ここで、そこで、いろんなところで

日々の生活の中で想う、エッセイ未満のことたち


テーマ:

明日は名古屋で「水俣記念講演会」があって、ランディさんが司会をするので行って来ます。

どんな着物を着てらっしゃるのか楽しみです。

一泊されるようだけど、どこかでお会いできたら素敵だな・・。


同じブログに写真を撮らない理由を書いていらっしゃって、私が最近ブログに書いて、うまく伝え切れなかったことを拾っていただいたみたいでうれしい。(ただのシンクロなんだけど・・・)

ブログのTBってこういうことを想像できるから楽しい。


そうなんだ。

何でもそうだけど、絵でも写真でも、本当に好きで、いい作品をたくさん見出すと、自分の実力のなさにがっかりしてしまう。

絵が好きだからと言って、人を感動させられる絵を描けるわけではない。

写真が好きだからと言って、人に訴えられる写真が撮れる訳ではない。

もちろん、画家や写真家は絵や写真が好きだがらプロなんだろうけれど・・。


たとえ私が屋久島で100枚一生懸命に写真を撮ったとしても、山下大明さんの美しい一枚のほうが説得力があって、屋久島の魅力が伝わるんだろうなあ・・と思ってしまう。

屋久島を愛して、愛して、愛しているから撮れる作品だなあ・・としみじみ思う。


ある有名な写真家が屋久島を撮っていたけれど、私は断然山下さんの写真のほうが好きだった。

そこに移り住み、自分の足で一つ一つ歩いて、しっくりと撮った味わいがある。

屋久島への愛情があふれている。


私の場合の写真はただの記録だ。


いけばなをやっているので、写真に収めるけれど、やっぱりただの記録でしかない。

どんなにいい作品ができたからといって、写真に撮ってもちっともよくない。

ただ、被写体が写っているだけだ。

つまらなくてがっかりする。


一度、花の写真を撮る方に、

「こんないけばないけてます」

って写真を見せたら、唖然とされてしまった。

(あまりの写真のへたくそさに・・・)

もちろん、写真ではなくて、作品を見ていただきたかったのだけれど、「それ以前の問題」と相手は思ったようだった。



旧徳山村に連れて行っていただいた時もカメラを持って行ったけれど、やっぱりつまらない写真ばっかりしか写せなかった。

そう思うと、ピッカリコニカであれだけの写真集を出版した増山たづ子さんってやっぱりすごいなあ・・と思う。

村への愛情がそのまま写真になったって感じだもの。


私は写真が撮れない。

hpを立ち上げるとき、文章だけではだれも遊びに来てくれないだろうと思い、カナダ在住の写真家のホセとの共同hpということにした。

彼は今、シャスタ山のガイドの高原操さんと一緒にシャスタ山のガイドブックを出している。


共同hpといっても管理人は私なので、ほぼ私の好き勝手にやらせていただいているけれど、やっぱり制約はあるものだ。


それで、このブログをやりはじめた。


私一人で私の文章だけだ。

好きなことを書かせてもらっている。


これを立ち上げるとき、言葉だけで、いったいどれだけ表現できるのか、やってみたいと思った。


しかし・・。

世の中にはたくさん言葉があふれているけれど、私はまだまだ言葉が足りない。

足りないのではなくて、まだまだ使えていないのだ。


納得のいく文章なんて、なかなか書けない。

何度も書き直すし、アップしてもまだ手を入れることもある。


それでも書き続けてみたいと思っている。

ずっとずっと書いてみたいと思っている。


画家が絵で何かを表現しようとするように、

写真家が写真で何かを訴えようとするように、

私は言葉で何かを伝えていきたい。


言葉を自由自在に操れたらいいのになあ・・。

いえ、操れないからこそ面白いのかもしれない。

わからないから楽しいのかもしれない。


言葉はまだまだ私にとって、難しい。


黄金週間(ランディさんのブログ)

