佐世保の同級生殺人事件に関連して、「命を大切にという教育が行き届かなかったのは残念」というような意見があると報道されていたので、


佐世保の事件に関連して、命の大切さを集団教育で教えられると思っている人がいるみたいだが、そんなもので命を大切だと思える人は元々命を大切にしている人だけだ→命の大切さ、若者に教えることができるか:宋美玄のママライフ実況中継:yomiDr 

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=9358  


とツイートしたら反響が大きく、リンク先の記事もとても共感を呼んだようでした。(ぜひ読んで下さい)


そもそも「命が大切だ」「自分は大切な存在なんだ」というものは「教え」られるものではなく、「実感」するものではないでしょうか。

集団教育で教えられると思っているならば、ちょっとセンスがないんじゃないかなと思います。


一緒に働いたことのある助産師の中には、「お産って素晴らしい。いのちってすごい。これをみんなに伝えたい!」とそういう活動をしている人もいて、ピュアだなあと思う訳なんですが、


そのピュアさに感動する人は、もともと命を大切にしてる人だよ・・


と。


そりゃあ誰だって最初は、子宮で自分を育ててくれた人が何らかの形でお産してくれたから存在するわけです。

でも、生まれおちた後にどう育ったか、どんな経験をしたかはそれぞれ違う。

一律に、お産は素晴らしい、生まれてきたってすごいって言われても、ピンとこない人、しらける人、傷つく人はどこにでもいます。


そういう人の存在を想像できないなら、ピュアで善意100%でも(というかむしろそれが罪)、命の教育なんて携わらない方がいい。


今回の件で、いわゆるキラキラした命の教育に違和感をもっている人が多くいることが分かって、私だけじゃなかったんだ、という気持ちでいっぱいです。

キラキラした命の教育のもつ危険性、生きづらい人へのサポートの必要性を伝えていきたいです。