2005-06-27 21:01:57

大学3年冬(失恋)

テーマ:僕の軌跡

今まで、僕は何回、恋をしたのだろう。・・・4回かな?



上っ面の恋愛ごっこではなく、何かあるたびに心がときめき、動揺し、心配し、そして悩む。

布施明の「恋」という歌があるけど、まさにその歌詞のようなものだとつくづく思う。




その最初の「恋」と言えるものが、しぼんでいったのが大学3年の時の冬であった。



いつしか満員電車の中で窓際で立ちながら、いつも抱き合うように乗っていた。


彼女の髪が首筋にあたり、くすぐったくて仕方なかったけど、まさかそんなこともいえるはずもなく、僕が窓を支えるために広げた手の中で、彼女はぴったりと張り付いていた。

それがまたすごく嬉しくもあった。


彼女は二十歳を過ぎる頃からしきりに見合いの話しが来ていて、その都度僕はどぎまぎし、ぶっきらぼうにいつも答えていたけど、間違ってもそんなことが起こらないことを祈っていた。



彼女の家にはちょくちょくと顔を出すようになり、挨拶だけではあったけど、それでも「僕」と言う存在は向こうの親も認識していたようだ。

遊びまわったつけが、おそらく4年では卒業できなくなってきてはいたものの、それでも僕は卒業後の彼女との未来について、思いをめぐらし、彼女もある程度はその気ではなかったかと思う。




あんな事が起こらなければ・・・


それを具体的に言うのはさすがにできないけど、10月の初旬に起こったその事件は、彼女を学校にいけなくし、親からは「僕には何も話すな」と念を押され、そして何回電話しても彼女に通じなかった。(いつも弟が出ていた)


今のように携帯やメールが気楽に出来る時代なら、きっと僕はまったく違う人生を送っていただろう。

でも、現実は彼女の家に行っても会えず、かといって連絡の取れない日々が2ヶ月近く続いた。



そんな中、なんとか彼女と会えた日、最初何も話せず、気まずい感じをお互いにもっていたんだけど、別れ際に僕が言った言葉


「どうしてそんなに1人で悩むの?2人で考えようよ」


それを聞いた彼女は、僕に突然抱きついてきて泣いたんだ。



親から僕との接点を作らないよう、きつく言われていること

積み立てていた授業料もその事件ですべて使い果たし、学校は、2月でやめるということ

そして自分は今どこにも逃げ場がなく、ただ家の中でこもっていること



僕はつくづく自分が学生で何も収入も無く(せいぜいアルバイト)何もしてやれない、いきどおりのようなものを感じて、それでも彼女を何とかって思っていたけど、なんともならない自分が情けなくて仕方がなかった。



それからまた2ヵ月後、彼女はお見合いをして、あっという間に結婚が決まったんだ。

相手はもともと彼女がバイトをしているところを見て、見初めていたらしく、今思えば彼女のこれからの人生の選択としてはそれしかなかったのかもしれない。


僕と駆け落ちなんて出来るわけもなく、かといって、大学を辞めて働くと言う選択もする暇も無く何も聞かされないまま、決まってからの報告だった。



電話で改めて、「好きだ!」って叫んだけど、彼女は何も言わなかった。


そして今、お花の勉強をしているとか、相手の人はすごく自分を好いてくれているんだと言うような話をひたすらしていたね。

最後に「幸せにね」といったのが僕には精一杯の言葉だった。



それからの数年は寝るたびに後悔が再三再四訪れ、楽しかったことがまさに走馬灯のように駆け巡っていった。

それを忘れるためにさらに夜遅くまで仲間と毎日遊びまわったように思う。


でも、いざ寝るときの寂しさはどうしてもやってくるんだ。だからくたくたになるまで遊んで、寝る以外に方法が無いと思った。



そしてこの心の中の鬱積を晴らすには、新しいときめきを持つしかないと気づいたのは、それから2年後だった。



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2005-05-28 14:00:22

海3

テーマ:僕の軌跡

妻とはじめていった海は伊良湖岬の恋路が浜


いっぱい、いっぱい話しながらもちょっとした言葉から、僕がここに何回も来ていることを敏感に感じ取り、少しずつ不機嫌になってきて、最初どうしてか分からなかったんだけど、何でも言ってくれる人だったからあとになってそれを言われ、それ以降そこには行かなくなってしまった。


