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2005-03-30 05:19:46

どうしてこんなに可愛いのだろう

テーマ:喜び
冷蔵庫の中が空っぽだから、会社帰りに買い物をして帰ってくると、こうちゃんが玄関に走ってきた。

「パパ~、もう痛くないよ!って」
抱っこしながら「あ~ん、してみて」「あ~~ん」
「きれいになってるねえ、よかったねえ。食べても痛くないの?」
「うん!」
いつもより、力を込めて抱きしめると、こうちゃんも力をいっぱい入れて僕に抱きついてくれた。
これ玄関での出来事


それだけで今日の1日はすごく嬉しかったな

家の中に入り、片付け、料理をやってから、こうちゃんとそらちゃんの食べているところを見ていたんだけど、シュウマイ、ハムエッグ、やっこ、えのきと豆腐の味噌汁を美味しそうに食べて、お代わりもしてくれた。
手、顔、歯磨きをさせて寝せる前にもう一度「ぎゅっ」と抱きしめたら、「ぎゅっ」と僕が抱きしめられて、すごくすごく嬉しかったなあ

こうちゃんもそらちゃんもにこにこしながら、
「パパ、明日は会社に行かないんでしょ?遊ぼうね」
って何回も言われ、本当に会社を休みたくなってしまったよ。
そうもいかないから、
「ごめんね~、パパ会社に行くんだよ。明日も天気がいいから児童館や公園で遊んでおいで」
といって寝かせたんだけど、一緒に遊びたいな。もっと一緒にいる時間が欲しいなって思ったね。

あとは少しネットでゲームをして寝たんだけど、ほかの事を含めて(クイズに当たった^^)いい日だったね。
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2005-03-29 08:24:41

無事帰還

テーマ:喜び
先日から行方不明になっていた小学生の女の子は、無事29日に帰ったそうです。
これもみなさんの協力と願いが通じたことだと思い、すごく嬉しいとともに皆さんの暖かさを実感しました。
本当にありがとうございました。

相当な数のブログにこの記事は記載されていると思いますので、文章は簡略ですが、僕もとってもとっても嬉しかったです。
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2005-03-29 07:20:18

こうちゃん

テーマ:家族
会社帰りにスーパーによって少し買い物をし、帰宅するや否や娘に手伝ってもらい冷蔵庫の中身を全部取り出しスーパーの袋に入れさせ、調理できそうなものを次から次へと作っていった。

白身魚のフライ、ベーコンエッグ、塩しゃけを焼く、インゲンをゆでるなど冷凍食品と悪くなりそうなものを確認しながら・・・
でもやっぱりコメントにもらった皆さんの言うように、冷凍食品のほとんどは捨てた。匂いをかいで、「どうかな?」というものはすべて・・・

冷蔵庫の回りも急いで片付け、道を作り、電気屋さんが来ても冷蔵庫がスムーズに入れ替えられるように段取りをしていたんだけど、子供たちがまだ食事をしていなかったから作ったものを順番に運ばせていた。


そんないろんなどかしたものに突然こうちゃんが、つまずいて転び、廊下に顔を打ち付けて口の中を切り、大泣きをしたんだ。

口からどんどん血が出てきている。慌ててこうちゃんを抱き寄せテッシュで口の周りや中を拭きながら、抱いていた。
もっと事前に計画性を持って用意をしておけば・・・
娘達に電話をして、先に少しでもやらせておけば・・・
そんなことが脳裏に浮かんで、こうちゃんがすごく可愛そうで可愛そうでただ抱きしめていた。ごめんね、ごめんねと思いながら・・・

いつもならどんな慌しくてもお盆にひとまとめにして持たせ、運ばせていたし、道をふさぐようなこともしていなかったんだから

少しおさまってから、口の中を洗いに行かせ、それから食事をさせたんだけど、今、口の中をきったばっかり、痛くて痛くて泣きながら食べている。
お腹がすいているからそれでも我慢しながら泣きながら食べている。
その顔を見てると、僕が如何にいい加減なことをやっているかって思い、情けなくなりつつもこうちゃんをずっと見ていた。