高原操さんとホセの共同著書「パワースポット シャスタ山の歩き方」ヴォイス社



AD
いいね!した人  |  コメント(8)  |  リブログ(0)
最近の画像つき記事  もっと見る >>

テーマ:

五本指ソックスがお気に入りだ。


去年の春からぼちぼち履きだして、今年の冬は本当に重宝した。

五本指ソックスは以前から持っていたけれど、室内履き的な感覚で、外出や仕事では履かなかった。

靴を脱いで足先が5つに分かれているのを見られるのが、なんとなく恥ずかしかったのだ。


しかし・・。

40を過ぎると、だんだん羞恥心が薄くなって、人前で少々格好が?でも、あまり気にならなくなってきた。

靴を脱いで5本に指先が分かれていても、全然平気になった。


それと、最近若者の間でも五本指ソックスがはやっているらしくて、いろんな靴下メーカーからソックスが出て、ぐんとバリエーションが広がった。

おしゃれでかわいい5本指ソックスも増えてきたのだ。


利点は、夏蒸れずに、冬暖かいこと。

私は冷え性なのに、汗かきなのだ。

だから、夏は本当によく汗をかくし、スニーカーを履いて少し歩きまわると、足の指と指の間に汗がたまり、気持ちが悪かった。

綿混ならば汗を吸ってくれるので、その不快感はずいぶんと解消された。

また、冬は冷たい足の指同志が触れ合わず、靴の中にたくさんの空気の層が出来るので、あたたかい。


欠点は、夏、少々暑いこと。

それでも私には、汗でべとべとした指同志がくっつくよりもマシだと思っているけれど・・。

それと、足の幅が大きくなるので、細めの靴が履けないことかなあ・・。


以前に比べると、ずいぶんと選択肢が広がったのだけれど、リクエストをするならば、5本指タイプのストッキングとか出てこないかなあ・・。

そうすれば、パンプスでも履けるのに・・(笑)


そして、5本指ソックスに押されて、履かなくなったフツーのソックス、何かいい使い道がないかなあ・・。

ソックスって値段が手ごろなので、ついつい買ってたまってしまっている。


どなたかお知恵があったら教えてください。

AD
いいね!した人  |  コメント(9)  |  リブログ(0)

テーマ:

