ここで、そこで、いろんなところで

日々の生活の中で想う、エッセイ未満のことたち


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「Tちゃんが死んだんだよ、バイクの事故で。

即死だったよ」

Tちゃんと親しかったアニキ(というニックネームの友人)が、飲みながら、突然言い出した。

もう死んで2ヶ月ほど経つらしい。


昨日は友達4人で久しぶりの飲み会だった。

いけばなつながりのオンナ3人、オトコ1人が集まった。


Tちゃんはアニキと同級生で、全身刺青を入れている男性だった。

もうすぐ40になるところだった。

町外れでひっそりとバーを経営していて、音楽関係の友達がたくさんいた。


Tちゃんは「全身刺青をしている人」として、有名人だったので、飲み会に集まったみんな知っていたし、みんな驚いていた。


Tちゃんの訃報を聞き、友達が集まった。

Tちゃんには、長年つきあっている女性がいたので、アニキが迎えにいってお通夜に連れて行ったらしい。

彼女は呆然として、棺から離れることが出来ず、ただただ冷たくなったTちゃんをじっと見つめていた。


「俺もさあ、骨になっちゃったときは、さすがにこたえてさ、泣き崩れちゃったよ・・」

アニキがしみじみと言った。


友人の突然の死。


Tちゃんと私は、2度ほど会ったことがある。

一度はアニキにつれられて、Tちゃんのやっているバーに連れて行ってもらった。

「全身刺青をしている」、とは聞いていたけれど、半そでのTシャツから出ている腕には、びっちりと刺青が彫られている。

ほの暗い店の中で、それは異様に浮き立っていて、初対面の私はやっぱりちょっとぎょっとした。


私も酔っ払っていたので、

「なんでそんなに刺青いれてんの?」

と聞いた。

Tちゃんは

「これだけ彫れば、親があきらめてくれると思ってさ。」

と淡々と答えた。


「こういう姿(刺青の見える格好)で、バイトの面接とかいくでしょ。

そうすると、明らかに、これみて落としたりするのさ。

そういうやつらを見て、“フン、外見だけ見て人を決めるやつらだよな”って思うわけ」

と笑っていた。


缶ビールをそのまま出すような、愛想のないそのバーで、私たちはいろんなことを話した。

酔っ払っていてあまり記憶が無いけれど、結構コムズカシイ話をしたように思う。


2度目に会ったときは、アニキ主催のバーベキューパーティーで、みんなで飲んで騒いで、解散した記憶しか残っていない。

Tちゃんが、飲んで笑っていた顔しか思い浮かばない。


たったそれだけだったけど、私はTちゃんが好きだった。

シンパシーを感じていたのかもしれない。


10代のころ、音楽を聴いて、ちょっと悪ぶって、世の中に悪態をついていた自分が、Tちゃんを通してそこにいるように思えた。


私が大人になることで、捨ててしまったものを、Tちゃんはまだ持っているような気がして、懐かしかった。


「40になりたくない」

T-REXというロックバンドのマーク・ボランは、常々そう語っていたらしい。

そして40を目前にして、交通事故で本当に死んでしまった。

ふとそれを思い出した。


「マーク・ボラン」みたいだね。

私がいうと、アニキもうなづいていた。


40ってもしかしたら、子供と大人の境目の最後なのかもしれない。

そこに見えない境界線があって、大人になりたくない人は、そこを超えられないのかもしれない。


とりあえず、私は大人になることを選んだ。


だから私はこうして生きている。

私は境界線を越えた。


そして、大人になりたくないと思っている子供たちに

「大人になるって、案外悪いことじゃないよ。

楽しい事だってあるもんだよ」

と呼びかけている。


Tちゃんはやっぱり大人になりたくなかったのかもしれない。

彼は刺青を彫ることで、大人になることを全身で拒否していたのかもしれない。

それも彼の生き方だ。


アニキは友人を突然失った悲しみを抱えながらも、それはよくわかっている。

「彼は彼なりにいい人生だったんだよね」

私が言うと、彼も

「わかってるよ」

ってカンジでため息をつく。


「もてたやつでさあ、葬式なんてオンナが沢山来て、みんなワーワー泣いてんの。

俺の葬式にもたくさん、オンナが来て、泣いてくれるかな?」

日数がたって、少し気持が治まってきたアニキが、ちょっとおちゃらけて言う。


「う~ん、今からキャバクラのお姉ちゃんに頼んでおけば?」

アニキにキャバクラ通いの話を聞かされていた私たちは、冷たく言い放つ。


逝ってしまった人。

残された人。


みんなそれぞれの人生がある。

みんな自分が主人公の世界がある。


逝った人の思い出を抱いて、私たちは生きていく。

短かった彼の人生のことを思いながら、彼が残してくれたものを思いながら。


「俺たちは世界に愛されている」

Tちゃんとアニキの口癖だ。

 