電気屋さんがきても、おまかせして・・・

いつもいっぱい食べてくれるこうちゃん、すごく美味しいといつも言ってくれるこうちゃん・・・そんなこうちゃんが泣きながら食べているのを見て、目を他にそらすことなんて出来なかった。
何とか食べ終わり、もう一度抱き寄せて「明日になれば治ってるよ、美味しく食べられるよ。よく頑張って食べたね」と言ってから寝させたんだけど、反省しきりだったな。

そのあとは電気屋さんと契約などのことを話しながら処理をし、ブログを徘徊して1日が終わっていった。


今、これを書いているときに思ったこと
ついこの前まで、そう小学校の1年生くらいまでこうちゃっんは泣かなかった。
目に一杯涙を貯めていても声をあげて泣いたことがなかった。
みんなに叱られる。苛められる。それがたまりにたまると周期的に神経をやられ、気が狂ったように興奮したり、何を言っても隅のほうに怯えるように隠れていた。

何回も呼ばない限り、僕が迎えに行ってやらない限り、近くに寄ってこなかった。
いつも大人が聞いても頭にくるような言葉を言ってた。
そのたびに娘達は感情的になり腹を立てていたけど、今はその場その場で悲しさ、痛さを大きな声で泣けるようになって来た。

そんなことを考えていると、こうちゃんもやっと子供としての表現が出来るようになったのかな~って思ったな。
普通の子供なら2歳くらいからそんなことはあたりまえなのかもしれないけど、僕にとってはそれもすごく嬉しいことだとこうして書きながら思っている。


明日の21時から1日の9時までメンテナンスのためブログに入れない。記事が書けない。お気に入りのブログの徘徊も出来ない。
たった2日のことなんだけど、最近はここにはまりまくっていたのでポッカリ穴のあいたような状態になるのかなあ
そうなると困ったものだね。他のサイトのブログに行く気がしないし・・・
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2005-03-28 04:53:20

家電の寿命

テーマ:悩み
アパートから待望の家を立て、引っ越す時に買ったもの

洗濯機、冷蔵庫、テレビ、ビデオ、照明器具、カーテン等、1年後に買ったもの、業務用クーラー
それはみんな妻が小学校からの幼馴染である電気屋さんから購入したものなんだけど、その一つ冷蔵庫が昨日コメントではなしたように買い換えることになった。

僕はそういったものは半永久的に使えるものだと今まで思っていたけど、その人曰く、「寿命は大体10年~13年くらいですよ」だって

そんなこといったら、全滅じゃん!って思いながら聞いてたんだけど、それがマジなら本当にまいっちゃうね。
ビデオはとっくの昔に壊れたけど、他のものも寿命が近づいているとは・・・


確かに台所の開き戸がうまく閉まらなくなりつつある。隣近所は外壁を塗りなおしところがあちこちで見られる。
家も建ててから今年で14年目、僕自体はそのまま何もせずお化け屋敷になっても気にならないんだけどそうも行かないだろうし・・・

そうなると1年に一つずつ順番にってその時思ってしまった。家電も近くの大型店で買えばかなり安くなるのは分かっているんだけど、そこは隣の市なんだけど困った時にすぐに飛んできてくれるし、だからその電気屋さんで買ってあげたいし

なんにしても冷蔵庫の中のものをどんどん消化しなければと思い、まずは肉・・・肉じゃがとかそぼろを作った。それで牛肉2パックと1kg買って来たミンチを処理した。悪くなりそうなものからどんどん使わなければ

今は春休みで子供たちがみんないるし、それで少しでも消化できるのが救いかな?
塩しゃけ、ベーコン、豆腐、卵なんかも安心していられないから、今日帰ったらそのあたりを集中して攻めようと思う。
ちなみに皆さんに質問なんだけど冷凍食品はどうなんでしょう?
それもやばいというのなら、考えなくちゃいけないんだけど・・・


毎日うちでは6リットルの洗濯機を2回まわしている。夏場になれば3回だ。
1日たりとも休むことは許されないし、今住んでいるところは盆地の関係で夏はすごく暑い。冬はいてつくような寒さ
1階はふすまをはずして、1部屋にしている関係でクーラーも業務用ですごく高かった。
まあ壊れないことを祈るしかないけど、まったく買って10年も過ぎるといろんなところに軋みが出てきて、悩みは尽きないなあ


