2010-02-17 19:52:29

廃品回収

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今度の日曜日は、そらの小学校6年最後の廃品回収


はーちんが引っ越す、そらの小学校の道具などを整理し、中学校用の新しいものを入れる


そのためにはどこかスペースを作らないと



3段のケースとか棚などを買ってもいいのだけど、少しずつでも物を減らしていって、部屋を広く使いたい


そんなわけで8年前に大掃除してかなりの物を捨てたんだけど、妻の持ち物はほとんど何も捨てなかった。


どこかでやろうとは思っていたんだけど、ずるずると今日に至ってしまったんだ。

それでこの廃品回収を機会に整理してしまおうと思った。



和服はいつか娘が着る時もあると思い捨てられないので、とりあえず整理ダンスの中をって



妻は普段片付けが苦手だったんだけど、こと衣類に関しては完璧と言っていいほど整理していた

ちょっとした服はすべてクリーニング帰り

一段目の引き出しを開けると、見覚えのある服が


2段目も、3段目も。。。。


まいったなあ~


安物のトレーナーさえも手にとって見てしまうと、それを普段きていた姿が思い出されてしまうよ

物持がいいので若い時からのものまで膨大な量


僕はしばらくそれを見ながら、迷ってた

でも


でも意を決して全部捨てることにしたんだ。

黒のゴミ袋を持ってきて、1つ1つの服を見ないように2~3着わしづかみにしながら、どんどんゴミ袋に入れていった。

なにもかも

ゴミ袋は6個できた



そのあと本棚に移り、僕や妻が読んでいた本も全部捨てることにした


1つ1つの本にもすごく思い出があったけど、子供たちの小さい時からの作品だけ残して


まだ洋服ダンス、クローゼットや押し入れの中などにもいっぱいある



でもこれで今日は終わりにしよう・・・整理ダンスと本棚だけで気持ちがめいったな

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2007-05-13 18:40:22

母の日

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いつものように5時に起き、ボケボケという休みならではの幸せに浸りながらただ時間が過ぎていくのに任せていると、そんなわずかながらの楽しみの時間をつんざくように、休みというのに習慣か、それとも見たいテレビがやるからか知らないけど、しっかり起きてくる。


起きれば起きたでご飯の用意

今日は昨日のカレーの残りが少しあったから、シュウマイとカレーと味噌汁(どんな組み合わせだと言わないように^^)


「ゾロリ」と「恐竜キング」を見終わると、やっと食べだす始末で何回「はよ食べろ、はよ食べろ」といっても、きゃつらも慣れたもの

言われた瞬間だけ、食べるような振りをしてあとはテレビに釘付け



そんな休みの朝を過ごし、はーちんをバイトの送りながら、朝市の買い物


帰ってきてから、2~3日分の用意をしてから、昼ご飯の用意

チビ達に焼きそばを食べさせたら、やっと僕の時間が来るんだ(食べるや否やすぐに遊びに飛び出していくからねえ^^)



僕の貴重な自由時間は最近はもっぱら寝ること

万年床を引っ張り出して(布団は起きた時に端のほうに寄せている)

うたた、うたたとしている時はチビ達もあんまり僕の近くで騒がなくなっただけにとっても気持ちよく寝れるんだ。



はーちんを迎えに行く前に起きた、で、今日は母の日と気付く、

そうなんだよねえ~

母の日には毎年、チビ達に何がしかの絵を描かせ、それを妻の写真の横に張るのが習慣だったんだけどしっかり忘れていた。



4時過ぎに帰ってきたので、慌ててチビ達を指導しながらわけのわからん恐竜や怪獣の絵を描かせ、それを壁に貼った。

そしてみんなで写真に向かって、手を合わせたんだ。



今日は母の日、でも命日でもあったんだ。


5年という歳月は毎日の煩雑さの中で、あらゆるものを忘れさせ、大切だと思ってたものは風化し、それが自然なんだろうなと最近は富に思うんだけど、でも忘れてはならないものもあるんだ。