どんな人生であっても、生まれてきた限りは、何か意味があったはずだ。

どこかで誰かに愛されているはずだ。

Tちゃんだって、たくさんの人に愛されていた。


みんなこの世に生を受けた限り、私たちは世界に愛されているんだね。

Tちゃんも、アニキも、そして、私も。

もちろん、あなたも。


残された人間はともかく生きよう。

取り残されるという悲しみを受け入れながら、私たちは生きていこう。

生きることを愛していこう。


それが「生きる」ということを選んだ私たちが受け入れるべきものだからだ。

境界線を越えた私たちの受け入れるべきことだと思うからだ。


境界線を越えるってことは、世界を愛していくことだと思うよ。












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ガムのCMで、ちょっと不良っぽい女の子が「ウォー○ーリング」

という商品の名前を巻き舌で言うものがあった。


私は巻き舌が出来なかった。

あんな器用なこと、出来るわけないじゃん。

はなっから思っていた。


別にできなくっても、ラテン語しゃべるわけじゃないし、困らないし・・と思っていたのだけれど、巻き舌が必要なことが出てきたのだ。


ディジュリドウで、コールという奏法がある。


コールと言うのは、吹きながら声を重ねる奏法で、音にいろんな変化をつけることが出来る。


コールは、動物の鳴き声を真似することも出来て、ディンゴという野生の犬とか、ワライカワセミの鳴き声なんかも出来る。


その中で、丹頂鶴の鳴き声というものがある。

巻き舌で「ルルルル~」という声を入れながら、吹くという、ちょっと凝った奏法があるのだ。

ディジュリドウは基本的に唇の振動で音が出るから、舌と唇と同時に振るわせるという技なのだ。


基礎の基礎をやっている私には10年早そうな奏法だけれど、いつかはやってみたいな~という気持がある。


師匠が見本を見せてくれたことがあるけれど、

「出来るわけないじゃん」とやっぱり心の中で思っていた。


で、そのままそのことは考えていなかったのだけれど、ある日TVを見ていたら、

小学生の悩み相談のようなコーナーで

「巻き舌をやりたい」という女の子が登場していた。


そして、ナントあのCMに出演していた女性のところに行って、そのコツを聞いていた。


実は、その女性も、最初は出来なかったのだけれど、あのCMの出演が決まって、必死で練習をして、出来るようになったらしい。


え?そうなの?


単純な私。

それから思い立って、私も練習を始めた。


お風呂や、洗い物をしている時など、思いついた時、暇な時、巻き舌をやり続けた。


1ヶ月ほどやり続けたら、ナント出来るようになったのだ!


まだまだ安定していないけれど、「ウォー○ーリング」もいえるようにナッタゾ。


う~ん、人間やれば出来るものかもしれない。

ちょっと自信のついた私。


ディジュリドウの魅力の一つは、自分自身が楽器の一部になれることかな。

唇や舌の動き一つで、自在に音を操れる。

今度のレッスンでは、ちょっと丹頂鶴も教えてもらおうかな~。


ということで、まだまだ巻き舌練習中です。






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今日も暑かった・・・。


梅雨なのに雨が全然降らない。

夏の雨不足も心配だし、こういう時って必ず集中豪雨が来るから、そういう被害も心配・・。


当たり前にあってくれるものがないって、本当に困る。

ダムの貯水率も下がっているし・・。

でも、自然に文句を言っても仕方がない。

「困る」というのは人間の都合であって、自然には関係ないことなのだから・・。

いえ、人間も自然の一部だから、この状況を受け入れるしかないんだよね。


梅雨でしとしとと雨が降っていたら、アジサイのことでも書きたいなあ・・と思っていたけれど、そういう気分にもなれない。


冷房がキライなので、家の中にいたら、本当に蒸し蒸ししてたまらない。


我が家は築30年という中途半端な建物だ。

基本的に冷暖房を入れるために作られた建物のなので、窓を開けても風通しが悪い。

おまけに、つくりが古いので、隙間だらけで、冷暖房は効きにくいし、結構間抜けな家なのだ。


いけばなのお稽古に来ている生徒さんのおうちは、我が家よりもっともっと年代モノらしい。

家のすべてに、欄間がついているそうだ。

(欄間ってね、ふすまなんかと天井の間に、とりつけてある飾り板や格子のことだよ。)

