いまひとつ整理がつかないんですけれど。

Theme: 読経 2011年03月19日(土) 20時21分00秒
ああどうもこんにちは。
最近ね、卒業とか合格発表とかあるでしょ??
んで、塾講師をやってた時の生徒からメール来て、

『受験が終わって一番に話したかったのは先生で、今までで会った大人で一番尊敬してます』

なんてものすごい熱量でメールがくるわけです。
まぁ言ってもそんなのは若い時期には何かと感化されるもんだからさ、
それはそれで人生の通過点だろうからいいんだけれど。

さらにこの類の商売をやってりゃそんな連絡の一つや二つはさ、
誰にでもあるだろうから、自慢でもなんでもないのよ。

話の中身としてはあくまでも俺の話でさ、

そんな風に尊敬されうる人間なのかなってことですわ。
だってさ、今日だって奥さんが検診で実家に帰っててさ、

休みの日だったからとりあえず日がな一日寝て、
起きて残りもんあっためて食べて、
ダラダラとコーヒー飲んでニコ動でスタートレック見て、

お腹すいたからラーメン屋で半ラーメンとチャーハンと『課長』島耕作。
その後洗濯しながらテレビ見て、ブログでも更新したら仕事でもすっかな。

そんな一日よ??
それで尊敬に値する人間だと言えるのかね??

って話をしようかとうんこしながら思ってたんだけれど、
よくよく考えてみたらそんな安い話でもないような感じもしまして、
もうちょっと思慮深く考えてみたんだけれど、

『そういうダラけた一日もある人間だからこそ』ってとこもきっとあんのよね。

ものすごいストイックで清潔で論理的かつ精力的な毎日を過ごせるなら、
そもそもその生徒の前に立つこと無く、違う人生だったと思うの。

こうやって何年もダラダラグチャグチャどうでもいいことを書き連ねてさ、
一向に先に進まない人生を過ごしてきたってことが一つの結果なのよね。

でもさ、

それを良しとして生きるってのもまたなんかそれはそれで違う気がするのよ。

自分にダメなところがあるから、そんなところが人間ぽいというか、
一つの『味』みたいなことになって、結果それが魅力になる。


て言うのは一理あると思うよ。そう言わなきゃ誰もが生活を否定せねばならないしね。
でもね、それじゃ自分に妥協してなくて、
とにかくストイックに生活してる人にしてみれば、

そんなもんは逃げだろ??毎日ギリギリまでやってナンボだと思うよ。

という意見には対抗しきれないでしょ??

みんなちがってみんないい

なんてのはものすごく温かい言葉なんだけれど、
そういう言葉をかけられて救われることは悪くはないけれど、

自分でそれを言っちゃおしまいって向きもある。

あくまでもそれは『誰かにかけるべき言葉』であって、自己肯定に使うのは反則。

とはいえ日々のダメなところに毎日ダメ出ししてさ、
『あぁ~、自分はダメだ…。誰かに何か言えるような人間じゃない…』
て言うのは余りにもネガティブ。

じゃあどうすりゃいいのよってのを自分で更新しながら考えているわけです。

結局自分は完璧ではないという理解をして、
良いところも悪いところももちろんある。


だと中学生レベルだよねぇ。

となると、自分というものの特徴を考えて、

誰かにとって良いところが、
誰かにとっての悪いこと。


くらいまで深めているとなんとなく納得いくような気がして、

自分が良いと思っているところは、全ての人にとってそうではなく、
もちろん逆もしかりである。


くらいまでは行けて、もうちょっと頑張ると、

どの程度良いのか悪いのかはタイミングだったり、人間関係だったり、
人それぞれの受け止め方によっても違うわけだから、
何パーセント良いか悪いかを自分で測ることも、
動きがある中だからそれを『何パーセント』と断定することもできない。


となると、じゃあ自分て一体何なのよ??
というループを繰り返すわけでございます。

なんとなくムカつく→理論構造がある批判→自分の方がエライと思う
→自分って大したことないってことに気づく→生きる価値を見出すために頑張る(今この辺)→
(どのくらいのステップがこの辺にあるのかは分かんないから端折って)なんだか悟る

みたいな流れであろうかってところまでは予測ができてきた30代の毎日、
んじゃどうするかって、あらゆるものの一つの結論を見出すために頑張るしかないのよね。

って考えてるのはみんなそうじゃないかなぁ?ってか、
みんながぼんやりとそういう考えであったら俺は安心だなぁと思うのです。

ってとこまで書いてさ、ぐるっと話を戻すと、
大学に受かったあたりで、『先生を尊敬している』って言える子はさ、
俺が20代前半をいっぱいいっぱい引きずってきた、

自分の方がエライと思う

を既に越えちゃってるんだなぁ…と思ってしまいました。

そうか、それが人間としての本質的な差だなぁと。
これはもはや違いではないような気がして、

この仕事をしてりゃよくある熱量のあるメールを送れる人は、
『若いから』ってのはある程度あっても『真摯な姿勢』ってのも持ち合わせてんのね。

とっ散らかってきたので一つの結論を頑張って出しましょう。

みんなだいたい似たよう成長スタイルってか、レールを歩んで行って、
やっぱり先のことはぼんやりとしか見えてこなくて、

特に20代後半~50代あたりは全然予測ができないくらいなんじゃない??

仕事の中においてどうってことじゃなくて、
自分のその、いわゆるライフステージみたいな、
その時の心境とか、目指すものとか、悩みとか。

そういうとこにこれから突入していくわけです。
ぼちぼちルーキーとか若手とかって冠が外れてきて、
中堅とかになっていくわけでしょ??

人によっては既に中堅の人もいるだろうし、
年齢関係なく、キャリア的に中心的な存在の人もいるだろうし。

だからレールを歩んでいくスピードは人それぞれ。
でもそれってなんとなく、俺は個性じゃなくて、
能力と運の違いだと思うのよね。

早い人はどんどん行くし、どんどん行けるし。

その中で自分をどう定義するかってのは難しいんだけれど、
そういう人生最大の(最大でもないのか?)山場の世代の中で、

今持っている疑問てか、自分のあり方みたいなものは、
『今のところ思い悩むこと』だと自覚しつつも、
選択肢は『ダッシュ』しかないんだろうね。

能力がある人は小走りでもかなり速く走れるだろうし、
能力がない人はダッシュしたって激遅だろうし。

運があれば前を走ってる人全員が脱線するかもしれないし、
運がなければ自分がリタイヤするかもしれないし。

ダッシュで走り切る人もいるだろうし、
ペース配分が必要な人もいるだろうし。

ってことよね。

もはやそこには高尚な理論なんてなくて、
深い哲学なんてなくて。

全部は終わりごろになって『自分の言葉』として出てくるだろうからさ、
ガチャガチャいわないでとりあえず走れってことなんだろうね。

書きながら考えるサイクルにかなりのブランクがあるので、
全然気持ち良くないんだけどさ、

とはいえこれが答えだってのは間違いなさそうね。
考えてる暇があるならとにかく走る。できるだけガンガン走る。

これだけだね。

結局イケイケドンドンしかないのかなと思うわけです。
周りのクソみたいなオトナは、そんな風に見えてたって、
その人なりに走ってんだろうから、
クソだなと思いつつも、否定する暇も自分にはないのよね。

がんばろーっと。

こんな感じでどう??
言いたいことが伝わるとよいなと思うんだけれど。

超当たり前だな。

じゃ。

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