ここで、そこで、いろんなところで

日々の生活の中で想う、エッセイ未満のことたち


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よかったですね。
とりあえず一安心。

tvでもニュースとして取り上げられていたのですね。
ネットの力ってすごいなあ・・。
みんなの善意がこうやって、集まって大きなうねりになったんだなあ・・。
私もほんのちょっぴりでもお役に立てたのだったら嬉しいです。

新しいpcになりました。
今までのpcに比べて仕事が早くて画面が大きいのは嬉しいけれど、まだまだ使いこなせてなくて、格闘中です。

娘が帰ってきました
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もうすぐ弥勒菩薩に会いに行く。

弥勒菩薩は小学生の頃、初めて「美しい!」と思った仏像だ。
仏像をみて感動するなんて、渋くてへんな小学生だったのだけれど、写真に写ったその姿を一目見て、本当に本当に心が震えたのだ。
それは仏像として惚れたのではなく、一つのアートして好きになったのだ。

そのとき拝見したのは京都太秦・広隆寺の弥勒菩薩だった。

親に頼んで、広隆寺に連れて行ってもらい、初めて実物を拝見したときの感動を、今でも覚えている。

憧れていた仏像に、対面できた嬉しさで、ココロが一杯だった。
ドキドキして、アイドルを間近に観たような気分だったのだ。

その後、奈良中宮寺の弥勒菩薩を観にいったけど、あまり好きにならなかった。

子供ゴコロには、広隆寺の菩薩さまのほうが、綺麗で美しく思えたのだ。
中宮寺の菩薩様は、黒くて地味に思えたのかもしれない。

ところが、年月がたってココロに浮かぶ弥勒菩薩は、いつしか広隆寺の菩薩様から中宮寺の菩薩様に変わっていた。

あの静かで優しい佇まいのよさが、年月と共に分かってきたのだ。

日本の文化も、わび寂に代表されるように、派手さがなく、しっとりと落ち着いたものが多い。
きらびやかなものが氾濫している今日、その良さが本当に分かりだすのは、やはり中年と呼ばれる年代に入ってからではないだろうか。

日本の文化は奥が深くて成熟していて、若い頃には理解しづらいのだと思う。

私の中の弥勒菩薩もそうだった。
あのひっそりとした黒の中にある深い精神性などは、いろんな経験を積まなければ気付けないものなのだろう。

今回、中宮寺の弥勒菩薩が東京に来ている。

前回は2001年、法隆寺展の特別展示として来ていたけれど、今回は菩薩様がメインとしてやってきている。
ちょうど上京できそうなので、お会いしにいけそうで嬉しい。

本当は奈良で拝見したいけれど、ここから奈良は、なかなか近くて遠い場所なのだ。

7世紀から、私たちに微笑みつづけている菩薩様。
その柔らかい笑顔は、どれだけの人びとの喜怒哀楽を見つめつづけてきたんだろうか・・。
そして、どれだけの人びとの悩みや苦しみに耳を傾け、その微笑で癒してきたのだろうか・・。

菩薩様は、1300年の人びとの祈りを、ただただ静かに受け止めて、そして、これから先もずっとずっとそのお姿のままで受け止めていくのだろう。

菩薩様、あなたのその永遠の笑顔を彫った人は、何を思い、何を考えていたのだろうか。
時を越えて、微笑みつづけるあなたの姿に、私はお会いするたびに胸が熱くなる。

あなたの前では、虚勢も見栄も、何も必要ない。
ただ、ただ、私であればいい。

どうかこれからも、私たちを見守りつづけていてください。
あなたの慈悲深い微笑で、私たちの悩みや苦しみを受け止めてください。
そして、私たちはみんな本当は何も必要ないのだと気付かせてください。
本当は、私たちはありのままの姿で充分に美しいのだということを・・。

中宮寺 国宝菩薩半伽像展

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私は呼吸がニガテだった・・。

と言う言い方はヘンだけど、以前は本当に呼吸が浅かったのだ。

そして今でも、いろいろ考えたり、ウジウジ悩んだりしている時、気付くと呼吸が浅い。

「吸った息は、吐かなくてはいけないんだよ」
それは分かっている。
そして
「古い息は、吐かなくては新しい空気は体に送り込めないんだよ」
それもわかっていた。

アタマでは何でも分かったつもりになれる。
たくさん本を読んで、知識もたくさんある。

でも、どんなにアタマで分かっても、体はアタマと全く違う反応をしていた。

どうして私は深く息を吸って吐くことが出来ないんだろう・・?