もともとアウトドアが好きじゃなかったから、スキー、遊園地といったところはオールパス

一回だけ行った遊園地で空中ブランコに乗ったら、顔が青ざめていたからねえ


また新婚旅行で層雲峡(北海道)にいったときも、リフトに乗るのが怖くてかなり苦労したもんなあ



でも、妻(まだ結婚前ね)も結構、海を見るのが好きだったので、それ以降も海だけはいろんなところに行った。

特に三重県方面に集中し、あとは知多半島の師崎から海を眺めたり、篠島や佐久島に渡ったりしていた。


とにかくドライブをして、そのあいだじゅういっぱい話せれば、それで満足の人だったから、何かを目的に何処かに行くのではなく、ただその辺をドライブ

自然に海や湖を眺められるところが多くなった。



また歩くこともあまりしない人だったので、浜を散歩するのもせいぜい10分、あとは車の中から窓を開けて海の匂いをかぎながら話していたね。



それは結婚してから、海水浴に毎年いったんだけど同じで、込むのを避けるために朝の4時前に家を出て目的地に着き、パラソルをたてるとそこにちょこんと座って、僕と子供が遊んでいるのを何時までも見ている。


あんまり子供とばかり遊んでいると、さみしいだろうと思って

「せっかくだから一緒に泳ごうよ~、遊ぼうよ~」

「ここまできたんだから・・・」

っていっても、せいぜい1日で30分かなあ

あとはまたパラソルへ・・・

だから1時間位するとパラソルに戻った時にすごい勢いでいろんな話をしてきたね



とにかく話がしたい!

それなのに毎年必ず海水浴には行きたいといってた不思議な人でした。

 


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2005-05-27 23:59:06

海2

テーマ:僕の軌跡

高校のときには以前書いたように、友達に女の子を2回紹介されてその都度、4~5回喫茶店で話を2時間ほどするパターンだったんだけど、どこにも遊びに行かずそれが原因かどうかは分からなかったけど、

「あなたに会う人を見つけてくださいね。さよなら!」

と、振られてばっかりだった。


そんな時に感じたことは喫茶店ですごく楽しそうに話しているにもかかわらず、女の子は別のことを考えているのかなあって


ただ、それで別にショックも何もなかったのが正直な気持ちだったから、結局その時は将棋にのめりこんでいたんだと思う。



でも、その感覚は彼女を知ってからいっぺんに変わった。


彼女と話すようになって、女の子に自分が夢中にはじめてなったんだって分かってきたんだ。

彼女との馴れ初めは以前少しかいたと思うので省略^^


とにかくすごく印象的な子だった。


すごくどんくさくて、それでいていつもニコニコしてて、そして僕に対して最初から垣根を作らないような話し方で接してきたもんだから、自然にこちらも話すことが出来た。

その時一緒に入った人たちとは、いつも仲良くはなしていたんだけど、時間とともに彼女とは一緒の電車で通い、お互いが終わるまで待って、駅まで一緒に帰り、そこで僕は名古屋に、彼女は家にというようになっていった。



僕はたまたまノンストップで卒業できたので1ヶ月あまりで済んだんだけど、彼女の場合はさらに1ヶ月余分にかかった。(ちょうど夏休みが終わる頃にようやく卒業できたんだ)

そんな彼女が通う間、僕も一緒にそこに通って、彼女の運転をいつも心配そうな顔で見ていた。

講習が終わるとすぐにニコニコして僕のほうに走ってきてくれる。


そして目の前で突然消えるんだ・・・転ぶんだよね^^

そのたびにびっくりさせられた。

「いててて」と、言いながら、それでもいつも走ってきてくれた。それがまた嬉しくてどんどん彼女にのめりこんでいった時期でもあった。



そしていつもお互いに時間を合わせるようになっていった。


彼女は夏休みと言うこともあって、ある程度僕の時間に合わせてくれた。

そして休日になると彼女の家まで電車で行き、そこにある車を使わせてもらって、海へ行ったんだ。


三重県の夫婦岩や答志島の海岸線を走ったり、鳥羽水族館で当時はすごくびっくりするような大きな水槽で泳ぐ、魚達を見たりしていた。



暮れになると、初日の出を見に行こうかと言うことになり、朝3時に待ち合わせ、愛知県と静岡県の県境にある汐見坂まで高速をひた走り、だだっ広い海岸まで少しだけ歩いて日の出を待った。