僕の軌跡についてはもっと書きたかったけど、昨日はいろんな雑用があって書けなかった。
毎日少しづつ書きながらストックし、週末にここに載せられるようにしたい。
一気に書かないとその時の感情が途切れて、なかなか大変なんだけどそんな時間もゆっくり取れないしね(あれだけの文章なのに鈍くさいから2時間以上かかっているんです)
なにごとも焦らずゆっくりやるしかないか。
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2005-03-27 06:29:06

飲み会

テーマ:生活
1ヶ月に1回町内の飲み会があった。
一昨年、町内の役員をやりその時の有志が集まって出来たんだけど、およそ半数がいつも出席している。


普段朝6時前に出かけ、8時頃に帰ってくる僕としては同じ町内でとっても親しめる場
役員の時はお互いに協力しながらとっても苦労しただけに、お互いに何か一体感と言うか心通じるものがあって、すごく気持ちよく飲めるんだ。

幹事は持ち回りで、1人1000円でやりくりしているんだけどそれでもみんな工夫を毎回重ねて、それだけでもすごく楽しいな。

6時から始まって9時に終わるんだけど、僕がいないとすぐにのろのろする子供が心配なので、8時半には失礼させてもらっている。でも毎月のすごい楽しみになっている。

子供が飛び立って、自分がのんびりできるようになったら町内に老人会のようなものもあり、そこでもさかんにいろんなスポーツやイベントをやっているから積極的に参加させてもらおうかとも思っている。

今一緒に飲んでいる人たちと一緒に年をとっていって、そのときはまた一緒に楽しく過ごせるのかなあって


今日も出かけなきゃいけないし、冷蔵庫が2~3日まえからおかしい。中のものが全滅しそうだ。
あれこれとやったんだけど、どうも電気屋さんを呼ばなきゃいけなそうだ。
へたするとこのもの入りのときに新しいのっていったら、泣きそうだな。
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2005-03-26 06:03:55

その当時の僕

テーマ:僕の軌跡
保育園に入る前、入った後の記憶はほとんどない。
ただ母は朝、僕が起きたときには、そして寝る時も編み機やミシンをひたすら使って働いていたことだけ、その音を聞きながら1つの布団で兄と寝ていた。

寂しかったこと、辛かったことは案外覚えている。きっと楽しいこともいっぱいあったんだろうけど・・・

小さかった頃の僕は写真でしかその当時のことを見ることは出来ないんだけど、たまたま隣の家が写真屋さんでよく練習のために僕達兄弟の写真を取ってくれていた。
僕の赤ん坊の頃から・・・
それを見るとこんなことをやっていたんだなあ~って・・・ただ兄と2人で写っている写真はいっぱいあるんだけど、親との写真は以前ここに書いたように1枚しか残っていない。

父と母が一緒になって写っているのも、その1枚だけ


保育園、小学校低学年の頃はいつも家にかえるや否や玄関にランドセルをほおリ投げてすぐに近くの公園に行った。
そこには約束をしているわけではないんだけど、僕と同じような子がいっぱいいて野球やドッチボール、鬼ごっこ、ポコペン、ビーダマなんかをいつもやって遊び、夕方になると家に戻って、家や庭の掃除、買い物、食器の荒いもの、風呂掃除と風呂焚き、そのためのまき割りなんかを毎日やっていた。それはいつもやっていることで別に苦痛でもなんでもなかった。
冬の洗い物や雑巾がけは冷たくて嫌だったけど

雨の日なんかはまきが湿ってなかなか火がつかず、困った。
新聞からまきに、まきから豆炭に火がうまく移らないと時間だけが過ぎていき、焦った記憶があるなあ


食事はいつも丸い飯台の上に大根やニンジン、キャベツ、たまねぎなどの野菜を炒めたり、煮込んだりしているものが皿に1つで~んとのっていて、それをみんなで一緒に食べていた。(肉、魚、卵などは食べたことが無かった)
朝はご飯と味噌汁だけ、小学校に入って給食に出てくるものは今思えば粗末なものかもしれないけど当時の僕はすごく知らないものばかりで楽しみだった。
脱脂粉乳も美味しく飲んでいたし、食パンも家では絶対食べられないようなものだったから、美味しく感じていた。

その頃僕がたまに風邪を引くと、卵かけご飯を作ってくれた。それが美味しくて美味しくて、いつも病気にならないかな~って思うこともあったっけ(卵はその時にしか食べられないんだから)