ディジュリドウのお蔭で、とりあえずおなかで呼吸するというテクニックは分かった。
それが引き金になったのかどうか、定かではないけれど、何か少しずつ、自分の中で変化が起こり始めていた。

おととしから去年にかけて、自然の豊かな場所を旅して廻った。
カラダが無性に、そういう場所を欲しているように思えたのだ。
そのとき、おいしい自然の空気を実感しながら、呼吸することの素晴らしさに、アタマではなくて、カラダが気付いたように思える。

カラダがあるって素晴らしい。
息ができるって素晴らしい。
生きているって素晴らしい。

こんなにこんなに素晴らしい。

小さく呼吸をしている時は、自分も萎縮してしまっている。
そんなときに、誰かを思いやったり、優しい気持ちになんてやっぱりなれないものだ。

最近呼吸が浅かったなあ・・と反省する。
だから、人を羨ましく思ってみたり、批判したりしていたんだなあ・・と反省する。

大きく息を吐いて、カラダの悪い気を吐き出して、新しい息を吸って、新しい自分になろう。
そうすれば、自然といろんなことが見えてくる。
気持ちも大きくなれる。
呼吸ができるのは生きている証だ。

そして、ここに生きていることにも感謝できる。
生きていることに感謝できれば、そこから始まるものが自然と分かってくる。

大きく呼吸をすると、すべてが受け入れられるようになるから不思議だ。

私はしょっちゅう反省している。
でも、反省している自分も嬉しい。
反省があるから新しい自分が見つけられるんだと気付く。
反省するって、息を吐くことに通じるものがあるのかもしれない。

息をすることを楽しもう。
ああ、今日もこんなに楽しく呼吸が出来ている。
それだけでも生きているっておもしろい。

生きているってこんなにこんなに楽しい。

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いよいよ待ちに待った春だ!

春の楽しみの一つはもちろんお花見♪
明日にでも桜の開花が始まるらしい。
・・でここ2年ほど、私の中で定番になっている花見があるのだ。

桜の木の下で行うディジュリドウの野外レッスン。

ディジュリドウというのはオーストラリアのアボリジニの楽器なのだ。
シロアリに食べられて空洞になったユーカリの木から作られる、原始的な笛のことだ。

ただユーカリに穴があいているだけなので、音も1音、上手な人で3音くらい出せるだろうか。
でもテクニックで味わい深い音が出せるし、なんと言っても循環呼吸法を身につけると、連続し音を途切れさせずに演奏しつづけることができる。
ヘタクソな私でさえ、調子がよければ、3分は音を途切れさせずに吹きつづけることができるのだ。(音質は関係ナシです)

習い始めて2年になる。
「ゆっくりのんびり教えていただけるのならば・・」という条件ではじめたので、まだまだヘタクソだけど、その最初のレッスンが、やっぱり満開の桜の下だったのだ。

なんでこれをはじめようと思ったかというと、いろいろな理由はあるけれど、まず、その素朴な音色に惹かれたこと。
それと、呼吸なのだ。

私は呼吸が浅く、腹式呼吸がニガテだった。
呼吸は生きる上での基本中の基本だ。
吸った息は吐かなくてはいけない。
そして、新しく吸った息をカラダの隅々まで送り届けるには、やはり大きく、深い呼吸が大切になる。

ディジュリドウを吹くためには、大きく息をしなければ音が続かない。
おかげさまで、私も自然と腹式呼吸がラクにできるようになった。

そして、私の師匠は固定のレッスンルームを持っていないので、天気がいいと野外でのレッスンになる。
河原で水の流れを見ながらだったり、池で白鳥と戯れながらだったり、野外でのレッスンは本当に楽しい。