そこは日の出を見ることでは結構有名なところで、すでにかなりの数の人たちがキャンプファイヤーのような火をあちこちに焚いて、暖を取りながら待っていた。

そんな中に加えさせてもらってはじめて合う人たちと何気ない話をしたりして、初日の出を待ってた。



冬の浜は風が少しあるととても寒く、それでもそんなところを火で身体を少し温めてから日の出を待つ間、身体を寄り添いながら浜を歩き、そしてまた火の中にはいっていって身体を温め、また少し薄明るくなりつつある海を見ながら歩いた。


日が昇る直前の海の色は少しずつ、それでいてあっという間に変わっていく。

明るく光り輝いていくそのさまは、彼女も感動的だったらしく肩を抱き合いながら歩く手に力が入っていた。



お日様がわずかに上がりだすと、その周辺の人が突然

「バンザーイ、バンザーイ」

なんてするから、面白がって一緒に僕たちも「バンザーイ」をしていたね。

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2005-05-25 22:30:10

海1

テーマ:僕の軌跡

初めて海に連れて行ってもらったのは、小学校低学年のときで知多半島の内海海岸


母と兄に連れられて電車に揺られていったんだけど、当時は冷房もなく窓を開けているのにもかかわらずすごく暑かった。

電車から降りたときの開放感はすごく気持ちよくて、そこから海水浴場までの道のりは、ルンルンだったように記憶している。



その当時は日陰と着替えを兼ねた、簡単な施設があり、着替えてすぐに海に飛び込んでいった。


その頃はまだあまり泳ぎが得意じゃなかったから、浮き輪をつかって一生懸命、兄の後を追いかけていたね。

母は海に入らずその施設から僕達を眺め、たまに手を振ると同じように手を振ってくれて、それで満足し、また兄と遊んでいた。

兄はとにかく運動神経抜群だったので、いろんなことを僕の前でやってくれ、それを一生懸命まねをしていたなあ


潜ることも、水の中で目を開けることも、海の中で逆立ちをすることもみんな兄に教えてもらった。

すごく楽しくて、お昼ご飯のおにぎりも食べずにずーと母に叱られるまで海に浸かっていた。



今と違って、温水シャワーなどの施設は無かったから、帰りはべたべたの身体がすごく気持ち悪かったことを覚えている。

でも、それがあとにも先にも家族で行った唯一の海だった。




それ以降、海に行くことは彼女以外ではなくなったんだけど、大学時代にクラブの合宿の中休みに北陸の海にはじめて行った。


あまりにも美しい海にとにかく感動したね。

太平洋と日本海ではこれほどまでに海の色が違うのかって・・・


あらかじめ水中メガネを持っていったので、最初は普通のところで泳いでいたんだけど、そのうちその海水浴場の端のほうの岩場に行き、潜ってみると水深が5m以上あり、その底のほうで縞鯛やべらなどが泳いでいて、これもまたすごく感動した。


きれいな海の中で見るきれいな魚の美しさはなんともいえないような、すばらしいものがあるんだなあって




その前に、海に行ったのは彼女とはじめていったドライブ・・・彼女の家の車です(汗)


その当時はまだ交通事情がそれほど良くなかったのと、お互いにあまりお金を持っているわけじゃなかったので、朝早くからおきて待ち合わせ、渥美半島の先端、伊良子岬に行った。


そこの浜は「恋路が浜」といい、周りにカップルも多く、僕達は茶店のベンチに座りながらぼ~と海を眺めながら1時間くらい話し、浜をゆっくり踏みしめるように手をつなぎながら、1時間くらい歩き、そしてまたベンチに戻ってジュースを飲み、少し疲れを癒してから帰ってきた。



それからというもの同じ方面ばかり、何回いったんだろうって言うほど行き(発想が貧困でしたから、行く場所を考えもつかなかった)、とにかく長い時間一緒にいられるのが嬉しかったし、彼女の顔さえ見ていられれば幸せだった。