夏、風通しがよいようにと、おじいちゃんが凝ったつくりにしたらしい。

それがが災いして、欄間をつぶさなければ、冷暖房が効かないし、冬は本当に寒いと言っていた。


でも、そういう家で、戸を全開にして、団扇を扇ながら、スイカを食べたりしたらおいしそうだよね。


日本の建物って、夏のことを考えて設計してあるので、冬を過ごすにはあまり向いていない。

昔の人は寒さに強かったんだなあ・・。

冷え性の人はどうしていたんだろうか・・?


そとを観たら、幾分風が吹いている。

そしてさっきより、日差しも幾分和らいできた感じ・・。


家の中にいても、暑くて仕事にならないので、草むしりをすることにする。


麦藁帽子をかぶって、首にタオルを巻いて、腰に蚊取り線香をぶら下げて、準備万端。


風のある日は外の労働が楽しい。

暑いときは思いっきり汗をかくに限るよね。


まあ、こんな悠長なことも言ってられないくらい、風も吹かず、死ぬほど暑い日々が、もうすぐやってくるんだけど・・。


でもまあ、いってまいります。


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お友達のルチルさんがhp をつくった。

その中で魔女倶楽部なるものを発足させた。(hpの魔女の部分をクリックすると魔女倶楽部に飛べます)


実は私のhpには妖怪倶楽部 というものがある。

そして、お友達のトウコちゃんのhpには妖精倶楽部 というのがあって、みんな姉妹倶楽部なのだ。


私は妖怪倶楽部の用務員なので、妖怪登録1号だ。

妖精倶楽部は、どうも自分のキャラではない気がして、入会を断念したのだけれど、魔女ならなれそうな気がした。


ということで、私は魔女倶楽部の4号に「眠りの森の魔女」として、めでたくトウロクしていただくことになった。

ご自身が「魔女かもしれない・・」と思われる方、一度のぞいてみてください。


ところで、「魔女倶楽部員条件」のなかに「やたらと黒い服が好き」とある。

確かにルチルさんはよく黒い服を着ている。

そっか~、ルチルさんは前世は魔女だったんだ~。

ふむふむ。


そういう私も黒い服が好きだ。

やっぱり着やせして見えるし・・。


ただ、私の場合、黒も多いけど、白も多い。

膨張して見えるのを覚悟で白を着てしまう。

(う~ん、どうみてもシロクマみたい・・・)

そして、圧倒的に、白いシャツが大好きなのだ。


カラーセラピー的には、黒は色ではないので、あまりお勧めしない。

いいものも悪いものも吸い寄せる色なのだ。

なので、気分が落ち込んでいるときや、体力がないときは、あまり着ないほうがいいと、みなさんにはアドバイスしている。

にもかかわらず、自分自身が黒を選ぶのは、やっぱり前世からの因縁かなあ・・。


私の場合、前世は修道院のシスターだったような気がしている。

実際に前世をリーディングしてもらった時に、中世の時代にシスターだったと言われた。


黒、白好きは前世がパンダだった・・・・

からではなくて、シスターだったからかな・・と思っている。




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「常識」を辞書で引いてみる。


一般のひとが共通してもっている、またはもっていなければならない知識・理解力・判断力

とある。


なるほど・・・。

なんでこんなことを引っ張り出してきたかと言うと、firenze-kyoutoさんのブログ を読んでいて、ちょっとある人のことを思い出したからだ。


ずっと前の話だけど、私の友人(男)はある女性とお付き合いをしていた。


その友人は、いつもきれいな女性とお付き合いしていて、その方もとても美しい人だった。


ある日、友達夫婦の家に、その二人が遊びに来たらしい。


畳の間で、きちんと正座をしている彼女に、奥さんが

「あら、そんな堅苦しくしてないで、くつろいでくれていいのよ」

と声をかけた。


すると彼女はにっこりと笑って

「そうですか?」

とおっしゃって、おもむろに、彼の膝の上に座ったそうだ。


彼はもちろん、デレデレしていたそうだけれど、そのご夫婦は目がテンになったそうだ。


そして、その二人は結婚することになり、私にも招待状が来て、田舎からはるばる東京へ出て行くことにしていた。

披露宴会場はT国ホテルだし、きっとお料理もおいしいぞ~っとちょっとワクワクしていた。


披露宴前日の夜、家に帰宅すると、留守電が入っている。


「大変だ~!

