「セル塩麺DEATH」と僕の今日
垂れ流す僕の今日に全く意味なんてないのに、垂れ流すことによってどうやら君を傷つける。
シシドヒナタさんの「セル塩麺DEATH」という曲を初めて聴いたのは、とあるイベントでシシドヒナタさんご本人がこの曲をかけながらポエトリーディングされていた時だった。
その時は音源の歌詞ではなかった。
村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」の、五反田くんの映画のくだりを何度も朗読していた。
シシドヒナタさんの曲は、ちょっとradioheadぽい(ustream配信された弾き語りライブではradioheadのカバーもされていた)。radioheadぽくて村上春樹を引用、とくれば、みなさんの頭の中にはもう既にあるイメージが浮かんで、人によってはそれはマイナスイメージかもしれない。もうそういうのたくさんだよ、やれやれ、気持ちは分かる。でも「セル塩麺DEATH」はそういう感じでもない。とても適当なのだ。あと、これはシシドヒナタさんの他の曲もそうなのだけど、明るくもないし暗くもない。僕たちは、悲しいだらけの一日に楽しいことを見つけようとするし、楽しそうに見える一日にとんでもない絶望を感じたりする。そんな当たり前の感情の揺れが見事に音楽になった。この音楽に乗っかると、僕は「まあ何とかやっていけそうだよ」って思う。
音源ではある種の日記(?)が朗読されている。日記って、自分で無意識に、一日に起こったことの中で書くことと書かないことを選んでいる。それは大げさに言えば、暴力だ。だから無意識に垂れ流したことが、君を傷つけることだってあるんだろう。垂れ流す僕の今日に意味なんてないのに。
この曲には妙な強引さがある。人生に一回ぐらいは常識の枠を越えなきゃいけない時があるって言っているみたいな。
垂れ流す僕の今日に意味なんてないことに飽きたら、ごま油でも流し込みに行こうか。
ラー油でもいいよ。
(石川美香)
シシドヒナタさんの「セル塩麺DEATH」という曲を初めて聴いたのは、とあるイベントでシシドヒナタさんご本人がこの曲をかけながらポエトリーディングされていた時だった。
その時は音源の歌詞ではなかった。
村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」の、五反田くんの映画のくだりを何度も朗読していた。
シシドヒナタさんの曲は、ちょっとradioheadぽい(ustream配信された弾き語りライブではradioheadのカバーもされていた)。radioheadぽくて村上春樹を引用、とくれば、みなさんの頭の中にはもう既にあるイメージが浮かんで、人によってはそれはマイナスイメージかもしれない。もうそういうのたくさんだよ、やれやれ、気持ちは分かる。でも「セル塩麺DEATH」はそういう感じでもない。とても適当なのだ。あと、これはシシドヒナタさんの他の曲もそうなのだけど、明るくもないし暗くもない。僕たちは、悲しいだらけの一日に楽しいことを見つけようとするし、楽しそうに見える一日にとんでもない絶望を感じたりする。そんな当たり前の感情の揺れが見事に音楽になった。この音楽に乗っかると、僕は「まあ何とかやっていけそうだよ」って思う。
音源ではある種の日記(?)が朗読されている。日記って、自分で無意識に、一日に起こったことの中で書くことと書かないことを選んでいる。それは大げさに言えば、暴力だ。だから無意識に垂れ流したことが、君を傷つけることだってあるんだろう。垂れ流す僕の今日に意味なんてないのに。
この曲には妙な強引さがある。人生に一回ぐらいは常識の枠を越えなきゃいけない時があるって言っているみたいな。
垂れ流す僕の今日に意味なんてないことに飽きたら、ごま油でも流し込みに行こうか。
ラー油でもいいよ。
(石川美香)