それは僕はしっかりしていないと子供たちはもっとすごい速さで忘れていってしまうから・・・反省したな



そらはもう母と接した時間よりもいない時間の方が長くなってしまった。

それでも「そらの母親」に変わりは無いことなんだから。。。





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2006-05-16 20:52:04

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なんなんだろう~

去年と今年のこの違い


去年の今頃はまだまだ妻の影が強く残っていて、それがいろんな思い出にもなり、それはそれで妻を思い出しては懐かしがるという状態の日が多かった。



今年もまた13日がやってきたけど、ほとんど雑用に追われ、妻のことを考えることも無く過ぎていった。

それが言い悪いは別にしたとしても、この日くらいはって思うと自分の冷たさにあきれる。


世の中は人が1人どうなろうと関係なしに動いている。

そしてその中で毎日を過ごしているうちに、以前思っていたほどの感情も哀愁もなくなってきている。

それを成長と言うのならあんまりよろしくないような、そんな気持ちにさせられた。



だから土曜日は何も無く終わっていった。



日曜日、お昼から子供たちを連れて、近くのスーパーに買い物に行ったんだ。


そしたら・・・


店の前にいっぱい花を並べて売られていたんだ。

母の日のプレゼントという名前で・・・


それを見てはじめて気付いた。

妻は、どこにもいない妻は、いつまでも僕自身の心の中に大切にしまっておいてやって、なにげないときに思い出してやらなければ、誰が妻のことを考えてくれるというのか!

しばらくの間、ボーと花を見ながら、そんなことを考えていた。


買い物が終わり、そらに

「ママの花を買っていこうか?」

「うん!ママの日だもんね」



家に帰って、写真の前に花を飾り、みんなでママの顔を見たんだ。


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2006-05-06 23:46:58

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先日の4月29日は、僕にとってはいつまでも思い出となる日



妻とお昼に15分ほど電話で話した。それが最後の声

「私、まだ頭がとっても痛いんだからね!」


つい最近まで妻のことをたまに思い出しながら、考えたりすると、妻の声が聞こえてきていた。

「としく~ん、としく~んって・・・」


その回数は年をおうごとに少なくなってきたけど、ゴールデンウィークという連休にはどうしても一度や二度は思い出してしまうね。


今回の休みにはまたお袋がやってきて、あれこれと世話をするというか言いたい放題(もちろん僕たちのことを心配してなんだけど)いって、この連休が終わると帰っていくだろう。

そんながやがやしい中にもこんな時間になってみんなが寝静まった後には、そして趣味である将棋からはなれていると聞こえてくるんだ。



今の僕がやっていることを空の上からしっかり見ているんかな?



「ねえ、私が先に死んだら、絶対葬式はしないでね」

「本当に私が死んで悲しんでくれる人だけを呼んで、亡骸は海に捨ててほしいな」

「それなら僕が先に死んだら、同じようにしてくれる?」

「そりゃそうよ」

これが出来なかったことは未だに後悔している。


「でね、もし片方になったときには思いでも大切だけど自分自身のことも大切なのね」

「と、いうと?」

「さっさと、もしいい人が見つかったら、過去に引きずられないようにって事」

「そんなもんなの?」

「そりゃね、実際あなたがもし今亡くなったらさあ~、すぐに生活も困るし、もちろんしばらくの間は働くにしてもまだ育てなくちゃならないのが4人もいるのよ」

「だからそんなところに来てくれる人なんて絶対ありえないとは思うけど、それでももし縁があればっていうことね」


「反対だったとしても?」

「当たり前よ、だってさあ~誰が子供達の面倒を見てくれる?家には親類や当てに出来るような親兄弟がいないじゃん」

「確かにそうなったら困るわなあ」

「だからこそお互いに健康に気をつけながら生きていかなくちゃね」

「うん、それはもちろん」


なんか40代でこんな話をすること自体、実に変な夫婦だったんだけど、よく同じようなことを話した。



お袋が買って来てくれた花がそえてられている写真を見て、また思い出したね。

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2006-05-06 23:10:25

結婚指輪1

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友達のブログを徘徊していたら、その中に結婚10年目というのが目にとまった。



