ここで、そこで、いろんなところで

日々の生活の中で想う、エッセイ未満のことたち


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今日、ご近所の方からお野菜をいただいた。
この辺は農家も多いし、趣味で畑を借りて、趣味で野菜を栽培していらっしゃる方たちもかなりいる。

今日、野菜を下さった方は、趣味でつくっていらっしゃって、すべて無農薬だそうだ。
「キャベツもね、毎日畑に行って葉っぱについている虫を取るんですよ。それでも次の日にはまた虫がついていてね・・」
嬉しそうに虫をとるしぐさをしてくださった。

作物を育てるってとても大変なことだ。
そして、今日本の農業を支えているのは中高年がほとんどだし、少しでも手間を省くためにクスリをまくのも仕方がないことなのだ。
それでも日本の農業は、外国に比べたらクスリの規制が厳しいらしい。
「日本の作物が一番安全だよ」と農家の方がおっしゃっていた。

私はスーパーであまり野菜を買わない。
一応農学部を出ているので、外国産の野菜を見ると、それが運ばれてくる行程で、一体どれくらいのクスリがふりまかれたのかを考えるとぞっとするからだ。
それとスーパーのお野菜はつくっている人の顔が見えない。
綺麗に洗われて、画一的なお野菜をみると個性がなくてつまらない。
それで、契約農家からお野菜をとっている。
農地見学会などには一度も参加をしたことはないが、でも、誰が作っているのかがわかっているだけで、とても安心するものだ。

人は悪いことをするときには顔を隠す。
顔が見えて、つくってくれた人の顔が浮かぶとほっとするし、せっかくつくってくれたものをムダにしないように料理に工夫をするようになったりする。

いただいた野菜は大きく育っていて青々としている。
キャベツは焼きそばに入れて、チンゲンサイは炒め物にして・・。
あれこれメニューが浮かぶ。
つくってくださった方の笑顔を思い浮かべながら、台所に立つのもとても楽しいものだ。
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先日、友人と飲んでいたら、あることで私のことをとても褒めてくれた。
私は褒められるととても恥ずかしい。そして照れくさい。
でもやっぱり嬉しい。
褒められると恥ずかしさと嬉しさが同居して、とても複雑な気持ちになる。

私の周りには、会うたびに、さりげなく何気なく褒めてくれる人がたくさんいる。
その友人もいつもいろんなことを褒めてくれる。
褒め上手な人を観ると私はいつも尊敬する。

実は私は人を褒めることがとてもニガテだ。
「ああ、ステキだな。いいな」と思っても、それを素直に口に出すことが出来ない。
そして「ああ、言わなくちゃ伝えなくちゃ・・」と焦っている間にタイミングを逃してしまう。
そうやって褒めそびれてしまう。

きっと褒め上手な人は幼い頃からたくさん褒められて育ったのだろう。
褒められることが当たり前だったから、褒めることがとても素直にできるのだ。
私は幼い頃、あまり褒めてもらえなかったのかも知れない。
褒められたいと思いながら、褒めてもらえなくて「どうせ私なんか・・」と心のどこかで拗ねていたのかもしれない。
「褒められること」を知らないから、それを素直に受け止めることが出来ず、また相手を褒めることも出来ない。
持っていないものは与えられないのだ。

でも、最近は少しずつ、褒めてもらえるとそれを素直に受け止められるようになってきた。
それはきっと、たくさんの人が私のいい部分に光をあててくれて、褒めてくれて、私の中のねじれた感情が少しずつ解きほぐされてきたからだと思う。
そしてまだまだだけど、私もちょっとだけうまく褒められる時があって、相手がそれを受け止めてくれるととても嬉しい。

今まで持っていなくても、与えてもらえることがあるのだ。
それはほんのちょっと自分が「欲しい」と手を延ばせばすぐそこにあったりするものだ。

私は褒め上手になりたい。
心から相手を褒められる人になりたい。
相手のいいところをたくさん見つけてあげたい。
それをたくさん伝えてあげたい。

私の言葉であなたが喜んでくれた時、それが私に伝わって、大きな喜びになることに気がつけたのだから・・・。

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ナゼだかよく分からないのだけれど、最近ある人の愚痴ばかり言っていた。
 その人はとてもいい人だし、みんなが「いい人」と認めている人だけれど、なぜか私は気に食わないところがあった。
 それで、その人を知っている友人に愚痴ばかり言っていた。
 その気に入らない部分というのが、なぜか私はその人に「与えてばかり」いる印象があったからだ。
 自分が損をしているような気持ちになったりもした。
「どうしてあの人は実のあるカタチで何も返してくれないんだろう」と思っていた。

 先日もやっぱりその人と親しい友人に愚痴っていた。
 友人はふんふんと聞いてくれていた。
 そして、愚痴りながら友人に「キライじゃないんだよ、好きなんだけどね・・」と盛んに言い訳をしていた。
 そう、キライじゃないけどなぜかむかつくんだ・・。

昨日、家に帰ってきて友人に先日のお礼のメールを打ちながら、ふと「あの人の悪口を言っているのは、実はあの人は私の鏡なんじゃないかと思う」と言うような言葉が自然と出て、自分の中で少し「あれ?」っと思った。
 そうだ、きっと私はあの人に「自分の中の嫌なところ」を観ているんだ。
だからイライラしたり、ムカッとしたりしていたんだと気付いたのだ。

