弾丸出張

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先月末、6泊7日にて弾丸出張へ行ってきました~

普段ショップさんへ顔を出すこともできずにおりましたので、

急遽です。

 

初日は相模原、八王子で出張の買い物をして

夜中に出発、ほぼ寝ずに…

 

一日目は会津若松、今回の出張で唯一の観光をしたところ

会津と言ったら白虎隊、見に来ましたね。

色々と考えるところがあったものでございます。

その後、夜には青森市へ、ここまでですでに走行距離は1,000㎞オーバー

 

二日目は青森から南下し、盛岡、花巻

そして、夜には女房の実家千葉です。二日目にして走行距離は1,900㎞

この運転はなかなかきついですね

 

三日目は横浜内を回って

夕方には茨城の龍ヶ崎市

夜は成田に泊まって

 

四日目香取市からスタートし、埼玉付近を回る

で、千葉に戻る。

 

五日目千葉市からスタートし川崎、二宮

で、友人宅でお世話になり

 

六日目は熱海、伊豆、沼津

で、やっと帰宅

 

6泊7日で19件お邪魔いたしました。

まぁ、本当に色々と勉強になったわけで、

業界の事、最近のトレンド、デザイン、テクニカルなこと、などなど

本当にありがたい限りでございます。

 

最低でも年一回はショップさんに顔を出したいものであります。

 

唯一の観光、若松城

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槍と銃 ※殺生の話を含みます

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なぜ、僕が槍でシカを止めるのか。

それは、以前のシカとの対話をご覧ください。

 

で、今回は、

槍と鉄砲の仕留め方の違いによって、

なぜ、お肉の味が変わるのかを…。

 

鉄砲の場合、基本的には頭もしくは首を撃ちます。

槍の場合は、心臓を一突きにします。

 

端的に言うと、

脳を止めるのか、心臓を止めるのか、

ということです。

 

で、鉄砲の場合、すなわち脳を止めた場合、

シカの身体は一気に停止します。

また、銃弾の衝撃で筋肉は一気に収縮します。

 

槍の場合、すなわち心臓を止めた場合、

ゆっくりと落ちてゆきます。

 

表現が難しいのですが、

鉄砲は体の機能を停止させる。

一方で、槍は魂を奪う。

 

そんな感じでしょうか。

身体を一気に停止させるわけですから、血管も一気に収縮します。

心臓の場合は、身体の機能は徐々に止まります。しかし、意識はありません。

何が言いたいのかというと、

血の抜け方が全く違うのです。

槍で仕留めた方が断然血の抜けがいい。

 

猟師さんによっては、

鉄砲の方が一瞬で終わるから楽に死ねるだろうと言います。

槍は残酷だと。

 

しかし、僕の同期の2代目猟師、

幼少の頃からワナの見回りなどにくっついていた

猟師の英才教育を受けた奴が、僕が止めたシカを見て一言。

 

目が違う。と。

 

死んだ後の目の水晶体のわずかな濁りが違うというのです。

確かに、槍の場合は水晶体は透き通っています。

しかし、鉄砲の場合は濁っています。

 

また、これも変な表現なのですが、

鉄砲で止めていた時は、

解体をしているとどこかでシカに見られている感じがしていました。

いまは、それは全くありません。

 

もののけ姫ではないですが、

鉄砲と槍、機能的な部分と、目に見えぬ部分、

いずれでも差が出ているのではないかな~

 

と、あまり科学的な根拠はないですが、

そんな違いがある気がします。

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若手の政治家、政治志望者たちへ

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この忙しい時期に、
こんなことを書いている暇があるならば、ほかの事しろよ。
と、言いたくなるのですが、
一人黙々と作業をする時間が多く、
そんな時には、色々と考えるわけで。
で、僕は今の仕事が楽しいわけで、
そりゃぁ、猟は正直きついことが多い。
けど、それがあればこそワンコたちとの時間は最高の時間。
一歩引くことが出来たから、見えてきた部分。