なんかその響きがやけに懐かしく、ついついまた遠い昔を思いだしてしまった。



妻と曲がりなりにも結婚式を挙げたとき、僕が妻にしてやれたことは結婚指輪を買ってやったことくらい。


僕にはほとんど貯金らしい物はなく、さりとて妻は結婚式をやりたいと強く思っていた。

実に情けない話だけど、そういう経過でその費用のほとんどは妻の貯金から・・・新婚旅行の費用も家財道具も・・・

結婚式には親兄弟と友達3人ずつ、親類縁者は呼ばずだったんだ。



僕はそれでも自分の情けなさよりも、妻と一緒に暮らせる喜びがあって、きっと妻もそうなんではないかと勝手に思っていた。



でもせめてなにかを・・・


そんな話をしたときに

「それなら一緒に結婚指輪を見に行かない?」

といわれ、当時としてはかなり有名な名古屋の宝石屋さんに見に行った。

そこにつくと妻の表情がすごく明るくなった。


そのことからも小さい頃から結婚に夢を持っているんだなあって、いろんなことで我慢をさせてるんだなあって

そんなことを感じながらも、一緒にあれこれ見ていると、お互いの好みがすごく違っていることがわかってあらまあ~って。。。

だけど指輪への思いを考えれば、妻の希望にって

それが僕に出来る唯一のことだから



そんな按配で結婚してからもお互いに指輪を外すことは無かったんだけど、あるとき僕が仕事で作業船に乗ったときにハッチに指をはさまれ、それがちょうど薬指だったため、指輪がひん曲がってしまった(でも、もしその指輪が無かったら指がちぎれていただろう・・・だから助かったと言えるのかもしれないけど)



家に帰って、開口一番に妻に謝った。

「ごめん、これ・・・」

「あら~、どうしたの?」

そのあと事情を話したんだけど、妻は僕の指が何とも無かったことをなによりも喜んでくれた。

それが何よりも嬉しかった。



その曲がってしまった指輪はケースの中に収められ、それからは指輪をしていないけど妻はいつまでもしていたな。

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2005-08-05 07:31:26

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我が家の恒例の行事にカラオケに行って、思いっきり歌うというのがあった。


運動オンチな妻は、アウトドア的なものをまったくやりたがらなかった。



でも、そのかわり歌が大好きで、付き合いだした頃はその中でも 「さだ まさし」 の熱狂的なファンだった。


僕自身、ある時期にすごく凝っていて、それが他の歌手に移っていったんだけど、妻は僕の持っているカセットの中でとにかく、

1番は「さだ まさし」 !

遠くはなれて、他の歌手と言った具合にかなりのめりこんでいたと思う。



結婚する前も、結婚して子供が生まれたあとも、だからよくカラオケに行った。


そして好きなのにうまく歌えないとか言って、いつも僕に歌わせていたんだ。

僕はそういったなかでも、「無縁坂」や「朝刊」が好きだったので、他の曲も聞きたいといつも言われてはいたけど、他の歌手の曲も歌いたかったから、せいぜい2曲くらい歌うだけだった。



そのうちに僕の好きな曲の中から、自分もいいなあっていう歌を少しずつ増やしていき、またテレビを見ては、その主題歌などを反対に歌って僕に聞かせてくれたね。


その中でも「恋におちて」は特に好きで毎回歌っていた。




8年前、妻はお母さんが、突然のガンの宣告(すでに手遅れだった)を受けて、その看病に病院へお父さんといっていたときは、まだよかったけど、亡くなったあと、気持ちが切れてしまったように一気に暗くなっていった。

日常の子供の世話ややるべきことはやっているにしても、張りを持った楽しそうな姿ではなくなっていた。



子供の頃からお父さんが大嫌いで、その反面お母さんが大好きだった妻

どんなことも何でもお母さんに話し、お母さんはそれをいいとも悪いとも言わず、いつもニコニコして聞いててくれたらしい。




妻は2人兄弟の姉、弟が1人いるんだけど、いまだに結婚もせず、なにかにつけて妻があの家のことを取り仕切っていて(よく言えば、各々の連絡役になっていて)、それをいつもお母さんと話すというパターンであっただけに、脳梗塞を起こし、かなり身体がガタガタになってしまったお父さんや独り者の弟を心配しながらも、僕の少ない給料の中で多くの子供を世話していた。



