道明寺

天穂日命、聖徳太子、菅原道真、十一面観音、覚寿尼、弘法大師・・・神仏習合とともに紡がれてきた地域の長い歴史。

政治・権力は、宗教を否定したり肯定したりと、ころころ都合よく方向転換を図るものです。しかしどんな過酷な現実も呑み込んで、寺院の歴史はとうとうと流れ続けてきました。

脈々とその命さえ途絶えなければ、あらゆることは歴史の節目のひとつに過ぎません。

■鐘楼門
旧道明寺境内にあった鐘楼を門に改築したものです。
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山門の上下のバランスに違和感があったので、下部に袴腰をイメージすれば納得できます。
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楼上に梵鐘があり鐘木は下からでも見えます。
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酒の一滴は大河の一滴  酒の一滴は大河の一滴

右手の道は東高野街道。
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■本堂 観音堂
1919年建立。
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菅原道真57歳の時、叔母の覚寿尼に別れを告げ大宰府へ下向しました。
「啼けばこそ別れも憂けれ鶏の音の 鳴からむ里の暁もかな」
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「試みの観音」十一面観音立像(重文)も安置されています。
菅原道真による一夜彫と伝わりますが年代測定では奈良末期とも。
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■香炉堂
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透彫が秀逸な木鼻。
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■木造十一面観音菩薩立像 国宝
国宝本尊は像高98cm、カヤ一木造。

製作年代は平安中期他諸説あります。
菅原道真自刻と伝わります。
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頭髪、眼、唇にわずかに絵具を使用しあとは木肌のまま仕上げた檀像彫刻。
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■聖徳太子孝養立像    重文
諸種真言等の胎内納入品があります。

1286年道明寺開山長老の法明房了祥尼や尼僧たちが造立。
聖徳太子16歳の像で寄木造、像高106.4cm。
厳しい目元が特徴です。
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■西琳寺の五輪塔
道明寺中興の法明房了祥尼の墓塔が西琳寺境内にあります。
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■護摩堂
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■大師堂
弘法大師を祀ります。
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花梨がどっさり実っています。
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■十三重石塔
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■庭石
大阪府豊中市の邸宅より譲受けました。
目立つのであれこれ想像しますが、庭石です。
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■歌碑
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■木
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■十一面観音像
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■魚藍(ぎょらん)観音像
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魚の入ったかご=魚藍(ぎょらん)を持つ美女がもとになっています。
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■多宝塔英文説明石碑  1929年
第一次大戦の激戦地だったフランスベルダンの鮮血に染まった土が納められています。
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■多宝塔 
1918年建立。藤沢商店(現在のアステラス製薬)初代社長藤沢氏寄進。
第一次大戦戦没者慰霊塔。
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多宝塔とは初重平面が方形、二重平面が円形の二層の仏塔のことです。
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■手水舎
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■御手洗
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■中門
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■庫裡・寺務所・大玄関
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■東門
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■白光龍王大神(しらみつ・はっこう・・・)
東高野街道沿い、東門のすぐ外にある社です。
社背後には御神木のムクノキ。

道端や道路中央の古木には白蛇の巳さんがセットです。
道明寺天満宮境内にも白光社が鎮座します。
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■古代道明寺五重塔礎石→道明寺2丁目4
巨大な塔心礎は2.2m×1.9m、側柱礎8個。
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織田信長による高屋城攻めにより五重塔焼亡。
現在は住宅地の中ですが、この周囲一帯は旧境内地です。
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■蓮池→道明寺2丁目3、6
南大門より入ると左右2ヶ所に並ぶ蓮池がありました。

旧道明寺跡地と現在の土地利用状況との関係が把握できます。
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                           道明寺跡実測図・推定伽藍配置

現在は消防水利施設に機能転換し存続されています。
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参道両側に今なお姿を留めています。
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往時を偲ぶ数少ない遺構でもあります。
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■西宮・木樹(もくげんじゅ)→道明寺2丁目4
経塚に神殿をつくりお祀りしたのが西宮です。
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樹は右の木です。

884年菅原道真40歳の時、五部大乗経を書写し納経した経塚から、謡曲「道明寺」で有名な木げん樹が自生しました。現在は数代目になるそうです。
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大阪府指定天然記念物。
種子108個で数珠を作り修業をすれば極楽へ行ける霊木です。
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伊勢・春日・八幡三神の化身を祀り、三社神祠とも言います。
道明寺天満宮の管理地となっています。
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                                      2012.12.3追記

【蓮土山道明寺】
(読)どうみょうじ
(英)Domyo-ji Temple
大阪府藤井寺市道明寺1丁目14-31

□宗派:真言宗御室派 尼寺
□本尊:木造十一面観音菩薩立像 国宝
□創建:594年聖徳太子・土師連八嶋により開基
□重文:「試みの観音」十一面観音立像、聖徳太子孝養立像

□無料P:南側・東側にあり
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3年 相撲の祖・野見宿禰が殉死の代用として埴輪を考案。
     功績として「土師」姓とこの地域一帯を所領として下賜。
6世紀末遠祖・天穂日命を祀る土師神社創建。

594年(寺伝)7世紀中葉(調査結果)聖徳太子発願により土師寺開基。
     野見宿禰の後裔・土師連八嶋が屋敷を喜捨し檀越となる。
     七堂伽藍、五重塔の整備された大寺院。
     寺域は東西320m、南北640m。

◇五重塔、金堂、講堂が南北に並ぶ四天王寺式伽藍配置。
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    道明寺天満宮絵図 道明寺天満宮蔵

901年土師氏後裔の菅原道真が叔母覚寿尼を訪問。
903年菅原道真大宰府にて死去。

947年自刻と伝わる十一面観音を祀り道真の号「道明」をとり道明寺に改名。
     道真の遺品を安置し土師神社に天満宮を創建。
1023年藤原道長が道明寺参拝。
     平安末期-南北期に菅原氏が別当を勤める。

◇年代不詳の伽藍ですが最盛期のものと思われます。
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                             道明寺往古伽藍絵図 1672年

◇天満宮背後の木々はどうやら松に見えます。
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                              道明寺旧伽藍図 江戸初期

1246年興正菩薩叡尊が訪れ文殊供養を修し授戒を行う。
     叡尊、法華寺尼衆により尼寺として再興。
1298年鎌倉幕府祈祷寺となる。
     西大寺末寺となる。

1575年高屋城の兵乱により七堂伽藍全山焼亡。
     織田信長により保護。
1583・1594年豊臣氏により再興。
     本堂・太子堂・薬師堂・経蔵・鐘楼・山門・他5坊再建。
1615年大坂夏の陣・道明寺の戦い。

◇寺院中心部は空閑地となっています。1575年以降の伽藍。
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                            道明寺伽藍図 製作年代不詳

1716年石川での度々の洪水により諸堂社壊滅。
1724年丘陵の天満宮境内に移転。
     再興費用捻出のため霊宝開帳。

◇本堂と本社が東西に並んでいます。
  北丘の天満宮境内に道明寺が移転していた頃でしょうか。
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            道明寺 河内名所図会

1872年神仏分界により道明寺と土師神社に分かれる。
     三ノ室・松樹院を移築。他の堂舎は棄却。
     
◇神仏分離後、道明寺は西側の地へ移転。
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                土師神社絵図 堺県提出絵図控 1873年

1919年道明寺本堂落成。
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