その頃は毎日同じ電車で名古屋に行き、彼女のほうが2つ駅が遠かったので、いつも僕が乗る駅でいったん外に出て、それから2人で乗っていた。


当時の近くを走る電車は単線の関係で、1時間に2本しか走っていなかったから、時間を合わせるのは簡単だったんだけど、ものすごく込んでいて、いつも彼女をドアの隅にやり、僕がその前にいるというポジションを取っていた。(田舎でも痴漢もどきが多かったんです)


そして僕がドアに手を伸ばして支えている腕にいつもぶら下がっていた。

それもなんか暖かさを感じていて楽しかったな。


途中で乗り換えて、名古屋へ向かうときも同じスタイル、駅につくとそこで別れる毎日だった。

夜は判を押したように10時に電話をかけ、とりとめもないはなしをして、また翌日



バイトの関係で大学に入ってからは、なかなか休日も時間を合わせるのに苦労しながらも、会えば特に行き先の目的が無いドライブにいつも出かけ、結局、海に向かっていた。



そんな繰り返しがかなり長い間続いたかな。

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2005-05-22 16:30:28

大学3年秋

テーマ:僕の軌跡

またまた将棋の大会が近づいてきた。


大学将棋は春と秋に年2回行われ、7人1チームのクラス別の団体戦と個人戦がある。

春は団体戦で優勝すると、西日本大会の出場権、個人では成績優秀者には4名ほど学生名人戦の切符がもらえるんだ。


そして秋は団体戦の優勝校は全国的に行われる学生王座戦、個人戦は優勝者1名が学生十傑戦の切符がもらえる。



団体戦は、毎回いいところまで行くんだけど最終的には名大に優勝はいつも行き、僕たちは2位ばっかり

それでもみんなと一緒にやるのはすごく楽しかったね。


で、問題の個人戦

前期、春の大会で優勝していたのであんまりみっともないところで負けるわけに行かないと思いながら、やっていたらえらく順調に勝ち進んだ。


決勝は名大のNさんだったんだけど、意外なほどうまく指せてまたまた優勝することが出来た。


このときばかりはさすがに嬉しかった。


これまでの中部学生の歴史の中で2回優勝した人はいなかったし、もちろん連覇も・・・それ以降は3回も4回も優勝する猛者がでてきたんですけどね^^

とにかく、こと将棋に関してはすばらしい年であった。



学生十傑戦は大阪で行われ、そのときは東京のような歓待はなかったんだけど、それでも理事の人たちと夜それなりに楽しく過ごした。


学生十傑戦の場合は、学生名人戦のようなトーナメントではなく、総勢16人が、先に4人リーグの中で予選をやり、2勝した人が決勝トーナメントに進み(ここまでで1位~8位)、予選落ちした人も残りの9位、10位を決めるトーナメントを行うものだった。



かなり気合を入れて望んだつもりだったんだけど結果は予選落ち(涙)


予選落ちした人どおしのトーナメントに行く事になったんだけど、これで肩の力が抜けたのかなんとか9位で終わることが出来た。

理事や他の人も

「9位は自慢してもいい成績なんだよ」

と言ってくれ、なんとなくほっとしたことを覚えている。



プライベートの話となるとその頃は実に大きな悩みがあって、少し参っていた時だっただけに、先輩、後輩の暖かい応援や毎日の遊びでかなり癒されていた時期でもあった。


その話しはまた長くなるので、そのうちに書きます^^


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2005-05-19 22:30:13

大学3年夏

テーマ:僕の軌跡

相変わらず、遊びまくりとバイト(パチンコ?+α)の生活


大学将棋部の合宿は毎年、夏と冬に年2回行われ、結局1年の冬から卒業まですべて参加した。

期間は1週間~10日くらいで、参加した人全員のリーグ戦とトーナメントによる駒落ち戦が行われていて、それ以外は周辺の散策や遊び、最終日は打ち上げというパターンだったんだけど、幹事の人がすごく頑張って、いつもとっても安くすんでいたんだ。・・・これは機会があったらまた後述します。



もちろん、今回も参加したんだけど、その前に同期や後輩と4人でキャンプに行こうという話しが持ち上がった。

たまたま同期の奴に紀伊長島に親戚のあるのがいて、そこを基地にあちこちを徘徊して遊ぼうかと^^

あっという間にその話がまとまり、早速決行


まだ当時か高速が整備されていなかったから(あったとしてもお金がもったいないから使わないけどね)夜の11時頃に出発して、ひたすらぶっ飛ばし、朝の7時頃に目的地についた。