まぁ、話がそれましたが、
最近、年一回の恒例になっておりますが、
腰をやっちゃったわけで、
で、タイミング的に役所などへの提出する書類仕事もしなければいけなく、
ってことで、いまPCに向かって、油を売っているわけです。


さて、今日の本題。


僕を知っている人であれば、
ご存知の方も多いと思うが、僕は政治家をずっと目指してきた。
それがゆえに、移住した。

地方には日本らしさが残っている。
欧米化しすぎてしまった都会ではなく、
地方の立て直しこそが、日本を支える。
そして、日本という素晴らしさを世界にシェアする。

そう、まさに三木道山の
Japan一番!めちゃええ国やん。どの国もうちの国にゃかなわん。
である。

移住の前から、そんな思いを持っていた。
当時は政治家になりたい。一心であった。

生意気にも、あれに出る、これに出る、
あれになりたい。これになりたいと。
今思えば、本当に生意気な話である。


小泉政権以降であろうか、
政治というのが、ダイナミズムは薄れ、
ワンフレーズポリティクスになってしまった。
そして、チルドレンなるものからか、
若い人材が政治の世界に多く出るようになった。
そして、若いというだけで政治家になれてしまう時期もあった。
そして、その若い政治家たちの中には
選挙をテクニックとして、まるでゲームのように取り組む人もいた。
こうすれば選挙を通るという、マニュアルまでもあった。
僕はこのころ、都内でそんなマニュアルを知ることに必死だった。

けど、若い政治家を否定しているわけではない。
若いがゆえに出来る無茶もあるし、
若い頭の柔らかさで、市民に真摯に向き合い、
市民に政治家として育てられる。
実際、若くして政治家になり、本当の政治家になっていっているんだなぁ。
という人もいる。そんな彼を僕は好きだ。

僕の政治の先生、田中良紹先生曰く
「政治家は市民が育てるもの」


一方、最近では、
志から衝動を抑えられずに闇雲に政治家を目指す若者
自分自身の社会的肯定が欲しいがゆえに目指す者
給与を計算して政治家を目指す者
権力を欲し、政治家を目指す者


いずれも、若者の政治家に多い。
全てが自己欲求ではなかろうか。
衝動が抑えられないのはまだいい。
その勢いで、色々変えてしまえばいいのだから。


政治家になる為に実績を作る。
ゆえに、その実績は政治家を求めたがゆえの内容。
自分が心底やりたいことではなかったりもする。
投げられた球を打ち返すだけ。
その実績って、違うんじゃないかな。


給与を計算するようじゃダメなんじゃないかな。
首長でない限りは自分で仕事をすることは出来る。
自らの生活は自らの仕事で賄い、
活動に足りぬ部分を政治家としての給与で賄う。
給料いくら?を見た時点で逸れてると思った方がいいんじゃないかな。


これは、いずれも、過去の自分に当てはまるもの。
権力的な欲求はぼくはあんまりないからよくわかんないけど。
支配したい、言うことを聞かせたい。
そんな風に思うのかな。


僕は最近、自分の仕事をするようになり、
地域の役職で嫌がらせを受けたこともあり、
政治という所から、大幅に一歩引くようになった。

引いたがゆえに見えてきた部分が多々ある。


自ら名乗りを上げるのは結構。
ただ、その前に、ちょっと考えてほしい。

本当に地域の人がそれを望んでいるのかな?
地域の票が集められないから、全体から票を集める。
すなわち、これはテクニック。本当の政治じゃない。

たしかにテーマ別ってのもあるけどさ。前提は地域じゃないかな。

じゃぁ、政治家になって、何を実際どこまでできるのかな?
僕はこれがしたい。あれをしたい。こうすれば良くなる。
って、誰がやるの?
責任取らずに人にやらせるってことは、まぁ間違いなくできない。
ビジネスはそんなに甘くない。