彼女がぶっ倒れて点滴打って、どうしようもないので、明日の結婚式は延期になったから!」

と留守電が入っていた。


はい・・・?


もう一度、巻き戻して、メッセージを聞きなおす。


「延期・・・?だよね・・・?」


そして、その結婚式は永遠に延期になってしまった。


つまり、彼は彼女に前日に振られたのだ。


彼女は、みんなの手前「とりあえず結婚式をあげましょう」トカ「とりあえず新婚旅行までは行きましょう」トカ、自分の気持に背く事は絶対にできない性格だったらしく、前日にドタキャンなさったのだった。


私は彼の友達なので、彼の方からしか物事を観ることができない。

なので、彼女の行動を「へええ~」としか言いようがないのだけれど、彼女だってそこにいたるまで、20年以上生きているのだから、彼女には彼女なりの「常識」というものが存在しているはずだ。


きっと、彼女は自分の気持に正直に行動することが、彼女の「常識」であったに違いないと思うのだ。


まあ、彼もそれからほかの女性と結婚して幸せに暮らしていて、メデタシメデタシなのだから、別に他人がとやかく言う話でもない。


ところで、私自身、かなり人と「常識」がずれているところがあるような気がする。

「気がする」と言うのは、自分ではその「ずれ」がわからないからだ。

「ずれている、ずれていない」を判断するのは、自分ではなく、他人だからだ。



でも、時々、どう考えても「私一人浮いているよなあ・・」トカ、「あ、こういうとき、みんなはこういう風に行動するもんなんだ」とか思ったりすることが多い。


ある芸人さんが

「他人のふり見て我がふりなおせ」をパロって、

「他人のふり見てどないすんねん」

と言っていた。

私はその言葉、一理あると思っている。


「常識にとらわれすぎても、身軽に行動できなくなっちゃうんじゃないのかな~」と思うことがあるからだ。


誰かからみた常識はもう一方から見れば「非常識」だったりする。

どこかの国では「常識」でも他国からみれば「非常識」だったりする。


いい人が早死にするというのは、まわりに気を使いすぎて、神経が磨り減っちゃって、あまり長く生きられないという意味だと私は思っている。


それから思うと、変なところで他人の目などを気にするくせに、案外好き勝手をしている私は、長生きするタイプなのかも・・。

「憎まれっ子世にはばかる」って言うしね・・。


でもね、一つ誤解しないでいただきたいのは、

「常識はないけれど、悪気もないです」

ということです。


私に不快な思いをさせられた方、すみません。

悪気ないです。


「・・たく~、常識無いんだから、仕方ないな~」

で許していただけていればいいのですが、

怒り心頭の方、申し訳ないです。

「すみません。悪気はありませんでした」

と、あやまるしかないです。


でも、世の中には「悪気が無いから」と言ってすまされない事件や事故がたくさんある。

基本的に悪気がない「出来事」だから「事故」になるんだろう。

それには誠意を持ってあやまるしかない。

自分の犯してしまった罪に対して、ただただ謙虚になって、ココロからあやまるしかないのだろう。




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15歳の少年が両親を殺害した。


その原因の一つとして、「引越しがすごくいやだった」ことをあげていた。


私は父親が転勤族だったので、幼稚園を2つ、小学校を4つ変わったことになる。

姉の場合は小学校を6つ、中学校を2つ変わっている。


私たちの世代では、まだ単身赴任の方が少なく、父の転勤に家族が着いていくのが当たり前だったのだ。


姉は、そのことをずいぶんと恨んでいたらしく、40過ぎて初めて両親と大喧嘩したときに、その怒りをぶちまけていた。

「今までおとなしく言うこと聞いてきたけど、アタシ、いい子じゃあないのよ」

とタバコの煙を吐きながら・・。


私としては、姉はずいぶんと好きに振舞っているように思えていたので、この発言には驚いた。

ましてや、姉もフツーに学校に通っていたので、そんなに鬱積したものがあるとは思っても観なかった。


私だって、転校が好きだったわけではない。


転校生ということで、いじめられたこともあるし、仲間はずれにされたこともある。


両親の友人の子供たちの中には、転校を繰り返すことで、不登校になってしまった子もいた。


そして、きちんとした友達関係を築けないうちに転校を繰り返したので、「まあ、なんとかなるや」とか「時間が解決してくれる」という安易な考え方が自分の中心を占めてしまって、根性とか、努力とかが抜け落ちているような気がする。