そこは岩礁地帯になっており、禁猟保護区にもなっていて、途中からたくさんの荷物を持って、草を掻き分けながら海にたどり着き、さっそく着替えて岸から300mほど行ったところまで泳ぎ、潜るんだ。

そして片っ端から、サザエや引っ掛け棒でたこなどを取っては持っていった網に入れた。

小さなイセエビやあわびも取れた。


もう面白すぎて時間を忘れるほどやっていたんだけど、いざ帰ろうとすると網の中に10kg以上入れているもんだから、必死に泳いでも沈んでいくんだよね。・・・翌年からその反省として浮き輪を持っていきました^^


もう死ぬかと思いながらも、網を放さず必死で岸にたどり着き、さっそくそこで火を焚いて塩水を入れた大きな鍋に戦利品のサザエをぶち込み、茹でて食べた。

もちろん焼いたほうが美味しいのだろうけど、数が数ですからねえ


それでも「やかんに入れたたこ」を茹でたのと一緒に飲むビールは、うますぎ~~~~~



ひととおり満足したあとに、また今度はモリをもって泳いでいって、潜りながら魚を突いていた。

これはさすがになかなか取れないんだけど、それだけにうまく突けた時はすごく嬉しかったし、もう病みつき


終わると、近くの川に行って泳ぎながら、汗や塩を身体から洗い流して、友達の親戚の家に4時頃に行き、その戦利品は煮付けにしてもらって食べたんだ。

これも美味いのなんのって、もう笑うしかないね^^




そんな繰り返しを2~3日やったあとに今度は山に行く。

頼んでおいたバンガローに荷物を置いて早速、川へみんなでモリと釣りざおを持っていき、今度は鮎やこのしろに挑戦


これがあまりにもすばやくて、まったく取れなかったんだけど、友達が

「そのまま動かずにしばらくジーとしておれば、鮎は必ず戻ってくるから、その一瞬を狙うんだよ」

とのアドバイスで何回かに1回は仕留められるようになってきて、これももうやみつき・・・まったく時間を忘れて何時までもやっていた。


お昼は持っていったパンで済ませ、そのあとはこのしろを釣るんだけど、これがまた面白いように釣れるんだ。

えさはその辺の石をひっくり返すといくらでもいる虫(かげろうの幼虫)



かなりの数をつってから、その魚達を包丁で切り刻み、200mくらいある糸に1~2m置きに突いている針につけて、岸沿いに仕掛けておく。



あとはバンガローに帰り、途中で買った肉ややさいを鉄板で焼きながら、ビールを飲み、おなかがいっぱいになったら、これも昼の間に捕まえておいたミミズを使って、大きな岩の上に座り、のんびりと夜釣り・・・

そのまま朝まで寝たこともあったね



翌日は朝、4時頃に起きて近くのダムまで車で走り、カンテラにぶつかって、その下に転がって落ちているカブトムシやクワガタを拾い集め、(早く行かないとカラスに食べられてしまうのです)それから前日に仕掛けておいた200mにも及ぶ、針を1つ1つ点検しにいった。


浅くてやたら広いその川の両岸に仕掛けたものに4~5匹、引っかかってるんだよね、うなぎが^^


それを持ち帰って裁いてから、また鉄板の上でほかのものと一緒に焼き、実に優雅な朝飯




そしてまた川へ



そんな山の生活をまた2~3日続けてから、やっと帰ってきたんだけど、あまりに面白いのでこのキャンプはそれ以降10年ほど毎年続いた。


その間に友達が結婚して奥さんが、子供が、さらに仲人さんまで参加してきて、最後のあたりになると20人を超えていたかなあ

行くときももう気楽な感じじゃなくなり、2トントラックに荷物を満載しての大移動



でも、海の美しさ、さざえやたこやうなぎなどの美味しさ、持っていったものをみんなで鉄板の上にのせて焼きながら食べる楽しさ



実によく続いたね。

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2005-05-18 20:45:59

大学3年春

テーマ:僕の軌跡

相変わらず遊びまわっていてはいたものの、2年の中部学生選手権秋の大会個人戦で僕と同期である岐大のT君が優勝したので、今回、情けない成績では新人戦で優勝しただけであとは自然に埋もれていくと思っていた。