当時無性に寂しかったこと
それは普段なんとも感じないんだけど、何か行事があったとき
例えば、授業参観、学芸会、運動会など・・・

以前書いたことがあるけど、授業参観に来てくれたことは一度も無かった。何か今日は先生の態度がいつもと違うなあって思っていると、後ろにぞろぞろと母親がやってきて、「今日は授業参観なんだ~」って初めて気づき、絶対ありえないと分かっていても、しょっちゅう後ろをきょろきょろして探していた。
ひょっとしたらといつも期待をしながら・・・

学芸会の練習も僕は一生懸命にやった記憶がある。
先生が「お父さん、お母さんが来ますから、みんな頑張りましょうね」って言う言葉をいつも信じていた。

運動会・・・兄と3つ年が離れているので僕が保育園に入った時にはすでに小学生、だからこのときばかりは・・・

となりの家のおばさんにおにぎりをいつも預けて同じシートに座らせてもらい一緒に食べたんだけど・・・となりのおばさんは優しかった。でも
「もっとこっちにおいで」
と言われても、おじいちゃん、おばあちゃんを含めて一家総出で子供の姿を見に来ている中に僕は入ることは出来ず、シートの隅に座り、おにぎりを食べたらすぐに片付け、ブランコで遊んでいた。
そんな時、みんな家族ですごく楽しそうにご飯を食べているのを見て・・・手の込んだお弁当はうらやましくもなんともなかったんだけど・・・

いつもはなんともなかったんだけど、そんな時になんできてくれないのかなーと思っていた。
一生懸命やっているところを走っているところを1目見て欲しいと、いつも思ってた。

慣れとは恐ろしいもので小学校ににはいって3年生くらいになるとそれも寂しいと感じなくなったけど、それでもまわりをいつも見ていたな・・・


小学校4年の1学期に学級委員になった。
それを家に走って帰り、母に報告すると「よかったね」とはいってくれたけど、気持ちが無い(それどころじゃない)ってのを感じて、そのくらいじゃ駄目なんだと思った。

1学期の成績は音楽の4以外、オール5だった。
でもそれを見せた時も・・・
ものすごく寂しくて寂しくて、どうしたら母の喜んでくれる顔が見られるんだろう。

2学期になって一気に成績は落ちていった。

そして5年生になった頃からある特定の子から僕は苛められるようになった。
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2005-03-25 21:20:13

父母のこと

テーマ:僕の軌跡
何から書こうかすごく迷った。
で、僕の今までの背景を書き、その都度強く感じたことを交互に書き並べていこうかと思い、HPの日記の引用や忘れかけている記憶を呼び戻しながら書いていきます。


父は姉と妹の3人兄弟の真ん中、家がどのようなことをしていたかは知らない。
ただ、お父さんが40で癌で亡くなり、お母さんもその看病疲れなのか3ヵ月後に死んでしまい、そのときまだ小学生以下だった3人の子供たちはそれぞれ親戚に分かれて預けられた。

父を預かった所は帽子の小売店をやっていて、その関係から小学校卒業と同時にその店の問屋さんに丁稚奉公に出され10年以上そこで働いた。
1人前になり、2番番頭にまでなったんだけど、戦争に駆り出され中国にいって、帰国後、その問屋を相手に帽子の製造を始めたそうだ。
並大抵の努力ではなかったと思うけど、丁稚奉公の修行の成果か父にはデザインの素質が多少あったらしい。

今では当たり前になっているようなデザインでもその当時は結構斬新で、注文もたくさん来て、順調だったそうだ。
そんな時に母との見合いの話しがあった。


母は兄2人の3人兄弟、ただ兄達とは15才離れていて、しかも女の子と言うことでかなり可愛がられ、甘やかされて育ち、多少裕福な家庭と言うこともあり女子高まで行かせてもらったそうだ。
母は見合いのあと余り気がのらなそうだったけど、仲人さんが
「あの人は苦労をしているから、すごく頑張って立派な人だからきっと幸せにしてくれるよ」
といわれ、それならと承諾し、結婚することになったそうだ。


結婚して、市営住宅に住んだんだけど当事の市営住宅は平屋ではあっても、庭もあり立派な1軒家で、そこを1部改造して2人で帽子の製造を始めた。

父にしてみれば妻を得て、今までの苦労が報われ、なにもかも花が咲いた時期だったんじゃないだろうか。そんなささやかな幸せな時に兄と僕が生まれたんだ。
(そのまえに1人生まれたんだけど、1週間で死んでしまった。兄は父の名前の1文字をもらい、僕は死んだ兄の名前の1文字をもらった。)