 そして今日、なぜか突然、あの人が私にしてくれた数々のこと、優しさ、暖かさが胸に溢れて涙がぼろぼろと出てきたのだ。
 自分の大切な時間を裂いて私に付き合ってくれたこと、お金がない時に(そういう素振りを見せずに)ムリしておごってくれたこと、悩みをいつも真剣に聴いてアドバイスしてくれたこと・・・。
 あの人はたくさんたくさん私に与えてくれたのに、どうして今まで忘れていたんだろう、どうして自分が与えたことばかりに目を向けていたんだろう・・。
 私は自分が思ったとおりに相手が応えてくれなかったからと言って、相手に怒りを持つのは、欲しいものが手に入らずにダダをこねて当り散らす子供と一緒ではないか・・!
 そしてあの人の、人にモノを頼むことが下手なところ、お金が欲しいのに「お金にガツガツしたくない」と妙なプライドをもっているところ、どこか人任せなところ、全部自分にそっくりなのだ。
 私は自分が自分で見たくない部分をあの人の中に見て、それを受け入れられず、ただあの人を否定して不安な自分を安心させようとしていただけだ・・・。
 
 怒りは涙と共に流れて、後悔と感謝が残っていた。
 あの人はちっとも悪くない。
 全然悪くない。
 私自身を受け入れられなかった私が至らなかっただけだ。

 今までごめんなさい。
 そして、私を見せてくれてありがとう。
 私のいやな部分を気付かせてくれてありがとう。
 それを受け入れさせてくれてありがとう。
 私に親切にしてくれてありがとう。
 いつでも親身になってくれてありがとう。
 ごはんをおごってくれてありがとう。
 あなたと会えて本当によかったと思います。
 ホントにホントにありがとう。

 怒りは感謝に溶けるんだ・・。
 カンタンに、あっという間に・・。
 私の中には今、たくさんあった怒りと同じくらい、いえそれ以上の感謝がたくさん溢れている・・。


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ランディさんのブログを読んでいて、私がランディさんを好きなのはきっとその「くねくね具合」に共感しているのだと思った。
私自身、いつも何かに対して答えが出ないのだ。
1+1=2と分かっていても、0や4でも正しいのではないかと考えてしまうくせがある。

沖縄の辺野古にヘリポートを建設することには反対している。
でも、もし私が基地とかかわりをもった生活をしていたら、本当に声をあげて「反対」と言えただろうかと思う。
性犯罪者の住所を公開した方が言いと思う。
それはこれ以上幼い子供の犠牲者を出して欲しくないからだ。
でも、そうすることで「罪を犯した人が更生する芽を摘むことになるのではないか」と思う。
そのことを考え出すと、自分が罪を犯したことのない人間なのだろうかと思う。
誰かを(心の中ででも)裁けるほど立派な人間なんだろうかと思う。

何かの事象に対して、一方方向から出なく、違う方向から見たとき、今までとは違うものが見えてくることがある。
そしてそれに自分はいつも揺らいでしまう。
一本筋を通して自分を押し通せない、そんな自分に不安を覚えるとき、揺らいでいるランディさんの文章を読むと、とても共感するのだ。
みんな悩み、迷っているのだと・・。

答えは一つだけじゃない。
「答えが出せない」というのも一つの答えだと思う。
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パソコンが壊れた・・・!
と思った。

メールは届くのに、ウェブサイトにアクセスすると真っ白な画面のままフリーズしてしまう。
自分のhpが観れない、ブログが観れない・・・!
最初のうちは躍起になって何度もアクセスしていたけれど、固まっては立ち上げるという繰り返しに疲れてしまった。
パソコンに詳しい友人もあさってしか来てくれないと言う。
パソコンの状態を電話で聞きながら「治るかなあ・・2,3日預からなくちゃいけないかも・・」とおっしゃる。
最初は「パソコンがなくなると困る!」とイライラしていたけれど、そのうち諦めがついてきた。

そうすると、逆に妙な安心感が出てきた。
チョコチョコメールチェックすることも、hpの掲示板をのぞくこともできないことが、不思議な開放感になっていった。
そうだ、旅行している時はメールもhpも見ないではないか。
要するに便利なものって裏を返せば「不便ではない」というだけで、絶対に必要なものというわけではないのだ。
そしてその便利さについつい「支配されている自分」というものをすっかり忘れている。

私の友人には電話がない人もいるし、知り合いには電話もパソコンもない人がいる。
電話もパソコンもない人には、緊急の場合は家まで訪ねていくか電報を打つしかなさそうだけど、ほんの数十年程前はそれも一般的だったし、充分に暮らしていけていたのだ。
今の生活は「不便でないこと」に支配されてしまっている。

・・とちょっと真面目に反省していたら、いつの間にかパソコンが治っていた。
hpも観れる。ブログも観れる。
また元の生活に戻っている。
でも、ちょっと気付いたのだ。
不便でも結構やっていけるってこと。
便利じゃなくても困らないってこと。



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今年も3が日が過ぎ、明日からは日常が始まる。
お正月といっても、フツーに夜が明けて、フツーに一日が過ぎていくだけなのだけど、どういうわけか、年の瀬からのこの数日間はとても特別な感じがする。
さすがに年末は気持ちも慌ただしいけれど、それが過ぎてお正月の3が日って、日本全体が緩んでいるような感じで、心地がいい。

今年もいい年でありますように。
毎年そう思いながらゆるゆると過ごす。
こういう非日常があって日常のよさが改めて分かる。
毎日、決していいことばかりじゃないけれど、こういうのんびりとした時間があってリセットされて、またフツーに生活していけるんだな・・。

さ、日常が待っている。
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