「近いうちに家に引き取ろうか?」

「それなら、としくんのお母さんも一緒にしようか?」

なんて話も数え切れないくらいしたかなあ




お母さんの死後、妻は車を運転するときにいつも僕の持っていたカセットの中の、アリスの「帰らざる日々」や岩崎宏美の「思秋期」なんかをよく聞いていた。

家族でカラオケに行くのが我が家の手軽な発散の場だったのだけれど、そんなときには上記の歌や「ロード」をとくによく歌わされたかな?・・・いつも僕が歌うのですよ^^



自分は「恋に落ちて」や「love love love」をいつも歌いながら、僕の歌う歌にも注文をつけていた。


僕は阿呆だから、妻が

「としくん、うまいわ~」、「それ、声がぴったりあってるわ~」

なんて言われて、ついつい調子に乗って、リクエストに応えていたなあ




妻はお母さんが亡くなった悲しみを上記の歌をいつも聞いていて、少しずつ癒されていったと言っていた。





僕にはこれまでそのような感覚がまったく無かった。でも。。。。



つい先日、久しぶりにカラオケに行ったときに何気なく選んだ曲が、上記に書いた曲ばかり


そして、「ロード」や「チェリー」を歌ったとき、特にロードの歌詞を見ながら歌い出したとき、いっぺんに目頭が熱くなってしまった。

声がつまって、うまく出せない。



もう4年目、日常の煩雑さの中で忘れがちであった妻がこんなところにいたんだって、思えてならなかった。



年に1度か2度しか行かなくなったカラオケで、最近では妻と一緒に歌った歌はまったく歌っていなかった。

わざと避けていたのかもしれない。




でも・・・


こんなところに・・・僕の心のこんなところにいたんだね。


また歌うからね。妻ちゃんの好きだった、そしていつも僕に歌わせていた歌を・・・

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2005-06-09 05:16:46

夢の続き

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妻とはいつもダブルの布団で寝ていた。


でも僕はすごく暑がり、妻は考えられないくらいの寒がり


だからいつも僕は布団も何もかも妻のほうに放り投げて、敷き布団の端のほうで寝る。

妻は布団の中にしっかり包まって寝るというのが、それまでの習慣だった。



でも、「夢」のことがあってからは、いつも僕にすがりつくように寝るようになったんだ。

僕は最初の頃、それがすごく暑くてなかなか寝付けずに苦労していたんだけど、習慣というものは恐ろしい物でいつのまにかそれが自然になって寝るようになっていった。



それからは「夢」のことをお互いに一切話さなかった。

わざと避けていると言うほどのことでもないんだけど、たくちゃんやりーちゃんのことばかりで・・・

今となると「夢」のことを知っているのは、僕とたくちゃんだけだろうな。



2DKの部屋にはものがいっぱいあって、僕が寝ると頭がたんすにあたり、さりとて少し下がれば障子に足が触れるような狭いところで、いつも4人で寝ていたんだ。




それから1年近く経ったとき、お医者さんが言ったようにまた妻は妊娠した。


5階建ての5階に住み、それまでは買い物に行っても荷物を車から何回も出し入れするのに往復するのが嫌で、みんなで何とか運んでいたけど、もう妻には何ももたせなかった。

もちろん買い物は僕の休日に限るようにして・・・


エレバーターがないから、5階までの階段は結構辛い物があるんだけど、妻はそれまでのように気楽に上がらず、ゆっくり、ゆっくりしたペースで登り、みんなもその歩調に合わせて部屋に帰った。



まだそこまで目立たないおなかを毎日さすりながら、話し掛け、たくちゃんもそれをりーちゃんのときのようにまねをして話し掛け、それがおなかの子供にみんなで元気を送っているつもりだった。