特定の人物の支援だけに偏っていないかな?
この人が支援してくれるから、これくらいの票は獲れる!
いやいや、それもテクニック。長くは続かない。
その人は何で支援してくれるのかな?
本当に支援してくれる人ならば諫めることもしてくれるんじゃないかな。

市、県の議員になればこれくらいもらえるから、こんな生活になる。
って、だったら、自分で商売した方がいいよ。
政治家の給料を生活の中心に置くのは違うんじゃないかな。
だったら、むしろ支援者たちの寄付で生活して、
給料は政務関連費用とはまた別の活動に使う。
その寄付というお金はきっと重くなる。
けどさ、議員の給料って、つまりそういうことなんじゃないかな。
皆の汗水たらしたお金。重いんだよね。


はっきり言ってさ。
若いってのは20代まで。
30代以降は、ちゃんと自分の仕事をベースにした方がいいんじゃないかな。
自分の仕事なら、本当に好きなことのはず。

僕は最近すごく、思う。
本来、政治家って、すごい欲求を持っているんじゃないかな。
その欲求を満たすために、政治家になり、実行に移す。

その欲求を満たすことに共感して投票してくれる人たちがいて、
はじめて、本当の支援者なんじゃないかな。

たとえばさ、田中角栄は豪雪の新潟、
冬には孤立してしまう地域をなんとかしたかった。
本当に何とかしたかったらしい。
だから、みんなその欲求に乗ったんじゃないかな。
本当に日本を世界レベルにしたかった。
だから、工業を押し上げた。
いろいろ、あったんだろうけどさ。

たぶん、自分の欲求が、
自分を超えて、社会的な欲求が、自分の欲求となったとき、
で、それを社会が必要としたときに、
政治家の道が開けるんじゃないかな。

けど、それって、事業していたら、ごくごく普通の話。

お金を稼ぎたい!ってだけの会社もあるだろうけど、
お金を稼ぐ理由って、他に使うためなんじゃないかな。
色々な人、ステークホルダーとなる人達の幸福を求める。
地域、社会、地球規模、さまざまな問題を解決する。
そのために、自らが行動する。
そして、次なる者へパスをする。その意思を広げる。


いまの政治に欠けているものなんじゃないかな。
僕は今の政治家の、欲求が浅ましいと思う。
スケールが小さい欲求なんじゃないかなっておもう。
自分の金のことばっかり。

若手の政治志望者、若手の政治家たちに一言、言いたい。
否、同志となる仲間へ言いたい。


もう時代は変わったよ!
もっと、でっかく生きようぜ!!

自分をもっと最大限に表現してからでも遅くないって。
小さいままでなれば、小さいまま。
歌謡ショー以外できないって。

大地、自然、地球は、

僕たちが本当に目覚めるのを待っているよ。

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東京犬猫日和さんで…

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数日たってしまいましたが…

 

6月1日に東京犬猫日和さんに特集していただきました。

 

先日、書いたこととほぼ同様ですが、

 

ブログは僕自身が書いたもので、

 

東京犬猫日和さんの記事は担当のライターの方が書いてくれたもの。

 

僕のほうでの修正は「てにをは」を一か所だけ。

 

それ以外はライターさんの書いたままです。

 

なんか、すごく伝わってくれてうれしい限りです。

 

本当にありがとうございました!!