でも、そんな幸せは僕が保育園に入る前あたりから、父の身体の異常からおかしくなっていった。病気になってしまったから・・・腎臓障害
僕が保育園に行く時期(今で言う年中)を同じくして、国立名古屋病院に入院した。


父は入院生活の中で1人苦労している母を見て、どれだけ自分が情けないと思ったことだろう、どれだけすまないと思ったことだろう、何とか少しでも早くよくなってって、どれだけおもったことだろう。ものすごく無念だったと思う。

娘のことが心配で可愛くて仕方がないおばあちゃんが、10km以上ある兄のところから頻繁にリヤカーに野菜を満載し、引っ張ってくるようになった。
1年後おじいちゃんが死んだのを期にそれまでやっていた養鶏場をたたみ、家に住み込んで、僕達の面倒を見るようになってくれた。


月に1回、母は僕たち2人を病院に連れて行ってくれた。
その時はバスに乗れる嬉しさ、病院というその当事ではとっても大きな建物、エレベーターという見たことも無い珍しい乗り物、屋上に行けば名古屋が一望できる爽快感
病院に到着すると父に挨拶だけをして、あとは兄といつも病院の中を遊んでいた。


そんな日がどれほど続いたのだろう。明日から5年生として学校に行くという4月6日のお昼に母から突然電話があり、すぐに病院にこいという。
兄と2人、病院に到着すると病室の外で座り込んでいる母がいた。
声をかけると母は
「おとうちゃん、もうだめだ!」
と言う。

どういう意味か僕にはまるで分からず、キョトンとしながら病室に入っていくと父はかすれるような弱い声で
「しょうちゃん、としちゃん、ごめんな、おかあちゃんを大事にしてやってくれな」
といった。
まだ僕には何をいっているのかよく分からなかったんだけど、それなのに涙が突然溢れ出し、「おとちゃ~~ん」と叫んでいた。

翌、夕方4時ごろに母から電話があり、「今、おとうちゃん死んじゃった」といって泣いていた。


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2005-03-25 07:18:33

終業式

テーマ:生活
昨日は小学校の卒業式
3年生以下は休みとなるので、こーちゃん、そらちゃんは家にいることに
だからはーちゃんに頼んでお昼ご飯や何か悪いことをやりそうなときは注意してもらうように言って会社に行った。

帰宅してまあまあつつがなく過ごしてくれていたようだ。少しづつだけど以前と比べ物にならないくらい安心感が出てきたね。
あと数年もすれば自分達だけでも用意だけしておいてやれば、やっていけるようになるんじゃないかって


今日は終業式
ここは普段授業時間が5分短い関係で夏休みや春休みが他の地区と比べて短い。
それでもどんな成績を貰ってくるんだろう。すごく楽しみであり、以前とまったく変わっていなければ、ガックリ来るだろうし微妙な感覚
もちろん僕が見るところは、生活の記録の部分
「よくできました」がどこにつけられ、「もう少し頑張ろう」がどこにつけられていることやら

こうちゃんのもっとも気になっている所、それは言葉をなかなか覚えることができなかったんだけど、非常に大人でも傷つくような言葉をいっぱい覚えてしまったこと
だから何より先にその部分に「もう少し頑張ろう」がないといいんだけど・・・

りーちゃんが毎日バイトに行っているので、どうしてもはーちゃんに頼まざるを得ないけど、はーちゃんはあんまり嫌な顔をせずにいつもやってくれる。
しつけについても気づくたびに注意してくれる。
あの子のおかげでなんとかやっていけると、つくづく思う。あの子もやりたいこと、友達と遊びたいことはいっぱいあるだろうに・・・

せめて僕の休日はあの子の好きなことをやってもらうようにって、いつも思うな。(大抵お昼まで寝ていたいというから、寝させてるんだけどね^^)

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2005-03-24 07:14:29

まいったなあ

テーマ:家族
いつもの時間に起きて、日記を書こうと思ったら2時から6時までメンテナンス中・・・書けん!