でも、九州から大阪に転勤したときに、

「せっかく大阪に来たんだから、楽しもう」

と言って、

毎週のように、奈良や京都の寺院めぐりをしたし、大きな展覧会があると、必ず観に連れて行ってくれた。


そのおかげで、私は仏像を観たり、お寺めぐりをするのが好きだし、日本史は大好きだし、アートも大好きになった。


どこに住んでも「住めば都」と思えるようにもなった。


そう考えると、まあ、チャラなのかもしれないとも思う。


だから、あの事件の原因の一つとして、「転校」があがったとき、私は自分の中に閉じ込めてあった、「転校」の辛い気持を思い出した。


「クラス替えが突然あって、友達と別れて自分は一人になったって思おう・・・」

転校する日が近づくと、毎日毎日、心の中で繰り返していたのだ。

そうやって、いやな気持を子供なりに受け入れようとしていたのだ。

目が覚めたらいつもどおりで、「転校する」というのが夢であったと思いたかった。


だから、親への恨みを転校で自覚したという、少年の気持が痛い。


では、私はなぜ親を恨まなかったんだろう・・?

恨みはしたけど、殺すほどの憎しみはなぜもたなかったのだろうか・・?


私は私の頭でしか物事を考えられないから、やっぱり個人的な意見なのだけれど・・。


それは、親が私たちに対して、彼らの精一杯の愛情を示していたからだと思う。


休みの日には、できるだけ家族で遊びに出かけたし、思春期のころなど、むっつりした娘に父は何かと話しかけようとしていた。

親戚との関係が希薄になる中で、家族の結びつきを大事にしようとしたのだ。

そして、転勤するときにはちゃんと理由を話して、理解を求めた。

もちろん、親の勝手としか言えなくもないけれど・・。


だから私もいじめられていることとか親に言いたくなかった。

心配かけたくなかったのだ。

でもその経験は、少し自分を強くしてくれたように思う。


そして、高校で私が「非行少女」とレッテルを貼られたとき、

父は「sumikoのことは、親の私のほうがあなたたちよりよくわかっています」

と言って私をかばってくれたのだ。

私は「ふ~ん」と斜に構えていたけれど・・。


そのかわり、立ち止まることを許さない親だったので、大学受験も

「一年浪人してゆっくりと考えたい」と言ったけれど、「そんなことをしたら、お前はだめになる」と言って聞き入れてもらえなかった。


そのやり方がよかったのかどうか、わからない。

いろいろあるけど、私はこうやって生きているし、親にも感謝している。


これがすべての家庭に当てはまるとは思えない。

親の愛情にがんじがらめになってしまう子供もいるからだ。

親の愛が重すぎて、押しつぶされる子供もいるからだ。

親と子の愛がすれ違うことだってあるからだ。


ただ、親なりに愛情を示してくれれば、いつか分かり合えるんじゃないのかな・・と思う。

いえ、そうであって欲しいと思う。


では、あの少年は、親の愛が足りなかったのだろうか?

それとも、愛に押しつぶされたのだろうか?

お互いの愛がすれ違ったのだろうか?


自分をこの世に送り出してくれた二人を、自分の手で抹殺してしまった意味を、これからあの少年はゆっくりと考えることになる。


あの子が背負う十字架はとても重い。


寂しくないだろうか?

苦しくないだろうか?