実はこれが楽しくてレッスンを受けているようなものなのだ。
原始の音と自然の中で、ゆったりとした気持ちになれる。
日常の喧騒を忘れて、のんびりとした時間を過ごせる。

ただし、冬は寒いので、野外レッスンは出来ない。
屋内レッスンはあまり好きではないので、師匠のお誘いを丁寧にお断りしながら、レッスンも冬眠状態となる。

さあ、もうすぐ桜の季節だ!
桜の開花予想にあわせて、早々と師匠の予定をカクニンするちゃっかりモノの私である。

これからの季節、野外で長い笛をボーボーと吹いているあやしい二人連れをみたら、師匠と私がレッスンをしているところかもしれません。
お声をかけてみてください。
手拍子やダンスでのセッションも歓迎いたします。

師匠のhpです。 ディジュリドウの「ナチュラルビート」 http://www.naturalbeat.net/

友人のディジュリドウ・プレーヤーToshi小島さんのhp
http://www2.odn.ne.jp/~aab66220/ftp.odn.ne.jp/
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キャロル・アドリエンヌさんが来日します。

キャロルさんは「聖なる預言」の著者、J・レッドフィールドとの共著「新しき流れの中で」を書いた方で、日本では「人生の意味」(主婦の友社)という本が翻訳されています。

ワークショップファシリテーター、直観カウンセラー、数秘学カウンセラー、ライフコーチと、色々な活動をされている方です。

今回の来日では、山川亜希子さんと一緒に行う数秘学セミナーと個人セッションは、凄い人気で、あっという間に満杯になったそうで、すでに受付を終了しています。
現在は御岳山でのリトリートのみ、受付を募集しているそうです。
キャロル・アドリエンヌ来日hp

今回、キャロルさんの来日に尽力されたヒア・アンド・ナウ(HNです。もちろん)さんは、私たちのhpにキャロルのエッセイを訳したものを寄稿してくださっています。
1年ぶりに訳してくれたエッセイは「パーソナルイヤーについて」(あなたが辿ってきた道を回想すること)です。
数秘術から割り出した今年の運勢のようなものです。
シンクロにシティをてがかりに

また、数秘術に興味のある方は「生まれた日別人生スケッチ
数秘術のいろは」もご覧になるといいと思います。

私の友人でバース・パスが11の人が3人いますが、3人とも直観力にすぐれ、2人はスピリチュアルな仕事をしていて、もう1人は夢でいろいろなことを当てます。

ちなみに私のバース・パスは22です。
そして、今年のパーソナル・ナンバーは2です。
当たっているような当たっていないような・・。

みなさんはいかがでしたか?


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ブログ仲間のBONちゃんのサイトで、つぐみちゃんという仙台の女の子が行方不明であることを知りました。

お心当たりのある方はご連絡して差し上げてください。

つぐみ、どこにいるの?http://blog.livedoor.jp/haneda2/archives/16761601.html
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花屋のM君とは長い付き合いだ。

知り合ってからは15年だし、お稽古用の花をお願いしだしてから、かれこれ5年にはなる。
出合った頃は、彼は20代前半の初々しい青年だったけれど、今では結婚して、稼業の花屋を切り盛りして、すっかり立派になった。

M君が結婚する前は、6人くらいの仲間でよく飲んでいた。
そして、なぜか私は酔っ払うとM君を殴ったりしていた。
その心理はよくわからないのだけど、私は彼のことを、どうも弟のように思っていたようで、ナマイキなことを言われたりすると、「ナマイキ!」と腹がたったらしく、酔っ払ったスキに、その鬱憤を晴らしていたように思う。
(随分いじめたね、ごめんねM君・・)

時々結婚の話になったときには「かわいくて、やさしくて控えめな子がいいなあ・・」などとM君は理想を語っていた。

ある日、その仲間の中に、M君が彼女のYちゃんを連れてきた。

とってもかわいい女の子だった。
そして明るくて、はきはきして、よくしゃべる子だった。
M君は優しいところがあるから、「きっと彼女の尻に敷かれるのだろうなあ」というのがみんなの一致した意見だった。