もちろん、「また!」という不安にかられそうな妻に元気を与える意味でも・・・


何とか順調に5ヶ月がたち、ある程度安心できる時期がきても、平日は必要最小限りーちゃんの世話だけにとどめさせ、帰宅後、僕やたくちゃんで家事の残りをやっていた。



超音波で見ると、どうも今度も女の子らしい


妻はいつも「ごめんね~」って、言っては僕達が家のことをやるのを見ていて、要領を得ない僕達にあれこれと教えてくれた。

だからかえって、神経を使わせてしまったのかもしれないけど、それまでろくすっぽ家事をしたことのない僕がそのときにある程度のことを覚え、今に至っている。




出産予定日はなんと「2」がみんなそろっていたんだ。


つまり平成2年2月22日


当時そういったぞろ目で生まれてきた子供は地方新聞ではあるけど、顔写真付きで新聞に載ったんだ。

だからすごくいい記念になるとお互いに思い、話し合い、すごく期待した。



でも、その日陣痛はやってこなかった。

兆候がきたのはその翌日、実に運がいいことに土日にかかっていた。(もちろん立会い出産だから会社にはあらかじめ頼んでおいて、有休にさせてもらうつもりではあったんだけど)



いったんは病院に行って、診察を受けたら先生から

「まだまだ!」

と言われ、もう一度家に帰り、夜になっても寝れない妻と一緒に何気ない話しを果てしなくしていた。



そして深夜といってももう明け方の4時ごろに陣痛の周期がだんだんと短くなってきて、再び病院に

あとは陣痛のテンポがもっと早くなり、子宮口が徐々に開いてくるのを待つばかりだったんだけど、妻はりーちゃんを出産したときよりもやはり不安だったんだろう。

僕の手をすごい力で握り締めたまま、絶対離さなかった。


その手から「何が何でも生みたい!」と言う気持ちがひしひしと感じられてきて、苦しんでいる妻の手を僕も知らない間に力を加えて握っていた。



そんな時間がすごく長く感じられ、実際病院に行ってから10時間以上たったのだろうか?



夕方にその姿を表した赤ちゃんは、りーちゃんのときよりも100gほど大きな女の子だった。


妻は胎盤を出した後、生まれて洗ってもらったばかりの赤ちゃんを顔の横に持ってきてもらって、それを見て、また泣いた。


でもそれは「本当に無事に生まれてくれてよかった」という安心感から来る嬉し涙にほかならない。


僕もそれを見て余計に嬉しくてその時言葉が何もいえなかった。

本当は「おめでとう」とか「よかったね」って言うべきところなんだろうけど・・・




それが「はーちゃん」なんだ。

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2005-06-08 05:12:09

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りーちゃんが生まれてからというもの、家族というかおじいちゃん、おばあちゃんと妻の主導で行事が目白押しであった。



そんなことを繰り返して、1年余り

突然妻が、僕に告げた。


「今、妊娠2ヶ月なんだって!」


りーちゃんという待望の女の子が産まれ、さらに続けるようにして子供に恵まれ、僕自身ももちろんだけど妻はすごく嬉しそうでそんな妻を見てるだけでも自然に嬉しくなった。



「でもねえ、2才違いだといろいろなものをダブって買わなくちゃいけないから大変なのよね~」

「それにさあ、そのときにりーちゃんのおっぱいが終わって、焼きもちをやくかもねえ~」


なんていいながらすごく嬉しそうに話すんだ。



妻にしてみれば、これまでの病院通いを考えれば、まったく嘘のような話だったに違いない。

それだけに妻の喜びもすごく大きなものだった。

もちろん生まれてくる子は女の子と決めていたしね^^


りーちゃんは生まれたときの重さは2510g・・・とっても小さな子だったんだけど、母乳のおかげか周りの温かな愛情のおかげか何事もなくすくすくと育ち、1才を過ぎる頃にはもうベビーベッドから飛び出し、その辺をハイハイするような感じで、妻はいつも目が離せなかったんだけど、たまの休日に見る僕の目からはすごくほほえましく写っていた。