アートのTBステーションのお題が「ゴッホといえば・・」だった。


月並みだけど、私にとってのゴッホは、やっぱり「ひまわり」だ。


私は月並みな人間なので、有名な画家が大好きだ。


ルノワールも大好きだし、モネも好きだ。

そして、ゴッホも好きだった。

微妙に過去形なのだ。


以前は「ゴッホ展」とうたれた展覧会には、せっせと足を運んでいろいろと作品を観ていた。


ところがなぜか、ある時期から、ゴッホがあまり好きではなくなったのだ。

理由はうまくいえないけれど、絵から情念のような、執着のようなものを感じるようになって、絵を観ていると落ち着かなくなるようになった。


心理学を勉強している友人も、やっぱり同じようなことを話していた。

「観ていると怖くなるのよね・・」

と・・。


ゴッホのひまわりは何点か存在していて、そのうちの一点が東京の有名な保険会社の美術館にある。

バブルのとき、すっごいお金を出して買ったことで話題になった。


私はその数年後、騒ぎが落ち着いてから、その「ひまわり」を観にいった。


ああ、ひまわりだ・・。

ゴッホだ・・。


やっぱりすごかった。


絵から情念のようなものが湧き出している。

ひまわりが燃えているみたいだ。

エネルギーに満ち溢れている。


でも、なぜか気持ち悪くならなかったのだ。

むしろ、そのパワーを真っ向から受け止めたい自分がいた。


それは私自身が華道をやっているからなのだと思った。


私の中の花に対する執着が、ゴッホの対象に対する執着とシンクロしたのだ。


ゴッホは性格異常だったといわれている。

普通ではなかったから、あれだけの情念のあふれる絵を描いたのだと言われている。


そして、その情念は、何かを創作しようとしている人、すべてが持っているものだ。

日本の片隅で、ほそぼそといけばなを続けている私にもそれは共通している。


ゴッホの絵は、人の内面にあるエナジーを刺激する作品なのかもしれないと思ったのだ。

「ひまわり」はそれを気づかせてくれた作品だった。


今、ゴッホ展が巡回している。

6月には名古屋にもやってくる。


観ようかどうしようか・・。

ひまわりは来るのかな、こないんだろうなあ・・。


あの情念に巻き込まれるのは辛いなあ・・と思いながら、あの世界ともう一度向き合ってみようかな・・と思う私だった。


ゴッホ展


AD
いいね!した人  |  コメント(10)  |  リブログ(0)

テーマ:

ランディさんが屋久島から帰ってきて、ブログにその時のことを書いている。

ランディさん、お帰りなさい。


私が白谷雲水峡をトレッキングしたとき、台風前で、天候が不安定だった。

前日「ヤクスギランド」まで乗せてくれたタクシーの運転手さんにも、私が山の初心者であることがすぐにわかったらしく、

「雨がひどくなったら、すぐに下山しなさいよ」

と念を押されていた。


当日は雨が降ったと思ったら、からっと晴れたりして、山の天気は本当に良く変わるものだと思った。

雨に降られてちょっと悲しいというのもあったけれど、本当にきつかったのは、ぬかるんだ道を歩くことだったかな・・。

どこに足を着地してよいかわからないし、下りは膝に来るし、今思えば、雨に打たれて半べそ状態だった。


でも、コケはしっとりと濡れていて、森はうっすらともやがかかっていて、本当に美しかった。

「潤う」というのはこういう状態を言うのだと思った。


そうか、乾燥しているとつまらないんだ・・。

今思えば、私はラッキーだったのだ。


以前に、白谷雲水峡から縄文杉を目指して途中で断念した話を書いたけれど、縄文杉を観にいかなかった理由はもう一つあった。


hpには書いたけれど、一緒にトレッキングをしてくれたすずちゃん(体力のない私を心配して、荷物を全部持ってくれたたくましい女性です)いわく

「縄文杉は観光地だ」

というのだった。


一日で縄文杉を観にいこうとすると、トレッキングに往復10時間かかるので、同じ時間にいっせいに縄文杉を目指し、同じくらいにたどり着き、またいっせいに下山することになる。

GWは、ものすごい過密状態で、縄文杉と一緒に写真を撮るために順番待ちをしているのだという。


「縄文杉は素敵だけれど、人がたくさん居過ぎては、人の波動に邪魔されて、ゆっくりと杉とむきあうことは出来ないでしょう?」

と言われ、妙に説得力のある言葉に、私は納得したのだ。


観光地というのは、もちろん魅力があるからみんなが行くのだ。

そこから何を受け取るかはその人の自由だし、何かを強制できるものでもない。

ただただ、写真を撮りながらスポットをまわるというのも、観光の一つの方法なのだろう。


私が観光地やいろんなところで写真を撮らないのは、自分の写真の技術がないこともあるけれど、どうしても、直接観て、触れた以上に何かを撮れるわけではないからなのだ。


もちろん、写真を趣味として、美しさや構図を追求して撮っていらっしゃる方は別だけど、ただ単に美しい景色の写真が欲しければ、プロのカメラマンが撮った写真を買えばいい。

そこに行ったという証拠写真が欲しいのならば、また違う話だけれど・・。


私はやっぱり自分と自然ときちんと向き合いたい。

誰かに邪魔をされずに、そこの空気に触れて、そこの気配を感じて、そこの声に耳を澄ませたい。

(キザかなあ・・笑)

そうすると、やっぱり人は多いより少ないほうが断然いい。


すずちゃんの提案のおかげで、朝6時の白谷雲水峡では誰とも会わず、トレッキングすることが出来た。

雲水峡までの山道のドライブは、朝もやがたちこめ、山々は墨絵の世界だった。


本当に美しい縄文杉に会いたければ、高塚小屋(縄文杉の近くにある山小屋)に一泊しなさいと教えられた。

年々体力が衰えるというのに、泊まる装備をして登れってえ・・?