「やさしくて控えめな子が良かったんじゃないの・・?」とは思ったけれど、快活な彼女はM君には似合っているような気がした。

そして結婚して3年目。
昨日、師匠の生けこみを手伝っていて、帰りが遅くなったので、M君の車で送ってもらうことになった。

車の中で結婚生活の話になった。

「Yちゃんはどう?」と聴くと
「相変らずなんだなあ・・」
とぼそっと言ってから、Yちゃんの話になった。
実は結婚前からYちゃん(M君の奥さん)は酒癖の悪い(おもしろい?)ところがあって、よく飲むし、酔うと踊ってくれたり、暴れたり、暴走して?M君の心配をよそに、みんなを楽しませてくれた。

その相変らずの話の中身・・・。

ある日、M君が飲んでいて、夜帰ってくると玄関に酔っ払ったYちゃんが、うつ伏せで大の字になって倒れて寝ていた。
仕方なくM君がベッドまで運んだ。

別の日、M君が夜帰ってくると、玄関のドアから煙が出ている。
びっくりしてあけたら、酔っ払ったYちゃんがカップラーメンを食べようと思ってやかんを火にかけて、そのまま眠りこけてしまったらしかった。
やかんの水がなくなって、すんでのところで火事になるところだった。
さすがのM君も「危ないじゃないか!」と怒ったら、記憶のないYちゃんが「私じゃない!」(ちなみにM君とYちゃんは二人暮し)と逆ギレをしてた。

また、夜寝ていると、酔っ払って寝ていたYちゃんが、突然ゲロを吐き、仕方がないので、意識のないYちゃんをM君が抱えて風呂場に行き、ゲロで汚れたカラダを洗ってあげ、シーツも全部取り替えた。

またまたある日「今日から禁煙!」と喫煙家のYちゃんが言い出し、喫煙するM君はYちゃんの指示でベランダで吸っていたのだが、Yちゃんも辞めることが出来ず、こっそり隠れてトイレで吸っている。
等々・・・。

なんだか「鬼嫁日記」のネタのよう生活をM君はしているのだ。

話を聴きながら、独身の時は私に殴られ、結婚してからはYちゃんに振り回され、M君は「女難」の星の下に生まれているのかもしれない・・と思った。

でもね、M君はYちゃんのことを愛しているんだよね。
M君もなんだかんだと言いながら、結構楽しく暮らしているんだろう。
愛って素晴らしいなあ・・・。

いつまでも幸せでいて欲しいと、二人のことを見守りつづけたい私であった。

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5年ほど前、都内のイタリアレストランでアメリカ帰りの方と食事をした時、食べきれなくて余ってしまった。

サービスの方に「もって帰りたいので包んでください」と言ったら、怪訝そうな顔をされて、
「申し訳ございません。そのような用意がございません」と丁寧に言われた。

その方は少し怒って
「おいしいお料理を残してはシェフの方にも悪いので、もって帰りたいのです」
とちょっと声を荒げたので、今度は支配人のような方がいらして、
「パスタは延びてしまいますので、お持ち帰りされても味が変わります」
と丁寧におっしゃる。

確かに支配人さんの言う通りである。
でもそのサービスさんも支配人さんも、私たちを「そんなことをこのレストランで言ったヤツは初めてだ」と思っていたに違いない。

その方は納得しながらも
「日本人はモノを粗末にしすぎます。アメリカでは食べきれない分は必ず持って帰れるシステムが充実してます」
とその後もちょっと怒っていた。

アメリカで本当にそうなのかどうか、私はハワイとかグアムにしか行ったことがないのでよく分からないけれど、彼が言っている趣旨は充分に分かった。

いつからだろうか。
倹約することが美徳とされず、ケチと混同されるようになってしまったのは・・。

私も友達同志でご飯を食べていて、食べきれない量を頼んで、ものすごく怒られたことがある。
「もったいないおばけが出るからね!」っと真剣に言われた。

友達はイイやつばかりで嬉しい。
基本的に食べ物は粗末にしていないつもりだったけど、まだまだ自覚が足りなかったようで反省した。

由紀ちゃんが以前ブログで「もったいない」ということ取り上げていたな・・。
先日tvでも、小学生に「もったいないという言葉を知っていますか?」と聞いていた。
「知らない」とか、知っていても「あまり使わない」とか・・・。