だから、今回の中部学生選手権春の大会個人戦では、2歩やあほな見落とし、時間切れなどに注意しながら、かなり最初から気合を入れて、望んでいった。



何とか予選を勝ち抜いて、決勝トーナメントの相手にも恵まれ、ここまで8連勝で迎えた決勝戦


相手はなんと今年、名大にはいったばかりの1年生H君(前年の高校選手権三重県代表、数年後のアマ名人)だった。

最初は相手を見て驚いたんだけど、将棋をやりだして恐ろしいまでの大乱戦となり、200手近くまで行ったんだけど、なんとかそれでも勝つことが出来た。


「これでやっと新人王に恥じない成績が残せたんだなあ」


って、その時は嬉しさよりも安堵の気持ちが大きかったな。



しばらくしたら、全国大会(学生名人戦)が待っている。


ところが、僕の1年後輩も是非一緒に行きたいというもんだから、僕に割り当てられた旅費を使って彼の車で東京に6時間ほどかけて行ったんだ。

そしたら、東京では僕の大学始まって以来の中部名人誕生を喜ぶ先輩方ガ待ち構えてくれて、その先輩がたに連れられて、その日はすさまじいほどの歓待を受けた。


もともと東京は中学校の修学旅行以外行ったことがなかったから、どこに連れて行ってもらっても驚くことばかり


1、訳の分からない、美味しいごちそう

2、そして女性のいるところで飲む酒・・・スナックですね^^


さらにこのときすでに9時を少し回っていたんだけど、電車に乗って移動し、

3、ス○○○○劇場へ


さらにまた移動して

4、すごく立派なお風呂屋さんへ


一体先輩達は僕たち2人にいくら使ったんだろうって、こちらが心配になるほどあちこちを遊びに連れ歩いてくれたんだ。


東京は夜がない街、電車も何時までも走っている街、こんな時間にって思うような時間に人があふれかえっている街

ただただ、すごかった。



そんなわけで、その日はほとんど寝ないで遊びまわり、翌日全国大会・・・


相手は東大のOさんだったけど、勝てるわけないよねえ・・・もともと僕のほうが弱いのだろうし、体調は絶好調?だったしねえ;笑


それでも、かなりの熱戦で1回線の好局として、朝日新聞に1週間掲載された・・・当時は朝日新聞が名人戦を毎日新聞に手放した時期で、その代替として学生の将棋が掲載されていたんだ。

でもいくら熱戦でも負けた棋譜だからねえ

ソレでもいい記念にはなったね。


解説は加藤(一)先生が担当し、ずーと苦しい戦いを我慢して、途中逆転したらしいけど、その直後に悪手を指したように書かれていた。



結果的に将棋は残念だったけど、初めて会う先輩ばかりだったのにすさまじいばかりの歓迎にすごく嬉しかっし、楽しかったなあ

何とか、また行きたいって(動機は不純ですけど^^)強く思った東京でした。

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2005-05-09 23:59:56

大学2年後半

テーマ:僕の軌跡

待望の下宿をはたしてその日だけは妙に不安だったんだけど、そんな意識はすぐになくなり、いつもドアを開けっ放しにして寝るのに1週間とかからなかった。

部屋は4畳半で8500円(光熱費込み)・・・少したってからそこは増築を行い、6畳半くらいになったけど家賃は変わらなかった。


面倒だったのは、共同の炊事場、トイレ、お風呂の中でお風呂の入れる時間が決まっていたから、その時間を逃すと入れないということかな?