そんなある日


「としく~~~ん!!」


たまたま休日の朝で僕がまだごろごろとしていた時に突然、妻がトイレから悲鳴を上げたんだ。


まだ寝ぼけまなこの僕はその言葉でいっぺんに目がさめ、トイレに駆け寄った。

「今。。。血が・・・1滴こぼれたの・・・」

「え!」


僕はそれが何を暗示しているのかがまったく分からなかったけど、すぐにりーちゃんの生まれた病院に連絡し、診察を受けさせてもらい、その間りーちゃんを抱きながら待っていた。



どのくらい待っていたんだろう、ひどく長い時間が過ぎていったように感じられた。

そしてやっと診察室から出てきた妻は、目にいっぱい涙を浮かべ、僕に駆け寄って


「としくん、ごめんね、ごめんね、赤ちゃんが・・・」


その瞬間に僕は反射的に何が起こったのかを悟り、僕も妻と一緒に周りも気にせず泣いた。

妻が僕にすがりつくように泣いているのを見て、何かを感じたんだろう。りーちゃんまで突然大きな声で泣き出した。


知らない間にお腹の赤ちゃんの心臓が止まっていたんだ・・・



そのあと、先生の説明を2人で聞きながら、ここまで3ヶ月余りお腹の中で育っていたわが子を摘出する手術を行うことになった。

小さな小さなまだ形にもなっていないものを見せてもらい、それをお願いして家に持ち帰らせてもらった。


先生はその時、

「またすぐに出来ますから大丈夫ですよ、気を落とさないように」

とは言ってくれたけど、そんなもんじゃないんだ。

次に生まれてこようが、この子は・・・


ものすごく痛かったらしい。

でもそれ以上にショックが2人を包んで、家に帰ってもただただ泣く妻を僕も目を赤くさせながら、強く抱きしめていた。

 


翌日、会社を休み、妻と一緒に過ごした。

特にいつもと変わった様子も見せず、りーちゃんの世話をし、たくちゃんに注意をし、1日が過ぎていった。

昨日泣き明かしたから、少しは・・・

でも夜になって子供が寝静まると、また僕にすがり付いて泣いた。


その翌日は会社に出かけ、終わるとすぐに家に帰ったんだけど、もう妻は泣いていなかった。



そしてどこから手に入れてきたのか知らないけど、赤ちゃんが生まれたときにその記念として「へその緒」を入れる桐の箱をもってきて、その赤ちゃんをそこに入れたんだ。



名前は「夢」


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2005-05-13 19:35:25

思い出に浸る1

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今日は13日の金曜日

 

起きてからいつものように子供達を起こし、それから妻の写真を見ながら僕は出勤の時間までボケーとしていた。

今日は何を書こうかと思って少し迷った。明るい話か、暗い話か・・・で、明るい話にしようかなと

 

 

りーちゃんが生まれ、それまでの家の中の空気が一変した。

すかさず祖父母が雛飾りのえらく豪華なものを買ってくれると言いだしたんだ。

 

しかも今買えば、かの有名な女優?

「竹下 景子さん」

を真中にしての記念撮影がセットでついていたんだ(これでどこの雛人形か分かるよね^^)

 

そんなわけで妻の父母は早速、僕達に何の相談もしないままにさっさを決めてきて、事後報告・・・

 

 

そのときはまだ2DKのアパートに暮らしていたんですけど・・・

たんすが4つ、机、こたつ、ベビーベッド、家電そのほかにもいろいろあって一体どこに置けばいいの?

どこで僕達は寝ればいいの?

って、僕自身、マジで悩んでいるのに・・・

りーちゃんが生まれて、久々に登場したベビーベッドの置き場さえもかなり悩んだのに・・・

 

 

妻はお母さんと一緒にその後、

「せっかく買ってくれるなら!」

と、あーだ、こーだと言いながら延々とその店の中を何回も一緒に見にいって、結局自分が気に入ったものに決めてきてしまった。

 

「どこで寝るの?」

「なんとかなるんじゃない?」

「雛飾り、どこに置くの?」

「私がお母さんと一生懸命考えて買ってきたんだから、それはあなたが考えてね」

「それにね、せいぜい飾っておくのは1ヶ月じゃん!、なんとかなるって」

「。。。」

 