最近は朝起きてからのボケーとしている時間に書き、会社に行ってから少しブログを徘徊し、夜8時半過ぎからレスを含めて徘徊したところを読んでいるんだけど、こんなことがあるとやっぱり夜に書かなくちゃいけないかもって思う。
でもそこまでやってしまうと寝る時間もなくなってきて苦しいことは確かなんだけど・・・


昨日のお子さんはどうなったんだろうなあ、普通に考えれば仙台だから行くとしても東京までだと思うけど、あくまで憶測だから僕のいる名古屋に来ないとも限らない。
車通勤だから帰宅途中には周りを少しでも見るようにしなくちゃ

上記で書いたことでも気づいたんだけど、やっぱり僕の生活パターンで行くと昨日書いたように記憶をよみがえらせながら書くのは休日ですね。どうしてもって思う時はともかくあせらずのんびりと書いていこうと思う。


昨日は帰ったら、めずらしくまだこうちゃん達がご飯を食べていなかったので先にお風呂に入らせ、大慌てで鶏のから揚げを作ってあつあつを食べさせたらすごく美味しいと喜んでくれた(1週間分の買い物から帰ると2~3日分のものをあらかじめ途中まで作っておいて、タッパーに入れ冷蔵庫に保存しているのです・・・から揚げなら揚げるばかりの状態までしている)

何か平日に一緒にご飯を食べるのも久しぶり、テレビばかり見る、おかずだけを先に食べてしまう、口を開いて食べる時がある、はしの持ち方が変、そんな注意をしながらもなんかほのぼのとした気分で食事が出来た。
やっぱり家族と食べるのっていいな。

最近は娘達も夕方おなかが減りすぎてラーメンやパンを食べてしまい、食べない時が頻繁になってきた。
もちろん翌日には食べてくれるんだけど、少しでも早く帰宅して何とか一緒に食べられるようにって最近は思い、会社でよほどのことがない限りすぐに帰宅するようにしている。
それでも帰りは片道2時間かかるから、なかなか僕の思うように行かないときが多いんだけど、たまにでもみんな出たべるのってすごくいい。

和気藹々とはいかない、食べ方の注意、テレビなんかでどうしても食事に専念するようにって言っているんだけどなかなかねえ

でも楽しいな。1つの食卓でやいのやいのていって食べるのって
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2005-03-23 04:16:08

自分の心の中

テーマ:僕の軌跡
最近1つのブログにはまっている。

僕と生い立ち、環境はまったく違うんだけど、その考え方にいつも引き込まれる。
時間があれば、そこの過去記事に目を通し、いつの間にか自分をその主人公のように置き換えて読んでいるんだ。

それと先日僕に質問してきた人に僕なりにその時の感情をメールして伝えたんだけど、本当の気持ちがどこまで通じたのかはわからない。
ただ、それから僕がはっきり精神的に大きく欠落した人間であることを自覚した。
いままでもそれは分かっていながら、見ないようにしていただけなんだけど

そんな点でもそのブログにはまっているんだともいえる。
そこに自分を重ね合わせ、僕がどのような人間なのか、どうすればこれからの自分が少しでもよく見えるようになるのか、少しでも明るくやっていけるのかを教えてくれているように感じ、それを読むたびにいつも癒されているような感覚になって、嬉しくてさらに何回も読んでいる。・・・まるで僕のカウンセラーのようだ


仕事をしていても、周期的にやってくるなんともいえない、何かにおびえたような感覚、それを振り払おうと一生懸命やろうとしてもまたしばらくすると襲ってくる感覚
休日に1人ボーとしている時にやってくると、いつも僕は横になってそれから逃れるために寝ようとしていた。

でも本質的な解決には全くなっていないんだよね。そんなことにも気づかされ、どのようにその人が日常を考えて過ごしているのかにすごく興味がある。
僕もそのようにやっていけば、このなんともならない感覚から抜けだせるんじゃないかと・・・
僕はいつも精神的な逃げ場を求めている。それがリアルであろうとネットという空想の世界であろうと関係なく自分の心の安らぐ場所を求めている。


いままでここに書いた内容はもちろんその都度感じたことを書いていたんだけど、僕自身のことはほとんど書いていない。家族を見るときに感じたことくらいしか・・・
これからは僕も心の奥底にあるものを少しずつ書いていきたい。自分の生い立ちから、これまでの感覚を
それを読んで、僕の印象が大きくずれてこようとも正直に・・・
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