリムラさん。


モリムラさんの個展を観るのは1998年の東京都現代美術館の「空装美術館~絵画になった私」以来。

いつも新鮮な驚きを提示してくれて、大好きなアーティストさん。

そのときはモリムラプリクラで「モナリザ」にさせていただいたけれど、今回は顔を突っ込むモナリザあり。

自分の姿はちょっとお見せできないので、空っぽバージョンで・・。



morimura

この個展に行きたい理由はもう一つあった。

モリムラさんが「ミシマ」になっていたのだ。


ミシマが自決した日、TVに軍服姿の男が叫んでいる映像が繰り返し映し出されていた。

その姿がよみがえる。


モリムラさんが「ミシマ」になったのか、はたまた「ミシマ」がモリムラさんと同化したのか。

最初に観たときは、まるでミシマが蘇ったのかと思った。

国を憂い、自らの命をささげたミシマを思い、胸が一杯になった。


でも、もう一度冷静になって観てみると、これはミシマの姿を借りたモリムラさんだ。

モリムラさんはアーティストだから、アートを憂い、「静聴せよ」と叫ぶ。

自らの死をもって美しく自分を完結させた人ではなく、醜さも汚さも、すべて受け入れてなお行き続けることを選んだ一人のアーティストのメッセージ。

アタマに撒いた鉢巻には「七転八起」と書かれている。


ミシマの男性性に対して、私は森村さんに女性性を感じる。

それは、森村さんが性を通り超えて、母親的な暖かな感性を持っているからだと勝手に思っている。


ミシマの最後の演説には野次が飛んだという。

モリムラさんの演説には人々は知らぬ顔で通り過ぎる。


その後、ミシマは天皇陛下へ万歳三唱をし自決したけれど、モリムラさんは生きている。


生きること。


私には、モリムラさん流の暖かいメッセージに聞こえた。


横浜美術館・森村泰昌「美の教室、静聴せよ」



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