結局、整理、片付けの大嫌いな妻だから、僕とたくちゃんで押入れの中をまたまたいじくりまわして、少しのスペースを作ったり、たんすや冷蔵庫の上にさらに載せられるだけ荷物を載せて、雛人形の箱をしまう場所をなんとか作り、ほかのおもちゃやあらゆるものを整理して、お雛様をお迎えすることになった。

 

 

りーちゃんは1月23日に生まれたので、3月3日に間に合わせるべく、とにかく休日は必死・・・妻はその間、お母さんとどれにするかのどかに相談。。。

 

でも、ここまでの「女の子が欲しい!」の一念で頑張っていた苦労を思うと、そのくらい当然なのかなとも思って、妻の嬉しさをそれだけでも感じていたし腹もべつにたたなかった。それにその片付け自体、たくちゃんもとても楽しそうだったしね。

 

 

3月3日、祖父母が来て、妻と一緒に雛壇つくり(まだその頃は僕の母、兄とは結婚以来、ほとんど断絶状態だった・・・正月に1回2時間程度お邪魔するだけ)

そして「こんなんがあるんだ~」って、びっくりするような菱形のお雛様ケーキ

 

でも、まだ何も分からない

そんなりーちゃんを真ん中に記念撮影や食べられるかどうか分からなかったけど、口にケーキをつけて、それを食べたからみんなで驚いたり、喜んだりとすごく楽しかったな。

 

 

その後も、家から30分くらいのところにある「子守り神社」にいって、御祓いを受けたり・・・

 

お食い初めのときは、わざわざおばあちゃんは和菓子屋さんに頼んで、結構大きな紅白の餅を作ってもらい、それを背中に担がせたり(これをやると一生食べるのに困らないという言い伝えがあるんです)・・・

その餅を僕がりーちゃんを持ち上げながら、それぞれの足で踏ませたり・・・

 

それまで僕が知らなかったことを祖父母の提案に沿って次から次へといろんなことをやって、その都度記念撮影・・・まだビデオはなかったんです。

 

そういった写真は今ではすごく大切な宝物になっている。

 

 

妻は掃除、片付けは嫌いだったんだけど、洗濯は大好きだった。

 

大きな洗濯機で毎日2~3回やっていてもなんとも苦にせず、すごく楽しみながらやっていたし、その後の片付け(洗濯物だけね)も実に丁寧にアイロンやなんかもやっていた。・・・紙おむつを使ってませんからねえ

お風呂の残り湯を使って、バケツで何回も汲んでいても、そういった疲れ自体がすごく充実しているようにも見えたな。

 

捨てることをしない妻だったから、丁寧に今まで残しておいた、たくちゃんのときの赤ちゃん道具を使える喜びもきっと大きかったんだろうね。

 

 

妻は実に不思議な人で、僕に対してものすごく怒っているときでさえ、朝、必ずニコニコしながら玄関に走ってきて、すきすきをし、帰宅したときもそれは変わらなかったから、よく僕はそれでだまされていた。

 

とっても機嫌がいいと思って、こちらもやれやれと思うと、帰宅後、僕が着替えてから突然態度が変わるんだよね。

 

「昨日のことなんだけど、なんでなの?」

「え!」

 

僕は妻が朝も帰りもすごく機嫌がよさそうだったから、昨日すこし意見が食い違ったときのことなど、もう忘れていると思って、そのたびにすごく驚かされていた。

でも、そんなときはたとえ疲れてても何時まででも話しをしていたから、かなり先の話になるんだけど、妻から

 

「わたしがいらいらしているときや腹が立っているときに、あなたはその都度、話を聞いてくれた。だから私も頑張れたんだとおもうの、ありがとうね、としくん」

 

この言葉を聞いたとき僕はまたまた感動したし、本当に嬉しかったな。

 僕こそ、こんな頼りない男によく耐えて、我慢してついてきてくれたと思っていたもん。

 

 