 

【命を無駄にしない、やたらな猟師を増やさない、里に下りてくる動物たちを減らしたい〜里山の現実と向き合う〜】

いきなりですが、といっても前々から言っているのですが、
ここ最近、
くくり罠という、足にワイヤーがかかったシカを殺す
シカの止め刺しは槍を使っています。

なぜか、
第一にお肉が良いということにつきます。
せっかくだから、より良い状態のお肉を使いたい。
というところからでした。


鉄砲というのはシカとの間合いは遠く、数十メートル。
バンといったら、おしまいです。
とはいえ、鉄砲で素晴らしい状態にする方もいます。
だけど、僕はその方と同じようにしても、
いい状態にはなりませんでした。
スキル不足ですね。

それが、槍に変えたところ、
その方並みのお肉になるようになりました。

最初はそんな感じでした。

けど、槍って、シカとの間合いが近いんです。

その距離1mちょっと。
そうなってくると、刺す前に色々と話をするようになりました。
話をするようになって、鉄砲を使用するのをやめました。
もちろん、普通の猟の時は槍は無理ですが…

最初は祓いの言葉を
次に真言を

徐々にシカとの会話が増えました。

なぜ、いまから殺されなければいけないのか、
シカに罪はないということ
生まれ変わったら、違う生を歩めなどと、
人間に出会わないように生きてくれと。

決まってシカは、なんで!?いやだ!!やめて!!
そのようなリアクションをします。

ただ、先日のシカは違いました。
気高い大きなオスであった。
はっきりと、僕の意識に話しかけてきた。

ついに、頭がおかしくなったのか…
そう、思われても仕方ありません。

ただ、はっきりとわかった。

「先に仕掛けたのはお前たちだ、
お前たちが先に私たちの山を奪った
だから私たちは来ている。
私は次の生もシカに生まれる、
そして、またお前たちの前に出る
私たちは決してお前たちには負けない」

僕は
「憎め!人間を憎め!我々人間が悪いんだ。
俺は叉鬼(マタギ)、ゆえに鬼、お前を殺す」
とっさに、そんな言葉が出た。

僕は輪廻転生というのを信じている
このシカとはまたいつか、出会うであろうと思う。


このシカを殺した後、色々と考えた。

そう、先に山を奪ったのは我々人間
高度経済成長という名の下に、
ダムを作り、道を作り、鉄塔を立て、
戦後植えたヒノキやスギの林は輸入材に負け放ったらかし、
間違いなく、彼らの住むところを奪ったのは我々人間。

僕は日野市という所で、小・中・高を育った。
僕の子供の頃は多少塩素臭くとも水道水を飲んだものだ。
つまり、奥多摩湖のダムの水で育った。
すなわち、その水源は山梨である。

東京に住んで居るから関係ないわけではない、
神奈川であれば、山梨の道志村が水源林、
都内で最終的に住んで居た港区、
この時は廊下にミネラルウォーターが並んでいた。
しかし、お風呂は水道の水。
すなわち、どこかの山の水が流れ流れて、使っていたわけだ。

我々日本人は高度経済成長を経て、
今の豊かな暮らしがある。
たしかに現代においても貧困はある。
しかし、他国のような飢餓などのものではない。

私たちは山を開発し、山を壊し、
今の生活がある。

柏崎からリニアの為に引かれる鉄塔、
果たして必要なのだろうか、

私たち人間は、山のおかげでここまでの豊かな暮らしを得られた。
その恩恵を都会に居ればわからない。気付けない。

事実、僕も猟師になってはじめて心底気づいた

いまこそ、我々人間は山へ恩返しをすべき時なのではないか。

シカは元々は神の使いと崇められてきた。
シカが里へ下りてくるのは、増えすぎたから。
という簡単なことではない気がする。

山からの大事なメッセージなのではなかろうか。
これに気づけなければ、
我々人間は取り返しのつかないことをしてしまうのではなかろうか

先のシカと出会ってから、心底そう思うようになった。

シカを減らすことが獣害対策なのではなく、
森を戻すことこそが、
野生獣たちとの共存が見えてくるのではなかろうか

森を守るなんて社名にしたおっちゃんがいるわけだが、
全くその通りなんだなぁと。ほんとすげぇや。


僕は新米猟師がゆえ、槍を使いシカと対話することが必要だったんだな
と、つくづく思った次第である。

まだまだ、始まったばかりだ。