逆転無罪 | 京都暮らしの日々雑感

逆転無罪

オウム真理教の一連の事件に関わったとして、

長期にわたる逃亡の果てに逮捕・起訴された被告人に対して、

第一審の裁判員裁判で有罪判決を受けたのに対していたのだが、

第二審の高裁で無罪判決が下された。


そもそもが、この被告人にあっては、

「期待可能性」がないとして、刑事訴追されるべき事案ではなかったし、

当然、無罪判決が下されるべきものであったから、

第一審の有罪判決それ自体が、

「オウムは怖い」「何が何でもオウムを吊せ」と言わんばかりの世論に呪縛された、

そういう偏向を背景にしたものだったと思うから、

この段階でやっとまともな判断が下されたと思う。


マスコミは、この判断が不満らしく、

検察が最高裁に上告すべしと言わんばかりの書きっぷりだが、

この無罪判決の論旨では上告理由が見当たらないから、

最高裁への「期待」は空振りに帰結するだろう。


つまり、この先進国、文化的な法治国家とされている日本でも、

マスコミの力で「国民情緒法」」が兆憲法的に機能していて、

警察も検察も、裁判所までもが拒えないという、

そういう姿を露呈しているわけなのである。