彼の心の傷が癒されますように・・。

そして、そして、

彼の心が赦されますように・・。




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久しぶりに上村松園さんの作品に会う。



上村松園さんは大好きな作家なので、大抵の有名な作品は見尽くしている。


今回の「虹を見る」も、何度めかのご対面だ。


「お久しぶりです」

そんな気持で一杯になる。


松園さんの絵が好きなのは、「女性があこがれる美しい女性像」を描き続けたからだ。

彼女の絵の中の女性たちは本当に美しい。


彼女自身、とてもおしゃれだったので、着物の柄や髪型、鼻緒の色にいたるまで、とても細かい気配りがある。

髪かざりの鹿の子も、よく観ると、一つ一つ立っている。

すこし腰をくねらせた立ち姿や、手の指の曲線も女らしさを感じさせる。

でもそれだけではない。


それは、男性のミュッシャやクリムトが描く「憧れの女性」ではない。


そして、同じ女性作家だけれど、フリーダ・カーロが描く「情熱的な女性」でもない。


寡黙でありながら、一本筋の通った気高さを持った、凛とした女性像とでも言うような・・・。


彼女自身は、明治の男性社会の画壇の中で、道を切り開いてきた人だ。

また、父親を明かせない子供を産んだり、年下の男性との熱烈な恋愛をしたり、波乱万丈なところがある。


若いころの作品は、女性たちの瞳が潤んでいて、「恋する乙女」そのもの。


でも、年下の男性との恋愛に破れ、スランプを経験してからの松園さんの絵の中には、美しさの中にきりりとした精神が宿っているようで、「女性としての気高さ」がひしひしと伝わってくる。


彼女自身の随筆集「青眉抄」の中で、「序の舞」という作品のことを書いている。

「優美なうちにも毅然として犯しがたい女性の気品を描いたつもりです」(青眉抄より)


松園さんが、つらい恋や、スランプを経験しなければ、こんなに優雅で崇高な作品を残さなかっただろうし、私たちも出会うことは出来なかった。

ひょっとしたら、「女であることに誇りを持つ」という感動さえ、まだ知らずにいたのかもしれない。


それはクラプトンが子供を失うとく苦しみを乗り越えて「ティアーズ・イン・ヘブン」を書き上げたように・・。

フリーダ・カーロが事故で身体をボロボロにされ、ディエゴ・リベラの浮気に苦しみながら、自分の気持を素直に作品にし続けたように・・・。

また、アラーキーが陽子さんの死を乗り越えて、エロスの本質に迫ったように・・・。


苦しみや悲しみを受け入れたとき、人は今までの枠を越えて、何かを与えられるものなのだと思う。

そしてそれが、観る人や聴く人に、深い感動を与えるものなのだろう。


生きていく過程の中で、アートはいつも、私に前へすすむ力を与えてくれる。


松園さんの絵の中には、

「女性らしい、静かな情熱」

がいつもある。

私にとっての永遠に憧れるものがそこにある。


私が私であるために、

「私であることの誇り」を持ち続けること。


どんなに苦しくてもつらくても、

「一歩前に進む勇気」を持つこと。


「前に進める自分が、自分の中にいること」を信じること。


松園さんの絵は、静かに私に語りかけてくれる。


「今回もたくさんの勇気を与えてくださってありがとうございました」

心の中でそっと手をあわせ、その作品と別れを告げた。


またお目にかかれますように・・。



*7月29日よりMOA美術館 にて、「京都日本画の精華」として、京都国立近代美術館の巡回展があるようです。






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迷惑メールが毎日届く。


毎日毎日観もせずに削除する。

これって、「迷惑防止条例」には引っかからないんだろうか・・?


時々、知っている友人の名前でメールが来るので、一応開封してみるけれど、やっぱり人違い。

(カオリとか、マキとか、かわいい名前ばかり・・ちなみにスミコというのはまだない)


頭にきて、メッセージルールで「送信者禁止」を選択する。

それでも減ることはない。

先日は間違えて、アメーバブログからのメッセージを「送信者禁止」にしてしまった。

コメントのお知らせがダイレクトに削除ファイルに入っていて、あわてて解除した。


今日は友人の名前で「落札通知」なるものが届く。


この度、あなた様を女性会員にセリをさせて頂きました。
その結果、○○美沙子さんが6万円であなた様を落札致しましたので
ご連絡する運びとなりました。


とある・・・。


ものすごく不思議な気分。

一体、私のメルアドはどういう人物が使っていることになっているんだろうか?

どういう人物が、この○○美沙子さんに気に入られて落札されたんだろうか・・?

私が女だとわかっているんだろうか?

それとも同性愛者のグループなんだろうか?


