冷やご飯 | デペイズマンの蜃気楼

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日々の想った事、出会い、出来事などなどをエッセイのように綴りたいなと。
時折偏見を乱心のように無心に語ります。

チセが食べ物を残すところを見たことがないが、聞くとお弁当はたまに残すという。
理由は「冷やご飯を食べられない」らしい。



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「贅沢や、て怒られるねん」と申し訳なさそうに言ってたが、冷やご飯を苦手とする理由は僕は理解できる。
子どもの時に地域の分会で海だったか川に出かけるのが雨で中止になった。
分会の仲の良い人の家に集まって、野外で食べるはずだったお弁当を広げて、室内宴会が始まった。
僕は冷え切ったおにぎりを手に取ったのだけど、いつもと違う匂いを感じた。
それが冷やご飯特有の匂いである事は初めて認識したのだけど、その特有の匂いが子ども心にも少し強く感じた。
回りくどい言い方をすると
「あぁ、これが冷やご飯の匂いか。でも本来ならばこの匂いがもう少し控えめなのが正常な冷やご飯なんだろうな。ここまで匂うのは少々危険だな」
と、本能は察知したのだけど、昔は子どもの言い分など「もったいない」「大丈夫や」「なさけない」などの強制却下制度が活発だったので、自分でも「気のせいだ」と信じて食べた。

案の定、数十分後に帰路で大いに吐いた。
オモニは「傷んでたんやな」と僕を介抱したが、なるべく普段から子どもが本能を発言できる間口は欲しいなと思った。

以来、かなり冷やご飯の匂いには神経質になった。
ちょっとでもあの特有の匂いを強く感じると警戒した。
大丈夫ラインの匂いでも、神経質すぎてアウトレベルに感じる事も多くなった。
そんな話をチセにすると、チセもあの匂いが苦手だと言った。

ところが僕はややこしい事に、とても冷やご飯が大好きだ。
理由は明確で、遠足で何度か行った冬山登山だ。
今の時代のように保温できる弁当ボックスなんて普及してなくて、登頂した頃には弁当なんてカッチカチの氷状態だった。

話はズレるが「弁当ボックス」と書いてしまうと「ブラック・レイン」でニックが言った「ベントォバァックス?」を思い出す。

話を戻す。

その冷え冷えになったおにぎりを頬張ると口の中がさらに冷えるのだけど、保温タイプの水筒に入った熱いお茶を一口含むと、お米を熱を吸い取って口の中に温かさが広がる。
寒がりで冬山登山は苦手だったけど、いつもその瞬間が好きだった。

以来、僕の中には「冷やご飯危険」と「冷やご飯大好き」が両立している。
親は何かと僕のご飯をレンジで温めようとするが、機械で急速に温めたご飯の方が僕は嫌いだ。
コンビニのお弁当も絶対に温めない。

チセには冷やご飯を勧めないけど、僕は夜中に少しのお菜と冷やご飯を楽しんでいる。


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写真は
「冷やご飯」は好きではないが「冷や舞台」がとてもとても大好きなゴンダさん。