やっぱり本当に美しいものを観たければ、努力を惜しんではいけないのだ。

恋人に会う時は、足の先から頭のてっぺんまで気をつかうのと同じことだよなあ・・。


まあ、たぶん今年は無理だけど、お金が貯まったら、がんばって挑戦してみようかな・・。

体力つけて・・。



関連記事
屋久島、新緑、雨(ランディさんのブログ)

屋久島の太鼓岩(私のブログ)


いいね!した人  |  コメント(15)  |  リブログ(0)

テーマ:

昨日は風邪を引いて熱が出た。

たまたま仕事がお休みだったので、一日家で寝ていることが出来た。


夕方、まだ熱が下がらなくてふらふらしながらTVをつけたら、福知山線で列車事故が起こっていて、大変なことになっていた。

徐々に事故の全容が明らかになって、多くの方が犠牲になられたことがわかってきた。


怪我をされた方が

「もう電車には乗りたくないです」

とインタビューに答えていた。


私たちは普段何気なく乗り物に乗る。バスに乗る。電車に乗る。飛行機に乗る。

飛行機は空中に浮かぶ為、身の安全を考えることもあるけれど、何かに乗車しているとき、誰かに自分の身を委ねているなんて、あまり考えないものだ。


こういう事故が起こるたびに、

「ああ、安全とは当たり前のものではないのだ」

と改めて痛感する。


本当はすべてのことにおいて

「当たり前なんてないのだ。」

と頭でわかっていても、やっぱりどこかで、毎日は当たり前にやってきて、過ぎていくものだと思ってしまっている。


今朝送り出した人ともう2度と会えないだなんて、誰が考えられるだろうか?


連絡のつかない子供の身を案じて、遺体の安置所をめぐる方の姿が痛々しい。

泣き崩れる方をみて、自分があの立場だったら・・と思うと、胸がつぶれる思いになる。


今回の事故は複数の要因が重なっているのではないかと言われている。

運転手の精神的なこと、置石があったのではないかということ・・。


若くて経験の浅い運転手の事故。

人は経験を積んで成長していくものだけれど、失敗をフォローできるようなシステムはなかったのだろうか?


もちろん、事故を起こした人間の責任は問われるのだけれど、その人にだけ、問題をすべて押し付けるようなことはしないで欲しいと思う。

このような事故が繰り返されないように、十分な原因の究明と今後の対策をお願いしたい。


夜を徹して救出されていた方たち、作業されている方たち、お疲れ様です。


不幸にも事故にあわれた方たち、一日も早いご回復をお祈りいたします。

お亡くなりになられた方たちのご冥福をお祈りいたします。


そして、2度とこんな事故が起きませんように。

いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)

テーマ:

ポール牧さんが自殺された。

63歳だった。

 

私はポール牧さんの「指ぱっちん」が好きだった。

あまりテレビは見ないので、最近はポールさんを観ることはなかったけれど、きっとどこかで元気に「指ぱっちん」をして、みんなを楽しませてくれているのだろう、と思っていた。

 

お金に困っていたとか、うつ病だったとか、いろいろと言われているらしい。

遺書がないので、本当の自殺の理由はご本人にしかわからない。

 

ただ、お坊さんだったのになあ・・と思った。

宗教は人を救うことがお仕事なのに・・。

自分は救えなかったのかな・・。

 

自宅マンションから飛び降りる前、かなりお酒を飲んでいたという。

私もお酒を飲むから、飲むと感情が拡大するのは良くわかる。

寂しいと、本当に本当に寂しいものだ。

私にも、一人でお酒を飲んでいて、孤独が沁みて、わ~っと泣きたくなる、という経験はあるものだ。

ただ、楽しいときは楽しさが倍増するので、お酒ってやめられないのだ。

(なんだか私って、アルコール依存症みたいじゃないか・・。)