あとはダンボールを置いていて、汚れ物が1週間分ぐらい(夏だと3日分くらい)たまると共同の洗濯機で洗い部屋につるしたひもに干しているという怠け者だった。


朝早く起きた時や夜にお腹がすいてはいけないので、インスタントラーメンを大量に買い込んで保管し、電気屋の中古品から小さな冷蔵庫をすごい安さで買い込んで(当時下宿した人が置いていったものを修理して、また売っていたんです)そこにあんまり悪くならないような食料や飲み物などを入れていた。


それでも2階に住んでいたので1週間に1回くらいは階段に布団は干していたんですよ。



当時あらゆる先輩に可愛がられたんだけど、なんといっても1年上、同期、1年下の付き合いが最も多く、またその人たちはそれぞれに個性豊かで実に毎日が楽しかった。


とりわけ将棋に関しても、1年下には有望なのが何人も入ってきて、活気がとにかくあったね。

そしてそんな中に入って、どんどん勉強のほうはほったらかしになって行った。



朝は遅めに起きて、そのまま部室に直行・・・それでもいつも何人かはいたからねえ


お昼を学食で食べてから、そのまま将棋をやっているか,メンバーが集まりさえすれば、麻雀に行きたい大好き人間がいたから、それに付き合ったり、パチンコのすごくうまい後輩がいたので、そいつについていって、覚えていったり、クラスの同じような下宿仲間と麻雀やボウリングにいったりと、とにかく忙しかった。


夜になれば、1年後輩の下宿がいつも溜まり場になっていたので、パチンコの終わったあとはそこで麻雀、トランプなどや、当時まだ出来たてのゲームセンター(24時間営業だった)に行って、遅い夕飯後、朝方までそこのコインで遊んだり、インベーターゲームなどをやっていた。


とにかくよく遊んだね。



将棋のほうはというと、秋の大会は団体戦はAクラスを確保したもののどうしても名大に今1歩及ばず、2位に甘んじた。

個人戦は早々に負けて、僕の同期である岐阜大のT君が優勝し、これではいかんってかなり焦った。


成績は1年生の時はとりあえず受けた科目全部とったんだけど、当然のように落ちる科目が一気に出てきた。

当然といえば当然なんだけど、それほど遊びに夢中になっていた時期でもあり、それは当分続いた。



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2005-04-23 23:59:52

大学2年

テーマ:僕の軌跡

母は正式に再婚したわけではなく、あくまで内縁だったのも無償に嫌悪感を持っていた。

家の仕事の手伝いは忙しい時だけで毎週ではなかったから、助かっていた。


母は月曜から土曜まで相変わらず働いて、ご飯を作り、日曜になると朝早くから名古屋の兄のところに行って、食事や掃除を毎週欠かさずやっていた。


母は兄から結構嫌味も言われたようなんだけど、それでも兄が結婚するまで続いたね。

それが今になってみれば、兄も母に対してはすごく優しくなっている理由なんだろう。

 

それ一つを考えても、その時は大変であろうが出来る範囲で一生懸命やることは、きっと将来に報われる何かがあるんじゃないかといまとなればそう思う。

 

僕はと言えば、そんなことお構いなしに自分のことだけを考えて、朝、時間を合わせて乗る電車の中の会話も楽しかったし、とにかく大学の部活もすごく楽しかった。

2年の春の大会は、またまた1回戦で今度は2歩をうって負けてしまったけど、とにかく時間を惜しんで何でもやっていた時期だった。


いままでやってなかった楽しいことがあまりにも多く、もう何をやっても楽しい時期でジャスコのバイトも食品売り場にいたんだけど、そこに集まる同じようなバイト仲間とその時だけはあるんだけど、すごく楽しくバイトをやっていたね。

その分段々と授業に出なくなっていったのも確かで1クラスしかない関係で、友達にいつも代弁してもらっていたな。


当時下宿している人も半数近くあり、そんな人たちはそれこそ朝近くまで遊んでいられる。すごくうらやましかったんだ。


そしてはやくこの家を抜け出したいとも思っていたので、これまでにバイトして貯めたお金や安くて学校から近い下宿を何気なく探し、夏休みに入った時、クラブの友達のハイエースと手を借りて、親が仕事をしているすきにあたふたと用意し、お昼ご飯で帰ってきたときに


「今から、下宿するわ!それじゃ~」

「え!!!ちょっと、ちょっと~」

「あとで住所や連絡先言うから大丈夫だって」


母の唖然とした泣き出しそうな顔をあとに、僕は意気ようようとして契約した下宿先に荷物を運び、足らないものは近くのスーパーで購入し、それがとりあえず全部すんだところで友達に焼肉をご馳走して、その日は終わった。


これで完全に自由になったんだ!

生活は自分で何とかやらなくてはいけないにしても、あの呪縛から離れられたんだ!