「ケチ」ってあまりいい形容詞ではないけれど、「質素」とか「倹約」って美しい言葉だなあ・・と最近つくづく思う。
もちろん、「もったいない」もいい言葉だ。

ではケチと質素とか倹約とかの言葉の境はなんだろう・・?

昨日、佐藤初女さんが淡々と語っておられた言葉の端々に、質素な美しさが感じられた。
きっとものを大事になさって生活されているのだろう。
お顔にもそれが現れていた。

質素って、不必要なものを欲しがらない。
倹約は与えられたものを大切に扱う。
そう置き換えられないかな。

ケチって相手に分け与えられないということだ。

実は私はケチと思われることがとても怖い。
それは私がケチだからだと思う。

ケチは相手のものを欲しがり、自分のものを与えない。

私にはまだまだケチの要素がたくさんある。
それを見破られるのが怖いのだ。
時々、それが顔に出ているのではないかと思う。
「ケチ」って書いてあるんじゃないかと思ってドキドキする。
だから質素とか倹約とかが分からないのだ。
堂々とできないのだ。

ケチでもったいないと思うのと、倹約でもったいないと思うのとちょっと質が違うのだ。

でもケチだから、古タオルを集めてご近所の施設に持っていく。
年に一度のチャリティに衣類を出す。
ケチだから、むざむざとタオルを捨てるのは許せないし、タンスの肥やしになり過ぎるのも許せない。
ケチでもできることはあるもんだ。

私も質素な人になりたい。
倹約できる人になりたい。
そういう美しい人になりたい。

ケチから質素に移行するまで、私はまだまだ時間が必要だ。

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佐藤初女さんの講演を聴いた。
地球交響曲2の上映と初女さんの講演がセットになっていたのだ。

暖かくて優しくてステキなおばあちゃまたっだ。
あんなふうに年を取れたらいいなあ・・としみじみ思った。

初女さんは食をとても大切にしていらっしゃる。
食を通して世界を見つめていらっしゃる。

初女さんは生活することが「祈ること」であるとおっしゃる素晴らしい方だ。
生活の中にまるで宇宙までもが凝縮しているようだった。
ご飯のことをただおっしゃっているのに、その言葉はそのまま祈りに通じるものがあった。
一つ一つの言葉に心がこもっていた。

彼女のつくったご飯を食べて、自殺を思いとどまったり、元気になった方がたくさんいらっしゃるのだ。

「沸騰したお鍋に青菜を入れると、ぱあっと緑が輝く時があるんです。そのときが、ちょうどいい食べごろで、さっとお湯から上げて、お水に浸してから調理するととてもおいしんです。まさに命をいただくということです。」
とおっしゃっていた。
「電子レンジは人間があの中に入ったら死んでしまいます。電子レンジで調理されたものは死んでいるのと同じです」
ともおっしゃっていた。
それをとても柔らかく、暖かい声でおっしゃる。