 

「グラン・ブルー」のジャック・マイヨールも自殺をしている。

74歳だった。

死ぬ前はとても気難しくて、恋人と別れて、ずいぶんと孤独だったということだ。

先日「ガイア2」を一緒に観た友人は、彼が自殺したことを知らなくて、本当にびっくりしていた。

「だって、あんなに生きることを悟っている人なのに・・・」

と、彼女は何度も口にしていた。

 

ポール牧さんも一人暮らしだったらしい。

 

孤独は自殺の大きな原因なんだろうなあ・・。

もちろん、それだけではないだろうけれど・・。

 

10代でも自殺をする人もいれば、80歳で自殺をする人もいる。

人が自殺する理由はいろいろとあるだろう。

 

集団自殺するのは、みんなさびしいからだ。

「せめて死ぬときくらい、さびしくなく死にたい」と思うから、見ず知らずの人と、「自殺」という思いで結ばれて、一緒に死にたいと思うのだろう。

 

私に、集団自殺する人の気持ちがなんとなくわかる気がするのは、自分も「自分」という孤独に耐えかねて「死にたい」と思ったことがあるからだ。

自分が通ってきた道は、なんとなくわかるものだ。

もちろん、本当の理由はわからない。

みんなそれぞれ個性がある。

自殺の理由も一つじゃない。

 

先日、渋谷で「PEEP“TV”SHOW」を観て、今の若い子達のリアリティのなさが自分の若い頃と重なって、ものすごく親近感が沸いた。

 

そうすると、イラクに「リアル」を求めて、ボランティアや取材に行く若者たちのことがちょっとわかる気がした。

時代背景の違いや教育の違いはあっても、10代、20代という年齢的な感覚は一緒なのだと思った。

 

だから、40過ぎた今は、10代、20代、30代で自殺しようと思っている人に、ちょっとだけ言ってあげられるのだ。

「だまされたと思って40まで生きてみて。そしたら人生っておもしろいと思えるから」

って。(ランディさんも言っていたよ)

ただ、40になって「おもしろくない」と思われたら、私は謝るしかないんだけど・・。

 

年齢を重ねて孤独がなくなるわけじゃない。

ただ、孤独との付き合い方が上手になるって感じかなあ・・。

 

桃井かおりさんは、独身で子どももいないけれど、

「50代って本当に楽しいよ」

と言っていた。

彼女が女優だから、特別ってわけではなさそうだった。

それを聞いた私は、子供もいないけれど、40代の今よりも、もっと楽しくなるんじゃないかと思ったのだ。

そして、シワやらシミやら更年期やら、老いのキョウフと闘いながら、生きることに決めたのだ。

自分より先を行く素敵な先輩は、その年代の感覚を教えてくれるものだ。

 

60代、70代、ってどうなのだろう?

 

どんなに悟っていても、どんなに人を救う職についていても、死にたくなるのだろうか?

孤独と付き合えなくなるのだろうか?

もっともっと寂しいのだろうか?

 

私にはよくわからない。

 

わかるのは、60、70を通り過ぎたとき、その年代で感じたことがわかるということかな。

 

私がたとえば80まで生きれば、60、70で自殺しようとする人に

「生きなさいよ」

って言えるのかもしれない。

その理由は、きっと60代、70代を生き抜いた人間にしかわからない。

 

でも、小説や映画でそれを疑似体験することはできる。

80の人から話をきくことが出来る。

体験できなくても想像することは出来るのだ。

それは、自分の考え方の幅をひろげてくれる。

 

年齢の違う友人、知人が大切なこと、アートが大切な理由はそこにある。

 

徳山村の、90近いカメラおばちゃん、増山たづ子さんは、戦争で夫と弟を奪われ、自分の故郷を奪われても、

「年をとることは楽しいよ」

と言ってくれた。

 

隣に住む80過ぎのおばも楽しそうに暮らしている。

人生を楽しんでいるたちから、楽しい理由を聞き出せるじゃないか。

 

ポール牧さんも、ジャック・マイヨールも尊敬できる人生の先輩はいなかったのかな・・。

それともうつ病だったから仕方がないのだろうか・・?