とにかくその時は嬉しかった。

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2005-04-17 11:00:15

大学1年

テーマ:僕の軌跡

 ガイダンスを終え、将棋部の部室を地図で確認してからさっそく覗いてみた。

 

割りにこじんまりした中に結構な数の人たちがいて、おどおどしている僕に早速声をかけてくれて、「おお、やろ、やろ」と手招きをしてくれる人がいたので早速お願いした。

 

 

当時、ここは中部地区でABクラスをいったり来たりしている状況でその割りに人が多くとっても活気のあるように感じた。

帰るとき、「お前、どっちだ!」って聞かれ、それをいうとその最初にやった人とまったく同じ方向で、それからはいつも一緒に帰り、しばらくすると帰る途中に2時間ほど桑名のジャスコで一緒にバイトを始めた。

 

 

それでも1年のときは真面目に授業に出て、そこそこの成績ではあったけど、わずかな時間でも部室に駆け込んでいくと必ず何人かいたね。


春の大会で
Aクラスに昇級し、その時は西日本大会にも団体戦で出場し、6将で全試合参加させてもらい6-1の成績に自信をつけたかな?

次の秋の大会から僕が卒業するまではA級を確保したから、多少なりとも貢献できたと思う。

合宿は年2回、夏と冬に1週間くらいの日程で行われていた。

 

 

大学に入って、今まで通っていた将棋クラブにはまったく行かなくなったけど、その分毎日部室に顔を出していたね。

ただそのときは、ほんの数人しか相手がいなかった。

それでもそこでパチンコ、麻雀、たばこ、酒を覚え、とにかく今までとはまったく違う世界の中ですごくみんないい人ばかりだったから、楽しくて仕方が無かったな。

 

 

春の大会(5月の連休にあった)自体、僕はまったく知らなかったけど、個人戦にエントリーしてくれていたおかげで3回戦までいって負けた(その時の相手は優勝した)

それから夏の合宿で部内の2つある大会を両方制覇し、それなりの自信を持って秋の大会は出向いたんだけど、団体戦は4-1でまずまずだったが、個人戦では予選は通過したものの1回戦で中盤で銀得の将棋を負けてしまった(その人が結果的に優勝した・・・春に続いて嘘みたいだけど)

 

 

でももう一つ大会があったんだ。それは新人戦。

すでにそのときには下馬評なるものがあって、岐阜大の
T君(のちのアマ準名人、アマR選手権者)や名大のT君、それと僕が有力と言われていた。

今思えば危なっかしい将棋をやっていたものの、とにかく気迫があったんだね。決勝で名大のT君を破り、僕が優勝することが出来た。

新人戦は1回しか出られない大会。
しかも以前、昇段戦で悔しい思いをしていただけに賞状を読み上げられてもらうときには、周りの拍手を受けたときには、お腹のそこから沸きあがるような喜びを感じ、嬉しくて嬉しくて仕方が無かった。・・・この喜びに勝るものはそれまでに経験したことがなかったな

その時の記念にもらった将棋盤(2寸盤)は今も大切に持っている。

先輩もすごく喜んでくれてお祝いにと、どれほどの酒を飲まされたかも記憶が無い。

すごく楽しいところにはいったなあと痛感したね。


それともうひとつ、高校のとき商業高校に行った友達に女の子を2回ほど紹介してもらった。
そして3~4回喫茶店であって2時間くらい話して別れていたんだけど、何処かに行くとか何も気づかなかったからだろうか?

それでいつも「さよなら」されていたね。
話している時はとても楽しそうに話すのにって思っていたから、なんとも不思議ではあったけど僕自身あんまりまだ興味がなかったのかもしれない。


でも、自動車学校に行ったときに知り合った子、その子は今までのどの女の子とも違っていた。

とにかく会うだけで自分が楽しかった。
あきれるくらい鈍くさいところにもすごく惹かれてたね。
そこを卒業後もいつも一緒の電車で名古屋に通い、彼女が車を持っていたからそれで何かと時間を作ってはドライブをしていた。

その付き合いは3年余り続き、ちょっとした事件(その当時としてはすごく大きな事件と思っていた)で別れることになったんだけど、どちらにしても1年生のときは分刻みのようなめまぐるしい中ですごく充実していた年でもあった・・・この話しはまたそのうちに書きます。

 

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