この手のメールが届くたびに、

「あのう・・・私、オンナなんですけど、間違ってません?」

と、何度か返信しようかと思った。

もちろん、しなかったけど・・。


でも、なんだかおもしろい。

毎日毎日、一体だれが、どんな気持でこんなメールを配信しているんだろうか?


芸能人のような女の子の名前で

「寂しいの・・」

みたいなメールが来たりするけれど、あれって、本当に女の子が書いているんだろうか・・?


それとも、お金儲けをたくらんでいるオジサンが、暗い部屋で一生懸命頭をひねって書いていたりするんだろうか・・?

みんなで文章を持ち寄り、添削してから「これで大丈夫」ってカンジで配信するんだろうか?

一つのメールからいろんなことを想像できて、おもしろい。


世の中、いろんな人がいるもんもんだよね・・・。


と思いつつ、今日もまた、新しい迷惑メールを削除し続ける私・・・。






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昨日、カードの請求書を何気に見ていてびっくりした。


ショッピングの利用明細のところに、見知らぬ英語の文字が・・・。

日付は5月23日、現地レート云々という言葉・・。


今話題になっているカード被害・・・?


そんなバカな・・。

カード落としてないし、スキミングされるような場所にも行ってないし・・。


でも海外旅行なんてしてないし、インターネットの海外ショッピングもしてないし・・・。


ドキドキしながら、カード会社に電話をしようとして、もう一度よ~く明細をみた。


AS INT' ACADAMY COL

と書いてある。


ASはオーラソーマ(aura-soma)の略だ。

そういえば、プラクティショナー更新のため、カードで支払いをしたのだ。


理由がわかってほっとする。


私はわりと鈍くさくってうっかりな方だけれど、カード払いにはちょっと気をつけていて、インターネットなどではカードショッピングはまずしない。

pcのセキュリティーをあまり信用していないのだ。


カード番号を教えて支払うと言うのがどうも好きではない。

ただ、今回のオーラソーマのプラクティショナーの更新は、イギリスで決済すると言うので、しぶしぶカード番号を伝えて支払ったのだ。


今、カードの顧客情報の流出が騒がれている。


セキュリティーが万全でないという。


今回は自分の勘違いで済んだけれど、いつ、なんどき、自分が被害にあうかわからない。


痛い目に遭うことばかり考えてビクビクしているのはつまらないけれど、便利さの裏には必ずリスクが引っ付いているんだってことは認識しておかなくちゃ・・。


私だけが大丈夫って保証は、どこにもないんだものね・・。

うん・・。




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前回、ブログに(mixiにも同じ記事を出していますが)、「夢がもてない」というタイトルで、ニートのことを書いた。


ただ勢いで書いたところがあって、自分でもずいぶんと中途半端な記事だと思ったし、きっと誹謗中傷がくるんだろうなあ・・っと内心ビクビクしていたところがあった。


考えの異なるコメントを頂きはしたけれど、それは私ももっともだと思ったし、決して反対意見というようなものではなかった。


むしろ、「同じ意見です」というようなコメントをいただいて、私自身、ちょっと驚いている。

もちろん、私と同じことを考えてくださっている方がいて、私もすごくほっとした。


それでもうやめておけばいいのに、またこんなことを書いている。

私はアホかと思う。


ビクビクするんだったら最初から書かなければいいのにと思う。

でも書いている。




最初、あの文を書き出したときはもっと軽い気持で、

「自分のことをたくさん考える時間が与えられるってことは幸せだよね」

ということを書きたかったのだ。

だから、

「せっかく生まれてきたんだから、人生を楽しもうよ」

とニートの人たちに言いたかったのだ。


でも、いただいたコメントは「ニートへの理解」ということだったり、社会のことだったりした。

そしてご自身が、ニートに近かったり、そうだったりした経験のある方たちだった。

その立場になってわかることや気付くことってあるんだなあ・・とつくづく思ったのだ。


私が、ニートや引きこもりの方たちのことがなんとなくわかる気がするのは、前回も書いたけど、やっぱり自分自身が、いつそうなってもおかしくないようなところがあるからなのだ。


そうならずに済んでいるのは、家族や友達や、みんなのおかげだと思っているし、私自身が、どこか最後に「なんとかなるや~」って能天気な気持があるから、へらへらと図太く社会の片隅に生きて、こんな小生意気なことを書いたりしている。