ならば、うつ病を克服した人と出会えていればよかったのにね。

それとも、誰にも相談できないからうつ病になってしまったのだろうか・・・。

 

いつかは誰も死んでしまうのだから、死は受け止めるしかない。

ただ、やっぱり自分で命を絶つのは寂しいね。

 

なくなってしまった人から、もう新しい言葉を聞くことはできない。

 

70のポールさんの「指ぱっちん」は永遠に観ることはできない。

70のポールさんの笑顔にも会うことはできない。

それは本当に切なくて悲しい・・。

 

ポールさんのご冥福を心からお祈りしたい。

 

 

 

 

いいね!した人  |  コメント(6)  |  リブログ(0)

テーマ:

私は寝るのが大好きだ。

 

本当は毎日8時間は寝たいのだけれど、そんな悠長な生活をしていないので、どうしても6時間から7時間になってしまう。

そうすると、必然的に寝不足になる。

 

で、どうするか・・。

 

寝だめをするのだ。

 

「寝るぞ~」

と決めると、目覚ましはオフにし、ケイタイも聞こえないところに置き、電話も留守電にセットする。

 

だいたい休日は12時間くらい寝ている。

気づいて起きると12時近かったりする。

たくさん寝た日は本当に幸せだ。

心から生きていることに感謝をしたくなる。

 

そして不思議なことに、それだけ寝ても夜の12時くらいには眠くなる。

 

少々、リズムが狂って寝られないときもあるけれど、それでも基本的には良く寝ている。

 

以前ランディさんのブログに、

「低血圧の人は体力がないから、寝ないともたない」

と書いてあった。

 

私は低血圧で冷え性だから、当然寝ないともたない。

 

ついでに寒いのも嫌いだから、冬は本当に冬眠したくなる。

 

寒いと活動能力は落ちるし、寒さに対するストレスでやたらと食べる。

冬眠前に、動物たちが食べだめをするのと似ている。

私はまるで変温動物のようだ。

 

おかげで春はテンションが高い。

 

低血圧・冷え性の人には、冬の間だけ、沖縄とか暖かい地方での療養が認められればいいのに・・と真剣に思う。

国民の健康について、もっと国もまじめに考えてくれていいよな~。

 

 

寝ている間、いろいろな夢をいているけれど、すぐに忘れている。

友人には、本当にこと細かく夢を説明できる人がいるけれど、私にはまったく出来ない。

 

寝ている間、魂が無意識の世界でいろいろ活動しているという人もいる。

夢は、その一部がビジョンになった状態だという。

そして私の友人には実際に予知夢を見れる人もいる。

 

でも、私にはそのような自覚がまったくない。

もし、無意識の世界で仕事をしているのなら、夢に出てきて愛を告白してくれたりする有名人はどう説明できるのだろうか?

私の意識が彼のところに飛んでいって、気に入られて、愛されちゃっているのかしらん?

あら、いやだあ・・うぷぷぷ・・・。

それはそれで真実と考えてもいいかも・・・。(笑)

 

私にはどうしても、自分の願望が夢になってくれたとしか思えないけれど・・。

 

 

私の大好きな養老先生は、医学的に観ると、脳は寝ているときも活動しているのだとおっしゃっていた。

それは日中の活動を整理している状態らしい。

 

脳を大きな図書館だとすると、昼間はいろんなところから本を引っ張り出してきている状態。

そして睡眠中は、その散らかった本や書類を、司書たちが片付けている状態なのだそうだ。

 

覚せい剤というのは、司書たちをだまして、

「散らかってないから片付けなくていいよ」

といって睡眠をとらせない薬らしい。

 

そのせいで、司書たちは活動せず、脳の図書館は散らかり放題でパンクするのだそうだ。

 

 

また、睡眠大好きなGr.Tomちゃんの発言で、妖怪倶楽部の中にターミン族というのがある。

つまり多眠族・・・(座布団、もらえるかなあ・・)。

 

睡眠好きなあなた、ひょっとしたら、あなたはこの星の人間ではないかもしれません・・・!