それに妻は妊娠をそれ以降何回もしたんだけど、一度も実家に帰らなかった。

実家にいるより、僕と一緒のほうがいいって・・・

日中はいなくても大丈夫だって・・・

そういってみんなで実家に遊びに行っても、1日も泊まったことがなかった。

 

それだけにそんな妻に僕はとにかくなんでもしてやらなきゃって、

何とか少しでも妻が喜ぶことをしてやりたいって

 

そしてそれがどこまで出来たかは分からないけど、お互いにそこそこに満足していたと思う。

 

 

どんなに不満をもったときでも子供の前では絶対お互いにけんかをしなかったし、寝静まってから話しをしていたこともすごく結果的には良かったんだと思う。

少なくてもお互いに不満の吐口を外にもっていかなかったし・・・

 

そしてそんな繰り返しが、普段余り感謝が無くなりつつあっても、いざなくなってしまえば、どうにもならないような、「そう!、まるで空気のような存在」になっているんだと

妻はそんなことを言うと、いつも


「空気じゃ嫌!」

「もっともっと、いっぱい話しをしてほしいな」

といっていたね。


↓・・・下に続く

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2005-05-13 19:30:28

思い出に浸る2

テーマ:

↑の続きです・・・2000文字を超えておりました(汗)



洗濯、アイロン、裁縫が大好きな妻

どんなときにも僕の悪口を外や子供の前で絶対言わなかった妻(僕にはいっぱい言いましたけどね^^)

 

なにをやるにしても、自分である程度決めていたとしても必ず相談してくれる妻

どこかに外食に行くと、自分の財布からお金を出していたんだけど、そのあとに子供達と一緒に

「パパ!ご馳走様でした~」

って、必ず言ってくれた妻(子供もそれに習っていつも言ってくれました)

 

僕が会社に出かけるとき、帰宅したときには

「ちょっと待って~」

と言って玄関で待たせ、何をやっていてもいつも玄関に走って、すがり付いてくる妻

お昼に電話を忘れようものなら、帰ったときにプンプンしていた妻

 

子供のことを一生懸命調べては、僕にそれを教えて一緒にやるようにしてくれた妻

体調が悪く横になっているときに、僕がへたくそな料理を作ってやるとすごく、すごく喜んで、美味しい、美味しいといってくれた妻

 

鳥がものすごく苦手で絵に書いたものにさえ、怖がっていた妻(家には鶏料理はありませんでした^^)

そのくせ、虫には全然平気で子供達と一緒に虫取りをしていた妻(見てたんじゃないですよ)

 

何をやるにもとにかく一生懸命で手抜きが出来なくて、その分ものすごく時間がかかっていた妻

寝ていると突然足が僕のおなかの上に飛んできて、その瞬間何がおきたかわからず、びっくりして夜中に起こしてくれた妻

 

テレビで面白そうな物があるといつもビデオを取って、必ず一緒に見させる妻

テレビを見て感動で、すぐに目を真っ赤にさせて、それを繰り返しビデオで僕も一緒に見させる妻(恋に落ちては何十回みたことでしょう~)

 

 

「そしてどんなときでもいつも僕を一番と考えていてくれていた妻」

 

 

 

家に帰って今日は妻の写真に向かい、そんなことを思い出しながらしばらく手をあわせていた。

 

「楽しかったよ、すごく腹が立ったときももちろんあるけど、それでもとっても楽しかったよ」


「今はかなりその頃のことを忘れつつあるし、悲しかったこと、心がずたずたになったこともかなり癒えてきているよ」


「でも楽しかったことだけは忘れないようにするからね」


 「子供も大きくなってきたし、まだまだこれから長いけど、でも人に頼らなくてもやっていけるようになってきたよ」


 

今日くらいは1日中、あれこれと思い出して話しかけても悪くないよね。妻ちゃん

 

 

 

 

もう3年経ったんだね。17時27分だったね。命日だもんね、今日は・・・

 

 

 

 

追伸


先日、1日限定でここに載せた妻の写真をまた1日限定で載せさせていただきます。

その頃と比べて、僕の読者(友達)もかなり増え、妻のりーちゃんを授かったときのすごく幸せそうな顔を皆さんに見てもらいから・・・


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