ニートや引きこもりは、「ココロが弱いからなるのだ」と以前は思っていた。

そして、「誰とも接触したくない、孤独が好きなんだ」

とも思っていた。


それが違うと思うようになったきっかけがある。


自分自身が、ある本の企画がつぶれ、協力者にも裏切られるという目にあったとき、ひどく落ち込んだのだ。

(その当時は裏切られたと思っていた。今ではその方にも事情があることはよくわかっている。)


私は本を出すことが夢だったし、それに賭けていたから、裏切られたり、夢が破れて落胆したときは、

「こんな目にあうのは、私が人間として、だめだからじゃないか、クズだからじゃないか」

と思い続けたのだ。


そして、誰かのお世話になってご飯をいただいている私は

「ニートだ」

と思っていた。

本当に引きこもってしまいたかった。

(今でも自立は出来ていないけれど、ちゃんと自分の役割があると思っている。)


そのころ、私のところに一人の青年がお母さんと尋ねてきたのだ。


その子は「精神病院に見放された子」だった。

不登校から家に引きこもるようになったのだ。


ランディさんが、お兄さんのことを書いた文を読んでいる方はわかるだろうけれど、引きこもりのお兄さんに対して、精神科医は「あなたのお兄さんは趣味で引きこもっている」と言ったのだ。


彼もそれと同じだった。


それでお母さんが、藁をもすがる気持で、カラーセラピーを受けさせるために彼を連れてやってきたのだ。


私は彼が選んだボトルを見てびっくりしたのだ。

彼はコミュニケーションを求める色のボトルばかり選んでいたからだ。


本当は社会に出たいし、自分をわかって欲しいんだ。

好きでこんなことをしているのではない。

理解されなくて、わかってもらえなかったから閉じてしまったんだ。


人とのコミュニケーションは、何度も失敗を繰り返しながら、コツをつかんでいくところがあって、一度の失敗で凹んでいたら、世の中では暮らせない。


そうやって落ちこぼれていくことを、「ココロが弱い人」と言うのかもしれない。

確かに彼らは心が弱いのかもしれない。

でも、弱いんじゃなくて「優しいんだ」。

優しいから、相手が傷つく前に、自分を傷つけて逃げてしまう。

閉じてしまう。

そして理解されない自分に、自信が持てなくなってしまう。


身体的に、欠陥があったり、それが原因で病気がちであったりする人を「からだが弱い」という。

でも、「ココロの弱い」人のことは、病気でもなんでもなくて、「本人の気持しだいだ」と言われたりする。

「なまけている」と言われたりする。


そうなのだろうかと思う。


私にはよくわからない。


ニートや引きこもりの原因が、私が書いているだけのことではないのもよくわかっている。


本当に楽したいだけの人もいるのかもしれない。


でも、ニートや引きこもりと一括りにされている人の中には、ものすごく苦しんでいて、ものすごくもがいている人たちもいるんだよね・・・。


ニートや引きこもりから立ち直った人はたくさんいる。

それはいろんなきっかけがあっただろう。


私も、恋をして立ち直った人や、自力で這い上がった人を知っている。

その人たちは、少なくとも、私のように図太い人間か、比較的症状の軽い人たちだったのではないかと思う。


私もおかげさまで、元気だし、凹むことや、誰かをうらやましく思うことがあっても

「大丈夫、私は私のままでいいんだから」

と、自分に言い聞かせることが出来る。


本当に辛い人は、声もあげられず、誰にも自分を打ち明けられない人たちなんじゃないかな・・。


その人たちを、今の社会に復帰させることばかりじゃなくて、もっと社会に理解してくれる人を増やして、受け入れられる体制が整えばいいのになあ・・と思う。

 

体が弱い人に無理をさせないように、ココロの弱い人にも無理をさせないで欲しいと思う。


そして、ココロが弱いことは誰のせいでもない。

もちろん、あなたのせいでもない。

家族のせいでも社会のせいでもない。


そして、体が弱いことが悪いことではないように、ココロが弱いことだって悪いことではないと思っている。

優しいってことなんだ。


「ココロの優しい人間になりましょう」って、私たちは小さいころから言われ続けてきたんだもの。

家族や学校やいろんなところで・・。

それを守っただけだよね・・・。


やっぱり私の答えは同じだな・・。


生まれてきただけで、幸せなんだ・・。


少しでもそう思えればいいのにね。


ね。


・・・またよくわからない文章になってしまった。

すみません・・。







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