 

ということで、この手の話の好きな方はぜひお立ち寄りください。

よろしければ、妖怪倶楽部の掲示板にでも足跡を残していただけるとうれしいです。

 

ターミン族について 

 

 

いいね!した人  |  コメント(6)  |  リブログ(0)

テーマ:

ロバート・キャパ、アンセル・アダムス、ロバート・メープルソープ、アラーキー、セバスチャン・セルガド、本橋成一、杉本博司、白川義員・・・。

 

アートのお題で「好きな写真家はだれですか?」とあった。

好きな写真家の名前は思いつくだけでもこれだけある。

 

私って写真が好きなのだ・・と今さらながら思う。

 

私自身は記録として生けた花くらいしか撮らない。

どこかへ旅行に行っても、あまり写真を撮らないし、自分からすすんで写真に写るほうでもない。

 

写真を撮るのではなく、観るのが好きなのだ。

 

私に写真のすばらしさを教えてくれたのは、ロバート・キャパだ。

そして、一番最初に観た写真展もやはりロバート・キャパだった。

 

死後、未発表写真が見つかったことで、20年ほど前に展覧会があったのだ。

私はそれを観て、一瞬を捉える写真の魅力に捕まってしまった。

 

彼の写真には人生が写っているといつも思う。

たった一枚で、その人の感情とか、性格とかがわかる気がするのだ。

 

自称戦争写真家だったから、戦時中の写真は当たり前だ。

でも、そこに写っている人々の表情の豊かさに圧倒される。

戦争中でも、苦しい顔だけではない。

人はいろんな顔をするのだ。

いろんな人がいる。

彼はきっと人間が好きだったのだ。

 

そして、彼の撮る姿勢も好きだ。

たとえば、イタリアに米軍が侵攻したときのもの。

イタリア人の小さいおじいさんが、ドイツ軍が逃げた方向を杖で指し示し、それを大きな米兵がしゃがんで、おじいさんと同じ目の高さで聞いているのだ。

そしてそれを撮っているキャパも、同じ視線、つまりしゃがんで撮っている。

 

待ち望んだ解放者が来てくれた喜び、そしてそれに応える兵士。

被写体と同じ気持ち、同じ視線・・・。

 

そういえば、篠山紀信さんもバレリーナーを撮る時は一緒に踊って、ランナーを撮る時は一緒に走っていたっけ。

今では当たり前のことなんだろうけれど・・。

 

そして、撃たれて死んだ兵士の写真。

その脇にそっと一輪花が添えてある。

殺しあう兵士たちも、また同じ血の通った人間同士。

彼が、ただの戦争マニアでないことが良くわかる一枚だ。

 

悲惨な戦争の中にも、愛や喜びがあることをキャパは伝えてくれた。

どんな状況の中でも、みんな必死に生きて、泣いて笑っている。

人間ってすばらしい。

キャパはそう思っていたんだと思う。

 

切り取った一瞬。

その中に、たくさんのメッセージが織り込まれていることを、彼の写真は私に教えてくれた。

 

キャパの写真を観なかったら、私もこんなに写真の魅力にとりつかれなかったかもしれない。

 

キャパは私にとって偉大な師匠のような人かもしれない。

 

☆文庫がでています。

ロバート・キャパ写真集「「戦争・平和・子どもたち」宝島社文庫

 

関連記事

ロバート・キャパ作品展  (宙の鏡)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいね!した人  |  コメント(5)  |  リブログ(0)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。