伺っていて耳が痛かった。
青菜をゆでる時も、ゆでながら他のことをしているから、ついゆですぎたりしてしまう。
電子レンジもないと困る家電の一つだ。

私たちは「時間がない」という理由で食を粗末にしてきたんだなあ・・。
ものすごく反省した。
愛情が足りなかったなあ・・・。
心がこもってなかったなあ・・。

一緒に講演を聞いていた友人は、
「だって、テレビ観ながらどうでもよさそうにご飯を食べている娘を見たら、がっかりして作る気が失せちゃうわよ」と言っていた。

初女さんは材料を見てから、材料の声を聴いて調理に入るようだった。
材料も「森のイスキア」のそばで採れる新鮮なものばかりだ。
まさに「いのちをいただく」のだ。

そして「お母さんがおいしいものを心をこめて作っていたら、子供もご主人も、家族はちゃんと家に帰って来ますよ」ともおっしゃていた。

専業主婦ってなかなか評価されない仕事だ。
でも、本当は家族の食を預かるとても大切な仕事なんだな・・。
生活の要なんだな。

いろんな理由で働かなくてはいけないお母さんや女性がたくさんいる。
疲れて帰ってきて、台所に立つ事がやっとの人たちもたくさんいるのだ。

でも、月に一度でもいいから、声をかけられたらいいのにね。

「いってらっしゃい。
おいしいものをつくって待っているからね」

お母さんがつくったご飯はおいしいね。

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博多で地震があった。

博多は私の実家があるので、びっくりしてすぐに電話をした。
父が出て、「まあ、お皿が飛び出したり、鏡が倒れたりしたけど、大丈夫よ」と言っていたので、ほっとした。
でもその後から電話が繋がらなくなった。
2時間ほどして、やっと電話もかかるようになってきた。
母も郵便局にいて怖かったけど、大丈夫と話している。

友達が博多に旅行中と知っていたので、ケイタイに連絡をしたけど、そちらも繋がらない。
171の災害電話はケイタイに対応していない。
ケイタイ対応の災害電話も作っていただきたいなあ・・。

2時間過ぎて、やっとケイタイも繋がるようになってきた。
ホテルはエレベータが使えなくて、部屋から出され、ロビーに避難させられたという。
本人はいたって元気で、ご飯を食べていないので、おなかがすいたと訴えている。
営業しているお店もあるようなので今から向かうと話していた。

当事者たちはtvで騒いでいるほどではないらしい。
まあ、これも被害の少ない地域にいたからこそなんだけど・・。
被害が大きくて大変な地域もある。
みんな不安だし心配だろうなあ・・。

博多に住んでいる友達にもメールを入れたりして、まあ、多分大丈夫そうで一応ほっとする・・。

「福岡は比較的安全なところ」とこの前、地震学者の方がtvでおっしゃっていたのを私はしっかり聞いたぞ!
危ないといわれている東海地区よりも、違う場所で大きな地震が起きている。
地震予知って難しいんだろうなあ・・。

知っているビルのガラスが割れていたり、行ったことのある場所が映っていたりしているので、ザッピングしながら、tvを観ていた。

「博多区で男性がエレベーターに取り残されて、救出されるのを待っている。」と報道していた。
その現場に中継が移る。
10センチほど開いたエレベーターの隙間から、男性がいるのが分かる。
そのあと、私は唖然とした。
レポーターの女性が、その隙間にマイクを突っ込み取材をしているのだ。
「○○テレビのものですが、どういう状況で閉じ込められたのですか?」と聴いている。
その男性はきちんと状況を説明して、とても誠実な態度だった。
私はその映像を観て、ちょっと怒りに似た感情が込み上げた。

閉じ込められて不安な人に向かって、そんなことする?

本当ならば、「大丈夫ですか?頑張ってくださいね」と声をかけるか、映像もエレベーターの外だけで充分ではないか?
それとも、これは報道として、当然の行為なのだろうか?

私があの男性の立場だったら、不安でパニックになって、「そんなことより、早くココから出たいです!」って叫んでいたと思う。
男性が冷静なのは、きっと救助の方々が、きちんと対応していたからなんだろうな・・。

そして、あのレポーターは「非常識な行為」と言われるより「レポーターとして褒められた行為」をしたんだろうか?
上司から「よくコメントを取ったぞ」と褒められるのだろうか?

私が過敏に反応しているだけなんだろうか・・?
あの女性レポーターも、地震で大変ななか、仕事をして、えらいと思う。
もしかしたら、家族と連絡が取れていないかもしれない。
そんな中で仕事優先で頑張っているのかもしれない。

でも私には、それはとても非常識な行為に思えた。


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