中沢新一さんの言葉

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経済には贈与論的思考の復活がもとめられます。あらゆる宗教は「宗教をこえた宗教」への飛躍を模索しなければなりません。そして宗教を越え出た場所で、人類が出会うことになるのは、かつて人間と動物は兄弟であったと語る、あの神話の思考のよみがえりの現象です。~『芸術人類学』

縄文の自然崇拝..

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清水友邦さんの fbより。 写真は 数日前の 大瀬崎灯台。 日本の神道は縄文の自然崇拝から来ている。 石、岩、樹木、山、川を神の依代として自然を崇拝してきた。 神社には鎮守の森があり、神の使いである蛇や鹿や動物がいた。 縄文時代、森羅万象に精霊が宿っていた。先祖の墓地がある広場を中心に同心円状に集落が形成されていた。縄文は文字や金属をもたず、富の蓄積をせず、王様を作らず、人を殺す武器を持たず、都市は存在していなかった。 集落はどこまでも開放的で城壁はなく家に鍵はかかっていなかった。縄文時代は死者と一緒に暮らし生と死は離れていなかった。 縄文と弥生の移行期になると墓地は集落の境に作られ、弥生時代になると村から離れた山の裾野などに作られた。 先祖の霊を部族の守護神として大切に祀るようになり精霊は遠い所から村に訪れるようになった。神がかりは女性から男性にかわり司祭によって組織化された宗教的行事が行なわれるようになった。 弥生時代になり大陸から金属製武器をもった父権社会の集団がやってきて戦いが頻繁にはじまると、外敵の侵入を防ぐ為にまわりに堀を幾重にもめぐらした高く厚い城壁が作られ、門は頑丈に作られた。 村落が形成されると自然崇拝の信仰対象は勢力を拡大した出雲系の祖先の霊廟に変わった。 その後、天孫族の勢力が拡大し他の部族を制圧すると出雲系の祖霊神は格下げされた。天孫族の祖霊は格上げされ国を守る最高の守護神「天照大神』として伊勢神宮に祀られるようになった。 縄文の精霊信仰は神社神道に吸収された。 かつて神である樹木や動物は人間と同じく手厚く葬られていた。 江戸時代の広島藩では「木一本が首ひとつ、枝一本が腕ひとつ」といわれ木を無断で伐った久兵衛という人物は打ち首になったほど森が守られていた。 明治になると天皇を頂点とする国家神道が形成された。記紀神話以外の神々は抹殺され、明治42年までに約19万あった神社が統廃合されて神社は11万までに減らされた。消えた約8万の神社の運命と同時にそこにあった鎮守の森も消滅していった。 戦後、高度経済成長が始まるとTVが普及し情報がマスコミ経由になって村の古老の話を子供が聞かなくなった。 日本は工業技術に価値を置くようになって村から都会へ人が移るようになった。村では人が変わり家が断絶した。 深夜電力を使ったコンビニが登場し真夜中も明るくなった。かわりに妖怪が姿を消し、目に見えるものだけを信じる人が増えて、狐にだまされる人が一斉に姿を消した。 大切に保護されてきた神話時代の森はお金の時代になると神聖さを失い単なる商品価値におとしめられた。 経済とお金が新しい神となった。森林は欲望の対象になり土地は売り渡された。森林は伐採され、自然は崩壊していった。 自然と村人を包んでいた神々の世界は姿を消した。昭和30年代の後半(1960年)を境に1万年の間、森を維持してきた村落共同体は急速に崩壊した。 それと同時に縄文時代から続いてきた自然を畏怖するという野生の思考も失いつつある。 動物も人間も生きている地球の大きな網の結び目の一部にすぎない。 すべての生き物はそれから離れて生きる事は出来ない。それでも人間は地球規模で自然を食いつぶそうとしている。 自分が誰なのか忘れてしまったのだ。

Peace Cloudさん(@taiunyohei)が投稿した写真 -